王国⑭

「ヘルブラント、お前は少し黙っていろ。獣人の話を聞こうではないか」

「陛下!何を仰るのですか!獣人の言葉を間に受けてはなりませんぞ!」


 陛下という言葉を聞いてウォルカーは奥の人物に視線を移す。

 そこでは五十代と思しき男が、重厚な執務机に両腕を乗せ、じっとこちらを睨んでいた。確かに男は皇帝に相応しいだけの貫禄を身に纏っている。短く切りそろえた顎鬚に精悍な顔立ち、真っ直ぐに見据える瞳からは王としての威厳や覇気が感じられた。

 他の軟弱な人間の王とは違い、訓練と戦いで培われた筋肉が鎧のように隆起している。


(こいつが皇帝か……)


 ウォルカーは皇帝を実際に見るのは初めてだが、その名前は嫌というほど知っていた。

 帝国皇帝、ヨアヒム・ヴァルター・ローリ・テオポルト・プレトリウス。

 幼くして剣の才能に溢れ、自ら兵を率いて獣人の地にも侵攻したことのある豪胆な男だ。

 その豪快な性格とカリスマ性から、広大な帝国領を物理的な力で統治しているとウォルカーは聞いたことがあった。

 物理的な力とは、早い話が逆らう者は一族郎党皆殺しという恐怖政治である。当然のことながら帝国領からの亡命は絶対に許されない。行商人ですら、街に人質として家族を残すことを徹底されているほどだ。

 だが帝国が住みづらい国かと言われると決してそうではなかった。魔物や獣人から身を守ってくれる強大な軍隊もあれば、福祉施設も充実している。

 普通の国民から見れば寧ろ住みやすい国でもある。

 故に皇帝ヨアヒムは帝国に必要不可欠な存在。ヘルブラントと呼ばれた老人はヨアヒムの身を案じて異を唱える。

 しかし、当の本人にギロリと睨まれて直ぐに口を閉ざした。

 如何に国の重臣と言えども逆らう者に容赦はない。それは皇帝ヨアヒムに長く使えるヘルブラントも例外ではないのだろう。老人は叱られた子供のように顔を伏せて黙りこくる。

 静かになった部屋ではヨアヒムの声だけが厳かに響き渡っていた。


「そこの獣人、お前は和平の申し入れに来たと言っていたが、それは本当なのだな?もし嘘偽りを言えば命はないぞ?」


 ヨアヒムはウォルカーを見据えて一挙手一投足から嘘を見抜くように観察する。

 尤も、それで本当に嘘を見抜けるかと言われたら否である。表情や仕草、外見から嘘を見抜くことは非常に難しい。ましてや相手は初対面の獣人である。

 人間とは違い毛深い狼の顔は表情すら分からないだろう。それでもヨハヒムの言葉や態度はウォルカーの言葉を制限するには十分な迫力があった。

 もしもウォルカーが嘘をつこうものなら、緊張から如実に態度に現れていたのかもしれない。


「俺の言葉に嘘はない。和平のための親書を持参したのは本当だ。俺は人間の礼儀を知らぬ、不快に思われることも多々あるだろうが無作法は許して欲しい」


 ヨアヒムはウォルカーの瞳をじっと見つめると、「ふむ」と鷹揚に頷き返す。

 そして親書を探すようにウォルカーと鈴音を交互に見渡した。他国へ届ける親書ともなれば、普通は装飾の施された頑丈な木箱などに入れられることが多い。

 しかし、幾ら探しても肝心の親書らしきものは見当たらない。二人とも手ぶらで懐にもそれらしき膨らみは見られなかった。

 たばかられたか?ヨアヒムがそう思うのも当然である。


「親書はどうした?私には何も持っていないように見えるが?」


 睨まれたウォルカーは無理もないかと肩を竦めた。そして何で皇帝は俺を睨むのかとげんなりする。俺はただの護衛でしかないのにと……


「皇帝陛下は何か勘違いをされているようだが、私はただの護衛に過ぎない。使者はそちらにいる女性です。さぁ鈴音の姉さん、親書を皇帝陛下に」

「分かった」


 鈴音がヨアヒムの下に歩み寄り、インベントリから親書を取り出した。

 突如として現れた親書を見て、ヘルブラントは警戒心を高めた。何時でも魔法を唱えられるように鈴音の動きに注視する。


「私の名前は鈴音。この手紙を届けるように頼まれた」


 鈴音は取り出した親書を重厚な机の上に置いた。

 ヨアヒムも親書を何処に隠し持っていたのか気になるのだろう。鈴音と親書を訝しげに見比べている。

 それもそのはず、目の前に置かれた親書は厚手のなめし革で厳重に保護されている。厚みもある上に少女の懐に隠せる大きさではない。

 ヨアヒムの訝しげな仕草を見たウォルカーは、数日前の自分を懐かしむように思い出していた。


(そりゃいきなり親書が現れたら普通は驚くよな。しかも水や食料まで出し入れ自由なんだぜ?それなのに当の本人は自分が凄いって自覚がまるでないんだよなぁ……)


 ウォルカーは苦笑しながら二人の動向を静かに見守る。

 鈴音と親書を見比べていたヨアヒムであったが、幾ら見比べても答えは出なかったのだろう。訝しげに親書の入った鞣し革を手に取った。

 何重にも折り重ねた鞣し皮からは、見た目通りズシリと程よい重さが手に伝わって来る。

 表面の艶を見ても上質な鞣し革であることは一目瞭然。親書を届けるに相応しい逸品であることに間違いはない。

 ヨアヒムは鞣し皮の表面に触れると、その滑らかな手触りに納得するように頷いてみせた。

 括られた紐を解いて封を開け中を覗き込む。そこに収められていたのは、上質な和紙で作られた封筒が一つのみ。

 ヨアヒムは迷わず封筒を手に取り封蝋を解いた。親書に視線を落として考え込み、そして目の前にいる鈴音の顔を覗き込んで「ふん」と鼻で笑う。

 

「互いの国への不可侵。但し国境に交易のための街を作り、有事の際には物資の支援を行う。交友を深めた後、段階的に渡航も視野に入れるか……。確かに聞こえはいいが、その街の管理は誰がするつもりだ?街の管理に関しては後日改めて協議するとあるが、どちらが管理をしても侵略のための拠点になりかねないではないか。双方で管理者を置いたところで街の治安を維持できるとも思えん。何れはどちらかが街を支配し、侵略や防衛の拠点になるのは目に見えている。そんなことすら分からんとは、馬鹿な主に使えて貴様らも大変だな」


 相手を見下した言葉にウォルカーは牙を覗かせた。

 如何に皇帝といえども使者に対して放つ言葉ではない。思わず威嚇するようにヨアヒムを睨みつけていた。

 その視線を感じ取ったヨアヒムがウォルカーを睨み返す。


「殺る気か?まさかヘルブラントの魔法の矢マジックアローを無効化した程度で勝てると勘違いしたか?それなら止めておけ。魔法無効マジックキャンセラーが付与された魔道具マジックアイテムで魔法を打ち消したのだろうが、そんなことが――」


 そこまで言ったヨアヒムは強烈な威圧感を覚えて息を飲んだ。

 背筋が凍るような感覚は幾度か経験がある。獣人との戦いでドンという熊族と対峙したとき、王国のシャインと手合わせをしたとき。何れも相手を格上と認識せざるを得ないほどの威圧感を覚えた。

 では今回はどうだろうか――

 ヨアヒムは小刻みに震える足にギュッ!と力を入れて恐怖心を押さえ込む。

 明らかに今まで感じてきたどの威圧感とも異質。相手が強い弱いの次元ではない。戦いで培ってきた長年の感が、天敵に遭遇したかのように警鐘を鳴らす。


「私のご主人様は馬鹿じゃない。訂正、謝罪を要求する」


 鈴音は射殺さんばかりにヨアヒムを睨みつけていた。

 だが、例え非があったとしても、一国の皇帝がどうして獣人に頭を下げることなどできようか。

 何より親書の内容はヨアヒムを満足させるものではなかった。獣人がへりくだり、帝国の軍門に下るなら分からなくもないが、獣人と対等な立場で話をするなど有り得ないこである。

 そのためヨアヒムは和平に応じる気もなければ二人を生かして返す気もなかった。

 ただ一つ想定外なことは、相手が自らの予想を遥かに上回る手練かも知れないということ。

 ヨアヒムは机を指先で軽く叩きヘルブラントに目配せをする。その合図を受けてヘルブラントは一瞬顔を強ばらせるも直ぐに表情を取り繕った。


「私が獣人ごときに謝罪をすると本気で思っているのか?馬鹿が!」


 ヨアヒムは言葉を放つと同時に机の天板の下に手を伸ばす。

 指先が触れたのは信号を送るための魔道具マジックアイテム。次の瞬間、執務室の前方の床が全て抜け落ち、真下には漆黒の暗闇が口を開いた。

 これは侵入者を排除するための罠。執務室に敷かれた厚手の絨毯の下には開閉式の落とし穴が設置されており、その真下には幾重にも槍が連なり落ちた獲物を串刺しにする。

 一瞬にして鈴音とウォルカーの姿は絨毯ごと穴の奥へと消え失せた。深い暗闇からはウォルカーの悲痛な叫び声だけが響き渡る。

 予め合図を受けていたヘルブラントだけが、瞬時に浮遊の魔法で難を逃れていた。

 鋼鉄製の落とし穴の扉は鈍い音を立てながらゆっくりと閉められる。ヘルブラントはその上に降り立つと、硬い金属の扉を見下ろしヨアヒムに視線を移した。


「陛下、このような罠を使わずとも私に命じて下されば始末しましたものを」


 ヨアヒムは椅子から立ち上がり、傍に立て掛けてあった愛剣を手にしてヘルブラントに近づいた。

 剣を手にしたのは未だに残る恐怖心を抑えるため。まともに戦っていたらどうなっていたことか……

 その時の光景を想像してヨアヒムは戦慄する。


「貴様では無理だ。男の方は兎も角、あの女には勝てんだろうな。女の殺気を感じなかったのか?」

「いえ、私は何も……」


 ヨアヒムは自分だけかと剣を握る手に力を入れた。

 一流の冒険者や剣士は特定の対象だけを狙って殺気を放つことができる。それはまだヨアヒムにも成し得ないことだ。

 つまり、今回の相手はそれだけの実力を有していたことになる。

 

「そうか、では私にだけ殺気を放ったのか……。随分と器用な真似をしてくれたものだ。ヘルブラント、後で獣人の死体を回収しろ。首を切り落として送り返してやれ。それと身に着けている魔道具マジックアイテムの回収を忘れるなよ。魔法の矢マジックアローを無効化できるならエルフとの戦いで役に立つだろうからな」

「畏まりました陛下」


 ヘルブラントは深々と頭を下げて了承する。


「私は少し疲れた。寝室で――」


 寝室で休む。そう告げようとした瞬間、轟音と共に地面が揺れた。

 いや、正確には地面ではない。ヨアヒムは歯を食いしばりながら視線を落とし、ヘルブラントは反射的に自分が立っている鋼鉄の扉から飛び退いていた。

 落とし穴の扉の一枚が激しい音を立てながら天井まで跳ね上がり、ぽっかりと開いた落とし穴の中に縦になって落ちていく。 

 穴の底からは破壊音が轟き渡り、暫くすると穴の中から鈴音とウォルカーが姿を見せた。


「げほっ、げほっ。す、鈴音の姉さん、魔法で扉を撃ち破るんなら前もって言ってもらえませんか?こっちにも覚悟ってもんがあるんですから……」

「大丈夫。ウォルカーは私が守ってあげるから無事」

「いや、でもですねぇ――」


 二人は擦り傷一つ負っていない。

 それどころか何事もないかのように会話をしている。

 

「陛下!お下がりください!ここは私が――[雷撃サンダーヴォルト]」


 突き出した手から雷が迸り、二人を貫かんと襲い掛かる。

 しかし――


「邪魔」


 魔法の矢マジックアローの時と同様、またしても鈴音の尻尾が襲い掛かる雷撃を神速の速さで打ち消した。

 それを一番驚いたのはヘルブラントだ。憎々し気に鈴音とウォルカーを睨みつけて声を荒げる。


「どうやって我が魔法を無効化した!雷撃サンダーヴォルトを完全に無効化できる魔道具マジックアイテムはないはずだ!」

「尻尾で打ち消した。私の尻尾は魔法の完全耐性を持ってる。魔法は無駄」

「し、尻尾だと?巫山戯るなぁあああああ!そんなもので私の魔法を防げるものか!」


 尻尾を揺らしながら答える鈴音にヘルブラントは怒りの声を上げた。

 ヘルブラントは執政官であると同時に帝国の宮廷魔術師でもある。数多くいる宮廷魔術師の中では目立つような魔法は使えないが、それでも一般の魔術師に比べて魔法の威力は桁違いだ。

 その魔法を尻尾で打ち消したと言われて頭に来ないはずがない。抑、尻尾で魔法を打ち消すなど有り得ないこと。馬鹿にしていると勘違いされるのも当然である。

 ヘルブラントは怒りに任せて手当たり次第に魔法を唱え始める。

 雷撃サンダーヴォルトを連続で放ち、そのことごとくが打ち消されると、今度は違う魔法に切り替えた。

 

「[氷の柩アイスコフィン]、[聖なる槍ホーリーランス]」


 しかし結果は変わらない。魔法が放たれると同時に、出現した魔法は鈴音の尻尾に薙ぎ払われていた。

 わめき散らすヘルブラントを見て鈴音もいい加減にうんざりする。そしてレオンの言葉を思い出す。


「もういいや」


 その直後、鈴音の尻尾はヘルブラントの首を捉えていた。

 目にも止まらぬ速さの尻尾は容易くヘルブラントの首を狩り取る。

 老人の首は赤い雫を撒き散らしながら音もなく宙を舞う。そしてドスンと地面に落ちると粘度の高い血液がドロリと流れ落ちた。

 それでも頭を失った体はまだ生きているかのように立ち尽くしていた。心臓の鼓動に呼応するかのように首の断面から血液が溢れ出す。

 しかしそれも束の間。程なくして体は傾き、ぽっかりと空いた穴の中へ体は吸い込まれるように落ちていった。

 それを見たウォルカーが声を上げる。


「鈴音の姉さん、これは不味いですって。俺たちは戦争するためにきたわけじゃないんですよ?和平のために来たんですよ?」


 焦るウォルカーとは対照的に鈴音は相変わらず落ち着き払っていた。


「レオン様は言ってた。何より優先すべきは私たちの命。襲われたら相手を殺しても構わない。そう言われてる」

「そ、そうなんですか?いや、でも……」


 ウォルカーは困ったように言葉尻を濁した。

 正直なんと言って良いか言葉が見つからない。恐らくレオンは皇帝の側近を殺すとは想定もしてないだろう。

 だがそれを言ったところで今更どうしようもないことだ。


(こりゃ鈴音の姉さん間違いなくレオンさんに叱られるな……。まぁ仕方ない、生きて帰れたら俺も一緒に頭を下げて叱られるか。もしかしたら、それで鈴音の姉さんが受ける罰が軽くなるかもしれないからな……)


 ウォルカーはなるようにしかならないだろうと覚悟を決める。

 苦笑するウォルカーを見て鈴音は小首を傾げるも、然程気にする様子もなくヨアヒムに向き合う。 


「もう一度だけ言う。私のご主人様は馬鹿じゃない。訂正、謝罪を要求する」


 ヨアヒムは転がるヘルブラントの首を一瞥すると鈴音に鋭い眼光を向けた。

 怒りが恐怖心を勝るためか、それとも相手が殺気を鎮めているためか、先程までとは違い体が震えることはない。


「一つ聞きたい、貴様は先ほどレオン様と言っていたな?それはサラマンダーを従える冒険者のレオン・ガーデンのことか?そいつが貴様らの主なのか?」


 そこで初めて鈴音は困惑の色を見せた。

 レオンの名前は絶対に漏らさぬよう厳命されている。どうしていいのか分からず思考が追いつかないのだろう。

 迂闊にも主の名前を口に出したことで、鈴音は助けを求めるようにウォルカーに視線を向けた。

 しかしウォルカーにはどうすることもできない。ただ首を横に振るばかりで掛ける言葉が見当たらなかった。

 だが二人のそのやり取りが如実にヨアヒムの言葉を肯定していた。


「なるほどな。黒幕はレオン・ガーデンか。奴の噂は色々と聞いている。ベルカナンから獣人を退けた英雄と聞いたが――獣人と手を組んでいるとなると話は違ってくるな……。レオン・ガーデンが何を企んでいるのか興味もある。そうだな、貴様らの主に合わせろ。そうすれば和平の話も考えなくもない。如何に貴様らが強くとも生きてこの城から出ることは不可能だ。私に協力した方が身の為だと思うぞ?」


 普段は感情を見せない鈴音が表情を曇らせた。

 軽率な自分の発言に行き場のない怒りだけが込み上げてくる。そして、このままでは不味いこということは鈴音でも直ぐに理解できた。


「[眠りスリープ]」


 不意に告げられた鈴音の言葉に、ヨアヒムは壁に凭れるように倒れ込む。

 聞かなくてはならない。この男を生かしておいて良いのかどうかを――

 鈴音は顔を伏せると静かに通話を繋げた。

 それは本来自分から繋げてはいけない相手。しかも自からの不手際がもたらした失態の報告である。

 自ずと鈴音の表情に影が落ちる。


『……レオン様』

『ん?その声は鈴音か?どうした、任務の方は順調か?』

『実は――』












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更新が遅れて申し訳ございません。

最近は忙しく執筆時間が取れないため、毎日の更新は難しくなります。

更新は不定期になりますがお許し下さい。






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