王国⑫

「[透明化インビジブル]」


 魔法の言葉が聞こえた瞬間、ウォルカーの視界から鈴音の姿が消え失せた。手に伝わる感触と温もりだけが、鈴音が隣にいることを教えてくれている。

 見えなくても傍にいることは分かる。ウォルカーは鈴音を見失わない様にと、握り締めた手に更に力を加えた。


「[浮遊レビテーション]」


 次の魔法が唱えられると、不意に地面から足が離れてぶらりと宙に垂れ下がる。

 ウォルカーは一瞬戸惑い視線を落とすも、遠ざかる地面を見て体が上昇していることを直ぐに理解した。

 不思議な感覚ではあるが不快な感じはしない。見る間に城壁を飛び越え上空に躍り出る。

 眼下に広がるのは巨大な城と城壁。僅かに視線を逸らすと帝都の街並みが一望できた。


「凄い……」


 眺望は圧巻の一言である。

 上空から見下ろす建造物の何と美しいことか――

 ウォルカーは思わぬ感動で打ち震えるも、どうやら鈴音は違うらしい。何もない空間から声だけが聞こえてくる。


「お城が小さい。本当にこの場所に皇帝がいるの?」


 お城が小さい?ウォルカーは視線を落とすも、小さいどころか皇帝が住まうに相応しい立派な城だ。

 馬鹿の上に常識もないのか?ウォルカーは呆れたように溜息を漏らす。


「はぁ、鈴音の姉さんが住んでる城がでかすぎるんですよ。こんなに立派な城は滅多にありませんよ?」

「そうなの?」

「そうなんです。さぁ、早く皇帝を見つけて手紙を渡してしまいましょう。城の出入り口には衛兵がいるようです。取り敢えずバルコニーから適当な部屋に侵入しますよ」

「ん、じゃあそうする」


 鈴音は返事を返しながら高度を下げる。手頃なバルコニーを見つけて降り立つと、ウォルカーは部屋の様子をそっと覗った。 

 ベッドが置いてあるため寝室だろうか?ウォルカーが注意深く部屋の中を観察している最中、目の前の窓が急に開いてウォルカーの顔にガツン!と当たる。

 ウォルカーが片手で顔を抑えて痛みを堪える中、鈴音の声が耳に届いた。


「あ!開いた。中に入る」


 つないだ手に引かれてウォルカーの体も部屋の中に引き摺り込まれた。 

 幾ら姿が見えないとは言え無用心にも程がある。幸い部屋に人は居ないが、もし中に誰かいたとしたら――

 ウォルカーはその時の光景を思い浮かべて顔を顰める。少なくとも突然開いた窓や、何かがぶつかる音を不審に思ったはずだ。衛兵を呼ぶことも十分に考えられる。

 これでは姿が見えなくとも見つかるのは時間の問題ではないか……

 ウォルカーは部屋の外に漏れないように小さな声で囁いた。


「鈴音の姉さん、急に動かないでください。これからは動く前に小声で教えてくれませんか?それと行動は慎重にお願いしますよ。見つかったら終わりなんですからね」

「分かった。問題ない」


 鈴音はグイグイと手を引きウォルカーを引っ張る。そのまま扉を開けて無警戒に廊下に出てしまった。 

 ウォルカーは頭を抱えたくなる。全然分かっていないし問題しか浮かばない。

 廊下に人の気配はないため今回も運良く助かったが、こんな偶然がそう何度も続くはずがないではないか――

 尤も、そんなウォルカーの思いが鈴音に届くことはなかった。何故なら鈴音は人の気配を事前に察知して動いているからだ。

 部屋に入るときも、廊下に出るときも、鈴音は予め人が居ないことを分かって行動している。それを知らないウォルカーだけが、一人で気を揉んでいたに過ぎないのだから――


 一方の鈴音はと言えば、廊下を歩きながら、どうやって皇帝の居場所を突き止めるかを考えていた。確かに人に見つかるのは不味いだろう。しかし、人を避けてばかりでは皇帝の居場所を知ることはできない。

 廊下の先に気配を感じて鈴音の耳がピクリと動いた。やはり分からないことは聞くのが一番である。


「この先に誰かいる。その人に皇帝の居場所を聞く」

「へ?」


 ウォルカーが戸惑いの声を出すも鈴音の歩みは止まらない。ウォルカーを引き摺る様に引っ張り続けた。

 廊下を抜けた先で視界に入ったのは上下階に続く階段と幾つかの通路。そこでは使用人と思しき一人の少女が清掃に勤しみ汗を流していた。

 少女は鈴音とウォルカーに気付く様子はない、懸命に床を這いながら周囲の汚れを落としていた。

 ウォルカーが鈴音を静止するように手を引くが既に遅い。

 鈴音は少女に近づき軽く肩に触れていた。「え?」少女が驚きの声を上げて振り返るのを見て鈴音は魔法を発動させる。


「[魅了チャーム]」


 途端に少女の瞳は虚ろになり、まるで何かに取りつかれたように虚空を見つめた。


「教えて欲しいことがある」

「誰もいないところから声がする。もしかして幽霊さんかしら?教えて欲しいことってなに?」


 少女は虚ろな瞳で虚空を見つめながら微笑む。

 逃げる様子もなく平然と受け答えをする少女を見て、ウォルカーは何が起こっているのか全く理解ができなかった。


「皇帝が何処にいるのか教えて欲しい」

「陛下はこの階段を登って左にある執務室にいますよ。護衛の兵士さんがいるから直ぐに分かると思います」

「分かった。それじゃあ掃除を頑張ってね」

「ありがとう。幽霊さんも頑張ってね。あれ?何を頑張るんだろ?まぁいいか……」


 少女は虚ろな瞳で何事もないかのように清掃に戻る。その不思議な光景にウォルカーは思わず呟いていた。


「どういうことだ……」


 返答が欲しかったわけではない。ただの独り言でしかないのだが、ウォルカーの声を拾った鈴音は律儀に答えを返してきた。


「魅了の魔法、情報を聞き出すのに便利。でも記憶が残るから凶。本当は支配の魔法が一番いい、記憶が残らないから吉。でも私は支配の魔法が使えない、残念」


 魅了の魔法は記憶が残るが支配の魔法は記憶が残らない。そう言う意味では支配の魔法が使いやすいと鈴音は言いたいのだろう。

 ウォルカーは近くから聞こえる鈴音の声に、そんなことも出来るのかと呆れ返るばかりである。




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