王国⑥

 レオンたちが打ち合わせをしている頃、別室に移されたバハムートは頬の冷たい感触に瞳を僅かに開いた。

 寝惚け眼でペタペタと近くを触り、「むぅ?」と口をへの字に曲げる。


(冷たいだと?トカゲの奴め!頭の上から主を放り出すとは何事か!)


 バハムートは瞳をゴシゴシ擦り周囲を見渡す。

 あのトカゲはお仕置きだと意気込むバハムートであったが、その肝心のサラマンダーの姿が見当たらない。それどころか見知らぬ部屋に一人きりだ。

 思わず口を開いて呆然となる。 


(これが噂に聞く誘拐だろうか?)


 バハムートは寝ていた長椅子から飛び降り扉に駆け寄る。ドアノブに手を伸ばすも位置が高くて手が届かない。


(何て卑劣な犯人だ!)


 バハムートは怒り心頭である。

 力任せに体当たりをしても扉はビクともしない。ならばとドアノブに手を伸ばしてジャンプするも、ちょこんと体が浮いただけだ。どんなに頑張ってもドアノブに手は届きそうにない。


(おのれ!おのれ!おのれ!私を誰だと思っているのだ!偉大なるレオン様のペットだぞ!後でご主人様にお仕置きしてもらうからな。それが嫌ならさっさと開けないか!)


 バハムートは扉の前で「むぅむぅ」唸り声を上げる。

 その願いが届いたのか急に扉が内側に開いた。

 ゴン!という鈍い音が鳴り響き渡り、扉に強打されたバハムートはコロコロ後ろに転がっていく。もしレオンが見ていたら、よく転がるものだと感心したかもしれない。

 何処までも転がると思われたバハムートはテーブルの角に頭を打ち付け、ガン!と言う音とともにピタリと止まった。

 普通の赤子であれば大怪我は間違いないだろう。しかしバハムートは竜種最強の存在である。

 まだ赤子で力はなくとも頑強な鱗は顕在している。バハムートのドラゴンスキンの前では並大抵の攻撃は通ることがない。例えサラマンダーゆたんぽでも一撃で致命傷を与えるのは難しいほどだ。そのため、頭をぶつける程度では何の痛痒も感じることがなかった。

 だが、幾ら痛くないとは言え、突き飛ばされて頭に来ることに変わりはない。

 バハムートはガバッと上体を起こすと、キッ!と扉の向こうを睨みつける。すると白いドレスを着た女性――シャインが狂ったように声を上げた。


「あぁぁああああああ!むぅちゃん大丈夫ですか?ごめんなさいね。頭が痛い痛いでしたね」


 シャインはバハムートを抱き抱えて胸元に引き寄せる。仄かに心地よい香りが鼻腔をくすぐり、体が柔らかな感触に包まれた。

 シャインの腕の中にすっぽりと収まったバハムートは、手足をバタつかせて逃れようとする。それでもシャインはギュッとバハムートの体を包み込み、ぶつけた後頭部を優しく摩った。


「よしよし、痛かったですね。痛いの痛いの飛んで行けぇ~」

「むうぅぅぅぅぅ……」


 誘拐犯に捕まったと思い込んだバハムートは、顔を真っ赤にしながらあらんの限りの力を出す。シャインの体を押し退ける様に必死に腕を突っ張った。それでもシャインの腕はビクともしない。

 真っ赤な顔のバハムートを見て初めてシャインは腕の力を緩めた。


「あぁぁぁああああああああああああああああ!!ごめんなさいね。苦しかったですね」


 シャインはバハムートを床にちょこんと下ろすと狼狽えたようにオロオロする。その隙をバハムートが見逃すはずがない。手を離した瞬間、バハムートは全力で走り出す。

 だが残念なことにバハムートの歩みは遅い。トコトコ廊下に向かうバハムートは、背後からいとも簡単にひょいっと持ち上げられた。


「勝手に部屋を出たら危ないですよ」


 シャインはクルッと半回転すると部屋の中にバハムートを戻す。そして無常にも扉を閉めてしまった。

 逃げ場を失ったバハムートは戦う覚悟を決める。

 キッ!とシャインを見上げて、殺んのかこの野郎とメンチを切った。だが傍から見ると変顔で遊んでいるようにしか見えない。

 シャインも遊びと受け取ったのだろう、クスクス楽しそうに笑い声を上げた。


「怪我もないようですし、この様子だと大丈夫そうですね。むうちゃんはお腹が空きませんか?何か食べますか?」


 言われて見れば確かにお腹は空いている。だが敵の施しを受けても良いものだろうか……

 バハムートが悩んでいると、その心を見透かすようにシャインは近くのベルを手に取り鳴らし始めた。音が小さいため部屋の外には届かない。そのことからも、鳴らしたベルは魔道具マジックアイテムなのだろう。シャインは何かを伝えるようにリズミカルにベルを鳴らしている。


「焼き菓子とお茶を用意してもらいましょう。むうちゃんはこちらに座って待っていてください」


 シャインはバハムートを抱き抱えるとテーブルの上にちょこんと座らせる。

 焼き菓子と聞いてバハムートは相手が誘拐犯だと言うことをすっかり忘れていた。中々気が利くじゃないかと「むふん」とふんぞり返る。

 予めお茶の用意もされていたのだろう、直ぐに執事がお茶を乗せたトレーを運んできた。手際よくお茶と焼き菓子がテーブルの上に並べられていく。

 瞬く間に甘い焼き菓子とお茶の安らぐ香りが部屋の中を満たしていった。


「ありがとう。もう下がってもいいわよ」

「畏まりました。御用の際はお呼び下さい」


 シャインがお礼の言葉を告げると執事はそそくさと部屋を後にした。

 テーブルの上では既にバハムートが焼き菓子に食らいついている。口いっぱいに頬張り幸せそうな顔を見せていた。

 シャインは長椅子に腰を落としてバハムートの様子を微笑ましく見守る。もし自分に子供がいたら、こんな感じなのだろうかと――

 シャインの視線に気付いたバハムートは、お茶の入ったカップを両手で持ち上げ焼き菓子をお茶で流し込む。「むふぅ」と一息つくとシャインの顔を見据えて「むぅむぅ」言い出した。

 上手い焼き菓子だ。お前を私の家来にしてやろう。 

 そう告げるバハムートであったが、その言葉を理解出来る者はここにはいない。


「そうですか美味しいですか。それは良かったですね」


 バハムートは「むぅ」と鷹揚に頷くと再び焼き菓子に手を伸ばす。

 焼き菓子が無くなる頃にはバハムートもお腹いっぱいである。テーブルの上にコテンと横になると直ぐに可愛らしい寝息が聞こえてきた。

 シャインはバハムートを長椅子に寝かせると、口元に付いた焼き菓子の粉をハンカチで綺麗に拭き取る。


「本当に可愛らしいですね。私も早くレオンさんの子供が欲しいものです」


 シャインはまだ見ぬ自分の子供をバハムートに照らし合わせていた。

 チェストからブランケットを取り出し、そっとバハムートの体に覆い被せる。シャインはバハムートが目覚めるまでずっと傍で見守っていた。まるで本当の母親のように……


 一方その頃。バハムートの家来でもあるサラマンダーは、寒空の下でお腹を空かせていた。思えばこの三日間ご飯を食べていない気がする。

 サラマンダーはヒョコヒョコ庭を歩きながら、首を持ち上げては窓越しに屋敷の中を覗いていた。だが飼い主であるレオンの姿もバハムートの姿も見当たらない。


「きゅう……」


 サラマンダーは悲しげに鳴き声を上げた。僕のご飯はまだですか?と……





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る