王国②

「陛下、ベルカナンより新たな報告書が届いたようです」


 ヨーゼフは頷き返すと便箋を受け取り封蝋を見た。赤い封蝋にはベルカナンの最高責任者であるシャインだけが用いる蝋印が押されており、この便箋がベルカナンから送られてきたことを表している。

 封蝋を解いて中の羊皮紙に目を通すもヨーゼフは何も語らない。深い溜息を吐いては何度も記載された文面を読み返していた。

 よほど悪いことでも書かれているのだろうか。貴族たちが固唾を飲んで見守る中、ヨーゼフが重い口を開いた。


「獣人から和平の申し入れがあったようだ」


 その場にいた誰もが我が耳を疑う。それは貴族のみならず、後ろに控えていた侍従たちも同じだ。みな一様に驚きの表情を見せるも、一人だけ冷静に落ち着き払っている人物がいた。

 シリウス・アーベル・アン・シュタインドルフ公爵である。この場にいる貴族の中では最も年若いが、先代国王が曾祖伯父そうそはくふに当たることから王家とのつながりも強くヨーゼフの信頼も厚い。

 王国内で最も広大な領土を持ち、他の貴族からも一目置かれている存在である。

 尤も、そこに彼――シリウスの自我は存在しない。今のシリウスは人形使いドールマスターアンナの操り人形でしかないからだ。

 和平交渉の件は事前にレオンから伝えられており、これを上手く纏めるのもアンナに課せられた任務の一つである。

 そのためアンナは自らの発言を控えて貴族たちの動向を静かに覗う。

 自分の意に沿うように――レオンの意に沿うようにするため、発言の機会をじっと待っていた。

 ヨーゼフは隣に座るコンラートの前に羊皮紙を差し出す。


「先ずはこの報告書に目を通して欲しい。読み終わったら順次隣に渡すように」


 コンラートは言われるまま羊皮紙を手に取り視線を落とす。そして思わず声が漏れた。


「馬鹿な……」


 瞳を見開き何度も羊皮紙を読み返す。その仕草に他の貴族たちも羊皮紙の内容が気になるところだ。隣に座るテオドールが半ば強引に羊皮紙を奪い取る。直ぐに羊皮紙に視線を落とすと――


「陛下、これは本当なのですか?」


 テオドールが我慢しきれず口を開くも、ヨーゼフは手のひらを僅かに突き出し制止する。


「テオドール卿、先ずは皆が読み終わるまで待とう」


 テオドールからアルバン、モーリッツへと羊皮紙が手渡される。

 そして最後にシリウスに羊皮紙が手渡されると、シリウスは文面に隈無く目を通してから、そっとヨーゼフの前に羊皮紙を戻した。

 ヨーゼフは戻ってきた羊皮紙を一瞥する。直後に貴族たちの表情を覗うが、シリウス以外は眉間に皺を寄せて難しい顔を並べていた。


「では皆の意見を聞きたい」


 ヨーゼフの声に最初に反応したのはテオドールだ。怪訝そうな表情からも、報告書の内容を疑っているのが見て取れる。


「陛下、これは間違いなく罠です。あの高慢な獣人どもが和平など有り得ません」

「テオドール卿の言い分は最もなことだ。私も獣人が和平を結ぶとは到底思えん。コンラード卿、貴殿の目から見てこの報告書をどう思う」


 最初に報告書を渡されたコンラードは、じっと腕組みをしながら何かを考えていた。そのためヨーゼフは何か思うことがないか尋ねてみたのだ。


「恐れながら陛下、私もこれは罠ではないかと考えております。もし我らが獣人と和平交渉を結んだ場合、帝国は我らを裏切り者と称して敵対するのは間違いございません。獣人の目的は王国と帝国の中を引き裂くことではないでしょうか?」

「うむ、なるほどな。それは確かに考えうる話だ」

「それと、この期に和平の話を持ち出したのには必ず裏があるはずです。いま攻められては不味い事があるからに他なりません。逆に言えば、今が攻める好機と言えるのではないでしょうか?」

「ふむ。コンラード卿の言うことは一理ある。なれば帝国と手を取り、獣人の国へ侵攻を開始すべきかもしれんな」


 他の貴族も賛同する一方で、シリウス――アンナはどうしたものかと頭を悩ませていた。この状況では和平交渉に賛同したところで一蹴されかねない。

 先ずは一旦話を戻すためにもシリウスは異を唱える。


「お待ち下さい陛下。我が国にだけ和平交渉を持ち掛けるのは不自然ではありませんか?帝国とも和平交渉を進めていると見るべきです」

「帝国が我々との挟撃を断ると言うのか?」

「それは分かりかねます。ですが、もし我々が和平交渉を断り、帝国と獣人が手を結んだとしたら、王国は滅びの道を突き進むことになりかねません。冒険者が出会った不審者たちが、帝国の手の者かも知れないと言うことをお忘れですか?既に獣人と帝国が手を結んでいることも考慮しなくてはなりません。帝国の動向が定かでない以上、軽率な行動は控えるべきです」

「むぅ……」


 結局は其処に行き着くのかと誰もが頭を抱えたくなる。これでは話が堂々巡りで少しも前に進まない。

 ヨーゼフや貴族たちが押し黙るのを見て、此処ぞとばかりにシリウスはある提案をする。


「陛下、先ほど読ませていただいた報告書では、獣人の使者はベルカナンの街に滞在していると記載されておりました。先ずは相手の使者から詳しく話を聞いた方がよろしいのではないでしょうか?」

「……他の者はどう思う」


 モーリッツは顔に滲み出る汗をハンカチで拭いながら手を上げた。

 その体格のせいか汗をかきやすいのだろう。部屋は暖房が効いているとは言え暑いわけではない。にも関わらず、モーリッツの顔には玉のような汗が浮かんでいた。


「陛下、一つよろしいですかな?」

「構わん、申してみよ」

「それでは僭越ながら。シリウス卿の言われた通り、帝国の動向は定かではありません。獣人の使者から詳細な話を聞くと同時に、帝国にも使者を送られては如何でしょうか?全てを語るとは思えませんが、こちらの状況を伝えることで何か掴めるやも知れません」


 ヨーゼフは少し考える仕草をしてから他の貴族たちを見渡した。だがモーリッツの案に異を唱えるものは誰もいない。


「では帝国への使者として誰を向かわせるかだが――」


 その言葉には直ぐにアルバンが手を挙げた。

 手広く商売を行っているアルバンは帝国内にも人脈がある。この場にいる誰よりも適任なのは言うまでもない。


「恐れながら陛下、それは私にお任せいただけますかな?ご存知の通り私は帝国とも長らく交易を行っております。私の派閥に属する貴族が――いや、私が直接出向きましょう」

「帝国のことに関してはアルバン卿が抜きん出ている。すまんがそうしてくれるか?」

「お安い御用です」


 ヨーゼフは深々と頭を下げるアルバンに頷き返すと、他の貴族を見渡した。


「では帝国への使者はアルバン卿に任せる。問題は獣人の使者に誰を当てるかだ」


 誰もが渋ると思われたが即座に一人の人物が手を挙げた。それはこの中で最も和平を望むシリウスである。


「私の領内に滞在してるのです。領主である私が適任でしょう」


 ヨーゼフは目を丸くしてシリウスを見た。獣人の使者と直接会うなど危険極まりない。もしかしたら国の重臣を殺すことを目論んでいるかも知れないからだ。

 もしそうであるなら敵の罠に嵌ったも当然である。そのため直ぐにテオドールからも異論の声が出た。


「お待ちくださいシリウス卿、それは余りに無謀です。抑、獣人ごときにまともな使者を立てる必要などありません。ベルカナンの役人でも和平交渉の詳細は聞き出すことができるでしょう。その方が時間も手間も省けて簡単ではありませんか」

「テオドール卿、獣人を軽んじるのは危険だ。獣人たちもこちらの情報は掴んでいるはず。使者が名も知らぬ一介の平民では、和平の話を進めた際に支障をきたす恐れもある。侮られて快く思う者は誰もいない」


 シリウスは反論するも更にテオドールが異を唱える。それに追従するようにヨーゼフも言葉を挟んできた。


「それこそ我らを誘き寄せる罠と考えるべきだ。殺されに行くようなものです」

「テオドール卿の言う通りだ。何もお前が自ら行く必要はない。下級貴族を代理に立てるだけで良いではないか」


 シリウスの身を案じてのことだろうが、今のシリウス――アンナに取っては迷惑この上ない話だ。


「恐れながら陛下。それでは私が臆病風を吹かせたと揶揄されることになります。それは王家の血を引く公爵家にとってあるまじきこと。他の貴族に対しても示しがつきません」

「しかし……」

「陛下のご懸念は最もでしょう。ですがご安心ください。私の身を守るに相応しい人物を知っております。その者を護衛に雇いますので心配ございません」


 シリウスはヨーゼフの瞳を見据えて言い切る。

 こうもはっきりと言われてはヨーゼフに反論の余地はない。シリウスの言葉も理に適うため認める他なかった。


「分かった……。では獣人への使者はシリウス卿に任せる」

「お任せ下さい陛下」

「うむ。ではシリウス卿とアルバン卿が交渉と情報の収集を行う間、残りの者たちも各国の動向に目を光らせて欲しい。二人が戻るまで軍を動かすことはないと思うが絶対ではない。交渉の間にも何処の国が攻めてこないとも限らんからな。二人ともそのことを頭の片隅に置いてくれ」

「畏まりました陛下」


 シリウスとアルバンが頭を下げると、ヨーゼフは一呼吸置いてから鷹揚に頷き返した。


「うむ、では今日はこれまでとする。時期が来たらまた話し合いの場を設ける。それまでみな壮健であらんことを」


 貴族たちは席を立ち、ヨーゼフに対して一礼をしてから部屋を後にした。

 部屋に残るのはヨーゼフと侍従が一人のみ。ヨーゼフは水が並々と注がれたグラスを手に取り一気に呷った。侍従が直ぐに水を注ごうとするも、ヨーゼフは直ぐに手で制止する。

 そして椅子の背凭れに背中を預けて徐に口を開いた。


「まさか獣人から和平の申し出があるとは……。お前はどう思う?」


 そう尋ねられた侍従は、幾度となく今回の件を話し合ってきた執政官だ。

 尋ねられた執政官も何と答えて良いのか分からず困惑していた。獣人から和平の申し出があるのは想定外のことだ。

 執政官は自分の考えを纏めると有りの侭を述べた。


「申し訳ございません陛下。獣人から和平の申し入れがあることは想定しておりませんでした。もし和平に成功するなら、それは一見喜ばしいことでしょう。問題は帝国の出方です。もし帝国と獣人の和平交渉が決裂したなら、それ以前に和平交渉すらなかった場合、獣人と手を結んだ我が国を帝国は敵視するでしょう」

「コンラード卿もそのようなことを言っておったな……」

「はい。本当の意味で和平交渉を成功させるためには、我が国だけではなく帝国の和平も成功させる必要がございます」

「困ったものだ。和平が成ったとしても結局は他国頼みとは。自国でどうにもできないとは何とも情けない……」

「陛下……」


 ヨーゼフはそれ以上何も語らない。視線を落として空のグラスをぼんやりと眺めていた。その表情からは何を考えているのか窺い知ることはできない。

 ただ永遠にも感じる静寂の時間だけが過ぎ去っていった。 




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