第二章 王国の動乱

王国①

 一人の老人が重苦しい表情で北の空を眺めていた。

 空は雲一つない快晴にも関わらず、老人の胸の内には暗雲が立ち込めている。それもこれも十日前に知らされた獣人に与する第三者の存在に起因する。

 獣人と手を取り合う勢力は過去を見ても例をみない。にも関わらず、なぜ今になってそんな勢力が現れたのか。いくら考えても老人には知りようもないことだ。

 ただ一つ分かることは、もし情報通り魔法に長けた者たちが獣人と手を結んだとしたら……

 老人はアスタエル王国の未来を憂い、バルコニーの手摺りにそっと手を置いて顔を伏せた。溜息を漏らすと霧のような白い息が口元から広がり、大気中に溶け込み消えてなくなる。

 何と儚いことか――

 老人は小さな背中を更に小さく丸める。身を屈めたことで上質な糸で織られたローブがバルコニーの石畳を擦った。弛んだローブが悲しげに見えるが、それはローブの弛みだけが原因ではない。老人が身に纏う空気が全てを物悲しく見せていた。

 よほど思い悩んでいたのだろう。背後から聞こえる足音にも気付かない程に……


「陛下、皆様お揃いになりました」


 不意に呼ばれた老人――ヨーゼフ・ジルヴェスター・エックハルト・エトヴィン・シュトールは、もうそんな時間かと嘆息した。アスタエル王国国王としての重責がヨーゼフに重く伸し掛かる。


「分かった。直ぐに向かおう」


 直ぐに向かうと言ったが、その足取りは重い。獣人への対策を検討すべく有力貴族を呼び集めたが、この手の話は長引く上に必ずしも良い方向に結論が出るとは限らないからだ。

 だからと言って貴族の意見を蔑ろにすることはできない。王国の長い歴史の中で貴族の力は無視できない程に膨れ上がっている。いまやアスタエル王国が国として体を成しているのは貴族の力が有ればこそだ。

 そんな貴族たちを蔑ろにすることが果たしてできようか?軽視された貴族が二心を抱かないとも限らないではないか――

 ヨーゼフは足を止めると邪念を振り払うように頭を振った。

 大きく深呼吸をしてから背筋を伸ばして居住まいを正す。すると、先程まで縮こまっていた老人の姿はもう何処にも無い。その顔には年相応に多くの皺が刻まれているが、それとは対照的に覇気のある瞳がより若々しさを際立たせていた。

 王とは立ち居振る舞いからも王としてあらねばならない。しかも相手は国を代表する貴族たち、何時までも縮こまってなどいられなかった。

 ヨーゼフは先程までとは違い悠然と歩みを進める。侍従の案内で城の一室に通されると、そこには見知った五人の貴族の顔が並んでいた。

 貴族たちは一斉に立ち上がり頭を下げるが、この内の何人が心から頭を下げていることか。

 ヨーゼフは心の内で苦笑する。


「みな遠いところご苦労であった。知らない中ではないのだ。堅苦しい挨拶は抜きにしよう」


 貴族たちは顔を上げるとヨーゼフが席に着くのを静かに待つ。

 侍従が豪奢な椅子を引いてヨーゼフが腰を落とすと、それに釣られるように貴族たちも椅子に腰を落ちつけた。

 貴族たちの視線が集まる中、椅子の背凭れにゆっくり凭れ掛かり、一度貴族たちの顔を確かめるように見渡す。


「みな話は聞いていると思うが、今回集まってもらったのは獣人たちの件だ。冒険者を偵察に向かわせたが失敗したことは知っているな?」


 それはクライツェルたちSランク冒険者のことを指していた。ここにいる貴族には事前に話を通しているため、異を唱える者は誰もいない。頷く貴族たちを見てヨーゼフも鷹揚に頷き返す。


「うむ、そこで問題となるのが冒険者が出会った者たちのことだ。魔法に長けており、天候を操作すると聞いている。何よりその者たちは獣人に与している可能性が極めて高い。そこで博識な貴殿らの意見も伺いたいのだが――」


 そこで老齢の貴族が小さく手を挙げた。

 真っ白に染まった白髪に長い眉、ヨーゼフよりも長い年月を生きているだろう証として、顔には深い皺が数多く刻まれている。

 男の名はアルバン・フォン・アスタリーテ伯爵。王都近郊に居を構える貴族で、元は豪商として名を馳せていた平民だ。没落寸前の伯爵令嬢と結婚して、その家督を奪い取った希代の詐欺師とも言われている。

 手広く商売をしていることから圧倒的な財を有しているが、平民からの成り上がりのため貴族からの受けはよくない。そんなアルバンがこの場に呼ばれるのも、王国にもたらす利益が無視できない額に至っているからだ。財政面の功労者であることから、他の貴族もアルバンがこの場にいることを認めざるを得ないのだ。


「陛下、それは他国が獣人と手を組み、我が国への侵攻を謀っているのではないでしょうか?例えば西の教国などが考えられると思うのですが」

「教国か……」


 確かに教国とは常に小競り合いをしている。国境沿いに流れる川のお陰で大きな争いは至らないが、それでも毎年数百から数千の犠牲者が出るほどだ。

 もっとも、そこに配属される兵の多くが孤児のような路頭に迷った平民である。教会が保護という名目で掻き集めた、言わば死んでも困らない人間たちだ。そのため国としての損害は軽微とも言えた。

 非人道的な制度にも関わらず国民から異論の声が上がらないのは、みな自分の命が可愛いからだ。

 自分や家族、そして孤児、どちらか一人の犠牲を迫られたら誰もが後者を選ぶだろう。犠牲になる孤児がいるからこそ、自分たちが戦わずに済むことを国民たちは知っている。

 国は孤児という厄介者を雇用の名目で体よく使える上、納税者の命を危険から守ることもできる。そう言う意味ではよく出来ているのかもしれない。

 ヨーゼフが教国と聞いて口を閉ざしていると、顎鬚を生やした屈強な男がアルバンに異を唱えた。四十代半ばの中年ではあるが、集まった貴族たちの中では若輩と言ってもよいだろう。

 男の名はテオドール・ギュンター・フォルクハルト・ゲーゲンバウアー侯爵。この場にいる五人の貴族の中では最も戦いに長け、そして何より、王国の西を統治する彼は教国の内情に詳しくもあった。


「アルバン卿。教国は自身の信仰するサリエル神を崇めぬ国を、全て敵国とみなしている。獣人と手を組むなど有り得ないことだ。あの無能な獣人どもが宗教に目覚めるとも思えん」

「では誰が獣人と結託していると仰るのですかな?」

「それは私にも分からん。だが、隣国は他にもあるのではないか?」


 隣国は三つしかない、それは暗に残る帝国のことを指していた。

 だが、それこそ有り得ない事だ。何より帝国との交易を行っているアルバンにとっては絶対にあってはならないことだ。


「まさか東の帝国と仰りたいのですかな?それこそ有り得ないことですぞ。帝国とは同盟も結ばれており、長らく良好な関係にあるのはご存知のはず。帝国も獣人に悩まされる同じ被害者ということをお忘れか?」

「獣人に悩まされているからこそ、結託したとも考えられるのではないか?」

「何を馬鹿なことを。そんことがあるはずがない」


 アルバンは話にならないと首を横に振る。

 本来であれば声を荒らげて反論をしたいが、相手が格上の侯爵ではそうもいかない。声を押し殺し、憮然とした表情を見せるだけに止めた。

 アルバンやテオドールの言いたいことはヨーゼフにもよく分かる。

 この場を設ける以前から、有能な執政官たちと幾度となく話し合われてきたことだ。だが、どれも憶測の域を超えることはなかった。確たる証拠もなく情報も乏しい中で断定できようはずがないのだ。


「二人の意見はよく分かった。だが、現段階では教国や帝国と断定することはできぬ。知っての通り我が国は敵が多い。それは決して人間だけではない。北には獣人の国、南は魔物の巣窟ジェダの樹海、西には敵対するサエストル教国。唯一、東のロマリア帝国とは同盟を結んでいるが、それも何処まで信用できるかは不明だ。このような状況下では軽率に動くことはできまい」


 今まで黙して話を聞いていた小太りの貴族が手を挙げた。

 愛嬌のあるふっくらとした顔立ちは好々爺のようにも見えるが、その笑顔とは裏腹に、細い瞳の奥には鋭い眼光を覗かせていた。

 恰幅のよい初老の男は、モーリッツ・ヨハンネス・ルードルフ・フリッチェ侯爵である。長らく王国を支えてきた名門の家系であるが、その力も近年では衰えの傾向にあり、派閥に属する貴族も減少しつつあった。

 そのためモーリッツも内心では焦りを感じていたのだろう。どうしても過激な発言が口から漏れてしまう。


「陛下、やはりこの期に獣人の国へ侵攻すべきです。獣人と結託しているのが教国にしろ帝国にしろ、このまま手をこまねいていては挟撃されることに変わりありません。後手に回るより先手を打つべきではないでしょうか?」


 一部の貴族は同意をすように頷くが、ヨーゼフは視線を落として難色を示す。

 相手の戦力も分からず軍を差し向けるのは余りに危険リスクが大き過ぎた。相手には広範囲に異常気象を起こせる魔術師もいる。それに国の守りが手薄になることも考慮しなくてはならない。


「モーリッツ卿、お主の案を受け入れることはできん。相手の魔術師は人を吹き飛ばすほどの強風を起こすと聞いておる」

「恐れながら陛下、魔術師の体力にも限界がございます。そのような風が長続きするとは到底思えません。それに冒険者が自らの失敗を隠すため、虚偽の報告をしているとも考えられます」

「異常気象に関しては既に裏が取れておる。ベルカナンからの報告では、街の外にも出られない強い風が、三日三晩続いたとのことだ。冒険者の報告に間違いはないだろう。それ程の風を起こせる魔術師であれば、攻撃魔法にも相応に精通していると見るべきだ」

「偶然そのような異常気象が起こっただけでは?抑、人を吹き飛ばすような風を三日三晩も起こせるとは思えないのですが……」


 それは王国の宮廷魔術師を総動員しても不可能なことだ。モーリッツの意見は最もである。


「私もそう思ったのだがな……、その風は余りに不自然なのだよ。それだけの強風にも関わらず、雲は全く動かないと言うのだからな。ベルカナンからの報告は冒険者の報告と一致している。少なくとも手練の魔術師が獣人に与しているのは間違いないだろう。それに軍を北に動かした状態では東西の守りが手薄になる。もし教国や帝国が本腰を入れて攻めてきたら、その侵攻を止める手立てがなくなってしまう」


 ヨーゼフの話を聞いて誰もが沈黙する。確かに北に兵力を集中した状態では東西の守りは薄くなる。残りの防衛兵力では、東か西、どちらか一つを防衛するのがやっとのことだ。

 今までなら同盟を結んでいる東の守りは考えなくとも良かった。例え獣人の国へ進攻したとしても、残存兵力で教国に対して備えることができただろう。だが、帝国の関与も疑われる中では西に防衛兵力を集中させるわけにも行かない。

 結局のところ、現状では情報の収集に力を注ぐしかないのだ。

 穏健派の一人であるコンラート・ヨッヘム・ロホス・シュモルケ侯爵は白髪の髪をかき上げて眉間に皺を寄せた。このまま何もせず、相手に時間を与えるのは得策ではないと考えたのだ。


「陛下、今はベルカナンと連絡を密にしているとお聞きしております。新たな情報はないのでしょうか?」

「うむ……。最近は毎日ベルカナンに伝令鳥を飛ばしているのだがな。残念ながら、これといった情報は何もない。ベルカナンの偵察隊も情報の収集に奔走しているが、風が止んでからは獣人の協力者と思しき者たちは姿を見せていないということだ」

「そうですか……」


 コンラートはそのまま押し黙るように考え込む。

 獣人が教国と結託しているならまだやりようはある。問題なのは帝国と結託している場合だ。そうなったら王国は八方塞がり、教国、帝国、獣人と三つの勢力を敵に回すことになる。まさにアスタエル王国は風前の灯火と言えよう。

 コンラートは自らの考えを纏めると小さく手を挙げ口を開く。


「先ずは帝国に使者を送り、事の次第を告げては如何でしょうか?」

「挟撃……、ですかな?」


 アルバンは鋭い眼光でコンラートを見据えた。


「その通りだアルバン卿。ベルカナンで獣人が殲滅されたことは、既に帝国内部にも広く知れ渡っていることだろう。帝国も馬鹿ではないのだ。獣人の戦力が減少している今を好機と見ているはずだ。帝国と協力して南と東から挟撃を行うことができれば、獣人を根絶やしにすることも夢ではなくなる。例え獣人に与するものがいても、圧倒的な兵力差の前では為す術がないだろう」

「悪い話ではないが……、もし帝国が断ったら?」

「それこそ帝国と獣人が結託しているとみるべきでしょうな」


 アルバンは唸るような声を上げてコンラートを一睨みする。

 穏健派のコンラードとは思えない好戦的な発言だ。だが悪くはなかった。仮に獣人と戦うにしても、何も王国だけで戦う必要はないのだ。帝国が申し出を断るなら、それは獣人と結託していると自ら証明することにもなる。

 問題はその後だ。もし仮に帝国と獣人が手を取り合っているとしたら……

 その後の対処法を考えなくては話にならない。考えなしに突き進み、全ての隣国を敵に回すのは愚か者のすることだ。

 だが、その対処法が一番難しいのも事実である。みな押し黙り部屋の中は静まり返る。その静けさから部屋の外の足音までもが微かに耳に届くほどだ。

 扉の向こうで止まった足音に誰ともなく視線を向けていた。

 扉が数回叩かれると、侍従が直ぐに駆け寄り扉の外に顔を出す。戻ってきた時には一通の便箋がその手に握られていた。




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