Sランク冒険者⑮

 城壁で守られた街の中と違い、遮る物がない街の外では風の強さは雲泥の差である。

 しかも、北に向かうにつれ風は徐々に強くなり、馬も思うように言うことを聞いてくれない。落馬しそうになるのも一度や二度ではなかった。

 谷の入口に着く頃には馬から降りて歩かなければならない始末である。


「くそっ!風が強すぎる!これだと馬はかえって邪魔なだけだ!」


 クライツェルは余りの強風に馬の手綱を引きながら愚痴を零す。

 谷の上空には黒い雨雲が掛かり、いつ雨が降ってもおかしくない状態である。防寒着のお陰で今は寒さを凌げているが、雨が降ろうものなら体温は更に奪われてしまう。谷を抜けるだけでも命の危険すら考えられた。

 みな寒さから顔を守るため片腕で顔を多い、もう片方の手で馬の手綱を握っている。こんな所を魔物や獣人に襲われたら一溜まりもないだろう。


(風が強いのは分かっていたが、まさかこれほどとは……。やはり風が止むのを待つべきだったか。残念だが今は撤退する他ない、急ぎの依頼とはいえ命には変えられないからな)


 クライツェルが撤退を決めたその時、野伏レンジャーのケリーは前方からくる一団を視界に捉えていた。クライツェルが口を開くより早くケリーの声が仲間の耳に届く。


「前方から誰か来るぞ!」


 ケリーの声に誰もが目を凝らす。

 確かに遠くで何かが動いているようにも見えるが、距離が遠すぎて何かは分からなかった。北から来ると言うことは獣人の可能性も十分に考えられる。クライツェルとルークが武器に手をかけ、ヴェゼルが杖を握り締める。

 仲間が警戒する中、人一倍視力の良いケリーは仲間の行動を制止する。


「あれは人間だ。ベルカナンから出ていた偵察隊かもしれない」

「この強風で谷に留まる事ができなくなったのでしょうね」

「ヴェゼルの言う通りだろう。何か新しい情報があるかもしれない。彼らと合流して一緒にベルカナンに戻るぞ」


 クライツェルの言葉にみな頷き返し、偵察隊と合流するため、その場に踏みとどまる。

 強風に煽られないよう身を屈めながら待つこと数分。五十人前後の偵察隊の姿がクライツェルの視界にもはっきり捉えられた。偵察隊は風で背中を押されるように、駆け足で移動しているのが見て取れる。

 移動速度は思ったよりも早く、合流するまで然程時間は掛からなかった。夜通し歩いて来たのだろうか、偵察隊の表情には疲労の色が濃く現れている。

 偵察隊の部隊長と思しき男は、クライツェルを見ると申し訳なさそうに口を開いた。


「クライツェル殿、本当に申し訳ない。我々は貴殿を補佐するように言われていたにも関わらず、谷の出口に留まることも出来ずに、この有様で……」

「この場にいては体力を奪われるばかりだ。話はベルカナンに戻りながら聞く。疲れているだろうが、もう少しだけ頑張るんだ」


 男は頷き返すと部隊を率いて歩き出し、悲痛な面持ちで事の顛末てんまつを話し始めた。


「初めは弱い風で問題はなかったのですが、徐々に風が強くなり、持ち場に留まるのは危険な状態となりました。我々は風から逃げるように南下したので大丈夫でしたが、この強風の中を北に抜けるのは絶対に無理です。それこそ命が幾つあっても足りないでしょう」

「そんなに谷の中は風は強いのか……。やはり天候が回復するまで待つしかないようだな」

「賢明な判断です。いま谷に入るのは自殺行為ですから……」


 クライツェルも無理をするつもりはなかった。

 もし運良く谷を抜けられたとしても、疲弊した所を獣人に襲われては堪ったものではない。

 しかも、獣人は人間に比べて寒さへの耐性もある。何よりこちらは四人だけ、数で押し切られたら全滅は必死だ。

 クライツェルは最後に獣人の情報を尋ねる。獣人の国に潜入するにしても余りに情報がなさすぎた。クライツェルとしては少しでも情報を仕入れたいところだが――


「獣人たちの動きはどうなっている?」

「なにも……。砦に目立った動きはありません」


 相変わらず気味が悪いほど目星い情報はない。

 クライツェルは暗い表情で一言だけ、「そうか……」と、肩を落としながら呟いていた。




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