侵攻㊴

 そんな二人の微笑ましい様子を眺めながら、翁は「よいしょ」と、態々わざわざ、声に出して立ち上がった。

 腰に手を当て背筋をグッと伸ばし、筋肉をほぐすように肩を回しては首を左右に振ってコキコキ鳴らしている。


「撫子の嬢ちゃんや、ちょいと儂に暇をくれんかのう」

「いけませんよ翁。仮面の男を探しに行くのでしょう?」

「そうじゃのう。散歩のついでに見つけるかもしれんのう。じゃがそれは悪いことではなかろうて」

「確かに私はある程度の権限をレオン様から与えられています。数日でしたら暇を与えることもできるでしょう。ですが……。翁、殺気が漏れていますよ。お願い事をするならせめて殺気は消しなさい」


 翁は飄々ひょうひょうと話してはいるが、その周囲にはドス黒い気配が立ち込めている。気の弱い者であれば命すらも手放すほどの強烈な殺気。

 だが撫子はその殺気を受けても凛として揺るがない。鈴音も涼しげな顔で翁の殺気を受け流していた。


「すまんのう。仮面の男を取り逃がしたのは儂の判断ミスじゃ。気持ちが高ぶっておったようじゃな」

「その様子では仮面の男を探すだけではないのでしょう?悔しいのは分かりますが落ち着きなさい」

「落ち着けじゃと?儂の失態でレオン様の顔に泥を塗ったのじゃぞ?落ち着いていられると思うのかボケがぁああああ!!儂の命に代えても、仮面の男を殺さねば気がすまんわ!」


 翁の体から更に凶悪な殺気が溢れ出す。

 禍々しい瘴気のような殺気は部屋中を満たし、大広間がミシミシと悲鳴を上げる。

 鈴音が疎ましそうに体を丸める中、それでも鋼の如き精神の撫子は平然と座していた。


「殺す、ですか……。それは私に与えられた権限を超えていますね。翁の気持ちも分かります、ですが暇を与えることはできません。下がって頭を冷やしなさい」

「嬢ちゃんよ。儂の気持ちが分かるなら――」

「翁、私は否と言いましたよ」


 撫子は瞳を細めて静かに殺気を翁に向けた。

 えも言われぬ圧力と殺気を受け、翁は「ぐぬぅ」と声を漏らす。

 撫子も鬼ではない。もし自分が失態を冒したら、そう思うと翁の気持ちは痛いほど分かる。だが、妖怪を束ねる長としては翁を行かせるわけにはいかなかった。

 それは長いようで短い時間、撫子が無言で翁を見据えていると、翁は諦めがついたのか、肩を落として殺気を鎮めた。


「熱くなりすぎたようじゃ。嬢ちゃんに言われた通り、少し頭を冷やしてくるかのう」

「分かっていると思いますが、勝手な行動はレオン様に報告しますよ」

「言われんでも分かっておる。勝手に街から出たりせんわ」


 大広間から出て行く翁を見て、撫子も殺気を鎮めてほっと一息ついた。

 余程、居心地が悪かったのだろう。鈴音も丸めていた体を伸ばし、思わず「ふにゃう」と声を上げた。


「はぁ……。明日に備えてやることは多いというのに……。鈴音、獣人の王たちに伝言を頼まれてくれますか?明日、こちらに必ず来るようにと」

「頼まれた。伝えてくる」


 鈴音はコクりと頷き返すと、大広間を出て天守閣から飛び降りた。

 体をひるがえし宙に躍り出ると、そのままの勢いで地上へと落下する。本来であれば激突によるダメージはま逃れない。

 しかし、鈴音は両手足を地面について、しなやかに威力を吸収する。

 これはスキルと言うよりも猫又としての特技に近い。撫子は遠ざかる鈴音を天守閣から見下ろし、明日の段取りを考えていた。

 万が一、侵入者がいた時のことも考慮して……






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