侵攻㉟

 撫子たちがレオンから指示を受けて一週間が経った頃。獣人の国、その東の外れにある半壊した砦では……


「やれやれ、もう少し年寄りを労わって欲しいもんじゃ。毎日毎日、こんな辺境の地で見張りをせにゃいかんとはのう」


 砦の最上部では一人の老人がそんなことをぼやいていた。

 老人は一本歯の高下駄を履いているにも関わらず、強風を受けてもなお揺らぐことはない。見事なまでにバランスを保ち、しっかりと二本の足で立っている。

 山伏の衣装を身に纏い、木の錫杖を持つ様は、浮世離れをした老人と言ったところだろうか……

 だが何よりもその姿が奇異であるのは、背中から生やすからすのような漆黒の翼である。それは、この老人が人間でないことを示唆していた。

 顔に着けているおきなの面からは表情は窺い知れない。

 それでも一目で老人と分かるのは、真っ直ぐに伸びる白い顎鬚あごひげがあるからだ。

 老人は風になびく顎鬚を手で扱きながら、尚も独り言を続けていた。


「今日の日暮れ頃には街は完成しとるかのう。撫子の嬢ちゃんが宴でも開いてくれたら最高なんじゃがなぁ……」


 その声は風に流され何処ともなく消えていく。だが老人は一点のみを見つめながら、尚も話しを続けていた。


「それにしても、まさか儂が当たりを引くとはのう。悪いがずっと気配には気付いとるぞ?いい加減に出てきたらどうじゃ?」


 だが老人の声は風に溶けて消えて行くのみ、その声に反応する者は誰もいない。


「ふむ。まぁ、儂も話し合いを優先せよと言われておる。あんまり手荒なことはしたくないんじゃが……」


 次の瞬間、老人の姿が霞むように一瞬で消えた。

 風を切るような速さで地面に錫杖を突き立てると、地面からぬらっと人影が姿を現し、錫杖を躱して即座に後ろに飛び退いた。

 現れた人物はフード付きのマントを頭からすっぽりと被り、顔には真っ白な仮面を身に着けている。

 唯一見える瞳は、真っ直ぐに老人の姿を視界に捉えていた。


「鞍馬天狗の翁か、厄介な奴がいたものだ……」

「その声は男か、儂のことを知っておるとはのう。間違いなくプレイヤー、若しくはその従者じゃな。プレイヤーが一人で出歩くとは考えにくい、お主は恐らく従者じゃろ?儂のあるじは戦いを望んでおらん。少し話そうではないか、お主の名を教えてもらえたら嬉しいのう」

「……………………」

「ふむ、名は教えられんか。ではお主に尋ねる。お主はバトルガーデンというギルドを知っておるか?儂の主はそのギルドに入っておってのう。ご友人の方々を探しておられる」

「……………………」

だんまりは儂も困るんじゃが……。お主はバトルガーデンに入っておったことはないかのう」

「……………………」

「沈黙は否とみなすぞ?」

「……………………」

「はぁ……、仕方ないのう。悪いがお前さんをこのまま返すわけにもいかんのじゃ。戦うしかないようじゃがどうしたものか」


 翁は構えることもせず、ただ仮面の男をじっと見据えていた。仮面の男も戦う気はないのか、ただ翁を観察するように眺めている。

 そんなやる気のない二人が佇む草原に、どこからともなく少女の声が聞こえてくる。


「殺っていい?」


 気付けばいつの間にか、翁の後ろには白い着物を着た少女が佇んでいた。

 年齢は十四、五歳だろうか、端正な顔立ちの少女だが人間ではない。その白髪からは白い猫耳が飛び出し、尻の上からは二つの白い尻尾が伸びている。

 透き通るような碧眼は仮面の男を見据えていた。

 

「やっと来たか、悪く思わんでくれよ。お前さんの能力は未知数。少しばかり卑怯な手を使わせてもらうぞ」


 だが仮面の男は余裕があるのか、動揺することもなければ逃げようともしない。

 ただポツリと、「猫又の鈴音か……」と、呟くだけ。

 そこに再度、少女の抑揚のない声が響き渡る。


「ねぇ、殺っていいの?」

「ふむ、そうじゃのう。拠点に再復活リスポーンされても困るんじゃが……」

再復活リスポーンする前に拘束して蘇生させる」

「まぁ、それならよいじゃろ」

「じゃあ殺すね。敵を呪わば穴二つ――〈凶殺・命捧魂壊〉」


 少女の体が青白い炎で包まれる。それは魂の炎が燃え尽きるような一瞬の出来事。

 同時に仮面の男はグラッと揺られると、そのまま地面に倒れ伏し動かなくなった。


「ふむ、殺ったか」


 が、次の瞬間、仮面の男は影も形もなく消え失せていた。

 拠点に再復活リスポーンするには一分の猶予がある。有り得ない現象に翁は戸惑いを隠せない。


「どういう事じゃ!この世界では即座に再復活リスポーンするというのか!それとも逃げられた?じゃが凶殺は即死の完全耐性でも防ぐことはできんはず。使用者のレベル九割、それ以下の者に強制的な死を与えるはずじゃ。鈴音のレベルは110、つまり、レベル99以下の相手なら間違いなく殺せるはず。もしや奴はレベル100、プレイヤーか!いや、覚醒した従者の可能性もあるか――」


 声を荒げる翁であったが、猫又の鈴音は抑揚のない声で淡々と話し始めた。


「凶殺の手応えが薄かった。あれは恐らく分身、若しくはスライムが使うような分体だと思う。完全に姿が消えたから分身かな?」

「ちっ!してやられたわ。どうりで戦いも逃げもせなんだはずじゃ」

「戦ったら分身だって直ぐに分かる。相手の目的は情報収集」

「じゃろうな。分身を操作するなら本体はそう遠くない場所にいると思うんじゃが……」

「無駄、もう逃げてるよ」

「はぁ……、困ったもんじゃ。なんと報告してよいものか」

「嘘は駄目。それはレオン様への背任行為、大凶。正直に話すのが吉」

「じゃな。しゃあないのう、二人仲良く叱られるとするか」

「それがいい」

「この場を離れるわけにもいかん。先ずは通話で報告をするかのう」


 翁は肩を落としながら撫子に通話を繋げる。

 一介の従者がレオンに通話をするのははばかられた。先ずは直属の上司とも言える撫子に報告をし、それから撫子がレオンに報告を上げるのが決まりになっている。

 翁は一度深い溜息を漏らす。そして重い口を開いて報告を始めた。


「嬢ちゃんか?翁じゃ、実は少し問題が発生してのう。それは――」



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