侵攻㉔

 レオンは男たちに広場で待機するように伝えると、偵察と称してその場を離れ、国境に移動するための準備を開始する。

 本来であれば転移門トランスゲートで一瞬なのだが、直接アスタエル王国に繋ぐのは躊躇ためらわれた。

 少なくともレオンの調べでは、この世界での転移魔法は確認されていない。

 国境の偵察隊を素通りし、突如、攫われた村人が国内に現れたら……

 アスタエル王国は間違いなくその技術――唯一無二の魔法を欲するはずだ。

 そうなれば謎の仮面男――レオン――の行方も必死で探すことだろう。

 最悪、手掛かりを求めて獣人の国への侵略も考えられる。瞬時に他国へ飛べる魔法、その可能性は軍事から貿易に至るまで尽きることはないからだ。

 転移魔法がもたらす国益は想像を遥かに絶するに違いない。

 そのため転移門トランスゲートを使うにしても、今は慎重にならざるを得ない状況にある。

 だが徒歩での移動は余りに時間が掛かり過ぎる。


 男たちを円滑に送り届けるため、レオンは砦内で窓のない真っ直ぐな通路を探した。

 城壁に隣接する通路に条件にあった場所を見つけると、レオンは国境近くの砦に転移の魔法で飛んだ。そして同じように窓のない通路を探し回る。

 すると、国境の砦にも同じような場所に窓なしの一本の通路が伸びていた。レオンが二つ砦を見て分かったことは、二つの砦は同じような造りであること。

 それは意図したものかは知らないが、レオンにとっては好都合であった。

 レオンは転移門トランスゲートの魔法を唱える。

 先程までいた砦の通路と、国境近くの砦の通路を魔法で繋ぎ、通路の明かりを全て消す。すると転移門トランスゲートは闇に飲まれて完全に見えなくなった。

 同時にレオンは配置するドッペルゲンガーを全て下がらせた。

 男たちが獣人の姿を目にしたら――それは間違いなく混乱を招くことになるからだ。

 監視の獣人が姿を消すことで、ベルカナンの偵察隊は不審に思うことだろう。だが今更である。

 攫われた村人の姿を見たら、もっと驚くことになるのだから……

 レオンは自ら開いた転移門トランスゲートを通り、元の砦へと戻った。

 通路の明かりを消しながら外に出て振り返る。

 そこにあるのは暗闇だけ、転移門トランスゲートは影も形も見えない。


(完璧だな。これなら気付かれる事なく国境の砦に移動できる。攫われた男たちは仕切りにここは何処なのかを聞いていた。自分たちが何処にいるのかさえ分かっていない。国境の砦に移動しても誰にも気付かれることはないだろう……)


 レオンが広場に戻ると男たちは思い思いに休んでいた。尤も、休むといっても立ちながらだ。地面や壁は血だらけで誰も座ろうとはしない。

 男たちはレオンの姿を見るや足早に駆け寄り出迎えてくれた。だがその表情は明るいものではない。余程不安なのだろう、我先にと今後のことを尋ねてくる。

 だがレオンが質問に答えることはなかった。手のひらを前に突き出し男たちを静止さると、厳かに口を開いた。


「静かにしろ。獣人が残っていたらどうするつもりだ。死にたいのか」


 広場は直ぐに静まり返る。

 獣人は既にいないが黙らせるには効果的だ。

 周囲を見渡すと井戸の周りでは水を飲む男たちの姿が視界に入る。

 レオンはその様子を見て水は問題ないだろうと判断し、帰りの飲み水のことを考えていた。国境近くの砦からベルカナンまでは最低でも一日は掛かる。徒歩での移動では少なくとも水は必要になるからだ。


(井戸の水は問題なさそうだな。後は道中の水を確保するだけか……)


 レオンは空の水袋をマントの下から数十枚取り出し、近くの男に手渡した。

 これは特別なものではなくメチルの街で購入した物だ。レオンは見慣れないアイテムに興味があり、この世界の様々な雑貨を密かに買い込んでいた。

 勿論、購入する時は多めに購入している。

 レオンのインベントリは限界まで拡張され、一種類につき四桁まで収納できる。三桁や四桁のアイテムが並ぶ中で、一桁のアイテムはより寂しく感じるものだ。そう見えないようにするためにも、レオンは市販のアイテムは常に三桁は購入する。

 そして、ずらっと並ぶアイテムをインベントリで眺めるのも、レオンの密かな楽しみの一つであった。

 そのため必要ないと思われるアイテムも、レオンのインベントリには数多く収納されている。

 詰まる所、単純にレオンはアイテムの予備が大量にあることで安心したいのだ。もし仮にアイテムを使用しても、予備があるから大丈夫だと――

 そして万が一に備えて不要なアイテムも大量に抱え込む。

 良く言うなら趣味、悪く言うなら病気――収集癖――とも言えよう。

 レオンは水袋に名残り惜しそうに視線を向けるも、直ぐに気を取り直して男たちに声を掛けた。


「いつ獣人が押し寄せてこないとも限らない。これから砦を出る。その水袋に有りっ丈の水を入れろ。それと食料だが、確かあの建物に保管されていたはずだ」


 レオンが指差すと、その方向に男たちが一斉に振り向いた。それでもレオンはお構いなしに話しを続ける。


「途中で倒れないように水と食料を口に入れておけ。後は手分けして水と食料を持ち、準備が整ったら私の下に集合せよ」


 男たちは頷き合い早速行動に移る。

 手分けして食料を倉庫から出しては次々と配っていき、井戸の周りには人集りができる。

 一時間ほどで準備は終わり、レオンは男たちを通路へと先導した。通路の奥は真っ暗で見えず、先頭の男が怪訝そうに口を開いた。


「真っ暗だぞ?明かりはないのか?」

「ない。壁沿いに手をついて真っ直ぐに進め。外に出たらその場で待機するんだ。全員揃ってから砦を出る」

「……分かった」


 男は不満気に顔を顰めるも、指示に従い通路の奥へ消えていった。

 それとも行かざるを得ないというのが本音だろうか。男たちは此処が何処なのかも分かっていない。頼みの綱はレオンのみ、初めから選択肢など有りはしないのだから……

 男たちは次々と通路の中に足を踏み入れる。レオンは最後の一人になると、探知魔法で人が残っていないかを調べ、自らも通路を通り国境近くの砦へと抜けた。

 そこでは男たちが待ち構えてレオンを急かす。

  

「早く出発した方がいいんじゃないのか?」

「その通りだ。いつ獣人が来ないとも限らないんだ」

「抑、さっきの通路を通る必要があったのか?」


 レオンは騒がしい男たちを一括する。


「黙れ。先程も言ったが残っている獣人がいたらどうするつもりだ?この通路を通ったのは他の道が塞がれていたからだ。これ以上騒ぐなら置いていくぞ」


 レオンは適当な理由で男たちを黙らせた。

 これ以上の騒ぎは不味いと感じたのだろう。みな揃って口を閉ざし顔を伏せる。


「分かればよいのだ。後を付いて来い」


 レオンが先陣を切って歩き、その後に男たちがぞろぞろと続いた。

 通路を出た先が南門に近いこともあり、砦を出るのは予想よりも早かった。

 歩いていると男の一人が首を傾げ、それを皮切りに男たちが訝しげに話し合う。その声はレオンの耳にも届いていた。


「おい。こんな山脈さっきまであったか?なかったような気がするんだが……」

「どうだろう……。砦に移動したのは夜で景色は見れなかったからな。砦に着いてからは木に貼り付けられて、城壁の上で横たわってたし……」

「俺も景色は見れなかったな。助けられた後もそんな余裕はなかったよ」

「遠くに同じような山脈が見えた気もするな、気のせいじゃないのか?」


 レオンは不味いと内心舌打ちをする。

 確かに二つの砦から見える景色は大きく違っていた。だが幸いにも男たちの記憶は曖昧だ。そこに付け込む隙がある。

 レオンは首を傾げていた男にそれとなく話し掛けた。


「今は南に向かっている。違う方角の景色を見て勘違いをしているのではないか?抑、疲れや恐怖で記憶が曖昧な恐れもある」

「確かにそうだな……」


 男が納得したように頷き返すと、他の男たちも誰もこの話題には触れることはなかった。唯々黙々と安全な地を目指し歩みを進める。

 そのまま砦からある程度離れると、こちらに気付いた偵察隊が足早に近付いてくるのが見えた。その表情からは驚きと困惑が見え隠れしている。

 当然だろう。攫われた村人が自らの足で帰ってくるのだから、奇跡と言っても過言ではない。

 あと少しで合流というところで、近付いて来た偵察隊が突如、声を張り上げた。 


「走れぇええええ!」


 男たちは初め何のことか分からず足を止めた。だが一人が振り返り悲鳴を上げると、それは見る間に広がった。

 城壁の上には矢を番えた獣人が一列に並び、狙いを定めて弓を引き絞っていたからだ。

 狙いを定めた矢は足元に突き刺さり、それを見た男たちは半狂乱になりながら、我先にと一斉に走り出した。

 背後から矢を射掛けられる恐怖は想像を絶する。男たちは力のあらん限り足を動かした。それは弓の射程外に入ってからも変わらない。みな力の続く限り走り、国境の谷間へと逃げ込んでいた。

 レオンはその様子を見てほくそ笑む。


(予定通りドッペルゲンガーが上手くやってくれたな。これで砦にまだ獣人がいると思い込んでくれるだろう。それに谷間に入るだけで周囲の景色は一変する。景色の違和感に気付くのは困難だ)


「急げ!」


 レオンも声を出して一緒に走り出す。つまらない小芝居だが効果はあるだろう。

 あっという間に全員が谷間の影に隠れていた。

 尤も、隠れる場所は限られている。もし望遠鏡で覗かれたら、殆どの男たちは砦から丸見えの状態だ。

 だが男たちは直ぐには動けない。息を切らせて、その場に大の字に倒れ込む。

 僅かな偵察隊で獣人を退けるのは絶対に不可能。いま攻めて来られたら全滅はまぬがれない。暗い表情の偵察隊にレオンは声を掛ける。


「安心しろ。直ぐに攻めてはこないだろう」


 そこで初めて、偵察隊は不審な仮面の男――レオン――に気付いた。

 その風貌は見るからに怪しい。誰もが訝しげにレオンを見る中、一人の男がレオンに近付いて来た。

 レオンは見覚えのある男の顔に軽く舌打ちをする。


(ちっ!あれはベルカナンの副隊長ケネス。不味いな……。ケネスは街までの案内や魔導砲の説明で俺の声を知っている。覚えているとは思えないが――絶対とは言えないからな……。声を変えて話すしかないか)


 レオンが僅かに焦る中、ケネスは先程の言葉の真意を問う。


「お前は何者だ?直ぐに攻めてこないとはどういう事だ?抑、どうやってこれだけの人間を助け出した」

「名や素性は明かせない。砦の獣人は私の仲間たちが殆ど倒している。本当は全て倒したと思ったのだが……、まだ他にも隠れていたようだな」

「殆ど倒しただと?あの砦には少なくとも五千から一万の獣人が居たはずだ。一体どうやって……」

「獣人たちが密かに砦から移動していたのでな。数が減少したところを上手く叩いただけだ。恐らく攫った人間を盾にすることで、少ない数でも守れると踏んだのだろう」


 レオンはこの場を乗り切ろうと最もらしい嘘をついた。

 だが、話しが長引けばそれだけ嘘を重ねることになる。何れは話の辻褄が合わなくなり、嘘は簡単にバレるだろう。

 レオンとしては早めに切り上げたいのだが、そうはさせじとケネスが質問を投げか掛ける。


「そんな大掛かりな移動があれば我々も気づくと思うのだが……。それに、どれほどの数かは知れないが、戦闘が起きているなら我々が気付かないはずがない」

「移動は明かりを灯さず夜間に行われていた。移動に気付かないのも無理はない。それに、戦闘は砦の北側で行われていた。砦が視界を遮り分からなかったのだろう。それに加えて私の仲間は夜間の戦闘に長けている。特に潜入や暗殺はお手の物だ」

「では、お前たちは攫われた人間を助けるために砦を襲ったのか?」

「違う。人間を助けたのはついでだ。私たちの目的は言えない」

「名や素性を明かせないというのはそのためか……」

「まぁ、そのようなところだ。尤も、そうでなくとも名乗りもしない者に名を教えると思うのか?」


 そこでケネスは、しまった!と瞳を見開き拳を強く握った。

 見るからに怪しい風貌とは言え、恐らく助けだされたのは自国の攫われた村人たちだ。

 恩人に対して最初に掛けた言葉が、?では、相手を不快にさせるのは当たり前である。

 本来であれば自から最初に名乗り、最大限の感謝の意を伝えなくてはならない。

 ケネスは最悪な対応をしたことに後悔していた。

 体面を気にする貴族であれば、最初から上手くやり抜けたのだろうが、残念ながら平民出のケネスはそこまで頭が回らなかった。

 だが幾ら悔やんでも時間が巻き戻ることはない。

 ケネスは仕切り直しとばかりにレオンの前に跪くと、謝罪の言葉を述べて名を告げる。


「数々のご無礼お許し願いたい。突然のことに気が動転し、不躾なことを申し上げました。私は城塞都市ベルカナン駐屯軍副隊長――」


 レオンの最後の言葉は本心からの言葉ではない。質問の多いケネスへの軽い嫌がらせのつもりであった。だが当の本人は真面目に受け取り、レオンは思わず声を上げた。


「必要ない!」


 レオンの言葉が一蹴する。

 ケネスが驚き見つめ返す中、レオンは決まりが悪そうに口を開いた。

 

「いや、すまない。お前に落ち度はないのだ。それに、お前に名乗られても私には名乗れない事情がある。それは少しずるいじゃないか……。私はお前が非礼な態度を取ったとは微塵も思っていない。こんな胡散臭い格好の男が突然現れ、訳も分からぬことを言ったのだ。もし立場が逆であったら、私も同じように先に名を尋ねていた筈だ」


 レオンはいつの間にか普段通りの声で話していた。

 偉そうな口調に聞いた覚えのある声、ケネスの頭に一人の人物が思い浮かぶ。

 仮面から覗く瞳をじっと見つめ返し、そしてケネスの口が確信をついた。


「レオンさん?レオンさんですよね?その口調に声、そうですよね?」


 焦りと緊張でレオンの背中に冷や汗が流れる。

 レオンは何事もないかのように努めて平静を装い、咄嗟に声色を変えて口を開いた。


「お前は私のことを誰かと勘違いしているようだな。名残惜しいが私は直ぐにでも仲間の下に戻らなくてはならない」


 レオンは同化カモフラージュマントを取り出すと、身に着けていたマントの上から、そのまま羽織ってフードを被った。レオンの体は瞬く間に周囲の景色と同化し見えづらくなる。

 驚き戸惑うケネスたちを尻目にレオンは念を押した。


「言い忘れていた。獣人たちは数時間置きに連絡兵を飛ばしている。一日もすれば近くの砦や街から兵士が補充されるだろう。今回のことで砦の兵士は更に増えるはずだ。間違っても砦を攻めようとは思わないことだな」


 これは全てレオンの嘘。

 だが、アスタエル王国がこの嘘を信じるなら、今まで以上に手出しはできないはずだ。

 ここからベルカナンに戻るだけでも一日は費やす。往復で二日も経てば目の前の砦には兵士が補充されているからだ。

 レオンはそれを伝えると砦に向かって歩きだした。


「え?ちょ、まってくれないか!まだ聞きたいことがあるんだ――」


 背後から何やらケネスの声が聞こえるが全て無視である。これ以上いらぬ事を言って素性が割るのは望ましくない。

 レオンは逃げるようにケネスの下から立ち去っていった。



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