侵攻⑱
時を同じくして砦の中では隠密が静かに動きだしていた。
既に獣人の半数以上が砦から飛び出し、数も大幅に減少している。
ヒュンフが最初に手をつけたのは城壁の上に居る獣人の抹殺。何故なら獣人たちが一部の人間を階下に連れ出そうとしていたからだ。
そのままレオンの下に向かうのは明白、そんなことになったら叱責を受けることになる。ヒュンフのみならず他の隠密にとっても由々しき事態であった。
ヒュンフは隠密に指示を与えると、自らも城壁の上に躍り出る。尤も、影の中に潜みながらのため、その姿を獣人が捉えることはできない。
ヒュンフは城壁の上を見渡し、「なるほど」と頷いた。
篝火が灯されている場所では盾――人間――を構える熊族がこれみよがしに佇み、暗闇の中では投擲をするための熊族が槍を手に持ち息を潜めていた。
他には夜目の利く獅子族も周囲の監視として加わっているが、城壁の上は主力となる熊族が主体のため数は多くない。
ヒュンフは熊族の王が槍を投げているところを目撃している。暗闇から槍の投擲で襲うのだろうと当たりをつけていた。
(無駄な事を……。それに、この状況では我々の方に地の利があると言うのに……)
熊族は他の獣人に比べ頑強で力もあるが、夜目は利かず動きは緩慢、その巨体は狭い場所での戦闘に不向きであった。
本来であれば暗闇に紛れ、上空の飛行魔獣に槍を投擲するはずが、想定外の相手にドンの秘策は裏目に出る。
対して隠密は狭い足場や暗闇での戦闘に長けていた。この時点で獣人たちは地の利を失い、逆に隠密は地の利を得る形となっていたのだ。
ヒュンフが最初に狙いを定めたのは人間を肩に担ぐ熊族たち。
短剣を強く握り構えると、城壁の上を音もなく駆け抜けた。
それは
短剣は分厚い熊族の首にするりと入り、まるで空気を斬るかのように抵抗なく通り過ぎた。
斬られた熊族の首が音もなく落下すると、その断面からは夥しい血液が溢れ出す。
吹き出す血の雨は貼り付けにさていた人間にも降り注ぎ、人間の口からは思わず「ひぃ!」と、声にならない悲鳴が漏れていた。
その悲鳴が合図であるかのように、命の尽きた熊族の巨体は崩れ落ちる。
身に纏う鎧が城壁とぶつかり硬質な音が鳴り響き、その甲高い音に近くの獣人が咄嗟に振り返る。
しかし、その時には振り向いた獣人の首は既に宙を舞っていた。
獣人は何が起きたのか理解をする間もない。上空から見えるのは首のない自分の体、驚きで瞳を見開いた次の瞬間、獣人の意識は闇に落ちていった。
ヒュンフが城壁の上を駆け抜ける度に首が宙を舞い、まるでドミノ倒しのように獣人たちが崩れ落ちていく。
勿論、盾にされた人間への配慮も忘れない。
人間は貼り付けにされ身動きがとれないため、持っている熊族が殺されると自ずと倒れてしまう。
ヒュンフは人間が傷付かないよう、倒れても仰向けに、しかも熊族の体がクッションになるように上手く工夫していた。
人間に細心の注意を払いながら、尚且つ姿を見せることなく獣人の命を速やかに奪う。その手際は見事という他ない。
その時間は僅か数分。篝火の周囲には多くの死体が映し出され、流れ落ちる血液が城壁を真っ赤に染め上げた。
もはや城壁の上で生きている獣人は気を失っているドンのみ、それを確認するとヒュンフは暗闇の中でほくそ笑む。
(人間は全て城壁の上に運ばれている。後は砦内部の獣人を始末するだけ、もう加減をする必要はないわね)
後は城壁の内側にいる獣人を始末するのみ。
だが流れ矢で人間に死なれても困る。万が一に備える必要があった。
気付かない内に人間が殺されていてはレオンに弁解のしようもない。人間は未だ貼り付けの状態、身動きが取れないため護衛は絶対に必要である。
なぜ縄を解かないのか?それは至って単純だ。五百人のも人間に勝手に動かれては迷惑この上ない。守れる命も守れなくなるからだ。
ヒュンフは隠密に通話を繋げると速やかに次の指示を与えた。
『霞は私と一緒に獣人の掃討をなさい』
『はっ!』
『ノワールとフレッドは城壁で待機、人間の護衛を任せるわ。くれぐれも姿は見られないように』
『はっ!!』
霞は城壁から飛び降り、ノワールとフレッドは影に溶け込んだ。
ヒュンフは遥か上空に飛び上がり、短剣をインベントリに収納する。同時に今度は弓矢を取り出し、矢を番えて構えていた。
(先ずは広場に群がる獣人から――〈無限蒼弓・篠突く雨〉)
放たれた漆黒の矢は、直後に分裂して数百にも数を増やす。
篠突く雨は広範囲の弓スキル、単体スキルの村雨に比べ破壊力は格段に落ちる。
だが、相手はヒュンフに比べ遥かに能力の劣る獣人たち。命を狩るには十分な威力があった。
暗闇に紛れて音もなく降り注ぐ矢は、獣人たちの命を無常にも奪い去る。
悲鳴や怒号が飛び交い、壁や地面が血で染まる。
目の前で次々と倒れる仲間に獣人たちも動き出すが、侵入者を捉えることは出来ず、それが混乱に拍車をかけた。
侵入者を探すために砦を走り回る獣人たち。中には狭い通路で身動きが取れない獣人も相次いでいた。
霞はその隙間を縫うように獣人の命を狩り取る。
状況を確認するため城壁に上がる獣人も多くいたが、それらをノワールとフレッドが見逃すはずがない。
いつしか砦には血と腐敗臭が漂い始める。風通しの良い城壁の上とは違い、風が滞る城壁の内側は悪臭で満たされていった。
獣人を狩るのに要した時間は僅か十数分。
ヒュンフは外の状況を確認するため、城壁の上から周囲を見下ろし瞳を凝らす。それと同時に気配とスキルで獣人の影を探っていた。
レオンが砦から徐々に離れていた事もあり、砦を飛び出した獣人が戻る気配はない。
既に砦の周囲に獣人の姿はなく、遠くから雄叫びや怒号が微かに聞こえてきた。
ヒュンフは砦を落としたことを通話でレオンに伝えると、『ご苦労だった』そんな労いの言葉が返ってくる。そして通話を切ると――遠くで炎が舞い上がり空を焦がした。
漆黒の夜空は夕焼けのように赤く染まり、燃え盛る淡い炎からは、獣人の悲鳴と怨嗟の叫びが周囲に響き渡っていた。
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