middle5「納得」

「話がある」

 

 ぼさっと、公園の隅のブランコに腰掛けて項垂れている民宿の少年に……そう、安達が突然声を掛けた。

 時刻は夕刻。茜色に染まる空と海を一望できる、高台の公園。

 錆び付いた遊具が数多残されたそこには、安達と少年しかいない。

 少子高齢化の波は、漁村にも分け隔てなく迫っている。

 少年は安達に背を向けたまま、不愛想に言葉を投げた。


「……俺はねぇよ、余所者が」


 目を向けようともしない少年の隣のブランコに、安達は許諾もなく腰掛ける。

 真っ赤な夕焼けをバックに、海鳥がゆっくりと飛んでいた。


「俺はあるんだよ。アンタの都合は知らねぇ」


 遠慮も配慮もなく、安達は吐き捨てた。民宿の少年は、親の仇でも見るかのように安達を睨みつける。


「何を話したところで、どうせアンタ達は彼女を連れ去ろうとするんだろうが!」

 

 少年は怒声と共に立ち上がり、安達の胸倉を掴んだ。

 吊り上がった少年の瞳と、冷めた安達の瞳が……交錯した。


「そうはさせねぇぞ! アンタ達の事は村中にもう吹聴して回った! 東京の地上げ屋だってな! 村中がもうアンタ達の敵だ! 悪い風聞が回れば、アンタ達を雇ってる会社だって下手な手は……」

「うるせぇな」


 直後、安達の拳が少年の横顔を捉えた。

 少年はあっさりと殴り飛ばされ、公園の不整地の上に転がる。

 少年の反抗的な瞳が、さらに鋭くなった。


「はは……暴行のおまけつきだ、今すぐに交番に駆け込んでやる! そうすれば、この村にアンタ達の居場所は……!」

「あの人魚の事も露見するぞ」

「……っ」


 少年が、黙った。

 安達が暴行のかどで詳しい取り調べを受けるとなれば、安達をはじめとした四人が洗いざらいこの村に来た理由を吐くことになるだろう。そうなったら……例え人魚の話を真に受けなくたって、あの入江は誰かしらの取り調べが入る事になるに違いない。

 その後の結果は……火を見るよりも明らかだ。


「分かってんだろ、もう誰かに見られた時点でなんだって」


 少年の顔が……苦悶に歪んだ。

 それこそ……安達の言う通りだ。

 そんなこと、とっくに理解している。

 彼女が……人魚が『尋常の存在じゃない』なんて事は。

 出自なんて分からない、どんな存在であるかも分からない。

 分かってる奴なんていないのかもしれない。

 それこそ、そんなことは……分かっていた。

 分かっていたからこそ、誰もに隠していた。

 密かに蜜月を楽しんでいた。

 そうやって隠さなければいけない理由は……少年が、誰よりもよく分かっていた。


「俺達もあの人魚の存在を表沙汰にするつもりはない」

「じゃあ、連れ帰って実験か何かでも……!」

「そこまでは知らねぇよ」


 突き放す様に、安達は続ける。

 事実だけを淡々と、滔々と。

 真っ赤な夕日が、二人の少年のシルエットを……公園の地面に映し出した。


「だけど、表沙汰にするつもりがないことだけは確かだ」

「そんな口から出まかせを……!」

「俺達だって」


 少年の言葉を遮って……安達が左袖を捲り上げる。

 そして、露わになった左腕を右手で強く掴み。


だからな」


 躊躇いなく、引き千切った。


「……っ!?」


 表皮が破れ、筋線維が引き裂かれ、鮮血が迸る。荒々しく引き裂かれた切断面は心臓の鼓動に合わせるかのように今も蠢き、その肉の隙間から白い骨までが見え隠れしている。そうしている間にも傷口からは止めどなく鮮血が溢れ、公園の不整地と安達自身をしとどに濡らす。夕日に照らされて、血がさらに鮮やかに輝いた。


「――つまらない手品にでも見えるか?」


 億劫そうにそう呟いて、安達は千切れた左腕を切断面に無理矢理擦り付ける。それだけで……一瞬で傷同士が結合し、絡み合い……あっと言う間に、元の左腕に戻った。

 大量にその場に残された鮮血だけが、先ほどの凶行が現実である事を静かに物語っていた。


「い、一体、アンタは……アンタ達は……!」

「バケモノだよ。あの人魚と大差ない怪物だ。まだ信じられないなら、次は目でもくり抜いてみるか? 舌を引っこ抜いてみたっていいぜ。わかりづらいってんなら、心臓を引きずり出して潰しても良いな……それとも、はらわた引き裂いてアンタの首にでも掛けた方が良かったか?」


 言葉を失った少年を見下ろしながら、安達は笑った。

 口元だけで。


「まぁ、アレだ……百鬼夜行が迎えに来たとでも思えよ。人魚がいるんだ、俺達みたいなバケモノがいたって……何も不思議はねぇだろうが」


 夕日に微かに雲が掛かり、安達の顔に影が落ちる。前髪で目元が隠れ、張り付いたような不敵な笑みだけが……夕日の元に晒された。


「アンタじゃ……あの女の仲間にはなれない。アンタと一緒じゃ、あの女は仲間外れのままだ。だから俺達が仲間のところに連れてってやろうっていってんだ。それで納得しろよ。それとも……」


 ゆっくりと、安達が少年に近づく。

 自らの鮮血で真っ赤に染まった着衣をそのままに。

 左頬に跳ねた血も、拭いすらしない。

 そして、その右手を……ゆっくりと少年の頭に伸ばして……呟く。


「……アンタも仲間にしてやろうか? 醜いバケモノの仲間にさ」


 赤い夕陽に、獣のような絶叫が……木霊した。

 


******


 

「中々の名演だったわね」


 少年が逃げ去った後の公園。一人立ち尽くしていた安達の背に、つまらなそうなスコルピオの声が掛かった。

 安達は振り向きもせず……面倒くさそうに、後頭部を掻く。


「……こうしたほうが早いだろ」

「つまんない悪役ね」

「うるせぇ……悪役なのは事実だろうが」


 深い溜息が漏れる。

 億劫そうに、左頬についた血を親指で拭いながら。


「……人の恋路を邪魔したことに違いはねぇんだからよ」


 そう、呟いた。

 実際、その通りでしかない。理由はどうあれ、男女の逢瀬を引き裂き、恋した女を手の届かないところまで連れ去ろうとしているのだから。

 ……これが寝物語なら、どちらが悪役かなんて、聞くまでもないことだ。


「まぁ……そうね。私だったらキレてるわ。間違いなく」

「アイツだってキレてた。同じだ」

「……そうね、でも、お手柄じゃない? これで、記憶操作の必要は多分なくなったでしょ」

「……」


 そこまで読まれていたか。

 ……伊達に本部エージェントじゃねぇなと内心で安達は思ったが、口には出さなかった。癪が過ぎる。


「あのまま、あの子がどこで何を騒いだって、誰も取り合わないわ。件の人魚も今夜にはいなくなるだろうし、私達も仕事が終わったら帰るだけ。こんな田舎には二度と現れない。一件落着よ」


 勝手に全ての種明かしをするスコルピオを一瞥して、思わず安達は舌打ちを漏らす。

 言わぬが花って言葉を知らねぇのか、この女は。


「……お喋りな女だな」

「労ってあげてるんだから、素直に受け取りなさいよ。記憶操作、したくなかったんでしょ?」

「……UGNからすりゃ、そっちのほうが好都合なんだし、別にいいじゃねぇか」


 記憶操作もレネゲイドを使って行われる。それは、少なくないリスクを伴う行動だ。レネゲイド由来のエフェクトや器具を利用して行う以上……それがトリガーとなってオーヴァードとして覚醒する可能性が無いわけではない。

 UGNが『ワーディング』をはじめとしたエフェクトの使用に敏感になるのはそのせいなのだ。エフェクトはレネゲイドを励起して使用する異能である以上、どんな代物でも周囲にレネゲイドをばら撒いていることに違いはない。エフェクトの使用は、それだけでも新たな覚醒者を生む危険性を常に孕んでいる。

 ……ただでさえ、あの少年は『AWF』であると安達は聞いている。それなら、恐らくは先天的にレネゲイドとの親和性は高いはずだ。今後、覚醒を避けようと思うなら、レネゲイドとの接触は最低限にするに越したことはない。

 レネゲイド能力者として覚醒した場合の実質致死率は……実に五割を超えているのだから。


「……犠牲者は少ないに越したことはねぇだろ、それだけだ」


 かつて犠牲者であった少年はそう呟いて……公園を後にした。

 安達信夫は、オーヴァードが嫌いだ。UGNも嫌いだし、FHはもっと嫌いだ。

 だから……オーヴァードが増えない事は、良い事なのだ。

 辛うじてUGNに与している理由だって、結局はそれでしかない。

 UGNは気に入らない組織だが、一応はオーヴァードの数をこれ以上増やさないように努力している。そこだけは利害が一致している。だからこそ、安達はイリーガルとしてUGNに参画している。

 

「……オーヴァードなんて、ロクなもんじゃねぇからな」

 

 どこか疲れた様子で去っていく安達の背を見送りながら、スコルピオは一人溜息を吐く。そして、呆れたように。


「……まぁ、そうね」


 そう、呟いた。

 

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