middle4「余所者」

 結局、あの後、人魚が再び姿を現すことはなかった。

 大人しく宿に戻った一行だったが、幸いにも締め出されはしなかった。だが、もう少年が顔を出すことはなく、代わりに女将さんが一通りの面倒を見てくれた。

 どこか余所余所しかったのは、恐らく少年が何か吹聴したからだろう。

 翌日の調査も、村民からの目が厳しく、ロクに進んでいなかった。


「いやー、困りましたねー。お婆ちゃんも今日は柿くれませんでした」

「……別にそれはどうでもいいだろう。つか、良い大人が御老人にタカるなよ」


 村外れの廃神社の境内に、隠れるようにフューネラルと藤村は退避していた。先日に引き続き、別行動である。今回はそれを余儀なくされているとも言える。村全体に非協力的な空気が流れている以上、固まって動いても情報収集が遅れるだけだ。

 本当は四人全員バラバラがいいのだろうが、緊急時の事を考えると、二人一組が限度だった。


「で、結局、どうするんです? 藤村さん」

 

 一貫して他人事のように尋ねるフューネラルに、少し疲れたような様子で、藤村は蓬髪を掻いた。それは、二人の調査の結果、新たに分かった事実が……さらなる面倒事の種だったせいもあった。


「まさか、『AWF』とはな」


 余計な出費が嵩むことを承知で、衛星通信越しにUGNのデータベースなどを参照しつつ民宿の少年について調べて分かったことが、それだった。彼はオーヴァードではない。だが、特異体質だった。

 それが、『AWF』……アンチワーディングファクターという体質である。端的にいえば、『ワーディング』が効かない体質の人間ということだ。捕えて研究するほどではないが、珍しいといって差し支えない特異体質である。どうも、この村の住民は血統的に『AWF』を獲得しやすい遺伝子を持っているらしく、中でもその性質が強いのがあの少年というカラクリだ。つまり、人魚を処置しようとすれば、『ワーディング』が通用しない彼の目を欺くことは難しいという事だ。

 彼以外にもそう言った体質の村民は少なからずいるようだが、数は当然少ない。せいぜい数人だろう。その数人の内の一人が彼だったというだけのことだ。

 

「彼以外にも人魚見てる人いるみたいですし、急いだ方がいいんじゃないです?」

「分かってる」


 硬い口調で、藤村が呟く。調査の結果、人魚の目撃証言も幾らかあがった。夜の入り江で歌声を聞いたという者すらいた。誰も彼も、三流オカルトとしてまともに取り合っていないのが不幸中の幸いだが……放置すれば、事が村全体に事実として露見するのも時間の問題だろう。そうなれば……最悪、村ごと隔離して地図から消す事になる。レネゲイドの防疫と隠蔽の為ならそこまでやるのがUGNだ。そうなる前に、人魚をどうにかしなければいけない。


「やり辛いなら、俺がやりましょうか?」


 普段と同じ軽い口調で、そうフューネラルが呟いた。放置された竹林が、風に揺られて騒めく。それに合わせるように、フューネラルの長髪も踊るように揺れた。

 フューネラルは、何でもないように続ける。


「俺って、そう言う時の為の人員だと思いますし」


 何の緊張も懊悩も感じさせない言葉。恐らく、ここで藤村が首を縦に振れば……今日中にでも人魚は無力化された上で捕縛される事になるだろう。フューネラル一人でもやるはずだ。

 彼は……UGNイリーガルの中でも対ジャーム戦に特化した戦闘員である。葬儀屋フューネラルの通り名は伊達ではない。

 光を返さない瞳で、フューネラルは藤村の返答を待つ。まるで、主人の号令を待つ猟犬のように。

 だが、藤村は首を左右に振って。 


「……急いだ方が良い事は確かだが……まだ時間はある。現状では人魚がジャームであるかどうかすら確認が取れてないんだ。事に及ぶのは、それが分かってからでも遅くはないだろう」

「それって、若い子達の為です?」


 フューネラルが、小首を傾げて尋ねる。若い子達。彼ら以外のエージェントは勿論の事……あの民宿の少年も含めた代名詞。

 しかし、藤村はそれにも溜息を吐いてから肩を竦めて。


「俺の為だよ」


 そう、笑って呟いた。

 それは……自嘲の笑みだった。自らを嘲弄するような、乾いた笑み。

 藤村は、廃神社の縁側に腰を下ろして、眼鏡を掛けなおした。


「俺が納得する為だ。確かに、あの人魚を問答無用でとっ捕まえれば、70点は取れる。迅速な防疫処置という名の免罪符は貰えるだろうよ。追加褒賞もついて、関東支部あたりの御偉いさんからだって、上辺だけでも褒めては貰えるだろうさ」


 先日スコルピオが言ったように、既にUGNが動くだけの材料は揃っている。手の早いエージェントなら実力行使も辞さない段階だろう。事実、今こうしている間にも、海の何処かでは『ワーディング』が張られ続けているに違いない。それが海中ならまだいいほうで、沖合の海上付近……それも一般漁船が近くにあるような海域だったら、目も当てられない。こうしている間にも、被害は拡大しているのかもしれないのだ。

 万全を期すなら、今すぐにでも処理班や、連絡員……あのへらへら笑ってトリガーを引けるヘッドフォン野郎あたりにでも連絡を取り、応援を要請してUGNの高速艇でも出して徹底的に捜索するべきだ。念を入れるなら海上に警戒網を構築する必要もあるだろう。

 既にそういう段階にある。それは頭では理解している。だが……そこまでやれば、あの人魚と民宿の少年は……無事では済まない。

 しかし、だからこそ。


「だけどな、それをするってことはだな」


 藤村は、藤村祐介は。


「二人も犠牲者が出る事を……見過ごせって事と同義なんだよ。それは100点じゃない。出来の悪い70点だ」


 それを、したくなかった。


「一人で済むの間違いでは? 人魚は人間じゃないでしょう」

「俺はレネゲイドビーイングも人員として扱うって何度も言ってるはずだ……それに、どっちにしたって一般人の少年一人はこのままじゃ良くて記憶処理、最悪、専門施設に監禁だ」

「記憶処理は免れないと思いますけどねー」

「……そうかもな、だが、監禁はまだ何とか回避出来る段階だ。仮に人魚がただのレネゲイドビーイングで、ジャームではないとするのなら……UGNに引き込めばいい」

「スコルピオさんのようにですか?」


 スコルピオ。コードネームしか持たない少女。

 UGN本部に首輪を繋がれた……レネゲイドビーイングの一人。

 ……いいや、書類上はだ。


「それをあの少年が納得するとは思いませんけどねぇ~」


 詳らかに説明すればするほど、UGNの……いや、人類の行うレネゲイドビーイングに対する扱いは。到底彼等に寄り添っているとは言い難いものだ。オーヴァードですらそうなのだ。イリーガルと称して、オーヴァードであるというだけで一般人にも命を脅かす仕事をさせている。UGNの正規エージェントですら……大半はただの元一般人だ。今回のように、実働員に子供すらいる。

 オーヴァードは……明確に差別されている。毒を以て毒を制すという理屈で運用されているだけで、それは人道主義で考えれば信じがたい悪徳でしかない。

 そうやって、一般倫理に照らし合わせれば照らし合わせるほど……UGNという秘密結社の理屈は受け入れがたいものになる。

 普通の少年である民宿の彼に全て打ち明けたところで、いい結果は生まれないだろう。溝が深まる可能性の方が遥かに高い。

 だが、それでも。


「……やってみなけりゃ分からないさ。俺やアンタだって、元はタダの一般人のはずだ。だけど、今は色々飲み込んだうえで……結局、こうやって得体のしれない秘密結社の片棒担いでるじゃねぇか」

「まぁ、そうですけどね~」


 藤村やフューネラルも、元軍人や元警官というわけではない。元はタダの一般人だ。いや、イリーガルのフューネラルは……今でも書類上は一般人である。

 それでも、その手に握った仕込み杖は十分に『非日常』の代物だ。容易く命を刈り取り、本来、懲役を科せられるべき凶行を行える凶器。

 ……藤村はそれらを携帯してはいない。だが、同じかそれ以上の事は当然行えるし、行ってきた。

 オーヴァードとして異能を振るい、数多のジャームをその手に掛けてきた。

 ……何もかも、今更でしかないのかもしれない。


「どっちにしろ、俺に現場の裁量権はありませんから、藤村さんに従いますよ。俺も好き好んで乱暴したいわけじゃないんで」

「……悪いな、手早く終わるはずの仕事なのによ」

「別にいいですよ。俺、甘いもの好きですから」

「……俺は甘いものは本来苦手なんだけどな」


 あっけらかんと笑うフューネラルに吊られて、藤村も笑う。

 恐らく、このフューネラルという男は割り切っているのだ。

 藤村のようにうじうじと悩まない。いや、悩む段階を既に通り過ぎたのかもしれない。

 ……それがいい事とは、藤村は決して思わないが、悪い事であるとも思わない。

 ただ、現実的なだけだ。


「……とりあえず、仕事をするか」

「そですね。100点はもう取れないかもしれませんけど、80点とか90点はまだ取れるかもしれませんし、やれるだけやってみましょうか」


 フューネラルの言葉を受けて、藤村が腰を上げる。

 足取りは、どこまでも重かった。

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