trigger1-2「残業」

 結論から言えば、対話は成り立たなかった。


「何なのよアイツ!!」


 スコルピオは最初は丁寧に、次は少し必死に、最後は殴り掛かりそうになりながら対話を試みたが、一切返答はなかった。流石に暴行については安達と藤村の二人で止めたが……それでも、人魚は一瞥を返す程度で、それ以上の反応は確認できなかった。ただただ、一行を無視して歌い続けるのみである。

 はっきり言って、梨の礫だった。


「微弱な『ワーディング』こそ展開し続けてますけど、敵意や害意は感じられませんねぇ。ほんとに歌ってるだけぇ~」

 

 一部始終を見守りながら、フューネラルがそう人魚の反応を簡単に纏めた。実際、三十分ほどあれこれ語り掛けては見たが、スコルピオ以外に対しても反応は同じであり、人らしい対話を試みることは不可能だった。


「言葉がわからないのかもな」

「……でも、流暢に歌ってるじゃねぇか」

「どこかで聞いて音だけを覚えてるって可能性もある。仮に鳥が歌を歌うのと似たようなもんだとしたら、想像より知性がないのかもな」

「魚なのか人なのか鳥なのかハッキリしなさいよ!」

「レネゲイドビーイングのアンタがそれ言うのかよ」

「うっさいわね!!」

「それはそうと、どうします? この子」

「……うーん、そうだなぁ」


 一先ず、結論から言えば無害だが、無害ではない。見た目こそ奇異ではあるが、オーヴァードにとっては何でもない存在である。この程度の微弱な『ワーディング』はないも同然だ。しかし、人間からすれば『ワーディング』を展開するという時点で野放しには出来ない。UGNの立場としては、何かしらの対策を講じる必要がある。


「とりあえず、軽く侵蝕率を調べるところからだな。精密検査はどっちにしろ此処じゃ出来ない」


 侵蝕率。オーヴァードの中でどれだけレネゲイドが励起しているかを示す値であり、100%を越えると危険域とUGNではされている。長時間100%以上の侵蝕率を維持するオーヴァードは……危険個体と見做され、UGNではジャームと分類される事が多い。

 

「私、血を吸えばわかるわ」

「とりあえず、この女の方法は却下。俺は数分間直接触れるか長時間観察しなきゃだめだ。藤村さんは?」

「俺も安達君と似たようなもんだな」

「俺は叩き斬ればわかりますよ」

「コイツの方法も却下だな」


 藤村か安達のどちらがやるにしても、もう少し密な接触が必要である。そうなると、結局短時間は大人しくしてもらう必要がある。

 一行が人魚の扱いに苦慮をし始めた直後。


「……やっぱり、可笑しいと思ったんだよな」


 突如、背後から声がした。

 その場にいた誰の台詞でもない言葉に、フューネラル以外の三人が険しい視線で顔を向ける。視線の先にいたのは……例の民宿の少年だった。

 肩をわなわなと震わせて、表情を強張らせている。片手には……弁当箱が入ったビニール袋を持っていた。


「あーあ、ほっとけば見逃すつもりだったのに、結局顔出しちゃったんですね~」

「……アンタ、気付いてたのかよ」


 安達が恨めしそうな声でフューネラルを睨むが、フューネラルはどこ吹く風と言った様子である。

 フューネラル以外の三人は……人魚の歌声と夜の潮騒に気を取られ、少年の接近に気付けなかった。『ワーディング』内という関係もあり、レネゲイド以外の感知を疎かにしていたせいもあるかもしれない。


「都会から、こんな何もない漁村に突然妙な連中がきたら……まぁそういうことになるよな。東京の研究者とか、好事家の手先か?」

「……その前に、どうしてアンタ『ワーディング』の中でも動けてるわけ?」

「わけのわからない横文字で誤魔化すな。質問に答えろ」


 レネゲイド関連用語を知らず、シラを切ってるようにも見えない。少なくとも、どこかの組織のオーヴァードではなさそうだ。そうなってくると、面倒になる。

 どう説明したモノか。

 悩みながらも、一応藤村が声を掛ける。それこそ、UGN正規人員の仕事だ。


「あー……まぁ、確かに研究者の手先と言えばそうとも言えるな。とりあえず、落ち着いてくれるか?」

「うるさい! 余所者がしゃしゃり出てくるな! 彼女は歌を歌ってるだけだ!!」


 藤村の言葉にも、少年は耳を貸さない。気持ちはわからないでもない。彼からすれば、一行は最早外敵にしか見えないだろう。見たところ、人魚に食事を持ってくるくらいには入れ込んでいる。

 非常に面倒な盤面だ。藤村の背後で、安達は一人舌打ちをした。


「えーとだな、この人魚は確かに君には無害に見えるかもしれないが、そういうわけじゃあなくて……何というか、毒のようなものを振りまいていて」

「嘘を吐け! 俺は長く彼女と一緒にいるが、何ともない! どうせ彼女を連れ去るために適当な出まかせをいってるんだろう!?」

「いや、だから、君には確かに無害かもしれないが」

「都会の連中ってのはいつもそうだ! 何も知らないからって田舎者をバカにして煙にまいて……!」

「バカにしてるつもりはなくてだな」

「うるさい! そうやって土地を分捕られた年寄りが何人もいる! アンタ達だって似たようなもんなんだろうが!!」


 これはダメだなと、内心で溜息を吐く藤村。コンプレックスも相俟って、全く話を聞いてもらえない。藤村も元は地方の生まれなので、気持ちは分からないでもない。藤村だって、十代の頃は都会に憧れくらい持ったものだ。今は若干うんざりしているが、それだって都会馴れしたからというだけに過ぎない。


「いや、えーと、だからだなぁ……あ」


 場が騒がしくなったからか、人魚が突如歌うのを止めた。

 そして、五人の視線が集まった直後、人魚は一瞥も返さずに海に飛び込み、海中へと消えていってしまった。

 『ワーディング』も同時に解除されたが……その違いが判るのはUGNに与する四人だけだ。民宿の少年はいよいよ怒りを露わにして、大きく地団駄を踏んだ。


「……くそ……悪い事をしたな……折角、今夜もいい歌だったのに……全部、アンタ達のせいだ! さっさと東京へ帰れ!! 余所者共!!」


 その言葉を捨て台詞に、少年は入江の洞窟から去っていく。

 浅瀬の水を蹴る足音だけが、洞窟に響いていた。


「……チッ、面倒事が増えたな」

「どうします? 彼も確保します?」

「場合によってはそうなるだろうな……気はすすまねぇけどな。まぁ、でも、さっきは気が動転してただけだろうからな。腰を据えて喋ればもう少しちゃんと話も……」

「無駄よ」


 ぴしゃりと、動向を見守っていたスコルピオが否定した。

 その瞳は、去っていった少年の背を見つめるように、夜の暗がりを見つめていた。


「あの男の子、絶対首縦に振らないわよ。仮に落ち着いて話が出来たとしたって、あの人魚に私達が関わる事そのものを許さないでしょうね」

「……なんで、そんなことが分かるんだよ」

 

 断言するスコルピオに、怪訝そうに安達が尋ねる。だが、それでもスコルピオは断固とした口調で。


「男ってバカね」


 どこか、呆れたような顔をしながら。


「見ればわかるでしょ、恋は止めようがないのよ」


 そう、呟いた。

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