trigger1-1「残業」
夕食を食べ終え、一行は夜の浜辺に向かった。先導はスコルピオである。
「こっちね」
迷う素振りすら見せず、真っ直ぐ昼間来た浜辺の更に西……人気のない入り江の方へと向かっていく。今夜は月明りが明瞭であるとはいえ、光源は十分とは言えない。それでも、足取りに危うさは全くない。高い感知能力を持っている証だ。
まぁ、スコルピオからすれば、レネゲイドの感知は五感で捉えるより容易なことだ。貝殻を探すより、よっぽど楽に違いない。
「伊達に本部エージェントじゃねぇな」
「お世辞ならいらないわ」
「本音だよ、俺は嘘がヘタだからな。なぁ、安達君」
「当て付けかよ」
「……若い連中はどいつもこいつも捻くれてやがるな」
「思春期ぃ~って感じですねぇ」
おどけるように嘯くフューネラルを殿に、一行は入り江に向かう。ところどころが潮風に浸食された入り江の奥は洞窟になっているが……奥から風が吹きぬけていた。入り口が一つではない証拠だ。
ペンライトや懐中電灯は誰もつけていない。光源は当たり前だが目立つ。万一の事を考えて、全員月明りと、スマートフォンの微かな光源だけで洞窟の奥へと進んでいく。足元は不安だが、転んだところで大事には至らない。後頭部を強かに打ち付けたとしても、オーヴァードなら軽傷で済む。
深夜の入り江。しかもド田舎。何が起きても普通は発覚すらしないであろうシチュエーション……そんな、何もないはずの場所で……『異変』は、夜風と共に訪れた。
「これは……」
……微かに、何かが聞こえてくる。
「……まさか、歌か?」
藤村の言葉を肯定するように、奥に進めば進むほど、その歌声は明瞭になった。決して聞き違いではない。
いつかどこかで聞いたような、そんな歌。女の歌声。
微かな『ワーディング』も展開されている。
レネゲイドに纏わる『何か』がいることは、間違いなかった。
「近いですね」
フューネラルが目を細め、いつの間にか持っていた杖に手を掛ける。それがタダの杖ではないことは明白だった。恐らくは、仕込み杖。
目配せだけで隊列を組みかえ、スコルピオとフューネラルが先頭に立ち、満ち潮の関係でところどころ水没した洞窟の奥へと歩みを進める。
足音を響かせないように、ゆっくりと。ゆっくりと。
そうして、ついに辿り着いた洞窟の最奥は……天井がなかった。門のように大口を開けたもう一つの入り口は、海へと繋がっている。
月光が降り注ぐ、水没した岩辺。
そこに……それはいた。
「……アレか」
そこに居たのは……一人の半裸の女。
女は月明りに照らされて、ただただ歌を歌っていた。
「……どうも、間違いないみたいだな」
呟く安達に、フューネラルは笑った。
「なーんだ、やっぱりUMAじゃ~ん」
その指摘は、やはり正しかった。
水上に突き出た岩場に腰掛け、滔々と歌をうたい続ける女は……四肢を半分しか持たなかった。
上半身は裸。下半身は……魚。
人魚、という単語が似付かわしい。
微かな『ワーディング』を展開しながら、ただただ歌を歌い続けるその人魚は……先の予想通り、スコルピオの御同類。
恐らくは……レネゲイドビーイング。
しかも、UGNが把握していない個体だ。
即刻、捕縛する必要がある。
「何はともあれ、仕事ですかねー?」
確認を取るように、フューネラルが藤村とスコルピオに尋ねる。彼はイリーガルだ。対ジャーム戦闘員ではあるが、現場の裁量権は持っていない。
故にこそ、答えを待つ。
無論、返答次第では……次の瞬間にはもう、斬り掛かっているに違いない。
同じくイリーガルである安達も、黙って、二人の返答を待つ。
「……いや」
一度、深く瞑目してから、藤村は改めて口を開いた。
「まだ俺達の仕事だ。UGNとして、彼女と対話を試みる」
藤村が決断し、フューネラルと安達が一歩下がる。そう、UGNの本分はあくまでレネゲイド拡散防止であり、防疫と治療である。捕縛はあくまで手段の一つでしかない。治療に関しては未だ捗々しい結果は出ていないが、防疫に関しては日頃から血の滲むような努力と忍耐で取り組み、一定の成果を上げている。
だからこそ、各国政府はこの秘密結社と秘密裏に協定を結び、一般に対するレネゲイドの秘匿と隠蔽などと言う荒唐無稽に付き合い続けているのだ。その根元にある信念は、あくまで今ある社会と日常の保守である。荒療治も当然行うが、それは手段であって目的ではない。
無論、ここで即座に処置を行うエージェントも珍しくないだろう。効率的とも言える。戦闘に於いて、不意打ち以上に効果的な一手はほぼ存在しない。首を刎ねた程度では致命打にならないのがオーヴァードなのだ。それがジャームともなれば……消し炭同然の状態から再生した例すらある。下手に手心を加えて暴れられれば、被害の拡大は必至といえる。一手の遅さが命取りになる場面も少なくない。
だからこそ、強引に無力化してから白か黒か判断するというのも、ある意味で妥当と言える。それが証拠に、ジャームであるか否かの判断の一つとして、「一先ず無力化して様子見せよ」というマニュアルすら一部には公然と存在している。
信じがたい横暴ともいえるが、それが現実だ。それほどまでに、人類はオーヴァードを……レネゲイドを畏れ、そしてUGNもその横暴を半ば承知している。その承知があるからこそ、首輪付きの狼として、辛うじてUGNのオーヴァード達は人類社会と融和できているのだ。
……逆に言えば、それを承知できないオーヴァードは駆除の対象となりかねない。故にこそ、初手に踏絵も兼ねて横暴を働くというのは、後々を考えれば合理的とすら言えるのだ。オーヴァードは超越者ではない。あくまで人類の御恩情で生かされているだけのバケモノであるのだと、体と頭に叩き込むために。
少なくとも、この場にいる四人は経緯こそ違えど、それを「承知」して此処にいる。人間に、いいや、日常に対して下手に出て、程度の差はあれ今の境遇にある程度納得しているからこそ、UGNに与している。力ある者の責務と、羊の群れに生きざるを得ない狼としての苦渋の両方を受け止めている。
UGNの唱える融和とは、結局それでしかない。オーヴァードと人類は平等ではない。だからこそ、力あるオーヴァードが歩み寄り、頭を垂れ、守るべき弱者である人類に傅くことを美徳とし、実質的に強制している。将来的にはレネゲイドという「病気」を一掃しようと考えている組織であるのだから、当然とも言える。あくまで、異能は忌むべき病なのだ。
故に、ここで「弱者の盾」を気取って、この人魚を危険個体として問答無用で無力化し、強引に捕縛しても、UGNは賛美こそすれ、決して現場のエージェント達を罰したりはしないだろう。迅速な手腕であると特別褒賞すら発生するやもしれない。
だからこそ……スコルピオは咎めるように口を開いた。彼女は、あくまで本部エージェントであるのだから。
「……既に『ワーディング』を無作為に展開してる個体よ。オーヴァード以外は一瞬で無力化する『ワーディング』の濫用は、それだけで処分するには十分な『レネゲイド災害』だわ」
刺すような声色。鋭い瞳が、下方から藤村の目を覗き込む。スコルピオはレネゲイドビーイングだ。本来、戸籍も人権も存在していない。全てUGNの御恩情で下賜され、服従する代わりにお目こぼしを受けている人外でしかない。
普通のオーヴァードよりも、より強い首輪を繋がれている。その首輪の鎖を見せつけることでしか、「人間社会の日常」に生きることが出来ない。それを否定すれば、行きつく先は
選択の余地など存在していない。バケモノが人間と寄り添う数少ない手段を身をもって知っている彼女だからこそ……藤村には、問わねばならなかった。
「それを全部承知の上で……そう言ってるのよね、フジムラ?」
改めて、問うスコルピオ。安達も思わず、表情が険しくなる。レネゲイドビーイングの扱いはある程度は安達も承知している。比較的規則が緩い日本支部では数多の特例も存在しているが、あくまで特例は特例でしかない。そして、スコルピオはその特例ではない。あくまで本部の所持する備品だ。ターゲットが同じレネゲイドビーイングであるからこそ、思うところがあるだろうことも想像出来る。フューネラルも軽口を控え、ただ動向を見守っている。
藤村に三つの視線が集まる。現場責任者。彼の判断が、この人魚のレネゲイドビーイングの処遇を決定する。
それは、藤村も重々承知だろう。
だからこそだろうか。藤村は幾らか間を置いてから……重い口を開き。
「当然だ、最初に言ったろうが」
不敵に、笑みを浮かべた。
「レネゲイドビーイングは立派な人員だ、特別扱いはしない。まずは対話を試みる」
そう、あくまで、藤村は、藤村祐介というエージェントはそう扱う。そう選択する。相手が何者であろうが関係ない。
問答無用の捕縛など、言語道断。確かにオーヴァードは人に対しては下手に出なければいけない。配慮をしなければいけない。致死性の病原菌を活性化させている存在であるのだから、外を出歩かせて貰っているだけでも大した御恩情だと日頃から低姿勢でいる必要がある。
だが、同じオーヴァード相手なら、そんな下手に出る必要はない。幸いにも今この場には、配慮すべき『普通の人間』は……一人もいないのだから。
「通常の未確認オーヴァードと同じように扱う。まずは意志疎通を試み、その上で処遇を判断する。これは支部長命令だ」
暗に責任を自分一人に集約させて、藤村は堂々とそう言ってのける。その様をみて、スコルピオは静かに溜息を吐いて。
「……管轄区外の支部長の命令に従う義理はないとも言ったはずだけど、まぁいいわ。現場責任者の言う事だしね。私は本部エージェントだけどあくまで書類上備品扱いだし、アンタがそういうなら、これ以上は何も言わないわ」
そっぽを向いた。顔色は誰にも伺えない。
それを見て、フューネラルが仕込み杖の柄から手を離し。
「まぁ、そう言う事なら一先ずの仕事はトークということで。俺行きましょうか?」
「……いや、アンタは一番不適切な人材だろ。そのへんの婆さんから柿貰うのとはわけが違うんだぞ」
思わず安達も口を出し、軽く眉間の皺を手で揉んだ。即座の戦闘というわけでないのなら、変に緊張してもバカらしい。緩み切るのは問題だが、気張り過ぎても良い事は何もない。
「とりあえず、俺も藤村さんの方針には賛成だ。本部式のやり方は合理的かもしれないが、俺個人としては気に入らない」
「ありがとよ、安達君」
「別に俺個人の感性で物言っただけだ、感謝される謂れはねぇよ……それより、対話なんだったら、此処でいつまでもコソコソしてたって仕方ねぇだろ」
人魚はこちらにはまだ気付いていないようで、相変わらず歌い続けている。
余りの勘の鋭い個体ではないのかもしれない。まぁ、もし魚のレネゲイドビーイングなのだとすればそれも道理だ。水中ならともかく、ああして陸に上がっているのなら、周囲の状況把握が遅れるのも無理はない。『ワーディング』を展開していることだけは問題だが……それ以外は一見脆弱で無害に見える。
並み以上のジャームなら、この距離でこんなに騒いでいたら既に勘付かれていてもおかしくない。そうでない以上、個体能力はさほど高くないのかもしれない。
まぁ、何の根拠もない希望的観測でしかないが。
「安達君の言う事はもっともだな。とりあえず、言い出しっぺだし、ここは俺が……」
そう、藤村が自発的に前に出ようとしたとき。
「バカじゃないのアンタ」
呆れ顔で、スコルピオがそれを静止し。
「女の子の相手なんだから、私が行った方がいいに決まってんでしょ」
さも当然と言った様子で、一歩前へと踏み出した。
その語調には……もう鋭さはない。
「まぁ、私だってこういうの……無視するのは寝覚めが悪いし」
小さな呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
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