第117話 終幕

リューネブルク市・司教府―――


 バルムンク降伏より半日、市街地の端にある廃屋のなかにて瀕死の状態の男を発見、救助した。

 男は両手両足を失っており、その容姿、意識回復後の自白から、バルムンク総統リヒテル・ヴォルテールと判明した。

 竜との戦闘後、空中に放り投げられた彼は奇跡とも言える運の良さで雪の積もったそれに墜落し、一命を取り留めたのだ。

 その後、十日足らずの療養で取りあえずは動けるまでに体力を取り戻したのだから流石とも言える。

 そして……その時が来た。


「……」


 大きく鈍い音が檀上から鳴り響く、ここは司教府の中心、かつてスヴァルト打倒を誓ってコンクラーヴェが開かれた、同じ場所である。


「リヒテル・ヴォルテール、汝を大逆の罪で斬首刑とする!!」


 両手両足を失った人間に対してあまりにも酷く、しかし数万の人間の命を奪った人間としては正当な……。

厳正なる判決が法王府から出向した法務官より下される。


*****


リヒテル・ヴォルテール    バルムンク総統        死刑(大逆、および大量殺戮教唆、他余罪多数)


ブリギッテ・バウムガルト   ザクセン司教区教軍司令官   無罪 

              兼リューネブルク市守備隊隊長


 裁判で自分達はリヒテルに強制されて戦わせられたので無罪であると主張、傍聴していたセルゲイ竜司教に激しく非難されるものの、リューネブルク市及びザクセン司教区をスヴァルト貴族ではなく、法王府の直轄にしたかった法王シュタイナーの意向もあって無罪判決、それどころか同司教区の最高責任者、司教就任という栄転となった。

 しかしその地位は名目上のものであり、ほとぼりが冷めればどう処分されるか分からない身分でもあったのだが、本人は危険を理解してないのか、開き直ったのか淡々と仕事……をサボりつつ日々を送る。


マリーシア・ゼ―ハルト   傭兵隊長        不起訴処分         

 傭兵隊長という法の外にいる人物のために裁判を執行できず、ただし傭兵ギルドからの不名誉かつ永久処分を下される。

 しかし本人はそのことに一切の関心を示さず、その後はブリギッテ司教に雇われる形でそのままザクセン司教区の治安維持に努める。

 役職を提示されるものの仕官の気はなく、私兵団の長として怠惰な友人の仕置き役として過ごすと決めていた。


イグナーツ・ゲルラッハ   バルムンク副総統  死刑(大量殺戮教唆、他余罪多数)


 総統リヒテルに続き、副総統である彼もまた極刑となった。

 実の所イグナーツはバルムンクとの関係は一月足らずで日が浅かったのだが、事実上の副総統であったヴァシーリー・アレクセーエフ(ヴァン)戦死の報により、繰り上げで裁かれることとなった。

 彼自身はその判決に不服として控訴、元々この裁判は被告人の立場によって著しい不公正が生じており、彼の主張に一理はあったものの、控訴棄却、受け入れられなかった。

 しかし死刑執行前に脱走、何者かの手引きがあったか定かではない。

 脱走後にも密かに傭兵隊長マリーシアと連絡を取り合っていたが、戦争終結より九年と三か月後、もはや縁は断たれたとして完全に失踪……一説によると故郷であるライプツィヒ市再建を目指したとされるが復興を始めた同市の住民で彼の姿を見た者はいなかった。


*****


リューネブルク市・司教府―――


「リヒテルに改悛の情は無しか……」

「キャハハハ、悔い改めるはずがないでしょう、してもどの道死刑なんだから……だったらアールヴ人の解放者としての面子を守った方が得じゃない、そんなことも分からないのかしら?」

「……貴様の言い方にはいちいち棘があるな」


 裁判の直後、通路の脇に竜司教セルゲイと元死術士シャルロッテがいた。

 主君であるグスタフを失ったが、その悲しみはあるものの、取り立てて悲観している様子はない。

 セルゲイは主家たるムラヴィヨフ家にもう一人の主君がいるし、シャルロッテは単純に精神がタフなのだ。

 落ち込んで俯いている姿は似合わない、兎にも角にも二人は今後のことを考えなければならないのだ。


「私は竜司教としての職務とムラヴィヨフ家の再興と言う責務があるが、主人を失ったお前には行き場がない、これからどうするのだ……?」


 そして長い沈黙の後、しびれを切らしたようにセルゲイが切り出した。

 元々シャルロッテは少女奴隷、それがグスタフに拾われ、死術の力を手に入れたことで現在の地位を得たのだ。

 しかしその力もテレーゼとの戦いで失われ、師であるツェツィーリエは殺してしまった。

 であるならば……元の少女奴隷に戻るしかないのだが、散々ぶつかりながらもセルゲイはこの少女の行く末が心配であるらしい。


「さぁ……考えてないわ」

「少しの間なら面倒を見てやるぞ」


 セルゲイの提案にシャルロッテが意外そうな顔をする。

 このスヴァルト選民主義の権化だった男が混血である自分を気に掛けるとは……シャルロッテは純粋に驚いているのだ。


「お前には借りがある……それに死術意外にも有能だ、囲っておいて損はないだろう」

「……それ、どういう意味?」


 セルゲイはあくまでシャルロッテを保護することを不可抗力としたいようだった。

 それが内心を隠した下手な言い訳であることはすぐに分かったのだが、シャルロッテは〈寛大にも〉気づかないふりをしてあげた。

 しかし彼女の方も修業が足りないのか、元より変わらない性格なのか。


「まぁ、そこまで言うのならば面倒を見てあげるわ」


 あくまで傲慢な態度しか見せなかった、彼女も、両者も、基本的に

素直ではないのだ。


*****


セルゲイ・レフ・ルントフスキー    ムラヴィヨフ伯爵家騎士団長

                  兼 法国軍竜司教

(後に筆頭竜司教・法国軍総司令官就任)


 戦争中の命令違反は不問、さらにバルムンク討伐の功績により法国軍総司令官に就任、その後も優秀さを発揮して高位を歴任する。

 しかしあくまでスヴァルト至上主義、貴族主義を貫く主家であるムラヴィヨフ伯爵家との板挟みに苦しみ、結局は晩年、どちらの陣営からも支持を失うこととなる。

 そのせいか正式な結婚はせず、ムラヴィヨフ伯爵家に代々仕えたルントフスキー家は彼の代で断絶する。


シャルロッテ・ゲネラノフ  


 リヒテルの裁判以降、公式の記録から一切の記録に姿を現すことはなかった。

 ただ一度だけ、幼子を抱えて法王府へ何かを届けに来たとの証言があったが、風聞の域を出ない。


シュタイナー・ヴァン・ホーエンツォルレルン三世


 ウラジミール公、グスタフという指導者の死亡、リューネブルク市攻略戦での貴族連合軍の消滅と続き、スヴァルトの勢力が減退したのを機会として国の実権を取り戻すこと画策。

 それはある程度成功したのだが、バルムンク討伐の成功がセルゲイなどのスヴァルト系の神官兵、並びにスヴァルト貴族の活躍があったのは否定できず、最終的には半ばで策謀を中止せざるを得なくなる。

 モザイク状となった国内の勢力圏を解消できず、彼の後世の評価は「大愚図」であった。

 ただしこの戦争でスヴァルト貴族に、アールヴ人を弾圧した結果がどうなるかを知らしめたのは確かであり、その圧制は大きく緩められることとなる。

 支配者としてスヴァルト貴族は冷静であったのだ、そして民衆の辛苦が少しばかり解消されただけで、シュタイナーは満足していた。


*****


監獄―――


「……」


 リヒテルは泥の中にいた。

 死術の毒に侵されきった彼は今や完全な幽世の中にいる。

 目に映るのは泥の世界、死刑判決ですら彼にとっては大したことではない。

 もはや現実の世界を認識できない以上、死んでいるのと何が違う。

 目も見えず、耳も聞こえない……ただ感じるのは死者の事ばかり。


「私は……死んだのか」

―――そうだ、お前は負けたんだ、俺と同じようにな―――

「誰だ!!」


 そんなリヒテルに語り掛ける声がする。

 遥か昔、体感では何百年も前に聞いた声……それは幼き日の遠き記憶。


―――次の私闘は来世だ、今度は弟に、お前にとっては息子か……勝とうな―――


 いつの間にかリヒテルは笑いを浮かべていた。

 幼く無邪気で、そう……父親を殺した時、姉が父に売られる前に見せていたそんな笑い方であった。


―――やはりお前は俺の支配下でこそ力を発揮する、今度は俺の右腕として……―――

「馬鹿を言うな、お前とは常に敵同士だ、分かりあえるはずがない……そうさな、今度も私が勝つさ」

―――そうか、それでもいい……待っているぜ―――


 看守が見つけた時、リヒテルは意識を失っていた。

 その後も意識は戻らず、そのまま処刑台に上がる。

 彼は首と胴が離れた後も、死刑執行人が気味悪がるほど穏やかな顔をしていたと言う。


*****


リューネブルク市・スラム街―――


「今、リヒテル兄さんの処刑が執行されましたわ」

「分かるのですか?」

「どんどん、こういう感覚が鋭くなっていますわ、ただ……いえ、なんでもありません」


 リューネブルク市スラム街……跡。

 攻防戦で崩壊した市街地に対し、スラム街があったそこは比較的被害が軽微であったのだ。

 司教府に避難していた難民の多くはスラム街跡に移り住み、生活を開始する。

 そしてその中心が、かつてバルムンクが蜂起する前に隠れ家だった「銀の雀亭」であった。

 壊滅した同組織は、しかしそれでも住民は一定の信頼が寄せていたのだ、なぜならバルムンクは一般市民を戦禍に晒すことはなかったから、守ってくれたから……。


「……司教府ではこの都市を放棄する案が出ているようです、しかし私達には行く場所がない、ここで朽ちるのが定めでしょう」


 人々に指示を出していた黒いローブの男が傍らの目を包帯と革製のバイザーで隠した女に愚痴る。

 その姿は人々には見せられない弱々しい姿……彼女と、もう一人にしか見せられない姿だ。

 誰が知ろう、あるいは誰もがあえて言葉に出さない。

 それは戦死扱いとなり、裁判を逃れたヴァンの……なれの果てであった。

 グスタフとの死闘の後、空より落ちたヴァンは、テレーゼに抱きかかられて着地したおかげで辛うじて命を繋いだ。

 だが右腕を失い、全身の筋肉と骨が損傷し、今や満足に歩くことすらできない体となった。

 死術ももう使えない、と言うよりも体内のミストルティンの種が、損傷した臓器の代替えとなっているため、術を行使する余裕がないのだ。

 無論、死術の毒は体を今も少しずつ蝕んでいる。

 リヒテルのように現世を離れるのがいつになるか、そう遠いことではないのかもしれない。

 あるいは、その前に寿命が尽きるか。


「見えますか、テレーゼ様?」

「今はなんとか……ですけど夜になるともう、人の顔の判別が尽きません」


 そして女の名はテレーゼ。

 グスタフと戦うため、あえて死術の毒を取り込んだ彼女はその害が急速に進んでいた。

 十年という年月をかけて体を慣らしたヴァンとは違い、死術の修業を積んできたヴァンとは違い、あるいはヴォルテールの血筋は死術の耐性がないのかもしれない。

 既にリヒテル同様に半身が幽世に沈んでいた。

 夜になれば人の顔が判別できず、視界が全て泥の海に沈んでしまう。

 彼女はジョーカーを選んだ、それも進んで……だが、後悔はしていなかった。

 愛すべき幼馴染と同じ苦しみを味わうことができるのだから……。


「私は後悔してませんわ、そのおかげで貴方を助けられたのですから……悔やんでいることがあるとすれば」

「……?」


 テレーゼの手が一閃する、その手刀は背後からヴァンに抱き付こうとした何者かを捕える。

 まったく反応出来なかった〈敵〉は頭を抑えて蹲った。


「痛い……」


 敵は、友人でもあり、恋敵でもあるアマーリア・オルロフであった。

 テレーゼの一撃を受けた彼女はそれでも片手でヴァンに書類の束を渡す、その不屈の精神は、根性が鍛えられたせいかもしれない。

 ただ恨みがましい目でテレーゼを見やることは忘れず、ついでヴァンを見やるが、ヴァンは既に書類に集中していた。


「……援助? こんなにですか……この崩壊したリューネブルク市に誰がこれだけの、騙されているのではないですか」

「ヴァンさん、ひどいです、仕事の事ばかりで私には少ししか……まあ前よりも大分良くなりましたけど、あはは」

「質問に答えてください」


 アマーリアの愚痴にまったく気にかけることなくヴァンが詰問する。


「はぁ、まあいいか……ええと、つまりはかつてバルムンク取引していた商会やら、戦争でまったく被害を受けなかったヒルデスハイム司教区らから援助が来ているんですよ、あの人達、今更になって、戦争中は知らぬ存ぜりだったくせに、ですけどまあ」

「……」

「リューネブルク市再建、百年以上掛かる計算ですけど、半分くらいになるかもしれませんね、あはは」


 口元を綻ばせながら、しかし目は笑っておらず、にじりにじりとヴァンに近寄る。

 ゆっくりとその唇に自分のそれを合わせようとして……しかしテレーゼに牽制される。


「ご褒美にキスしても罰は当たらないと思います」

「絶対にダメ……断固阻止しますわ!!」

「これで計画を少し早く、いやまだ慎重にした方が、後でブリギッテ司教に相談して……」


 仲良くいがみ合う彼女らに、しかし既にヴァンは仕事に没頭していた。

 リューネブルク市再建という多大な責務と、それを支える二人。

 ヴァンは未だ理解してはいなかった。

 彼の物語はこれから始まる……。

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