第107話 屍を超えたその先に・一

リューネブルク市・上等区(法王軍制圧後)・セルゲイ率いる法王軍別働隊―――



「いったい何が起こったと言うのだ」

「分かりません。地震の後、市街地の方からものすごい砂塵が……」


 市街地の崩壊の直後、外壁を突破し、正面から攻める貴族連合軍に先んじて上等区になだれ込んだ法王軍別働隊、五千余名は着々と橋頭堡を建設して総攻撃の準備に取り掛かっていた。

 勇猛さや個々の実力では負けていても、たゆまぬ訓練を受けた神官兵達はルーチンワークが得意であり、一糸乱れぬ動きで下された命令を実行していく。


「被害は……」

「城壁上に持ち上げようとした分解した投石器が落下、十数名の死傷者が出ています」

「分かった、すぐに負傷者の手当てと収容に当れ。それと本陣に伝令の兵を派遣しろ、状況が掴めない」

「はっ!!」


 セルゲイの命令は理にかなったものであった。

 しかし、それは市街地での惨劇を知らなかったからの冷静さでもある。

 もし仮に状況を正確に掴んでいたとしたら彼らはまともな行動が取れなかったに違いない。

 しかし幸か不幸か、上等区を挟んだ反対側にいた彼らは知る術がなかった。だからこそ冷静に事態に対処することができたのだ。

 ただまったく影響がなかったわけではない。

 市街地で舞い上がる粉塵は空から地上を照らしていた満月を覆い隠す。

 深淵の闇に辺りを包まれた。


「せっかく雪がやんで雲が晴れたと言うのに……これでは暗くて戦闘などできないぞ」

「しかし総司令官であられるグスタフ公は何がなんでも今日中に司教府を落とせとおっしゃっておりましたが……」

「分かっている、私は騎士だ、主君の命は従う」


 そうは言う物の、セルゲイの顔は苦虫を噛み潰したようだった。

 彼はグスタフの側近、なぜ彼が一刻も早く司教府を陥落させてリヒテルの首を挙げなくてはいけない理由を知っている。

 だが彼は騎士と言う従者であると同時に、騎士という指揮官であった。

 上層部の権力争いで現場の部下を犠牲にすることにためらいがあるのだ。


「付近の邸宅五件の制圧が終わりました。潜んでいた敵兵は七名、全員が降伏勧告を拒絶、よって全員を殺害いたしました」

「こちらの死傷者は……」

「一名が死亡、他三名が軽傷ですが任務に支障はありません」

「……やはり抵抗は止まぬか」


 セルゲイが苦悶の表情を浮かべるもう一つ理由は、遅々として進まない付近の制圧だった。

 城壁を突破し、大軍を送りこめた時点で既に法国(連合)軍の勝利は確定している。

 とはすなわち、バルムンクの敗北が既定路線となったことと同義であるのだが、 バルムンクの兵士はそれでも士気が落ちず、必要に抵抗している。

 総統リヒテルは間違っていた。

 リヒテルは城壁が突破された段階で兵士達は法国軍に投降すると考えたが、そうはならなかったのだ。

 道で家で、教会で、坂で邸宅で詰所で戦う、決して屈服しない。

 バラバラに敗走した彼らは上等区の神官らの邸宅に立てこもり、法王軍にゲリラ戦を仕掛けてきた。

 元々、遊牧民上がりである騎士セルゲイにとって市街戦はあまり経験がない。

 ハノーヴァー砦の慣れない河川での戦いで、ヴァンに率いていた水軍を壊滅させられた経験も新しい。

 結局の所、彼は未知なる戦場を前に強い警戒心を抱いたのだ。

 ある程度の犠牲を覚悟して強引に突破することも出来たが、実直だが融通が利かないセルゲイはチマチマと一軒一軒制圧する確実だが時間がかかり過ぎる方法を選んだ。


「グスタフ公より伝令、速やかに司教府を制圧せよとのこと」

「……」


 苛立ちが募る中、本陣より彼の遅滞を責める内容の命令が下るそれに対し……。


「その命令は承りかねるな、もはやこちらの勝利は確定……事を急いて無駄な犠牲を出す必要はあるまい」


 その命令を握りつぶした。


*****


リューネブルク市・市街地(崩壊後)・かつてのハイリヒ・ヒルド教会前―――


「痛い……何が起こったのです?」


 市街地崩壊という大いなる災厄の中、それでも生き残った人間はいた。

 戦闘の中心からわずかに離れていたハイリヒ・ヒルド教会……今や瓦礫と汚泥に飲み込まれつつあるそこで節々が痛む体を庇いつつ彼女はゆっくりと立ち上がった。

 下から聞こえる怨嗟の声を無視しながら……。


「わ、わたしを踏み台に……許せない、絶対に許せない!!」

「はっ!!」


 鞭のようにたなびく漆黒の腕を紙一重で躱し、水面に突き立てられたように辛うじて足場と成り得る柱に斜めに降り立つテレーゼ。

 その動きは痛みのせいかやや淀みのような鈍さがあったが、取り立てて不自由を感じさせるものではない。

 本当に……、痛い、だけのようだった。


「さて、決闘を再開しましょうか……それともまたの機会にいたします?」

「またの機会……?」


 漆黒の怪物から少女の声がする。誰何を意味する言葉とは裏腹に、その声音には明らかに憤怒の色が含まれていた。

 ただ、その怒りが虚勢でしかないことをテレーゼの鋭い感覚はあまたず見抜いていたのだ。

 崩落の際、化け物に入り込んだシャルロッテは旗下の屍兵、および不死兵を自身に集中し、まるで小動物が寄り集まるように落下の衝撃に耐えた。

 とっさのことでその判断は及第点を与えられても良かっただろう。

 いかに奇跡が起きたとしても、その奇跡を活用できるのにはそれ相応の能力が必要である。

 彼女は優秀だった、しかし上には上がいたのだ。


「またの機会なんてないわ、ここで貴方は死ぬのだから……こんな真似をした報いを、あぐっ!!」

「傷が開いたのね……貴方の負傷、私にはごませないですわ」

「何を、私はただせっかくのドレスが汚れてしまったのが残念で……はっ、はっ、くそっ、痛いじゃないか!!」


 崩落の瞬間、事態が分からずとも身を守ったシャルロッテは兵を集めたが、テレーゼは自身が落下しているのを正確に把握していた。

 彼女はただ下からの衝撃に備えるためにシャルロッテが操る不死兵の上に乗っかっただけ、そのまま乗れば生命力を奪われてしまうため、間に瓦礫を挟んだ所まで完璧だった。

 テレーゼはシャルロッテの尽力にただ乗りしたのだ、その結果が如実に表れている。

 かすり傷程度で済んだテレーゼ、対してシャルロッテは軽傷では済まなかった。


(ここでトドメを刺してもいいけど……それよりもヴァン達が心配ですわ、一度城壁まで戻らないと)


 しかしむしろ焦っていたのはテレーゼの方だったのだ。

 彼女はもはやただの一ファーヴニルではない、人材が枯渇したバルムンクの中で幹部に名を連ねる者。

 一戦場だけに関わっている訳には行かないのだ。

 そのような考えができるようになったのは賞賛されるべきかもしれない。

 だから彼女の努力不足はその葛藤を上手に隠せなかったことにある。

 その動揺を、一瞬だけ逸れた注意の隙間を、目ざといシャルロッテは見逃さなかった。


*****


「……」


 漆黒のグートルーネの中、先ほどのように、表情を見られることのない怪物の内側でテレーゼと対峙したシャルロッテはほくそ笑む。

 思念を飛ばし、帰って来る反応の数で残っている戦力を把握する。

 屍兵は残り五体、内、すぐにでも動けるのは二体……さらにその二体の内で一体は、運がいいことになんとテレーゼの立つ柱の直ぐ真下にいる。

 屍兵は多量の水に弱い。

 水につかり、核となっている種が腐ってしまうからだ、故に猶予はない、奇襲をかけられるのは一度だけ。

 そしてその時が訪れる。

 一瞬、本当に少し、刹那の間、テレーゼの視線が横にずれる。

 先ほどまでとは完全に真逆な状況……千載一遇の機会をシャルロッテは躊躇することなく、つかみ取った


〈キャハハ、今よ、死ね!!〉


 放たれる命令……それは間違うことなくテレーゼの下に眠る屍兵に届く。

 大丈夫だ、相手は気づいていない、そう後、指の少し程、で……?

 その瞬間、グートルーネに潜り込んだシャルロッテの側頭部が鈍い音と共にえぐられる。

 彼女の絶叫が、影の魔物の内部で弾けた。


*****


「少し、見直したよテレーゼの嬢ちゃん。まさかあたしらが近づいてきていたことに気付いていたとはね……あまつさえそれを利用するためにわざと隙を作るとは」


 クロス・ボウや槍、剣などでハリネズミのようにされたシャルロッテ、もとい影の魔物グートルーネ。

 シャルロッテは最後まで敵が目の前のテレーゼだけだと信じ続けていた。

 状況は変わるのだ、そして時間をかけ過ぎた。

 決闘が既に終わっていたことに気付いたのはテレーゼだけであった。

 バルムンク幹部・傭兵隊長マリーシア・ゼ―ハルトが合流したのだ。


「初めは貴族連合軍の兵士かとおもいまして緊張しましたわ」

「傭兵は生きるのが仕事さね、こんなんで死んでいたら今まで生きていないさ……まぁ、半分も逝っちまったがね」


 軽口を叩きつつ、目を細めるマリーシア、もしかすると彼女の脳裏には死んでしまった仲間の顔がちらついているのかもしれない。

 だがそれも少しの間だけだ。

 手には応急処置をしたクロス・ボウ、その狙う先はシャルロッテの姿がある。


「……!!」


 側頭部を抑え、必死に痛みを堪える彼女だったが、その負傷の度合いは一目瞭然だった。

 彼女の周囲、屍兵達が土へと還っていく。

 彼女が潜り込んだ影の魔物の幻覚魔術が解けて、ただの死体に戻ろうとしていた。

 激痛で精神が乱れて、死術を維持できないようだ。


「さっさと終わらせて、司教府に戻ろう。皆が心配だ」

「そうですわね……急ぎましょう」


 テレーゼが剣を構え、飛びかかるような体勢を取る。

 相手は邪悪な死術士……例え幼き少女だとしても、今まで行った罪の罰を受けなくてはいけない。


「さようなら……」


 そしてテレーゼは疾駆した。


*****


リューネブルク市・北・法王軍本陣―――


「正面より攻撃をかけていた貴族連合軍が敗走……貴族の大半が戦死して立て直せません」

「トリスタン竜司教が崩落に巻き込まれて戦死、工作部隊は壊滅状態です」

「セルゲイ竜司教より伝令……城壁を突破、成れど敵軍の抵抗激しく、早急な突破は困難を極める、と」


 法国(連合)軍総司令官である、ウラジミール公グスタフはただ不機嫌そうに顔をしかめただけだった。

 まるで夏の夜に飛び回る蚊のように鬱陶しくまとわりつく悲鳴。

 顔面を蒼白にして凶報を受け取る法王軍のだらしの無さには殺意さえ覚えるくらいだ。

 だが現実はそんな軟弱な者達を率いて、あのリヒテル率いるバルムンクと戦わなくてはいけないのだ。


(この戦いが終わったら、こいつらを全部クビにして……さすがに全員はできないか、まったく泣けてくるな)


 右往左往する彼らだったが、奇妙なことに上官たるグスタフへ意見を聞く人間はいなかった。

 彼らは理解していたのだ、この異人種たるスヴァルトの貴族が命ずるのはただ一つ。

 犠牲を問わず進軍せよ、そう言われるのが分かっているのだ。


「これは一時休戦するしかないだろう」


 そしてアールヴ人の神官らは別な人物に希望を見出した。

 グスタフが捕え、踏み台にした法王シュタイナーである。

 この虜囚を神官らは裏切った、良く言えばグスタフの威光にひれ伏して彼を助けることが出来なかった。

 それが今、窮地に陥った所で掌を返して縋り付いたのだ。

 その厚顔無恥さ、そしてそんな裏切り者達を平然と使う法王の豪胆さ、いやこれはグスタフの偏見が過ぎるのかもしれない。


「この後に及んで休戦だと……法王猊下、ここまでやった連中を生かして置くと言うのか」

「ではこうしよう、講和会議の名目で総統リヒテルをバルムンクから引き離し、その上でバルムンクに揺さぶりをかけるのだ。今のバルムンクはリヒテルがいなければ人心をまとめられまい、そうなれば戦わずに我々はバルムンクを討伐できる」


 さりげなく休戦を講和にすり替えてシュタイナーがグスタフに策を話す。

 神官が得意とする裏工作だった、別段おかしなことはない。

 本来の目的であるバルムンク討伐が達成されるのであれば何も問題があるはずがない。

 だから問題は……そこではなかった。


「その講和会議の主催は誰がするのだ、総司令官である俺か?」

「いや、軍人の出番はない。講和会議は法王たる私が主導する」

「つまりは講和がなれば俺はお払い箱という訳か」

「……」


 グスタフの言いようはあまりに直接過ぎた、どぎついまでの真っ直ぐさでシュタイナーを詰問する。

 それにシュタイナーは一瞬、言いよどむが……思い直したように話を続けた。

 どうせ隠しきれる相手ではない、それに、思惑など互いに見抜かれている。腹を探り合う時期など当に過ぎていた。


「お払い箱ではない、野に放つにはお前は危険すぎる、私が生きるであろう十数年、首に縄をかけて飼い殺しにする」

「……」

「もう少しだったのに残念だったな、武力でバルムンクを打倒すればお前の手柄だ。その威光で民衆や神官をひれ伏させて国の主導権を握れたかもしれないが……穏便な方法で解決すれば私の手柄だ、お前はただの一軍人に戻るしかない」

「……」

「お前のようなケダモノに国は渡せぬよ」


 法王、形骸だけの存在に成り果てたとしても、彼は国家元首なのだ。

 始祖シグルズに成り代わりグラオヴァルト法国を総べる者。

 神でも父でもなく、民衆によって選ばれた人間の力をグスタフは見誤ったのかもしれない。

 アンゼルムが命を賭して法王シュタイナーを救出した事実がまるで遅行性の毒のようにグスタフを侵し、今やケダモノは熱に浮かされて身を強張らせている。

 まったく牢に閉じ込めて置ければどれほど楽だったことか、ここに国家元首がいると言う危険を侮ったわけではなかったのだが……。


「……ラストチャンスだな」

「何……?」


 顔の上半分を義手でない方で押さえるグスタフの表情は読めない、ただ声はまるで泣きだすのを我慢するように絞ったものだった。


「伝説の……再現をしよう」


 人の心はうつろいゆく、二度と違えぬと誓った決意も容易に崩れ去る。

 裏切られた方が、騙された方が悪い。

 裏切った方は、騙した方は自らを正当化して罪悪感を覚える事さえない。

 それを理不尽だとするならば、全てを支配する立場に登り詰めるしかない。

 踏みつけられた人間の泣き言に誰が耳を貸すと言うのか。

 卑怯者とののしる弱者に手を貸す人間がいると言うのか。

 全ては自分が弱いから悪い。


 ならば……強くなるしかない。

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