第92話 お前は一握りの支配者となるか

リューネブルク市・港・ブライテンフェルト会戦より四日―――


「包帯用の布が足りない」

「薬を司教府から持ってきてください」

「お湯を沸かしてください。出来るだけ早く、たくさん」


 リューネブルク市に帰還したバルムンク連合軍は市民の全面的な協力を受け、すぐさま負傷兵の治療にあたった。

 悲鳴と嘆き、そして力尽きる人々、だがそれはブライテンフェルト草原、戦場と比べると幾分、優しいものであった。

 嘆きはわずかに余裕が混じっており、悲鳴は治療してくれている者にどこか甘えているようでもあった。

 力尽きた者も何かをやり遂げたように誇らしげな笑みを浮かべ、そんな彼らをその者を不幸だったと容易には呼べない。

 ただ彼らは戦局を、会戦の結果を知らない。

 その無残な敗北をあるいは自軍の勝利と思い込んでいるかもしれなかった。


「何も知らないとは幸せな……すぐまた戦闘が始まると言うのに」

「やはり、講和の使者はまだ戻らないのですか、イグナーツ殿」


 野戦病院と化したリューネブルク港で指示を出していたヴァンとその副官イグナーツは表情には出さないまでも今後の展開をある程度、予想していた。

 送った講和の使者の連絡途絶、それの意味することが分からない二人ではない。

 まず間違いなく、使者は殺されている。


「面目ありません、私の考えが足りませんでした」

「もう済んだことです、それにこれで法国軍の意志がはっきりした」


 だが使者の派遣が何の意味もなかったという訳でもない。少なくともグスタフ率いる法国軍の意志という物が明確になった。

 そして、その対応が迅速に行えたのだ。


「だとしても、良かったのですか。あの裏切り者らに、あれでは見捨てて欲しいと言っているようではないですか」

「もう大勢は決したのです、これから起こるのは虐殺、巻き添えは少ない方がいい」


 ブライテンフェルト会戦での敗北を受けて、バルムンク連合に協力した各商会や司教府、各々の団体や組織は一斉に掌を返した。

 否、返される前にヴァンが縁を切った。

 その言質を受け、各商会はバルムンク連合への援助の打ち切りを表明、またヒルデスハイム司教区などの傘下の行政府は法王府への回帰、すなわち法王府を牛耳るウラジミール公グスタフに従った。


「しかし……これではあまりにも」

「ライプツィヒ市での虐殺……その下手人たるレオニード伯は無罪放免となった」

「……」

「今の法王軍は逆らう者は文字通り皆殺し。そして会戦で戦力の大半を失ったバルムンク連合では傘下の団体を守り切れない。このリューネブルク市はもはや我らバルムンクの墓場、ここで全てを終わりにしましょう。私達が始めた戦争です。一般市民を巻き添えにはできない」


 それは聞く者の背筋を凍らせる程の威圧感があった。

 傘下の団体を切り捨てたのは、犠牲を少なくするための他に理由がある。

リューネブルク市の市民、直接戦闘に参加しない一般市民その数、約五千人。

 彼らを受け入れてもらうための交換条件でもあった。

 バルムンクと繋がる一切の証拠をバルムンク自身が破棄し、法国軍に討伐される理由を隠蔽する。

 傘下だった団体は言う、全てはバルムンクに脅迫された、あるいは初めから協力などしてはいなかった。

 卑怯とも卑劣とも言えるが、ヴァンにはそれで良かった。

 彼らには彼らの生活があり、所詮、殺すだけが能のファーヴニルの一団体、たかが盗賊団と心中する理由はない。

 混血として生まれ、アールヴ、スヴァルトとの人種対立をただの権力闘争と達観してきたヴァンらしい答えであった。

 ただ、それは彼が一人で考えた答えでもあった。つまり、他の者と相談すれば、また別な答えが出て来る。


「こら、また死ぬことばかり考えてますの?」

「……痛い」

「ヴォルテールのお嬢さん」


 突如、ヴァンの延髄に手刀が叩き込まれる。相手は分かっていた。なぜ、そうするのかも分かっていた。

 故にわざと避けなかったのだが、相手はどうも手加減という物が苦手であるらしい。冗談抜きで意識が刈り取られそうであった。


「私、馬鹿だけどようやく理解しましたわ。ヴァンは放っておくと危ないって、だから常に監視しておいた方がいいって……」


 心配した相手を昏倒させようとしたテレーゼは、それに気づかず意気揚々と告げる、だがヴァンは応えない。

 手刀のお礼にからかってやろうと意地悪を考えたからである。


「確か、テレーゼ嬢は救護班に組み込まれていたはずでは……」

「どうせ役に立たないから追い出されたのでしょう、暴れるだけが能のお嬢様ですから」

「ヴァン、何か言いました?」

「何か聞こえましたか……テレーゼお嬢様?」


 くだらない軽口を叩きあう、ヴァンとテレーゼ。

 だがもしかすると、今この瞬間が彼らにとっての最期の休息になるやもしれず、特にヴァンはこれでも愉しく過ごしているのだ。

 その日常には万金の価値がある。苛酷な戦場を、命を踏みにじってきたバルムンクの汚れ役だった日々を想うと、知らず涙がこぼれてくる。


「泣いていますの……」

「いいえ、ただこれからの事を考えていたことです。孤立無援のみなれど、ただでは死にません」


 ヴァンは目を拭ってごまかす。テレーゼもまたそれ以上、深くは追及したりはしなかった。


「大丈夫ですわ、傘下の各商会や司教府も表ではあんなことを言っていますが、裏では軍資金やら物資やらを送ってくれます。まあ、バルムンクに奪われたことにするって言うのが少し、腹が立ちますけど……」

「加えてグラオヴァルト北西地方の傭兵団、ファーヴニル組織の兵もまたこのリューネブルク市に集結しつつあります。会戦前と比べられるような兵力ではないですが、この都市を守るくらいならば十分です」

「さすがはヨーゼフのお婆さんということですわね、彼らは侠客、スヴァルトなんかに屈しませんわ」

「ただ、スヴァルトが抹殺を命じた札付きの悪党だというのが少し心配ですがね」


 孤立無援のリューネブルク市、だが実際はそういう訳ではない。

縁を切った各商会や司教府から秘密裡に援助を受けている、それはこのリューネブルク市を対スヴァルトの防波堤にしたい意図もあるが、何よりもアールヴ解放のために立ち上がった彼らを負けたからと言って簡単に切り捨てる程、非常になり切れなかったのだ。

 人間アールヴは未だ底辺まで堕ちてはいない。


「ヴァン総統代行、書類の決裁をお願いします」

「ああ、すみません、少し話過ぎました」


 三人の会話は意外と時間を消耗していたようだ。侍祭の服を着た少女が書類を抱えてやってきた。

 少女の年齢は十六、七くらい。栗毛色の髪に小麦色の肌、瞳は珍しいアンバー(ウルフ・アイ)そして顔には縦一列に刻まれた斬傷。

 だが何よりも三人が目をつけたのはその重心がわずかに前に傾いた不自然な歩き方。常人では気付かない。

 彼女は懐に短剣を隠し持っている。


「そこで立ち止まりなさい、アマーリア」

「……」


 即座に戦闘態勢を取るイグナーツ、それにテレーゼも続いた。


「これ以上ヴァンに近づかせませんよ」

「そうです、ベタベタ禁止ですわ」

「ライプツィヒ戦線で見せた貴方の狂気、私達は忘れたわけではありません」

「ヴァンの愛人ってどういうことですの、洗いざらい、しゃべってもらいますわ」

「少し黙っていていただけますか、ヴォルテールのお嬢さん?」


 ひどく真面目腐ったイグナーツ、ヴァン同様、アマーリア・オルロフは宿敵スヴァルトとの混血である。

 彼女はその出自故に被害意識が激しく、数々の凶行を繰り返してきた。

 グレゴール司祭長の殺害を始め、先の会戦では部隊全体を危機に陥れようともした。

 スヴァルトとの混血である彼女は反スヴァルトを掲げるバルムンクの中ではただ生きているだけで粛清の対象である。

つまりは自分だけ死ぬのが嫌だから、他人を巻き添えにしてやろうという魂胆であった。

 そこが同じ混血であるヴァンとの明確な違い、ヴァンは自害に他人を巻き添えにしたりはしない。

 ただ根底にある混血という出自に対する葛藤は同じものだ。そのせいか、ヴァンはアマーリアには甘い。


「ちょっとイグナーツ、貴方もファーヴニルでしょう、侠客を自認するくせに弱い者苛めをしますの?」

「黙りなさい、テレーゼ嬢。彼女は危険です、彼女の出自の不幸は私も知っています。ですが、それとこれとは話が別、犯した所業にはふさわしい罰を与えなくてはいけません。彼女だけを特別扱いしてはいけないのです」

「……」

「決断を……ヴァン」


 ヴァンは正規の手続きを得てはいなくとも、壊滅状態のバルムンク連合の中でもはや総統リヒテルの代行といっていい存在なのだ。

 そしてそれはリヒテルが掲げるの平等の精神を受け継ぐということ、ならばその決断は決まっていた。

 アールヴ人を弾圧するスヴァルト人に立ち向かう以上、彼らのように特権階級があってはいけない。

 親しいから、血縁だからとの理由での特別扱いは厳禁だ。

 だが、そしてリヒテルはテレーゼを残して親族を皆殺しにした。


「追いつめられた人間を気にかけてはいけないのですか」

「ヴァン……ですが」


 ヴァンはだがリヒテルと同じ道を選ばなかった。彼はリヒテル程覚悟を持たなかったし、成熟している訳でもなかった。

 目の前の幼馴染、慕うテレーゼを他者と同列にすることはできなかった。


「私は大多数の一人ですか」

「……アマーリア?」


 その決断は尊いかもしれない。ただ、ヴァンにとっては意外なことに庇ったはずのアマーリアから不満の声が上がる。

 首を傾げるヴァン、イグナーツはそれを見て右手で自分の頭を乱暴にかきむしった。


「ヴァン、どうも貴方は色々と偏っているようで、私は貴方についていくと決めました。ですが、貴方には私の補佐が必要なようだ」


 どこか呆れたようにイグナーツがヴァンを見る。ただ呆れているとはいってもわずかに微笑ましいものを見るような色もあった。


「イグナーツ殿、私には貴方が何を言っているのか理解できませんが」

「そうでしょうね……貴方は色恋沙汰の知識をもっと得た方がいい」

「……?」

「今日の仕事休みにブリギッテ……はダメそうですから、マリーシアあたりを呼んでいろいろとお教えしましょう、の前に質問です、貴方にとってテレーゼ嬢はどんな存在ですか」

「……!!」


 テレーゼとアマーリアが息を飲む。テレーゼはサッと顔を赤らめ、そしてアマーリアはひどく恨めしそうな表情でイグナーツを睨みつける。

 しかし当のヴァンはイグナーツが何を言わんとしているか理解してはいなかった。だから深く考えずに答えを出す。


「テレーゼお嬢様は主人であるリヒテル様の……妹君、あ、いえ私にとっての出来の悪い妹のようなものです」

「慌てて言い直したのでまあ、ギリギリ合格にしましょうか」

「妹って……私は大いに不満ですわ」


 ヴァンはが、テレーゼを主人の妹君と言った瞬間、テレーゼの眉毛が吊り上がった。

 そこでなぜだか分からなかったが、慌ててヴァンは答えを変えたのだ、より近しい関係として、ちなみにヴァンの中では基本的に主従関係が最も上位に君臨している。

 だから主人の妹と言うのは最上級の褒め言葉だったのだが、テレーゼには思ったような効果が出なかった。


「私の方がどう考えても年上なのに……出来の悪い妹って、どういうことですの」

「本音が出ましたね、ヴァンさん」


 ヴァンの答えにテレーゼは頬を膨らませる。ただ少し嬉しそうではあった。対してアマーリアはひどく意地悪そうな顔を作る。

 実の所、それはヴァンが初めて見る顔でもあった。アマーリアはいつも余裕がなく、追いつめられたような空気を纏っていた。

 そしてヴァン以外の人間は基本的にアマーリアの取り繕った笑顔しか見たことがないのだ。


「黙りなさい二人とも、次の質問です。アマーリアは……貴方にとってどういう存在ですか」

「えっ……」

「……」


 ヴァンが不思議そうな顔で、そしてテレーゼが挑戦的な視線を向ける。そして当のアマーリアは再び恨みがましい表情に戻る。

 ある程度、ヴァンの答えを予期しているかのようであった。


「アマーリアも今は家族のようなものですよ。心中癖のある困った姉……と言ったところですか」


 ヴァンとしては軽く、そう言い放った。ヴァンにはそもそも家族という存在がいない。あるのは主従のみ。

 だから彼は家族という概念を正しく理解していたわけではない。ただ殺伐としていない、利害のない関係、騙し合ったり、陥れたりしない存在、それを表す言葉が家族以外に思いつかなかったのだ。深い意味はない。

 だが言った本人はそうでも、言われた方はそれではすまなかった。

 テレーゼはきょとんとしていたが、アマーリアの方は熱せられた鉄のように顔が朱くなる。

 そしてすぐに顔を伏せた、伏せる前、まるでヒビが入ったように顔が痙攣する。

 猜疑心の塊が見え隠れしていた。

 家族と何か、兄弟姉妹、あるいは夫婦、そしてアマーリアにとっては母娘が一番印象深い、彼女は十年前の侵略でいの一番で実の母親に裏切られた。


「……でも家族は裏切るもの」

「アマーリア、何をブツブツ言っているのですか?」

「……ヴァン、テレーゼ、貴方方二人の関係はつけこむ隙が多すぎます。これではいずれ大きな問題が起こるでしょう」


 今度こそあきれ果てたようにイグナーツが呟く。彼にはヴァンが深く考えずに答えを出したのが分かったのだ。

 他の二人と違って……。

 だから、その鈍感と言うか無知さに心底あきれ果てたのだ。


「今日は猛勉強ですね」

「もうすぐ戦闘が始まります。そんな時間はありませんよ、イグナーツ殿」

「細かな仕事はあの、竜司祭長にやらせればいいのですよ。私達が船で深刻な顔で会議していた時、一足早く休暇を取っていたのですから……」

「……」


 ブリギッテの名前を出され、ヴァンは渋々ながらイグナーツの言う猛勉強に参加することを受諾した。

 それは嫌々ながらであったが、すぐに思い直す。

 こんな時間があってもいい。こんな平和な時間があっても……そう考え、ヴァンは素直に従った。


*****


リューネブルク市への道・昼頃―――


 そこには名のある傭兵団やファーヴニルが集まっていた。その数、数千人。

 彼らはバルムンク連合の幹部たるヨーゼフ大司教号令の下、リューネブルク市に援軍として駆け付けようとした。

 いずれもスヴァルトの侵略に抵抗して破れ、故郷を追われた無頼漢達である。

 本来ならばブライテンフェルト会戦に参加するはずが、スヴァルトが軍を編成する方が早く、決戦に間に合わなかったのだ。


「皆に、謝らなければならないことがある」


 彼らを統率するのは顔を土気色に染めた老人であった。無事な部分がない程、各所が傷つき、その体は見るも無残な風体である。

 体は小刻みに震え、誰かの手を借りなければ立つことすら難しい程衰弱しきっているように見える。

 特に痛々しいのは胸の傷、剣か何かで作られた裂傷は骨まで除くほど深く、胆力が足りない者は直視することが敵わない。

 たがそれは実の所、わざと傷を見せて同情を買おうと言う卑劣な策であったのだが、それに気づいた者は何人いたことか。


「わしらは騙されていた。あの男に……バルムンク連合総統、リヒテル・ヴォルテールに!!」


 老人の話した内容を聞き、集った無頼漢が一斉に騒ぎ出す。彼らはリヒテルの下へ向かおうとしていたのだ。

 その矢先のこれである、しかもその事実を話すのはリヒテルの片腕と呼ばれた老人であった。動揺は無理からぬことであろう。


「あの男は十年前、養父たるベルンハルト枢機卿を殺し、スヴァルトの侵略を招いた。否、それどころか、スヴァルトと手を結び、この国の権力を握ろうとしたのだ」

「……!!」

「皆、よく考えて欲しい。一都市の盗賊団ごときがスヴァルト貴族を倒し、砦を落とし、あのウラジミール公と渡り合う。そんな奇跡が起こるはずがない。リヒテルはウラジミール公と敵対していたスヴァルトの大貴族の支援を受けていたのだ。わしはその事実を知り、そして殺されかけてなんとか逃げてきた。だがもうこの命は長くない。だが皆まで間違った道を行くのだけは止めたい」

「エ、エルンスト老!!」


 顔に死相を浮かべ、疲れ果てたその体に鞭打ち、それでも皆のために最期の力を……しかし全てを知る者からすればしょせんは茶番でしかない。

 エルンスト老は既に死んでいる。今、この場でしゃべるのは彼の死体であり、彼の死体を操る邪悪な死術士であった。

 彼は言う、リヒテルこそ主悪の根源、彼はスヴァルト貴族と手を組み、権力闘争を起こしただけ、アールヴの解放は全て嘘。そう、彼らに吹き込んだ。

 それを信じた彼らは無論、援軍に向かわない。それどころか、その〈真実〉を積極的に広めようとする。

 全ては未だバルムンクに、リヒテルに騙されて戦場にいる同胞を救うために、彼らの目を覚まさせるために。


*****


「グスタフ様、こんなことでバルムンクが瓦解するとはとても思えませんが……」

「これだけではな、だから加えて法王猊下からの恩赦を与える。リューネブルク市攻略に参加した者には今までの罪を免責し、スヴァルトの指名手配も取り消す。参加しなくても減刑、これで大分、戦力を削れるな。法王は既に俺の手の内、勅書は好きなだけ書けるし、会戦での不手際もあってスヴァルト貴族らも今だけは俺に従順だ」


 エルンスト老、否、彼の死体がしゃべるその楽屋裏、全てを知る者の三人の二人、ウラジミール公グスタフとその片腕たる騎士セルゲイが様子を伺っていた。

 死体を操り、その者に成りすまして人を騙す。人間の尊厳を無視したそのやり方に誇りある騎士、セルゲイは無論、反対したが、今や彼は法王軍の幹部、竜司教(昇進した)でもある。

 数日後に行われるリューネブルク市攻略戦での兵の犠牲を抑えるためと言われれば嫌とは言えなかった。


「セルゲイ、平等とはつまりは皆が同じ、つまりは全ての人間が無価値だということだ」

「アールヴ人の正義ですね。彼らは奴隷にも平民並の義務を強います。能力がない人間にこれをやらせ、できなければその無能を責める。生まれた時から身分という差があると言うのに……司教府での少女奴隷、彼らが言うには自らの無能により、好きで従っているということになっているそうです。親がいないのも、戦乱に巻き込まれたのも皆、自業自得、いえ、戦乱を起こしたのは私達ですが……」


 途中から声が小さくなったセルゲイを笑いながら、グスタフは続ける。彼はリヒテルの明確な弱点を見抜いていた。

 恐らくは、誰よりも……。


「リヒテルは平等と言う、だが平等とは無価値だということ、他人と差異がないことだ。自分を無価値だという人間に命まで懸けられない。そして平等とは残酷なものだ。会戦が終わって知ったことだが、奴が揃えた子供ばかりの影術士部隊、凍えて全滅していたな。側近であったテレーゼにヴァン、死地に向かわせた、あれほど献身していたのに、リヒテルはいとも簡単に切り捨てた。お前と対峙したあの二人は捨て駒だったんだ」

「まさか……いかにアールヴ人がまとまりがないとはいえ、特にテレーゼは血縁、切り捨てるはずがない」

「テレーゼはリヒテルと敵対したアーデルハイドについた。処刑せよという声が大きかったんだろう。だから処分した。ヴァンは混血、スヴァルトの血を引く者が高い地位にいるのが気に食わないという声が大きかった。だから切り捨てた。リヒテルとはそういう男だ」

「……」

「自分の意志がない、他人のために生き、他人のために戦う男が誰よりも他人を犠牲にするのはそれが理由だ。だから俺に見限られる」


 グスタフの嘆きは、あるいは彼に残るリヒテルの幼馴染としての最期の一欠けらであったのかもしれない。

 もしかするとグスタフはリヒテルと同じ道を行きたかったのだろうか、セルゲイはグスタフ、リヒテル、両者のわだかまりを知らない。

 だが、なんとなくそう思った。


「所でセルゲイ……」

「は、はい、なんでしょうか」


 心内を見透かされたのかと思い、セルゲイが焦る。だがグスタフはそんなそぶりを見せずに別なことを聞いた。


「死者を操り、生者をごまかす。この方法、実は使うのが二回目なんだ、一回目はいつだったか思い出せるか、セルゲイ?」

「一度目ですか……」

「この数か月の間だ、思い出せるはずだ。理由が説明できない死に方をした人間が一人」

「……」


 グスタフが言わんとすることをセルゲイは理解していた。

 今では遠き、数か月前のハノーヴァー砦攻略戦の終盤、ゴルドゥノーフ騎士団という主力軍が残っているにも関わらず敗戦を苦にして自害したボリス公子。

 彼は軟弱ではなかった。部下の証言によれば撤退も考えていたらしい。だが彼は自害した。

 彼が死んだことでリューリク公家は後継者を失い、回りまわってグスタフがその後釜となった。そう、その死でグスタフしか得していない。

 死体を操る術があるのならば、例えば、ボリス公子を殺害し、自害に見せかけることも出来るだろう。

 つまり、あの件の真犯人は……。


「俺はリヒテルのように皆が平等だとかくだらないことは言わない。一握りの支配者と大多数の奴隷がいればいい。わかるな」

「……」

「一握りの支配者になって見るか、我が失われし右腕の代わりたる、騎士セルゲイよ」


 歴戦の勇士たる騎士セルゲイが思わず息を飲む。

 獰猛な狼に似た、見る者を平伏させる隻眼がこちらを睨みつけていた。

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