第85話 博愛主義者は邪魔なのです

中央戦線・リューリク公家本陣・ロスヴァイセ連合軍対法王軍騎兵大隊―――


「テレーゼお嬢様はただ、前をお進みください……」


 ヴァンはウラジミール公のいるリューリク公家本陣を指さす。ヴァンはテレーゼに本分を行えと具申している。

 本分とはスヴァルトの王、ウラジミール公を倒す千載一遇の機会を生かせということだ。


「ヴァン、貴方……」

「私は彼を食い止めます、その間にウラジミール公を!!」

「ですが……」

「私がこの程度の敵に敗れると思いですか……どの道、ウラジミール公を討ち取らなくては無限に湧いて出て来る援軍に踏み潰されます」


 テレーゼは、仲間を助けるためにあえて大局を無視した彼女は苦渋の表情を見せる。

 ここで幼馴染のヴァンを見捨てるのか、だがヴァンが言うようにウラジミール公を討ち取らなくては最終的な破滅は回避できない。

 その逡巡、迷う時間は無駄だ、だがその時間の長さがそのまま、テレーゼがヴァンに執着している強さでもある。

 その気持ちは嬉しい、だが死に逝くヴァンはそれを断ち切らなくてはならない。


「貴方は散った者を無駄になさるつもりですか!!」

「……!!」


 テレーゼがその体を震わせる、だがその震えは一瞬であった。一瞬後にはその顔に決意が宿る。

 それは戦女神の顔、整い過ぎたその風貌は妖のごとく、バルムンクの大幹部たるヴァルキュリアであった。


「必ず戻ります……それまで持たせなさい、これは命令です!!」

「その命令、承りました」


 駆けていくテレーゼを振り向くことなく送るヴァン、対する敵軍の長、騎士セルゲイは舌打ちした。

 せっかく最も脅威とされるテレーゼをこの場におびきだしたのだ、その努力を無にされた。面白いはずがない、知らず、その口調が荒っぽくなった。


「壊滅寸前の部隊で足止めとは舐められたものだな……我が名は騎士セルゲイ、貴様らに無念の死を受けたミハエル伯、第一の騎士、貴様如き邪法使いでは相手にならぬ、戦乙女たる蒼き姫を行かせたことをすぐにでも後悔させてくれる」

「何か勘違いしてはいないですか、騎士セルゲイ……」

「何……?」


 殺意を向けるセルゲイに対し、ヴァンは侮蔑の表情を隠そうともしない、しかし果たしてその侮蔑は敵に向けられた物だろうか、あるいはそれは……。


「博愛主義者が近くにいると邪魔なのですよ、死術を使う上では……」

「なっ……」


 ヴァンはその侮蔑を背後に見せる。敗走しかけた友軍、そしてそれを押しとどめる彼が蘇らせた屍の兵達……。


(こいつら、テレーゼお嬢様を盾にして逃げる気でいたな)


 テレーゼが虐殺される味方を守るためにセルゲイら騎兵大隊の矢面に立った時、助けられた彼らはそれを幸いと逃げようとした、仲間を盾にして逃げようとしたのだ。

 寄せ集めの民兵ばかりだけではない、テレーゼの母、アーデルハイドの側近であったファーヴニル達もである、中には単に義理で参加した者もいる、だがそれを差し引いても決して許せることではない。

 そう、テレーゼを見捨てた彼らをここで使い潰してもヴァンの良心は決して痛まない。


「民兵はいい……テレーゼお嬢様の方に向かいなさい、だがファーヴニル、お前らは侠客だろう、敵前逃亡の罪は万死に値する、私の屍兵に背後から斬られたくなければ戦え、戦って罪を償え!!」


 冷たい瞳、冷徹な、凍えるような声、それは歴戦のファーヴニルすら絶句させる程、酷薄なものだった。

 ウラジミール公の元へ向かったテレーゼは知らない、だがヴァンの副官たるイグナーツはそれに何の反応もできなかった。


「逆らえば、飲み込んだ種が体を内部から引き裂く、従え、さもなくば死だ」

「ま、まさかあの時の……」

「おま、お前、薬だって……」

「騙したな、殺してやる、殺してやるぞ、死術士!!」


 明かされる真実、ファーブニル部隊に飲み込ませたミストルティンの種、それは死術士が扱う魔具だ。彼らはもうヴァンに逆らえない。

 ヴァンが死なない限りは……。

 そしてわめき散らされる憎悪を心地よさげにヴァンは聞く、まるで最上の音楽を聴いているかのような透き通った表情だった。


「なんとも外道な振る舞いをする、死術士よ……バルムンクの語る正義など、所詮はこの程度か」

「人の事を言えるのですか、騎士殿、見たところ、騎兵隊の中で貴方だけがスヴァルト人です。他は全てアールヴ人、何か思うところがおありではないですか」


 蔑むようなセルゲイ、だが向けられたヴァンはあくまでいつも通りであった。その放つ皮肉、それにセルゲイはなぜか呵呵大笑したい気分になる。


「確かに……主君の仇討ちというのは私の手前勝手な正義だ、私が率いるアールヴ人の騎兵らには何の関係もない、なるほど、手前勝手な理屈で部下を死地に追いやっているのは同じか」

「理解が早くて助かります」

「貴様、名を何という……」

「ヴァン、いや、ヴァシーリー・アレクセーエフ」


 ヴァンは自分すら知らなかった本名をあえて教えた。それを教えてくれたのは仇敵たるグスタフだ、だがそのことに何の感慨もない、元より死すべき者、名前など、墓標にすら必要ない。


「私の名はセルゲイ、ムラヴィヨフ伯爵家に代々仕えてきたルントフスキー家の嫡男、父アルノーリトの長子」

「ムラヴィヨフ伯爵家……あの」

「そうだ、短くも長い因縁だった、だがそれも今日、終わる」

「貴方の敗北でもって……?」

「違うな、貴様の戦死でもって、だ」


 両者が剣を、槍を構える。これは私闘……どちらも手前勝手な理屈で兵を無駄死にさせる外道、だからこそこの戦いは両指揮官の戦死でもって完全な決着が着く。

 屍兵で促され、槍方陣を作るファーヴニル達、その顔は上官たるヴァンに対する憎悪に満ちている。その憎悪は罪を許され、テレーゼの元へ向かう民兵にさえ向けられていた。

 横一列に並び、騎兵突撃の体勢を作る法王軍騎兵大隊、彼らは騎士セルゲイに逆らえず、死の恐怖に満ちながらもその動きはしかし水際立ったものだった。


「突撃!!」


 開始の合図を掲げたのは攻撃側の騎士セルゲイ、損害を物ともせずに突撃を開始する騎兵達、それをファーヴニルの槍兵、イグナーツが指揮するクロス・ボウ兵が迎え撃つ。

 中央戦線、最期の戦闘が今、開始された。


*****


中央戦線・バルムンク本陣跡・リヒテル対グスタフ―――


「ヴァンがお前の弟、馬鹿な!!」

「俺の母親は最下層の女でな、男に頼らなければならない弱い女だった……幾人の男を渡り歩き、そして生まれたのがヴァンだ」


 疾風がグスタフを斬り割き、風圧がリヒテルを薙ぎ倒す。

 両者の会合は両者の生命を削り、互いに相手をヴァルハラへの送還しようとする。だが互角であったのは先ほどまで、負傷し、今、心を乱し始めたリヒテルに勝ち目は薄い。

 ヴァルハラの水先案内人が館の入り口を清め始めた。


「だからどうしたと言うのだ、それがなんだと言うのだ、それが今、関係あると言うのか!!」

「もし、仮にあの時、俺がヴァンを引き取っていればどうなっていたかな。死術などと言った邪法に手を染めることも、何よりも戦死することはなかっただろうな、全てはリヒテル、お前のせいだ」

「戯言を!!」


 リヒテルは双剣を交差し、かまいたちを作り出す。だが読まれていた、危なげなく回避するグスタフ、彼はその隙に乗じない。

 中途半端な攻撃は痛覚が半ば麻痺しているリヒテルには効果がない。それは体が死にかけているという意味もあるのだが、現時点では長所であった。


(まだだ、まだ隙が小さい、もっともっと動揺しろ、残された体力を使いきれ、相打ちすら狙えないくらいに衰弱しろ!!)


 グスタフはそのまま小競り合いを続け、挑発を繰り返す。たとえ瀕死でもリヒテルは難敵だ、最期の最期まで油断はできない、その牙を剥かせることなく追い立ててくびり殺す。


(ははは、リヒテル、そんなにも心を揺さぶられるか、何万人もの人間を戦場に送り、それが正しいと誰かに求めて欲しいのか、馬鹿め、死んだ人間に対する償いなど誰にもできない)


 リヒテルは剣を振るう、残された体力を振り絞り、斃れかける体を叱咤し、だがそれでもグスタフには届かない。


(だが俺は違う、俺は俺の目的のためならば何千、何万と犠牲にしても毛筋ほども後悔しない、お前のように悩んだりもしない、その差がそのまま今を表している!!)


*****


中央戦線・バルムンク本陣跡・黒旗軍対法王軍分隊―――


「大司教様、遠見役より伝令、総統リヒテルがスヴァルト貴族らしき男と一騎打ちの模様、かなり分が悪い様子です、このままでは……」

「騎兵隊を派遣、リヒテルを援護しなさ……法王軍!!」


 ようやくリヒテルの元にたどり着いた黒旗軍、だがその前にグスタフが率いていた法王軍分隊が立ちはだかる。

 リヒテルが率いていたバルムンク直轄軍があまりにも早く敗退してしまったため、法王軍分隊はギリギリのところで態勢を整えてしまったのだ。

 万全の体勢で防御を固め、リヒテルの元へ向かわせないようにする法王軍、それに熱に浮かされ、衰弱しつつあるヨーゼフ大司教は絶望的な表情で歯噛みした。


「なんとかならないの、このままではリヒテルが……」

「どうにもなりません、それどころか無理に突破してきたことでこちらの陣形も崩れつつあります、このままだと突破した法王軍主力と挟み撃ちに!!」


 副官がヨーゼフ大司教の懇願を非常に断ち切る、彼には部下を守る義務がある、総統リヒテルの命とされは比べていいものではないはずだ。


「この上はご覚悟を、大司教、この上は我が軍だけでも脱出を……大司教、大司教!!」

「……」


 副官が今度は悲痛な声を上げる。長引く戦闘に大寒波、ヨーゼフ大司教、件の老女はついに力尽きる。


*****


中央戦線・バルムンク本陣跡・ロスヴァイセ連合軍対法王軍騎兵大隊―――


「散開、各自で独自に行動し、包囲殲滅せよ、槍方陣を打ち砕け!!」

「来るぞ!!」


 ヴァンが築いた槍方陣、それを破るべく、騎士セルゲイ率いる法王軍騎兵大隊が突撃を開始する。

 単純な前方からの攻勢ではない、そんなことをすれば槍衾の餌食になるだけだ。

 騎兵らは速度を変えつつ、互いに追い越し合いながらクロス・ボウに照準を合わせられないよう蛇行する。

 それが突如、はじけるように四方向に散開した。


「分かれた……くっ、どれを狙えば!!」

「慌てるな、正面からは絶対に来ない、セルゲイだ、セルゲイがいる騎兵だけを狙えばいい、それ以外に槍方陣を突破する者はない!!」


 まるで槍方陣に絡みつくように槍方陣の周りを駆けまわる騎兵達、彼らが恐れるのはイグナーツ率いる三十のクロス・ボウ兵のみ。

 亀のように丸まり、防御陣を敷く槍兵らはこちらから攻勢をかけなければ脅威ではない。


「ヴァン、矢の数は三十、再装填の時間は恐らく与えてはくれないでしょう」

「出し惜しみはしません、全て一度で使ってしまいましょう、大丈夫、勝つのは私達です。彼らには私達を無視してウラジミール公の元へ向かう選択肢があった。それを騎士の誇りで潰した彼らの負けです」


 ヴァンには秘策があった、それは居並ぶ強制されたファーヴニルらではない、もっと確実かつ凄惨な方法であった。


「反転、突撃、私に続け!!」


 その時、戦場に騎士セルゲイの声が木霊する、それに囲んだ騎兵が続いた。

 歩兵を蹂躙する騎兵突撃だ、人馬一体となった勇士たちが槍方陣に殺到する。前後左右、四方向から包囲攻撃。


「セルゲイは南西方向にいる、クロス・ボウ兵は南西に一斉射撃!!」


 ヴァンの号令一下、槍兵の後方、その隙間を埋めるように配置された魔弾の使い手が各々の武器を構え、そして放つ。


「早い、怯えるな!!」


 放たれる数十の矢、先頭の騎兵は頭を打ち砕かれ、馬は腹を貫かれて斃れる。一騎、二騎、三騎が斃れ、だが放つのがわずかばかり早かった。

 距離の長さは威力と反比例する、矢で撃たれ、それでも前進する騎兵達。


「下らぬ、この程度で……!!」


 セルゲイが矛槍を一閃する、弾かれ、彼方へと飛ばされる魔弾、共に飛び散るは砕かれた矛槍の刃か、三本の矢を防いだハルバードはその寿命を終えていた。


「止まらない、突っ込んでくる!!」

「槍を突きだせ、串刺しにしろ!!」

「Бросали После МечНападение(手に持つ槍を投擲せよ、しかる後に抜刀突撃)!!」


 瞬間、セルゲイの口からアールヴ人には聞きなれぬルーシ語が吐き出される。

 無論、ヴァンやイグナーツなどはともかく、ファーヴニルの兵士には何を言っているかは分からない。

 ただ、スヴァルトの傘下にあった法王軍槍騎兵らはそれを解していたのだ。

 だから、ファーヴニルは致命的なまでに反応が遅れた。


「なっ!!」


 イグナーツの驚愕、セルゲイは寿命が尽きた矛槍を投擲した、それに他の騎兵らも倣う。

 まったく予想もつかなかった射程外からの攻撃、今度、貫かれるのはファーヴニル達であった。

 矢よりも遥かに巨大な魔弾が彼らに襲い掛かる。刺すのではなく貫く、えぐるではなく、砕く。

 不幸な何人かは槍を突きだしたその格好のまま絶命する、そして手に持った槍は不甲斐ない主を見捨てたかのように宙に放り投げられ……。


「惜しかったな……」


 対峙する騎士セルゲイの手に移った。彼は奪い取った歩兵用の長槍を瞬時に持ち替え、まるで風車のように頭上で回転させるとその運動力そのままに、前方の敵を薙ぎ払う。


「がっ!!」


 ほとばしる血飛沫、槍方陣に空いた真紅の穴、それをセルゲイに続く騎兵らが力ずくで広げていく。

 槍を投げ、サーベルに持ち替えた彼らは頭上から、まるで薪でも割るように槍兵達を斜め上からかち割っていった。


「食い破ったぞ、ヴァシーリー!!」

「……」


 そしてセルゲイはそのまま槍方陣の中心、指揮官たるヴァンの元へたどり着いた。周囲の兵士はヴァンを助ける様子はない。彼らは自分達を騙し、戦わせたこの邪悪な死術士を見捨てる気なのだ。

 そうこれが結末だ、ヴァンは結局の所、自身の境遇を克服できなかった。混血と言う出自を覆すことができなかった。

 彼に付き従うのは、冷たい、屍の兵士、従順な〈最高〉の兵士達であった。 

 突きだされるセルゲイの槍、それを紙一重で回避したヴァンは、しかしそれでも焦りの様子はなかった。

 その口元に笑みが宿る、儚い、それは自嘲であった。


「これで包囲は完成した、私の勝利です」

「何……!!」


 周囲を囲むのは屍の兵士、その手には槍を、だがセルゲイ一人を相手にするには数が多すぎる、これではまるで檻。

 セルゲイを、ヴァンを囲む、槍の包囲陣、彼らが動けば中の者は助からない。誰も助からない。


「貴様、まさか……」

「両指揮官戦死で戦闘は終了、もう皆、戦う必要はないでしょう」

「初めから相討ち狙いか!!」


 必死に体勢を整え、屍兵を薙ぎ払おうとするセルゲイ、だが突き刺した槍が抜けない。

 見れば、ヴァンが両手でしっかりとその槍を抱きかかえている。


「命ずる、包囲した〈全ての敵〉を殲滅しろ!!」


 そして屍兵はその命令を忠実に遂行した。


*****


中央戦線・バルムンク本陣跡・ロスヴァイセ連合軍テレーゼ隊対リューリク公家軍―――


「敵の動きが弱まりましたわ」


 ヴァンに後背を託したテレーゼは当初の予定通りリューリク公家軍の本陣に斬りこんでいた。

 少数だが死にもの狂いで抵抗するリューリク公家の精鋭達、だが彼らの動きが一瞬、停止する。

 理由は分からない、だが彼らを指揮する者に重大な異常が発生したことは間違いない。


「チャンスですわね、この隙をついて一気にウラジミール公の元へ急がなくては、早くしないとヴァンが殺されてしまいます」


 テレーゼは覚悟を新たに、自らの剣を構えた。

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