第84話 神に祈る時とはこんな時ですか

ライプツィヒ戦線より中央戦線・ロスヴァイセ連合軍750対リューリク公家軍150、法王軍援軍300・加えて更なる援軍、兵数不明―――


「前方に攻撃を集中、他戦線より援軍が来るまでにウラジミール公を討ち取れ!!」


 ヴァンの指揮官としての最期の号令が下される。乱戦と化した戦場にてもはや統一的な指揮系統は存在しない、どれほどの被害を受けようが敵の陣地を食い破り、宿敵たるウラジミール公を討ち取る、そうしなければ全滅だ。


「法王軍の援軍がリューリク公家軍に合流するのは止められないか……いや、合流するのが分かっているならその進軍方向は読めるはず、イグナーツ殿、今動かせるクロス・ボウ兵は」

「わずかに三十程です」

「それで十分です、それらを遊撃隊として指揮を取ってください、後の判断はお任せします、私は正面へ!!」

「指揮官自らが前線へ出るのですか」

「もう指揮系統など機能していませんよ、もしかすると最後の手段を使わなければならないかもしれません、その時は迷わず残存の兵士を率いて逃げてください、もはや制御できない」


 ヴァンがいう最後の手段とは死術を用いて死体を蘇らせることである、先立つこと戦闘前、彼はテレーゼ率いるファーヴニル軍にミストルティンの種を薬と騙して飲ませていた。

 ミストルティンの種は死術士がその邪法を用いるのに扱う触媒、種はヴァンの命で発芽し、死者を兵士へと変える。

 一流の戦士には劣る、だが痛みも死への恐怖も感じないその兵士はただの一度の戦闘に限定するならば優秀だ。

 そこに屍の兵とされた人に対する尊厳はない、ヴァンは、この戦争で死ぬつもりの彼はとっくの昔に人の法〈のり〉を捨てていた。

 しかし死術の行使は他の兵士に混乱を生む、突如として蘇る戦友の死体、それを見てどのような感情を生じさせるかまったく想像がつかない。最悪の場合、同士討ちが起こる。

 ヴァンは死術の存在を末端の兵士には教えてはいない、教えても賛同は得られないとの判断からだが、乱戦となった現状ではその判断が裏目に出た。

 自分が他者に貶められる存在だという思いが裏目に出たのだ。


「それでも私はここに残ります、もう私は疲れた、徒労に疲れたのです、怠惰な余生を生きる位ならば死してその思いをかなえます」

「それで叶えられるならば私もそうしたい、だがそれでも足りないのです、それでもあと一枚が破れない」


 ヴァンは見抜いていた。禁忌の邪法、それを使ってもまだ足りない、まだ届かない、ウラジミール公を守るリューリク公家の精鋭が作る鉄壁の防御は崩れつつある。

 だが予想を超えて早く到来した援軍が最期の盾となってその崩壊を阻んでいる。


「神に祈る時とはこんな時ですか」

「神がいったい何をしてくれると言うのです、死ねば全てが終わりです。最期の審判も、転生も生まれ変わりもない、ただ土に還るだけ、ですが自害にできるだけ他人を巻き込みたくはないと思いませんか」


 敵対するスヴァルトの混血として生まれたヴァンはこの戦いが終われば粛清させる身だ、だからこの戦いで死んでも惜しくはない、だが心残りは敬愛するテレーゼお嬢様の事。

 あのアマーリアのように自害に他者を巻き込むことはできない、できることならば生きのびて欲しい、いや、生き延びさせる。

この命の最期はそう使うと決めた、だからそれまで死ぬわけには行かないのだ。


「貴方が自害に巻き込みたくない者もまた、貴方に死んで欲しくないということをお忘れなく」

「……分かっています、ですが」

「貴方は私にもっとどうしようもない状況になってから敵対せよとおっしゃった、ですが今、私達は手を取り合っている、まだ仲間割れするほど追いつめられていないのですよ、私達は……」

「……」


 イグナーツが不敵な笑みを見せる、疲労が濃い、やつれ果てたその笑いはしかし、それでもヴァンを勇気づける効果はあった。


「行きましょうか、勝利の女神を迎えるために……」


 そして二人は分かれ、各々の道を歩み前線に向かう、その絶望的な状況の中、それでもなお、彼らの心は晴れ渡っていた。


*****


中央戦線・リューリク公家本陣・手前―――


「全隊、突撃……敵軍先頭部隊を撃破し、本陣への攻撃を中止させよ!!」


 騎士セルゲイを先頭に、法王軍槍騎兵大隊が突撃を開始する。

 アールヴ人を中心とした法王軍は遊牧民あがりのスヴァルト騎兵と違って馬上で弓を操るような器用な芸当ができない、騎兵はそのほぼ全てが槍やサーベルで戦う近接先頭主体、柔軟な使用はできないが、その分、限られた条件のなかでは無類の強さを発揮する。

 そして怒りと憎しみで戦意過多となり、前方しか見えなくなった軍の側面を突くのがその限られた条件の一つだ。


「あの蒼い髪を狙え、あれが恐らく敵軍の指揮官テレーゼだ、我が主君の仇、ここで討ち取る!!」

「はっ!!」


 セルゲイの声に反応した人間は少なかった、別に彼が今まで指揮したムラヴィヨフ伯爵家の従卒ではない、テレーゼとも因縁はないし、セルゲイの主君とは関係がない。

 そのことをセルゲイ自身は分かっていたのだが、主君の仇を前にスヴァルト人としての矜持を抑えなれなくなっていた。

 ただ、騎兵らは命令には従う。それはもっと別な理由からだ。


「結婚式の日取りはいつですかな」

「なんだ、戦闘中だぞ、必要以外の会話は慎め!!」


 ふと、藪から棒に話しかけてきた兵士にセルゲイが目を怒らせる。だが兵士はそのまま会話を続けた。


「死なないで下さいね、貴方が死ぬと婚姻が取り消される。そうなると貴方が婚姻を許可した難民の女性らに恨まれてしまう」

「……どこでそれを、シャルロッテか」

「陣の真ん中で話していれば知れ渡りますよ」

「……」


 セルゲイは当たり前のことを指摘されて黙り込む、少し拗ねているようでもあった。

 ちなみに彼が許可したスヴァルト人末端の兵士と難民の女性との婚姻は彼が死ねば振出しに戻る……訳ではないのだがどうやら件の兵士は少し勘違いしているようであった。


「私は貴方のイエには関係ありませんが、女性に恨みを抱かれたくはないのです」

「……自由を愛するアールヴ人が他者にそこまで気を遣うとは意外だな、だがそこまで気負うことはないぞ、ほどほどに頑張れば良い、時間が我らには味方してくれる」


 セルゲイが頭上を見る、厚く堆積した雲のわずかな隙間から紅い光が漏れる、日が暮れようとしているのだ、だが雲のせいで地上には早くも夜の闇が訪れようとしていた。

 暗くなれば数で勝るロスヴァイセ連合軍は同士討ちを避けて撤退するはず、少なくとも末端の兵士は戦えない。

 バルムンクにとって、ウラジミール公を討ち取る最初で最期の機会、それが夜の訪れとともに永遠に失われてしまうのだ。


「見るにもはや敵軍はまともな指揮系統を維持してはいない様子、テレーゼとクロス・ボウ兵にさえ気をつければ簡単に蹂躙できる」

「楽勝ですか」

「兵士が疲れ果てたのだ、人を殺すのには多大な精神力を必要とする、今の猛攻、歩みを止めればすぐに崩れる、ここまで耐えたリューリク公家軍の勝ちだ」


 そう言うと、セルゲイは槍を縦から横に持ち替えた、すぐ目の前にはしゃにむに前進するロスヴァイセの狂気の兵士、その横っ腹を彼らは貫いた。



*****


中央戦線・リューリク公家本陣―――


「なっ……!!」


 ロスヴァイセの兵、その最も運の悪かった者が悲鳴を上げることも出来ずに突き殺される。

 混乱しかける兵士達、だが彼らはその怒り、憎しみを糧にその不躾な乱入者を排除しようとする、思い出すのは虐げられた日々、無残に殺された一組の夫婦、ここで敗れれば全てが無へと還る。


「舐めるな、スヴァルトが!!」

「こんなことで……!!」


 しかしいきり立った彼らは唖然とした、彼らが思いもかけなかった動きを騎士セルゲイは行ったのである。


「全隊反転、戦意を残している者は狙うな、負傷した者、逃げようとしている者を背中から突き殺せ、周りがやられれば動揺する、戦意を維持できなくなるぞ」


 槍を掲げる兵士を無視し、そのまま転進していく。

 それは狼の狩りにどこか似ていた、親羊を狙わず、弱く、柔らかい子羊から仕留めていく、集団の弱い所から突き崩し、真の強者を孤立させていくのだ。

 機動力がある騎兵の真骨頂、彼らは好きな時、好きな場所に攻撃できる。


「た、助けてくれ……」

「今行く……だめだ間に合わない」

「痛い、痛いよ!!」


 加えてセルゲイはわざとトドメを刺さないようにした、死者はしゃべらないが、生者はしゃべる。いつの間にかロスヴァイセの陣には悲鳴が木霊していた。

 全身血まみれ、腹を割かれ、腕を失くした兵士が徘徊し、無事な者の心を苛んでいく。

 騎兵の機動力についていけない、仲間を助けられない、次は自分かも知れない、復讐と怒りは冷や水をかけられて沈静化していく。


「負傷した者は後退しなさい、後は私がやります!!」

「テレーゼか!!」


 その窮地に蒼い髪の姫は舞い戻ってきた、ウラジミール公を守るリューリク公家の陣、それはあと少しで破れかけていた、だが彼女はその機会をふいにし、仲間を助けるために戻ってきたのだ。

 その決断は美しい、だが彼女の動きはセルゲイの計算のうちであったのだ、彼は内心、ほくそ笑む。

 テレーゼを招きよせた、これでウラジミール公が危険に晒される心配はない、後は好きに料理すればよい、と。


「貴方、良くもこんな残酷な方法を……」

「戦場とは元々残酷なものだ、最低でも我らにとってはな、ならば戦場に出さなければ良かった、なぜ神聖なる戦場いくさばに資格なき者を招き入れた?」


 テレーゼとそれに付き従う百名ほどが槍方陣を敷く、彼らが騎兵の攻撃に耐えている間に他の兵士を落ち着かせ、負傷兵を後退させる、だが実の所、既に民兵などは完全に戦意を失っていたのだ。

 狂騒の後、冷静さを取り戻したあとに生じた恐怖、それが体を支配し、テレーゼらが〈肉の盾〉となってくれたのを幸いとわらわらと逃げ出し始めた。

 しかし彼らはその動きを停止する、彼らの逃走を押しとどめたのは向けられた刃であった。死んだはず、生きてはいないはずの戦友が立ち上がる。

 ヴァンの死術であった。


「ヴァン……いつのまに」

「貴方が出来ないことは私がやります、ですからテレーゼお嬢様はただ前をお進みください」


 漆黒の僧服を来た邪悪なる死術士、その業が敗走を押しとどめる。確かにヴァンは幸福であった。

 その邪法が今、感謝はされないまでも、人のためにはなる。


「かつての役者が揃うとは……神は私を御贔屓にし過ぎと見える」


 セルゲイの口から歓喜が漏れる、リヒテルとグスタフ、両者の因縁が終わるとき、同刻、バルムンクに絡みつくもう一つの奇縁もまた、結末を迎えようとしていた。

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