第74話 私は古い人間なのかもしれないな

バルムンク直轄軍対リューリク公家軍―――中央戦線―――


「左翼の黒旗軍、ヨーゼフ大司教より伝令、敵、法王軍の士気低く、戦線は膠着状態」

「右翼のファーヴニル軍、エルンスト老より伝令、貴族連合軍に対し優勢、そして、あの……」

「なんだ?」

「こちらはなんとかする、負担はかけぬからその分、自分のことを考えろ……だそうです」

「エルンスト老らしいな、分かったその言葉に甘えよう、報告は以上か」

「はい」

「ならば心配してくれたエルンスト老に、私はまだ死んでいない、と伝えてくれ」

「分かりました」


 ブライテンフェルト会戦より一時間、三つに分かれた戦線の内、左翼と右翼はまだ余裕があった。

 敵軍の士気や質の低さ、つまりは敵の失態に付けこめた形だが、それも実力の内。

 バルムンク連合軍は三倍の兵力差を持つグラオヴァルト法国軍相手に善戦していた。


「死んでいない……言いえて妙だね、いや、背伸びが過ぎるのではないのかな」

「やっと来たか、ツェツィーリエ。命令を発してどのくらい経つと思っている」

「そう怒るなよ、僕は医者だ、軍人じゃない、しかも私が率いる影術士達は子供ばかりなんだ。まともに運用できると思わないで欲しいね」

「言い訳は聞きたくない」

「はいはい分かりましたよ、まあ君には大きな恩がある。それを返すまでは真面目に戦いますか」


 リヒテル率いるバルムンク軍が対峙したのは、宿敵ウラジミール公率いるリューリク公家軍だ。

 十年前の侵略戦争の先兵となった彼らは精鋭揃いであり、他の、法王軍や貴族連合軍とは脅威度が全く違う。

 リヒテルが率いる中央戦線の兵士はバルムンク連合軍の精鋭、そして精鋭を配置していない他の戦線が善戦している中、にもかかわらず中央戦線は壊滅的な被害を受けていた。


「守れ、ここを抜かれれば総統リヒテル様のお命が!!」

「我らが父にこの命を返そう、進め、リヒテルの首を取れ!!」


 怒号や悲鳴が聞こえて来る。被害状況が伝令ではなく、リヒテルの目と耳に直接伝わってくるのだ。

 中央戦線は塹壕から大分後退していた。塹壕に隠れたクロス・ボウ兵と密集した槍兵、壁のようにぴったりと並べられた大楯。

 リヒテルが考え出した戦術が、リューリク公家の騎兵に徐々に食い破られているのだ。軽騎兵の一斉射撃に投石器で飛ばす焼夷兵器。それらで陣形を崩し、トドメに槍騎兵が突撃してくる。

 無論、リューリク公家側もそれ相応の被害を受けている。周囲には撃ち殺され、串刺しにされた槍騎兵の人馬の死体が転がっているのだが、その無残な死を見ても彼らは全く怯まない。

 文字通り、仲間の屍を踏み越えて突撃を繰り返してくるのだ。その忠誠心はリヒテルらアールヴ人には異常としか思えない。

 何が彼らを支えているのか、なぜ、簡単に命を投げ捨てられるのか、不可解が恐怖に変り、その恐怖が伝播し、バルムンク精鋭兵の心を壊していった。

 だが総崩れ手前にして全ての準備が整いつつある。リヒテルが考えた逆転の秘策はもう間もなく発動する。後は、少しばかりの時間を稼ぐだけだ。

 逆に言えば、時間を稼げなければ全てが濁流の渦に飲み込まれるということでもあるのだが……。


「後ろを見れば分かるだろう、マリーシアに任せたあれがもう完成する。十分だけ時間を稼げ、それ以上は期待しない」

「それは残念、僕は君に恩を返したいのだけど」

「恩……? 実験資金や素材の提供はただの取引だ。利害関係がある以上、感謝する必要はない」


 ねっとりとした話し方に不快感を覚え、リヒテルがツェツィーリエを突き放す。目線で早く前線に行けと指図するが、彼女は従わない。

 それどころか、彼女はリヒテルがさらに不快を覚えることを言ったのだ。


「僕を傷つけたヴァンを死地に送ってくれたそうだね、ありがとう、あんな危険な人間がいたんじゃ、おちおち実験もできない」

「ヴァンがライプツィヒ市に向かったのはイグナーツの要請、お前のためではない。それよりも、無関係なテレーゼを実験に使おうとした罪、後で取り調べるからな」


 ツェツィーリエは優秀な死術士だが、同時に人の命を弄ぶ外道でもあった。実験のために無関係な殺人を繰り返し、開戦前夜、リヒテルの妹分であるテレーゼすら実験に使おうとしたのだ。

 運よく、ヴァンが通りかからなければテレーゼは殺されていただろう。激怒したヴァンはその場でツェツィーリエを処罰したのもうなずける。

 ちなみに報告書では罰として、頭蓋骨を陥没させたとあるが、彼女はこうしてピンピンしている。人間ではないのかもしれない。


「取り調べはできても処罰は出来ない。今のバルムンクには僕の力が必要だ」

「舐めるなよ、死術士が……」

「結果的にはそうなるよ、おっと、無駄話が過ぎたね。そろそろ前線に行こうか」


 彼女は思わせぶりなことを言って会話を途中で打ち切る癖があった。それは相手を苛立たせるのだが、意に介している様子はない。

 むしろ彼女は人を挑発して楽しんでいた。


「さあ、行こうか……僕の実験体達。スヴァルトを皆殺しにしろう。そうすればお菓子を上げるよ、とその前に総統リヒテルに敬礼!!」

「はい!!」


 ツェツィーリエの後ろを黒いローブを纏った子供たちがついていく。その数四百人。

 彼らはバルムンクの二つの切り札の一つ、影術士部隊である。

 死体を利用した影の魔物クリームヒルトは強力な戦力だ。一体でスヴァルト兵十人、騎兵数騎と互角に戦えるとされる。計算上は。

 ただ死術の極意とも言える影を扱うには体にミストルティンの種を埋め込まなければならない。

 種は肉体の性質を変化させるため、年齢が上がるごとに拒絶反応が大きくなり、薬物でそれを抑えることとなる。それは廃人への階段だ。

 つまり、幼ければ幼いほど影術士としては優秀だということだ。故に影術士の主力は十代。他の年齢層も募集をかけたのだが、結局、十五歳以上は使い物にならなかった。

 彼らは社会の最底辺層出身だ。戦乱で家族を失った者、混血という名の仇敵の子供。中には金貨六枚の報奨金を狙って親に売られた者もいる。

 寄る辺のない彼らは総統リヒテル、そして死術士ツェツィーリエに絶対の忠誠を誓っている。彼らには影術士部隊以外で生きていけないのだ。

 自らの存在意義をかけて戦う彼らの狂信はスヴァルトと等価だ。


「ツェツィーリエ……」

「なんだい?」

「彼らを無駄死にさせるなよ、この戦いで功績をあげればそれ相応の待遇を用意する」

「彼らは影術なんて物を使う胡散臭い人間だ。差別される存在だよ。そんな人間を重用すれば他が何と言うか……」

「誰であろうとも、功績には報いるさ」


 嬲るような目で見るツェツィーリエを真っ向からリヒテルは見返した。その目には烈火のような決意が見て取れる。

 その苛烈な視線にツェツィーリエがわずかに気圧される。


「黙らせるさ……出自で差別するスヴァルト支配を打ち砕く我らが差別を増長させてどうする」

「そう……頑張って」


 逃げるように早足で前線に向かうツェツィーリエを一瞥して、リヒテルは決断した。ツェツィーリエを処刑すると……彼女はもう生きてブライテンフェルトを出ることはなくなった。


*****


ウラジミール公国軍左翼、法王軍・本陣―――


「一時間休憩しろ、セルゲイ……」

「なぜです、なぜ攻勢をかけないのです。友軍は犠牲を払っているのに……我ら法王軍だけが、こんな……消極的な!!」

「敵が弱るのを待つ戦術だ」

「しかし……」

「俺は貴族だ、貴族の命令だぜ、騎士セルゲイ……」


*****


(グスタフ卿は何をお考えか……)


 他の戦線で激しい剣戟が聞こえる中、南部戦線、法王軍と黒旗軍の戦いは静かなものだった。

 既に法王軍は黒旗軍の塹壕の十数ディース(五十メートル)付近まで近づき、陣地を築いている。

 しかしそこから先の命令が奇妙なのだ。攻勢をかける訳でも騎兵を派遣して側面を狙う訳でもない。

 盾の裏に隠れてクロス・ボウで射ち合うだけ、時折、思い出したかのように突撃をかけるが、被害が生じると即座に退却する。

 まるで戦力を温存しているかのようだ。何のために、目の前に仇敵たるバルムンクがいるのになぜ戦力を温存する必要がある。

 その不可解さがセルゲイの疑念を深くし、一つの事実を思い出させていた。

 グスタフは純血のスヴァルト人ではない。


「セルゲイ竜司祭長……食事の準備が出来ました。粗末なものですが、これを食せとグスタフ卿のご命令です」

「戦場で温かい物が食べられるだけマシだろう。私は武人だ、食事に文句はつけない。いらぬ気遣いだ」

「はっ、申し訳ありません」


 セルゲイ配下のアールヴ人の兵士が食事を手配する。

 本来、セルゲイの部下は同じムラヴィヨフ家のスヴァルト兵士であるはずだが、この戦いに限り、私兵団は解体し、それぞれの部隊に派遣されている。

 アールヴ人、スヴァルト人、人種ごとに部隊を分けると人種対立が露骨に表れて部隊同士の連携が困難になるため、それは苦肉の策であった。

 だが顔見知りの部下を引き離されたセルゲイにしてみれば、能力も性格も何も分からない人間を指揮しなければならないため、その困難さはあまりある。


「ど、どうぞ……」

「……」


 そして食事が運ばれてくる。内容は野菜のスープとパン、干し肉が備えられている。戦場を駆ける武人であるセルゲイは食事に文句をつける考えがない。食べられるだけ幸せなのだ。しかも今は十二月、気温は寒い。温かい物が食べられるのは実の所、補給がしっかりしている法王軍だけなのだ。

 だから食事内容に文句はない。だから彼が顔をしかめたのは、給仕する女の怯えた表情に対してだ。


「な、何か……」

「なぜ、そう怯える。取って喰われるとでも思っているのか?」

「いえ、セルゲイ様は私達の恩人ですから、粗相があっては……私には二人の子供が、追い出さないで下さい!!」

「……」


 彼女はムラヴィヨフ家の領内に大量に流れ込んできた難民の一人だ。武力で追い払えないほど集まった、多人数の難民を管理する能力は同家になかった。

 故に法王、彼を操るグスタフ卿の援助は幸いであった。彼は難民に食事と、軍関係の仕事を与えた。

 ただの援助ではない、単に食糧を配給するだけでは難民は安心できない。タダで貰う施しは与える者の気まぐれで取り上げられる恐れがある。

 だが同時に仕事を与えれば、仕事がある内はとりあえず食べるに困らないと安心する。

 考えたのはグスタフ、その人心掌握術は見事だが、しかし同時に難民の書類上の居住地であるムラヴィヨフ伯爵領はそれらの設備投資で多大な負債を蒙った。借り主は法王府、つまりはグスタフ卿だ。

 同家の摂政であるセルゲイはもう、一生、グスタフ卿に逆らえない。


(これがもしグスタフ卿の策ならば、恩どころか……リヒテルは言った、グスタフは混血だと。証明する方法はない、だがそれが本当ならば我らが父をも欺いたことになる)


 選民主義のスヴァルト人の中では貴族地位を詐称する階級詐称と同じく、純血のスヴァルト人だと嘘を吐く人種詐称は重罪だ。

 スヴァルト人はスヴァルト人の義務と権利、貴族は貴族の義務と権利、それを守らなければ社会秩序は崩壊する。

 何が自由と公正だ、それを推し進めたアールヴ人は堕落した神官と搾取される奴隷だけが残った。

 国を導くのは我ら秩序あるスヴァルト人だけ、だがそんなセルゲイの脳裏によぎったのはライプツィヒ市の光景……孕まされ、捨てられた女の死骸。

 堕落した神官を打倒して統治階級に昇ったスヴァルト貴族は、倒した神官の数十分の一の時間で堕落したのだ。


「忌々しい……休憩など取れるか、グスタフ卿に頼み、すぐにでも前線に……何の用だ、シャルロッテ」

「うっ……」


 いつの間にかセルゲイの横にグスタフの少女奴隷、シャルロッテが立っていた。彼女は優秀な影術士である、種を埋め込まなくても影の魔物を操れる天才だ。

 無論、グスタフの役に立つために前線にでることを望んだのだが、セルゲイは女を戦場に出せるかと突っぱねた。

 彼女は奴隷出身であることを過度に意識しており、そのせいか貴族の令嬢が着るようなドレス姿で従軍した。服装のことを指摘されて他の将兵を納得させられなかったのだ。


「何をどうしても、女は戦場に出さんぞ」

「違うわよ、今回は別件、さあ、その書類にサインしなさい」

「何を藪から棒に……結婚の承諾書、それも複数だと」


 スヴァルト社会では婚姻には上位者の承諾が必要だ。騎士ならば貴族、貴族ならば上位貴族やウラジミール公。

 血縁が大きな力を持つために、管理しなければ知らぬ間に巨大な派閥を形成される可能性がある。下剋上を防ぐためにも必要な制度なのだ。

それはいい、それはいいのだがその内容に大きな問題があった。


「……見合いでも斡旋したのか」

「そ、そうよ。私の知り合いも紹介したの、器量よしは保障するわ」


 一通り、婚姻承諾書を眺めたセルゲイは低く、冷たい声を発した。そのままシャルロッテを見やる。

 その視線を受けてシャルロッテは思わず半歩後ろに下がり、そして思い直したように半歩前に進んだ。


「いや、これは予想の範囲内だな、まったく若い者は感情的すぎる」


 問題はその相手にあった。夫側はムラヴィヨフ家のスヴァルト兵士。しかし妻側はリューネブルク市敗走時、彼らに付き従った難民らだ。つまりはアールヴ人。これは仇敵同士の婚姻なのだ。

 数か月前のバルムンク蜂起とセルゲイらムラヴィヨフ家のリューネブルク市からの敗走。

 確かに難民らは自分達に付き従った。だがそれはスヴァルトを支持したと言うよりも、新たな支配者となったバルムンクを恐れての行動であったことも否定できない。

 未だバルムンクが盗賊団と呼ばれていた頃、スヴァルトと取引していた彼らはバルムンクの粛清を恐れた。十年前のスヴァルトの侵略と同様に虐殺が起こるのではないかと勘違いしたのだ。

 確かに、バルムンクが用意した食糧には毒が盛られていたが、セルゲイはそれが自分達スヴァルト兵を標的にしたのであって、難民らを狙っていたのではないと考えていた。直接難民らは自分達スヴァルト軍の巻き添えを受けたのだ。


「我々は侵略者であって、嫌われ者だ。だからその反動もあって慕われれば特に十代の若者は舞い上がってしまっても無理はない。いつ死ぬか分からぬ武人でもある。結婚を望むのも分からなくはないが……この仇敵同士の婚姻は社会から祝福されまい」

「それは分からないじゃない」

「産まれて来る子供は混血だぞ、混血として生まれた苦しみは混血であるお前が良く知っているはずだ。そんな人間をこれ以上増やすのか」

「……」


 どこか嘆いているようなセルゲイの口調にシャルロッテは押し黙る。だが震える口を無理に動かしてなんとか反論しようと試みた。

 ここで引き下がればセルゲイが断固たる態度を取ることが予想できたのだ。


「い、意外ね……そこまで部下を気に掛けるなんて」

「私は騎士階級だ、人を導くのが仕事だ。部下を気に掛けるのは当然の事。それよりもごまかすのでは無いぞ。お前が招いた事態だ……」

「……」

「解決方法を提示してもらおう」


 沈黙が続く、それは砂時計の砂が流れるのに似ていた。何かしなければならない、そうしなければ一瞬後には砂が流れきり、何かが起こってしまう。

 時間切れ、セルゲイが会話を終わらせ席を立とうとしたわずか前、追いつめられ、意を決してシャルロッテがしゃべりだした。


「こ、混血が弾圧されるのはスヴァルト、アールヴ人同士の結婚の事例が少ないからよ。事例が増えて、普通なことになれば誰もおかしいことだとは思わないわ」

「それが解決方法か」

「そ、そうよ」

「単純で思慮に欠ける方法だな、小手先だけで根本的な解決にもなってはいない」


 セルゲイの評価は散々だった。だが彼は最後に付け加える。


「だが未だその解決方法を行った者はいない。やればいい、私のできる限り邪魔が入らないようにしてやろう」

「ほ、本当に……記録したわ、後で撤回できないわよ」

「私はそんな嘘は言わない」


 喜ぶシャルロッテにセルゲイは冷めた視線を向けた。しかしそれは彼女を見ての事ではない。自嘲していたのだ。


(私は古い人間なのかもしれないな)


 自分から生まれたころから信じてきたスヴァルトの選民主義。それは親から伝えられし正義だ、それがまとめて否定されたようで悲しかったのだ。

 だがそんなことを悟られる訳にはいかない、あまりに情けなさすぎる。だから誤魔化すことにした。


「ただ一つだけ許せないことがある」

「な、何よ……」

「こういう大事なことは自分で伝えに来いと奴らに言え。男だろうが」


 そう言うと、周囲で聞き耳を立てていた難民らを視線で追い払った。

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