第72話 ついてきたことが間違いなかったと分からせてやる

アンゼルム・グルムバッハという男がいる。

 十年前のスヴァルトの侵略で故郷の農村を焼打ちにされ、付き従った舎弟らとともにバルムンクに忠誠を誓った男。

 スヴァルトに復讐を誓い、そのために反スヴァルトを掲げるリヒテルに対する忠誠は本物であるが、逆にスヴァルトの血を引くと言うだけでリヒテルの側近であるヴァンを陥れた狭量な男でもある。

 彼はハノーヴァー砦の戦いで舎弟を失い、彼は悲しみと絶望によって我を失い、憎むヴァンに頼み込んで人ならざる不死兵、化け物に成り果てた。

 しかし半数が死したものの、舎弟らは生きていた。だが皮肉にも化け物に成り果てたアンゼルムはそれを認識できなかったのだ。

 化け物に成り果てた彼は、人間を同じ化け物にしか見えなくなったのである。自分に縋りつく化け物が愛すべき舎弟らと理解できなかった彼は狂乱し、自らを行動に後悔し、嘆いたが、彼が再び人間に戻る方法はない。

 全てを知る者がいたとすれば彼の事を道化と嘲笑ったことだろう。

 だが物語に出て来る道化は虚構だが、アンゼルムは現実に生きる人間だ。それでも生きるしかない。


「お前らの兄貴分たるアンゼルムは目を患ったのだ。もうお前らの顔を見ることはできない」

「そ、そんな……では」

「その病が治ることはない」


 ブライテンフェルト会戦に先立ち、リヒテルはアンゼルムに、その舎弟……そしてアンゼルムは唯一人間と認識できる死術士、ツェツィーリエを集めて会合を開いた。


 アンゼルムの舎弟らの懇願に負けたリヒテルの特別な措置である。だがそれで何か解決できた訳ではない。

 リヒテルにできたことは嘘の情報を舎弟らに教えることだけ。

 アンゼルムは正気だが目を患って顔の区別がつかなくなったと嘘を吐いた。愚かな舎弟らは総統と、兄貴の言うことだからと丸呑みし、疑うことをしなかった。

 本当はもっと深刻で、人間の区別がつかなくなっていたのだが、アンゼルムはそのことを黙っていたのだ。


「悪いな、少しお前らを驚かせてしまって……」

「そんなことありません。悪いのは兄貴をこんな目に合わせてやったヴァンの野郎です」

「そうです、奴を許せねぇ!!」

「ヴァンに復讐するのは止めろ」

「な、兄貴!!」


 人としての全てを失ったアンゼルムに残された物は、スヴァルトへの復讐でも、リヒテルへの忠誠でもない、今まで愛してきた舎弟らであった。 

 自分はもうおしまいだ、だがせめて奴らにはカッコいい兄貴だと思われていたい。それさえ守られるのならば後はどうなってもいい。

 それだけが、残された全てであった。


「復讐なんて止めろ……頼んだのは俺だ、俺がこうしてくれと頼んだんだ」

「……兄貴」

「俺を……ヴァン如きに振り回された情けない男にしてくれるな」


*****


左翼、エルンスト率いるファーヴニル軍・対・右翼、スヴァルト貴族連合軍―――北部戦線―――


「突撃せよ、アールヴの奴隷どもをぶち殺せ!!」

「侵略者に鉄槌を……人間を舐めるな!!」


 中央でバルムンク直轄軍とリューリク公家軍が死闘を開始したのにやや遅れて、バルムンクから見て左翼、エルンスト老率いるファーヴニル軍とスヴァルトの上級貴族で構成された貴族連合軍が激突した。


 ファーヴニル、スヴァルト貴族、彼は共に己の腕武力で自らの道を切り開いてきた人間である。

 一部の指揮官を別にして、複雑な戦術や先を読む戦略眼には欠ける。しかしその分、無謀とも言える蛮勇と底なしの胆力でもって戦場を縦横無尽に駆け抜けるのである。

 数の差は他の戦線程に、大きな影響を及ぼさない、気力と勇気、勢いで勝る方が勝利し、多少数が多くとも、臆した方が負ける。

 クロス・ボウと長弓、矢戦を短期間繰り返した後、そのまま両軍は正面衝突に移行した。


「数ではこちらが勝る。ウッラー、ヴァール。アールヴを殺せ!!」


 剣や槍、己が得意とする武器を手に数を頼みに突撃するスヴァルト軍、雑多な貴族の連合軍は武器が統一されていない、それどころか指揮系統も統一されているとはいいがたい。

 故に一矢乱れぬ連携はできないが、その分友軍の犠牲を物ともせず攻勢に出られるのだ。望むのは自家の繁栄のみ。他が死んでも自分が生きてリヒテルの首を取ればいい。

 元より兵力差は三倍、数で押し切れる……そう貴族は思った、思っていた。


「俺の名バルムンク一の戦士、アンゼルム!! 死にたい奴からかかってこい!!」


 ファーヴニル軍の先頭を走るのは黒い布で目を隠したアンゼルムだ。

 人ならざる不死兵である彼に視覚はない。しかしどういう感覚が説明しがたいが、生きている物の存在を感知できるのである。だから目隠しは舎弟らを騙すための道具だ。

 自分が目を患っているという嘘を補強するための小道具だ


「目が見えないのか? ふざけた奴だ、殺せ、囲い込んでなぶり殺しにしろ!!」


 スヴァルトの騎士が怒号を上げた。

アンゼルム一人、ふざけた男一人に対して複数で当たるとはいささか慎重すぎるようにも思える。

 だが、その判断を誤りだとはスヴァルトの騎士は思わなかった。

 アンゼルムの得物、それは剣でも槍でもない。それは鉄塊であった。

 柱か丸太か、まるで炉に入れる分だけ鉄をぶち込んでそのまま固めたような巨大な鉄棒。どれだけの重量があるのか分からない。

確実に成人男性の体重は上回っている。それを難なく振り回すその姿に動物的な直感が危機を知らせたのだ。

 そしてその直感は正しかった。


「おい、お前ら……俺についてきたことが間違いなかったと分からせてやる……ぜ!!」

「う、うわぁぁぁぁ!!」


 軽口を叩きつつ、アンゼルムが鉄塊を振るう。それはまさに暴虐にして虐殺であった。重武装のスヴァルト兵がボールのように宙を飛び、地面に叩き付けられる。

 死体は踏み潰されたカエルを連想させ、死に顔はとてつもない恐怖を味わったように顔全体をひしゃげさせていた。


「あ……来るな、来るんじゃない!!」

「ば、化け物め」


 アンゼルムの道化と嘲笑される人生……彼の信じる神は意地の悪い老婆の顔をしているだろう。だがその老婆はひねくれていても、同時に公正でもあった。

 復讐と自暴自棄で不死兵となったアンゼルムだが、そもそも不死兵とは人を超えた戦闘力を持つ化け物である。

 ヴァンの術法はツェツィーリエによって改良され、アンゼルムは信じがたい程の身体能力を得た。人を捨てた代価は与えてくれたのだ。

 怪力に再生力、強靭な肉体。不死兵は命が通わない物体、この場合は矢や投げ槍などの遠隔武器を認識できない。だがその肉体は少々の矢程度では斃れない。

 心臓か脳、核となるミストルティンさえ無事ならば死ぬことはないのだ。

 スラムの戦いで総統リヒテルを追いつめたアーデルハイド、それが形を変えてスヴァルトの目の前に現れた。

 敵対したスヴァルトが覚えたのは掛け値なしの絶望のみ、哀れなのは数で勝るスヴァルトの方だったのだ。


「無理です……正面は突破できません」

「さすがはバルムンク一の戦士……これ程とは」

「無駄な攻勢に出るな。騎兵が背後に回るまで時間を稼ぐだけでいい」

「守れ……耐えるんだ!!」


 弾圧していたアールヴ人の戦士相手に恐慌をきたしたスヴァルト兵。

 しかし、皮肉なことに烏合の衆に近しい貴族連合軍は、アンゼルムという脅威を前に団結した。いかに強大でも、相手が一人ならばやりようはある。

 縄に搦めて引き倒す。足を狙って動けなくする。だがその努力は芳しい効果を上げない。アンゼルムへの搦め手は彼に忠実な舎弟らによって無効化されていく。

 何も、使命のために命を捨てるのはスヴァルトだけではない。既に舎弟らは敬愛すべきアンゼルムのためにその命を捨てる覚悟であったのだ。

 例えアンゼルムがどのような化け物になろうとも……。


「側面は任せてくだせえ……命に代えても兄貴のお手伝いをいたします」

「お前、さっきとしゃべり方が違うぜ。別な奴か……」


 アンゼルムのかけられた縄を切り裂いた舎弟に、アンゼルムが疑問を抱く。

 どうも先ほど隣にいた人間とは別な人間な気がするのだ。


「ええ、あいつは疲れたっていうんで後方に下げました。今度は俺が……俺がやります」


 舎弟の一人、ヘルムートが涙を滲ませて嘘を吐く。先ほどまでアンゼルムの横にいた舎弟はアンゼルムを援護している最中に射殺されていた。

 だが今のアンゼルムは個人を特定できない。混沌とした戦場では死んだのが敵兵なのか、友軍なのか、誰が殺されたかも分からない、そして視覚を失った故に、舎弟の目の端を流れる涙を見れないのだ。彼はもう……人間ではないのだから


「そうか……元気になったら今度、酒でも飲もうぜ。故郷の話をしようぜ」

「ええ、あいつ、妹を溺愛していたからな、十年前に殺されましたけど、今頃会えているかな」

「……どういう意味だ?」

「いえ、なんでもないです。それよりさっきの答えです」


 ヘルムートが声に震えが入らないように細心の注意を払い言った。


「俺は……兄貴についていって間違いだと思ったことは一度もないです」

「……お前」


 スヴァルト兵が密集陣形を組んでアンゼルムの攻撃に耐える。アンゼルムはただ先頭に立ち、前方の敵と思える物を薙ぎ払うだけだ。

 それだけが彼ができること……。


「ならば俺についてこい、俺らの故郷を焼き払ったスヴァルトを皆殺しにしてやろうぜ!!」

「一生、ついていきます兄貴!!」


 兄貴と舎弟らがしゃにむに敵陣を切り裂いていく。左翼の戦いは意外なことに数の劣勢を押しのけてバルムンク有利に進んでいた。


*****


右翼、ヨーゼフ大司教率いる黒旗軍・対・左翼、法王シュタイナー、グスタフ竜司教率いる法王直轄軍―――南部戦線―――


「貴方達、スヴァルトの奴隷となって恥ずかしくないの、情けなくはないの。そうだというのならば、剣を捨て、投降しなさい。私は裏切り者であるシュタイナーに従わざるをえなかった貴方達を許します」

「十年前、兵も民を捨てて逃げ出した恥知らずが、どの面下げて説教を垂れるか、お前ら、あの卑怯者を討ち取れ!!」


 バルムンクの右翼を担当するのは、南部の反スヴァルト組織をまとめ上げるヨーゼフ大司教である。

 彼女はかつて法王候補であり、汚い策略がなければ至高の座に就き、スヴァルトと戦っていた強硬派でもある。

 彼女にとって、現法王シュタイナーはスヴァルトに媚を売る全アールヴ人に対する裏切り者であり、かつての部下であった時、目をかけていた反動も手伝って憎悪をぶつけていた。

 ただ法王軍が言うように、ヨーゼフ大司教らが民も兵も見捨てて南部に十年間、隠れていたのも事実。それに対する非難は正当だ。

 しかしそれにも言い分はある。国を奪い取ったスヴァルトは統治のためにも神官を排除できない。だが強硬派であり、スヴァルトとの徹底抗戦を唱えていた彼女がスヴァルトの王、ウラジミール公に許される可能性は限りなくゼロだ。

 反スヴァルト組織を統率できる力量を持っているヨーゼフ大司教は生かしておくには危険すぎる。

 逃げなければ殺されていた。殺されるのを分かっていて逃げないのは、神官として、統治階級として責任放棄に等しい、スヴァルトの支配をいつか覆すという志があるのならばなおの事。


「貴様らが逃げたおかげで、何人の人間が代わりに処刑されてと思っている。今更……!!」

「言いたいことはそれだけか、口より先に手を動かせ、どうれ、十年でどのくらい成長したか先輩の俺が試してやる!!」


 ヨーゼフ大司教が率いる軍の中核は黒旗軍。

 彼女が竜司教時代に育てた練達の部下であり、十年前の戦争で、スヴァルトに敗北を繰り返した友軍を横目にスヴァルトと唯一五分の戦いを繰り広げた精鋭部隊。

 首都陥落の折、スヴァルトの粛清から逃れるべく南部に逃走した彼らはついに捕えられれることはなかった。

 十年の雌伏を得て再び姿を現した彼らの相手が、同じ学び舎で育った後輩であったことは運命の皮肉というしかないが、それはともかく、これは新旧の戦いであった。

 同じ学び舎で、同じ戦法と武術を学んだ者同士、手の内は知り尽くしている。違うのは同じく精鋭であるスヴァルトの下にいたか、否かのみ。

 この十年、何を学んできたかが如実に現れる。

 この十年が無駄であったか否かが、残酷に示されるのだ。


「近づいて来る奴は槍でぶったたけ!!」

「先行するな、陣形を保て!!」

「奴らの目を覚ませてやる、黒旗軍……一斉射撃だ!!」

「この十年の違いを分からせてやる、法王軍の意地を見せろ!!」


 クロス・ボウの一斉射撃を大盾で凌ぎつつ、前進する法王軍。進んでは射殺され、なぎ倒され、それでもレンガや盾で陣地を作りながら着実に前進していく。

 塹壕を挟んで密集陣形を組む黒旗軍は徐々に追いつめられしかし、それでもなお胸に眠る使命を力に陣地に近づく者を薙ぎ払っていく。

 神官同士の戦いは互いの力量が拮抗し、膠着状態に陥っていた。


*****


法王軍・本陣―――


「やはり相手はあのヨーゼフか……勝手なことばかりを言うな」

「直訳すると、法王位を返せと言っているようだぜ。アールヴ人の元首の地位、法王位は裏切り者たるお前にふさわしくない、と」


 他戦線が熾烈な殺し合いを演じていた頃、バルムンクにとっての右翼、ヨーゼフ大司教が担当している戦場では他と比べれば静かなものだった。

 これはかつてブリギッテ竜司祭長が、ハノーヴァー砦の戦いで八百長を企んだ消極性からでは決してない。

 神官同士故に互いに手の内は読めている。奇襲など、相手の隙をついて短期間で勝負が決まることはない。またスヴァルトのように死して家に貢献すると言う価値観がないために強引な攻勢に出ないのだ。

 しかしその分、慎重で狡猾ではあった。

 グスタフ率いる法王軍は数の多さという優位さを生かし、大きな犠牲が出ない程度に攻勢を繰り返して徐々に、しかし確実に包囲を狭めていた。

 まるで人が死体に代わるのを待つハゲタカのような指揮であった。


「お前の前だから憚りなく言うが、私はあの女が憎い。法王位をよこせと言うならば、なぜ十年前、スヴァルトに首都が制圧された時に言いださなかったというのだ。私は法王位など、敗戦国の元首などなりたくはなかった。しかし誰かがやらなければアールヴ人は今よりひどい扱いを受けていただろう。故にやらねばならなかった。他人に苦悩を押し付け、正義面し、あげくおいしい所だけ持って行く。何が許すだ……上から目線が気に食わん」


 温厚で我慢強いと定評がある法王シュタイナーが、珍しく敵対するヨーゼフ大司教を悪しざまに言った。


「だが自分の主張を貫けるのは勝者のみだぜ。ここで負ければお前も売国奴で終わる。あのグレゴール司祭長のようにな」

「グレゴール先生は死んだよ、あの人はまあ、あの人らしい最期であったな」


 最期の戦いを前に余裕を失くしたグスタフは、傀儡としていた法王シュタイナーに対し、礼を用いなくなった。

 だがグスタフにとっては意外なことに双方の関係が破綻することはない。

 むしろ、本音に近しい会話ができることにより、前よりも良好な付き合いになったくらいだ。

 他人が自分よりも上か下かでまず判断するグスタフは理解しがたい、だがあのリヒテルよりも柔軟な思考を持つが故にそれを良しとした。

 そんな中、前線より伝令が来る。グスタフの副官にして前線をまとめ上げるセルゲイ竜司祭長からであった。


「竜司祭長セルゲイ様より伝令……敵陣、十ディース(約50メートル)まで進撃、突撃をかけます故に騎兵戦力での側面攻撃を願う!!」


 密集陣形を取り、正面防御に専念しているバルムンク軍を崩すには側面や後方から攻撃するのが効果的だ。

 特に機動力と突破力に優れた騎兵は陣形を崩すだけでなく、側面や後方に攻撃を受けるとバルムンクが気づいても、対処する時間を与えない。

 だがそんなことは彼らも分かっている。

 黒旗軍にも騎兵がいるのだ、その数は事前の調査から千騎程。総兵力で黒旗軍の三倍の兵力を誇る法王軍の騎兵も千騎。どちらも騎兵連隊一つ。

 強力な騎兵をスヴァルトに翻意がある法王軍が持つことにウラジミール公は嫌い、その数を制限された結果である。

 側面攻撃に騎兵を送っても黒旗軍の騎兵を破れる可能性は兵力差がない故に五分。それは法王軍の騎兵が返り討ちにあい、逆に法王軍が側面攻撃を受ける確率が五分ということだ。


「下手に騎兵を出すことの危険が分からないようだな」

「それに持久戦だといっただろうがセルゲイ……奴め、自分がスヴァルトの私兵団を率いていた時と感覚が変っていないな」


 スヴァルト兵ならば、上位者の命令ならば喜んで死ぬ。自分が犠牲になろうとも、勝利すればよいのだ。

 だがアールヴ人が多くを占める法王軍でそれをやられると、兵士はその無慈悲な指揮に反感を覚え、指揮官を憎悪する。

 アールヴ人は自由の民、死ぬか生きるか決めるのは自分、断じて貴族や家のためではない。

 グスタフは舌打ちすると、地面にさしていた剣を引き抜いて鞘にしまうと。本陣を出ていこうとした。


「どこへ行く」

「俺が前線に出て、少しセルゲイに休憩を取らせる。その間の総指揮はお任せしますよ、猊下」


 法王軍の最大の長所は数の多さだけではない、兵士を、隊長を、竜司祭を指揮できる高級将校が多数、存在するのだ。システム化されて軍隊の強みだ。

 これはスヴァルト軍でも真似できない。

 セルゲイがやられれば、グスタフ、グスタフが負傷してもシュタイナーが代わりを務める。バルムンクでリヒテルの代わりはいない、エルンスト老の代わりも、ヨーゼフ大司教の代わりもいない。

 代わりができるのは、各々の軍が壊滅し、指揮できる兵士がいなくなった場合、つまりは敗北した時だけだ。

 長期戦になればなるほど代わりがいない敵は疲れ、相対的に法王軍は強くなる。

 どれほどの能力を有しても個人の体力、精神力には限界があり、それはどのような方法でも克服できない。


「法王軍の強みは人材の厚さだ。休み休み戦って……敵の消耗するのを待つんだよ。最期に勝つのは俺だ」


 いったい何に勝つのか……敵とは誰か、目前の黒旗軍か、あるいはグスタフが憎むウラジミール公、公が指揮する友軍たるリューリク公家軍か……それ以上の思考を法王シュタイナーは保身のために断ち切った。


*****


ライプツィヒ市前・スヴァルト貴族連合軍・後方―――


 ブライテンフェルト大草原の端、ライプツィヒ市の前面にてブライテンフェルト会戦、第四にして最後の戦線が出現した。

 相対するのはレオニート伯率いるライプツィヒ市駐留軍、そしてバルムンクの死術士ヴァンこと、ヴァシーリー・アレクセーエフ率いるロスヴァイセ連合軍。

 共に兵力は千。これは戦争に非ず、古来よりスヴァルト貴族の伝統として引き継がれる決闘であった。


「レオニート郷、まさかロスヴァイセが決闘を申し込んでくるとは、思いませんでしたな」

「身の程知らずめが、ファーヴニルと民兵の寄せ集めで精鋭たるスヴァルトに勝てると思っているのか。だが感謝しよう、これで他の貴族に白眼視されることはない」


 スヴァルト貴族はいかに堕落したとはいえ、統率者であるウラジミール公が自らを律しているために質実剛健が尊ばれている。

 それ故にライプツィヒ市で退廃した生活を送る彼らは他の貴族に蔑まれていた。ライプツィヒ市はリューリク公家の飛び地だが、ほとんどウラジミール公に見捨てられている事実もそれに拍車をかける。

 蔑む貴族らも実の所、偉そうなことを言えないのだが、兎にも角にも彼らを下に見ていた。だから一時の快楽に浸りつつも心のどこかで、これでいいのか、と悩んでいたのだ。


「敵の中にはあのバルムンクの蒼き姫、テレーゼがいるようです。生け捕りにして慰み者にいたしましょう」


 だが彼らは今、その蔑みの視線を払いのけ戦場に立っていた。スヴァルトでは戦争で貴族が先頭に立つという伝統があり、それを体現した彼は一人の戦士。

 胸を張って生きていけるのだ。


「ロスヴァイセはともかく、バルムンクが力を貸しているのであればそんな油断は出来ぬよ。万が一、やられては元も子もない」

「はっ……申し訳ありません」

「よい、その心遣い、私は嬉しいぞ、だがな……」


 レオニード伯は大柄な体を揺らす。震えているのではない、武者震いだ。久しく離れていた戦場の空気に体が喜んでいる。

 その事実が彼の心に火をつけて誇りへと転じ、その士気を高めていく。


「戦場を翔る戦乙女はその命を散らす時が最も美しいのだ。行くぞ、スヴァルトの勇姿、無知蒙昧な民衆に見せつけてやれ!!」

「ウッラー、ヴァール!!」


 槍を掲げ、馬にムチを入れる。惰眠を貪る豚が今、一匹の狼に変わった。

 ブライテンフェルト会戦、ライプツィヒ戦線が今、始まる。

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