第48話 お久しぶりですね、姉上

リューネブルク港―――


 刃と血が飛び交う戦場に笛の音が響き渡る。澄んだその音色は常ならば心を落ち着かせ、その精神を安定に導くだろう。だがゴルドゥノーフ騎士団のランス・チャージを目前に見据えたブリギッテ竜司祭長率いる官兵部隊にはそんな余裕はない。

 なかんずく、その笛の音の意味を官兵部隊の中でただ一人理解できたブリギッテは心臓が締め付けられる錯覚に襲われた。


(……軽騎兵に隊列の背後に回られた)

「合図が来たぞ、栄光ある騎士団よ、獲物を狩り尽くせ!!」

「ウッラー!!」


 笛の音は後方に回った騎士団の軽騎兵部隊が背後に回ったことを知らせる合図だったのだ。前方からランスやハルバードを持つ重装騎兵、後方から弓矢とサーベルで戦う軽騎兵。完全な挟撃である。


「ブリギッテ様……今の笛は?」

「知るか、余計なことを考えるな、今は槍方陣を保つことだけを考えろ、来るぞ!!」


 ブリギッテが部下を叱りつけた十数秒後、官兵部隊と、騎士団の突撃第一陣、完全武装の重装騎兵数十騎が激突した。


「歩兵の槍を薙ぎ払え、槍方陣を掻い潜って撃破しろ!!」

「一列目はそのまま、二列目、槍を突きだせ!! 三列目は槍を降ろせ、騎兵の頭をぶっ叩け!!」


 鉄と鉄のぶつかり合い、騎兵の突進力は凄まじいが、彼らが扱うランスやハルバードよりも歩兵が扱う長槍のほうが射程は長い。突進の勢いのまま、一陣の騎兵らの半数、十数騎が忽ち、串刺しになった。

 ある騎兵は槍で兜を吹き飛ばされた。そこから現れたのはまだ幼さが残る二十歳前の青年の顔、容赦なく槍の嵐が胸と肩、そして腹に突き刺さる。

だが彼は苦痛を見せることなく、やおら手を真横に広げると、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。

 その広げた腕や手にも槍が刺さり、彼はそのまま前のめりに、〈十数の槍を引き受けながら〉馬上より斃れる。


「すまない、ドミトリ―。うぉぉぉぉぉ!!」


 槍をからめとられて頭上ががら空きになった官兵にハルバードによる薙ぎ払いが振り降ろされる。

 頭を、顔を、喉を切り裂かれて三人が絶命した。三人分の隙間が槍方陣に生じる。


「今だ、食い破れ!!」

「やられたところは前に出ろ、隙間を塞ぐんだ!!」

「第二、第三中隊、突撃。第二陣攻撃!!」


 騎士団の第一陣攻撃を官兵部隊は何とか防ぎ続ける。しかし騎士ローベルトは追い打ちをかけるように次の部隊を繰り出してきた。再び数十騎の重装騎兵が槍方陣に突貫する。

 無論、彼らとて無事では済まない。まるで夏の夜のカゲロウのように簡単にその生を終わらせていくスヴァルト騎兵。瞬き一回の内にで一人の生命が消えていく。

 だがまるで生命を叩きつけるような猛攻も無意味なわけではない。騎兵一人が死ぬまでに二人、三人と槍兵を蹴散らしていく。横に並ぶ五つの槍方陣、その中央の方陣が徐々に、しかし確実に崩れ始めた。騎兵の波状攻撃に、損害を補填しきれない。縦に並ぶ歩兵の列が目に見えて疎らになってきた。


「このままでは中央を突破されます!!」

「と、隣の方陣から兵士を引き抜きなさい。少しぐらい陣形が乱れても構わない!!」


 上擦った声でブリギッテが動揺する部下に命令を下した。彼女の対応は完璧かつ常識的なものだった。彼女の母校、マグデブルク大学の教官ならば百点満点を与えただろう。だがそれは同時にそれしか方法がない事を意味していた。その内部事情を敵対する歴戦の猛将ローベルトは正確に掴む。


「いい判断だ、だが惜しかったな。元よりアールヴでは我らスヴァルトには勝てぬのだ」


 ローベルトが右手を振ると予備兵力扱いの騎兵達が左右に別れて突撃した。彼が命令を言葉に出さなくともその意図を理解する優秀な部下たち、中央を厚くしたブリギッテに対し、ローベルトは薄くなった官兵部隊の左翼と右翼に攻撃することを命令した。これで官兵部隊は大いに動揺することだろう。だがまだ突き崩すにはもう一枚足りない。

 騎士ローベルトはかつてこの地で敗れたミハエル伯のように油断や自己を過信することはなかった。アールヴを見下してはいても、常に最高の方法でもって戦いを主導する。十年前の戦いでもそれでもって数倍の法王軍に勝利を収めたのだ。

 ローベルトの狙いはあくまで軽騎兵による背後からの奇襲。官兵部隊に前面から猛攻を加えることで背後から迫る軽騎兵に備えさせないようにする。 事実、官兵部隊は陣形を崩して前面のみに防備を構えている。背後から奇襲を受ければそのまま総崩れになるだろう。


「勝利は目前だ。残る騎士は私に続け、この手に勝利を、我が失われし主君、ボリス候の誇りを取り戻すのだ!!」


 高らかに死した主君の名を叫び、騎士ローベルトは最後の突撃を敢行する。残る重装騎兵もそれに続く。彼らに迷いはなく、逃げ出す者も、遅れる者もいない。

 勝利を確信し、彼らはしゃにむに槍方陣に向かっていった。


*****


リューネブルク市内入り口―――


 積荷を足場に倉庫群の屋根に駆け上がる離れ業を行った騎士団、軽騎兵部隊、数十騎はそのまま槍方陣を迂回し、市内入り口のバザールまでやってきていた。


「急げ、少しでも早く着けば友軍の犠牲が少なくなるぞ。もしかすると生きて帰れるかもしれない」


 先頭を行く、二十半ばをわずかに過ぎたスヴァルト騎士はローベルトの副官、バラバノフ。彼は軽騎兵部隊のまとめ役であった。

 この戦いはゴルドゥノーフ家の存続を賭けた物であり、〈イエ〉を至上とするスヴァルトにとって命を捨ててでも勝利しなければならない。既にその覚悟は決めている。

 だが同時に生きて帰りたい、生きて返したいと言う願望もまた否定できない。顔を知る部下が死ぬのはやはり辛い。

 いや、部下だけではない。彼とローベルトは良縁に恵まれず独身であったが、部下には既婚者も多い。

 戦士として生き、常に死と隣り合わせのスヴァルト、その中でも騎士や貴族階級は婚期が早い。男は十五の成人から、女は初潮を迎える十二ぐらいから式を挙げるのだ。

 戦闘の度に増える寡婦と孤児、その救済処置として男子に限り重婚が許されているが、あまり気持ちのいいものではない。特に、自身の采配で死なせてしまった部下の妻を娶る時の悔恨の情、自身が殺されてしまった方が良かったとさえ感じると言う。


「どうせ、相手はアールヴ。騎士団長が重装騎兵を率いて突撃してくれば、戦わずに逃げます」

「あまりに簡単すぎる勝利では武勇伝として成り立ちませんな」

「お前ら、船の中でも言われたな、無駄口が過ぎるぞ」


 バラバノフはいの一番に屋根から飛び降りた。露天商の天幕に馬をうまく着地させてクッションとして、剣でその天幕を切り裂き、地面に降り立つ。

 続く部下も天幕や、剛毅な者は並べられた果物の上に飛び降りた。主の無茶が馬の勘に触ったのか。機嫌悪くいななき、騎乗したスヴァルト騎士を睨みつけるが、騎士が頭と鬣をなでると不承不承、従った。


「おお、すまないな。許せよ……」

「よし、合図の笛を鳴らせ」

「少し早くないですか?」

「早ければ早い方が重装騎兵の犠牲が減る。何、敵はあそこだ」


 バラバノフが指さす先には目視できる距離に槍方陣の最後列が見える。クロス・ボウの反撃を警戒して彼らから見えない位置取りで迂回したものの、同時にそれは軽騎兵側からも敵軍を視認できない状況に陥った。

 少々、距離を離し過ぎてしまったようだ。だがそれも許容範囲。馬で駆ければ一瞬だ。まずは隊伍を組み、突撃。駆けながら弓を放ち、混乱する槍方陣に斬りこめばそれで終わりだ。


「笛を吹け」

「はっ!!」


 澄んだ音色が辺りに木霊する。スヴァルトの細工師が秘伝を持って作り上げたその笛の音は広く高くその知らせを友軍に伝える。


「よし、行くぞ」


 横列を組み、突撃命令を下そうとしたバラバノフはふと、バザールを振り返った。そこは完全な無人である。恐らく自分らが襲撃をかけた情報が市民に届き、皆、逃げてしまったのだろう。

 しかしそれにしてはバザールの会場はあまりにも綺麗すぎた。露天に並べられた商品はやや雑多な置き方ではあったものの、露天の形を維持しており、店主が帰ってくればすぐにでも商売が始められそうであった。

 道端に何も落ちてはいない。襲撃に怯えて〈逃げ惑ったにしては〉あまりに綺麗なのだ。市民はそれこそ軍隊のように整然と避難したことだろう。そうでないのならば……


「しまった……俺としたことがなぜ、気づかなかったのだ!!」

「バラバノフ殿?」

「弓矢を構えろ、敵は……」


 その命令は全てを言うことができなかった。彼が気づいたとき、全てが手遅れになっていたのだ。


「空から……」

「うわぁぁぁぁ!!」


 軽騎兵の何人かが悲鳴を上げる。瞬間、空から大量の矢が彼らに降り注いだのだ。否、矢ではない。日干しレンガ、釘、鍋の蓋、あるいは果物、小麦の入った袋。市民が日常的に使い、決して凶器として扱われなかったそれらが己の重量を駆使して彼らに襲い掛かったのだ。


「屋根だ、奴ら屋根の上に……」

「スヴァルトが……ヒルデスハイムでは随分と好き勝手したそうじゃねえか」

「俺らの街では好きにはさせねえぞ」

「虐殺を許すな」

「よし、みんなやっちまえ……主力は官兵どもが抑えているみたいだ。ここにいるのはコソコソと隠れて抜けてきた弱兵。恐れることはない!!」

「おぉぉぉぉぉぉ!!」


 屋根の上にずらりと並ぶ市民、酒場の親父がいる。露天商の店主がいる。片目だけの鍛冶屋やたまたま訪れた商船の船員もいた。彼らは互いに肩を寄せ合い、騎兵達を見下ろしている。その〈人間の壁〉が次の瞬間に攻撃に転じた。

 先の戦いで彼ら軽騎兵は官兵部隊に対し、千の矢を降らせた。だが此度はその数倍の数の〈矢〉が彼らに降り注ぐ。盾もない。身を隠す遮蔽物もない。何より、数が違い過ぎた。


「ローベルトが待っているのだ。友軍が待っているのだ。無駄な交戦はするな、奴らは無視しろ。槍方陣の後方を突け!!」


 降り注ぐ〈矢〉に耐えつつ、バラバノフの命令を下す。それは状況に即したものだった。だがそれ故に読みやすい。既に市民らは包囲を完成させていたのだ。

 命令に素早く反応し、槍方陣に向かった数騎が不自然な体勢で馬ごとひっくり返る。まるで地面に拒絶されたかのような無様さだった。


「石鹸水か……?」

「地面にロープ、漁に使う網か……ダメです、囲まれています」

「馬から降りないと、バラバノフ様!!」

「馬鹿な、徒歩では時間がかかり過ぎる。何としても突破するのだ!!」



 怒号を上げるバラバノフ、一瞬の油断。その頭にレンガの塊が命中する。後頭部を陥没させられ、彼は真っ直ぐに地面に落ちていった。

 鈍い音を立てて首の骨が折れる。その顔は驚愕に満ち、それが最期の姿であった。


「あ、あぁぁぁぁぁ!!」


 指揮官を失い、軽騎兵らは混乱状態になった。出鱈目に矢を放つ者、無理にでも包囲を突破しようとして馬の足を取られて落馬する者。彼らの必死の抵抗は、しかし長くは続かなかった。次第に数を減らし、数分後には静かになった。


*****


 ブリギッテはまるで夢の中にいるような心地良さを感じていた。ここには煩わしい雑務もないし、危険な戦闘もない。戦士は死ぬと、天上のヴァルハラに招かれ、永遠に戦い続けられるというが、彼女にとってはそんなこと、全然嬉しくない。

 それよりも罪人がいくと言う不死王シグムンドの死者の森の方が興味がわく。ひどく退屈で、気が狂いそうだと聞くが、なんと素晴らしいことか、食べて寝るだけの生活と言う意味ではないか。そう都合よく解釈したブリギッテは自分は死んだらそちらに行こうと固く決心していた。

 そんな妄想は幾ばくかの後に途切れる。目覚めの時間であった。


「……もう朝か」


 心地良い眠りは終わり、残念ながら仕事の時間がやってきた。どうやら本当に眠っていたらしい。正確には気絶していた。

 ちなみに目覚めは最悪。目の前にガントレットが見える。その先には重装騎兵が着るサーコートに胸甲。さらにその先にはかっと目を開いて絶命した見事な八の字髭のスヴァルト。年齢は三十代半ばを過ぎたあたりかもしれない。

 ブリギッテはにはわからなかったが、それはゴルドゥノーフ騎士団が騎士団長、ローベルトであった。最期の突撃を敢行し、槍方陣に挑んだ彼は次々と兵士をなぎ倒し、指揮官たるブリギッテに迫った。

 全身には数えきれない程の傷がある。突き刺さった槍も十を優に超え、明らかに致命傷と見えるものもまた多い。

 敵軍後方からの友軍到来を信じ、最後まで戦い続けた騎士団長。だが待ちわびた友軍は、ついに来ることはなかった。

 港は静寂を取り戻している。動く者は誰もいない。ただ少数の負傷して倒れた者が呻き声を上げていた。


「……勝ったの?」


 その勝利を、勝利を呼び込んだブリギッテ自身が信じてはいなかった。だがこの瞬間、スヴァルトに勇名共に広く知られたゴルドゥノーフ騎士団がこの世から消滅したのだ。


*****


「なんですって……」


 アマーリアを斬り、ヴァン抹殺のために彼がいる銀の雀亭のドアに手をかけたアーデルハイドは急ぎ足でやってきた仮面の男、グスタフの言葉でその思考を停止させた。


「ローベルト率いる騎士団は壊滅、市内は混乱しない。それどころか戦闘が終了したことで兵士が持ち場に戻ってくる。急げ、アーデルハイド。門の警備が強化されたら面倒臭いことになる」

「馬鹿なことを言わないで、あの、ウラジミール公親衛騎士団に匹敵するゴルドゥノーフ騎士団が腐敗した官兵ごときにやられる訳がないじゃない。だいたい貴方、こっちに来てから言っていることがコロコロ変わるわね。リヒテルが来るのはもっと先じゃなかったの、騎士団の襲撃もそうだし、ましてや敗北するなんて……」

「その件についてはすまないと思っているが……ま、まあ、計画に変更はつきものだぜ」


 しどろもどろに言い訳するグスタフの姿を彼の配下であるセルゲイやシャルロッテが見れば驚きの余り、目を丸くするかもしれない。

 ただ、彼はリディアしかり、アーデルハイドしかり、身内の、それも女性にはやや押しが弱い時がある。それはそれを知る者以外には知られてはいない機密ではあったが。


「それで、私の娘はどこにいるの? まさか、まだ見つけられないわけではないでしょうね」

「さすがにそれはないぜ。ほら、あそこにツェツィーリエと一緒に……」


 言葉を途中で断ち切ったグスタフの顔が引き締まり、戦士のそれに戻る。先ほどまでの弱気な姿はそこにはない。先ほどが偽だったのか、今の姿が取り繕ったものなのか、あるいはどちらも本当のものなのか。それは本人にしかわからない。

 駆けて来るのはアーデルハイドが愛する蒼髪の少女、その後ろには金髪の青年と、居並ぶファーヴニルがいた。


「お久しぶりですね、姉上……」

「リヒテル」

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