第39話 死者は何も語りません

首都マグデブルク・法王府―――


 グラオヴァルト法国の支配者が座る〈玉座〉は白木で作られ、余計な装飾はなく、意外なほど質素であった。そこには歴代のアールヴ人の法王が、己の虚栄心を満足させるために金銀や宝石で飾った下品さはない。

 元より生まれながらの貴種には必要以上に己を飾り付ける必要はないのだ。その真価は姿ではなく、行動によってのみ計られる。そのある種の選ばれることが当然とばかりの傲慢さを纏った老人がそこに鎮座していた。

 名はエドゥアルト・ゲラーシム・リューリク。ウラジミール公爵領を彼らの始祖たる不死王シグムンドより賜った貴族。その称号は十数年前ならばスヴァルトのみに通用するただの綽名でしかなかなかったが、今、そんな不敬を働く者はどこにもいない。

 その名は大多数のスヴァルトにとっては神にも等しく、貴族にとっては偉大なる父であり、そして国の支配権を奪われたアールヴにとっては憎んでも憎み足りない怨敵であった。


「戦死したミハエル伯に引き続き、ボリス侯爵までバルムンク如き賊に不覚を取るなど……」

「その上、今年は冷夏であった。作物の実りも良くない。各地で農奴どもが不穏な空気を見せておる」

「これは一時、バルムンクと和議を結び、農奴共の反乱に備えるべきではないかな」

「馬鹿を申すな、高貴なる我ら貴族を殺めた奴らを放置しておけるか。然るべき報いを受けさせるのだ」

「……感情論に任せてはちと危険ではないか」

「いや、バルムンクの本拠地、ザクセンに賊や傭兵が集結しているとの報もある。時が経てば奴らは体制を整え、容易には滅ぼせなくなるぞ」


 玉座の間に集ったスヴァルト貴族は皆、多かれ少なかれ、不安な顔を隠しきれずにいた。彼らが危惧しているのはバルムンクそのものではない。確かに、ミハエル、ボリス、と大貴族をことごとく打ち破ってきたバルムンクではあったが、所詮は地方勢力。ウラジミール公が直轄軍を率いればなすすべもなく滅びる蟷螂でしかないと高をくくっていた。

 だが、それに付き従う貴族はそのために自前の臣下を従軍させなければならない。今年は稀にみる悲惨な冷夏であった。夏に雪が降り、作物は壊滅的な被害を受けた。こうなれば餓死を目前とした農奴が反乱を起こすのは目に見えている。自領から兵力を供出するのは自殺行為。たかが盗賊であるバルムンクでさえ大貴族を打ち破ったのだ。農奴が貴族を打倒しても不思議ではない。

 これが例えばかつての統治者たるアールヴ神官ならば、余裕のある司教区から食糧を輸送し、飢餓を抑える努力をするのだが、領地と財産が直結しているスヴァルト貴族にはそんな相互の連携や柔軟さを発揮する発想はないのだ。そして彼らは別な解決法を選択する。


「ところで、死亡した二人には跡継ぎがおりますか?」

「ミハエル伯には前妻との間に幼子がいるはずだが……無論、男子だ」

「しかし幼児では政務は取れますまい。摂政はお決まりですか」

「既に決まっている。腹心だった騎士セルゲイだ。既にグスタフ卿が陛下に許可を取っておられるそうだ。もはや変更は利かぬ」

「では、ボリス侯爵は……」

「卿は独身、確か妹がいたはずだが……」

「女に家を継がせるわけにはいかないでしょう」

「卿は何を考えておる?」

「実はボリス侯爵と私は遠縁でして……序列が低いとはいえ相続権があるのです」

「本当に遠縁であろう。そこまで範囲を広げるのであれば私も該当するぞ」

「では二人で分割するとしては……」

「なるほど、これで食糧問題は解決ですな」


 彼らの関心は自害したボリス侯爵の領土を誰が相続するかに向けられている。本来ならば血縁者が世襲するのだが、若きボリスには嫡子がおらず、自然と継承権は遠縁の他家に渡る。だがそれ故、同心円状に候補者は増え、その相続には争いが起こるのだ。何せ、今回の飢饉は広大なゴルドゥノーフ家から食糧を奪い取れば解決するのだ。

 誰しもが自領で農奴の反乱など起こされたくない。勿論、同家の領土では食糧を奪われた住民の大量餓死が起こるだろうが元々は他の貴族の領地。それほど大きな問題ではない。だが、それはすなわち、目前の敵たるバルムンクへの対策を後回しにするということでもある。


「ゴルドゥノーフ家の処遇は保留とする」


 各々、好き勝手に意見を交わしていた貴族が一斉に凍り付いた。今の、淡々としているが謁見の間に響き渡る力強い声を誰何する愚か者はスヴァルト貴族にはいない。


「へ、陛下……それはどういう……」

「よさぬか、卿!!」


 一言だけで、沈黙を続ける〈王〉に、正確には心臓を掴まれるような圧迫感に耐え兼ねた若き貴族がウラジミール公の前に進み出る。それを止め損ねた老貴族の顔は血の毛が引き、蒼を通り越して白に染まっていた。


「すぐに継承を決める儀を行おう。それまでは〈書記〉に任せる」

「そ、それは……」


 周囲の只ならぬ視線に気付き、貴族は自分がとんでもないことをしたと悟った。だがその後始末の方法が分からない。許しを乞う作法を知らない。ただ泣きそうな目で辺りを見回すだけである。


「ご、ご下命、承りました!!」


 震える声が聞こえた直後、貴族は先ほどの老貴族に頭を抑えつけられ、床に押し付けられていた。声はこの場において唯一のアールヴである神官のものである。

 スヴァルト貴族が事務屋と蔑み、ウラジミール公が書記と呼ぶ中年の男は、線が細く、気弱そうな目をしていた。その身が放つのは従順という言葉のみ。シュタイナー三世、かつては法王と呼ばれたアールヴの指導者である。十年前、スヴァルトの簒奪後に即位させられ、以後、単なる官僚の長として生きてきた奴隷であった。


「陛下の御言葉は以上である。これにて御前会議を終了とする!!」


 〈王〉が玉座を先に離れることはない。よって集った貴族たちから退室していく。顔を蒼白にしている者、ヨタヨタと七面鳥のように千鳥足で歩く者、先ほど進み出た貴族は自力で歩くことも出来ず、老貴族と法王に両脇を支えられていた。

 皆が退出するとゆっくりと〈王〉は立ち上がった。その眼光は鋭さを失ってはいなかったが、その体には衰えが目立つ。その肌は潤いを失くし、大量の香油で誤魔化されていた。

 見事な顎髭は白に染まり、若りし頃のたくましい生気は感じられない。しかしそれでもかの老人は〈王〉であった。数百万のスヴァルトが慕う父。 

その視線は遠く北西にあるザクセン司教区、リューネブルク市。バルムンクの本拠地に向けられている。その枯れ木となった身体は最後の飛翔を行おうとしていた。


*****


 バルムンクのハノーヴァー砦攻略戦、参加兵力1323名、内生還したのはたったの553名である。

 一回戦の城壁崩し、そして二回戦での決死隊の全滅が主要な損害だが、主力部隊の地味な損失もまた大きい。テレーゼが率いたファーヴニル(盗賊、この場合はバルムンクの精鋭部隊)以外では常にバルムンクは少数のスヴァルトに圧倒されていた。

 用は質で負けているのだ。そしてファーヴニル部隊が壊滅した以上、その差が埋まる可能性は低い。そして最期の頼みがヒルデスハイム司教区のファーヴニル組織の援軍であったのだが、それが到着したのは全てが終わった後であった。

 それは遅滞という情けないものではない。それならばまだ救われた。ヒルデスハイム司教区のファーヴニルはその多くが鬼籍に入っていたのである。


「ハノーヴァー砦の防衛線でバルムンクを退けるのは確実。よって、我らスヴァルトに反抗的なファーヴニルの処分は任せる……そう書いていたそうです」

「……宛名は司教か」

「はい、そして送り主はグスタフとなっていいました」


 スヴァルトとの混血の少年、ヴァンの報告を聞く司令官リヒテルはゆっくりと息を吐いた。どこか疲れたようなその仕草は実の所、彼の側近たる軍師衆にすら見せないものだ。だがヴァンには時折見せることがある。同じ修羅を歩む彼にはリヒテルも隙を見せるのだ。


「問題はこの手紙が処分する司教だけではなく、処分されるファーヴニルも持っていたということです。恐らく、わざと手紙が渡るように細工したのでしょう。処分されるファーヴニルは激昂し、そして司教府は手紙の内容が露見したことを悟って慌てた。何せ武力となる神官兵の多くがハノーヴァー砦に集められていたのです。ファーヴニルの怒りに対抗できない」


 そして追いつめられた司教府は民兵を組織し、ファーヴニルにぶつけた。怒りに我を失ったファーヴニルは民兵の母体となった市民へも敵意をぶつけ、後は内紛となった。勝者は武に勝るファーヴニル。

 だがそれはなんと空しい勝利であったのだろうか。それは失われた同胞の数だけではない。虐殺された民兵にも家族がいるのだ。表面上は彼らに屈したものの肉親を殺されたヒルデスハイムの住民は穏やかならざる目でファーヴニルを、そして彼らの親玉であるバルムンクを見ていた。

 救いはそれまで統治していたボリス侯爵が強硬派であり、そこまで住民に慕われてはいなかったということ。彼らはスヴァルトもまた憎んでいた。


「手紙一つでここまでですか、さすがは〈蜘蛛〉ということですね」

「こちらのファーヴニル組織も勝利したとはいえ壊滅状態だ。たった五人ばかりがやってきて援軍と称した時は何かの冗談かと思ったが……お前はこの事態をどう収容する?」


 リヒテルはヴァンにどこか試すようなニュアンスで尋ねる。砦攻略後、ヴァンは「魔道長」と言う新たな役職についたのだ。その意味は死術を中心にした死者の軍の統率者。

 十年前の反乱時にスヴァルトが組織したという影の軍が語源であり、それはすなわち組織の汚れ役を担う役職の意味である。そしてこの問いは司令官が連隊長に科した試験でもあるのだ。


「内紛など初めからなかったのです。全てはスヴァルトの虐殺……ということでよくないですか」

「何……?」


 ヴァンの答えを採点しようとしたリヒテルは訝しむように目を細める。権謀家である彼をして、その答えは予期しなかったものだったのだ。だが理解できないわけでもない。その瞳は一瞬だけ悲しみの色を見せたが、すぐにいつもの険しいものに戻った。


「民兵と、ファーヴニルを殺したのは全てボリス侯爵率いるスヴァルト軍。これを「ヒルデスハイムの虐殺」として広めるのです。この国の大多数はアールヴであり、彼らは根っこの部分で支配権を奪ったスヴァルトに嫉妬している。それを突かれればさぞ大きな炎を上げるでしょう」

「反感を持つ住民は……」

「全て他所に移すというのはどうでしょう。なんなら消えてもらうというのも一つの手かと」

「そこまででいい、お前の答えは現実的ではない要素が多すぎる……だが、見るべきところはあるな」

「ありがとうございます」


 半分だけスヴァルトの血を引く少年は静かに会釈した。そこにはなんの葛藤もない。虐殺の報が広まれればスヴァルトである彼もまた憎悪の目で見られるということを知っているにもかかわらずである。尋常な神経ではない。


「もしあれが今の我々を知ったのならばなんというか……」

「死者は何も語りません」


 リヒテルが言う〈あれ〉が何をさすかヴァンは言ったりはしない。それはもう胸にしまい込んでおくべき女性の名だ。最近、ヴァンはリヒテルが意外に繊細な性格であることを悟りつつあった。だがそれは行き過ぎれば惰弱とみられかねない。そうでは困る。盗賊の集まりであるバルムンクの統率は鉄と金をもってしか成しえない。優しさは必要ないのだ。


「私は戦力増強のために傭兵隊長らとの会談に向かう。お前はどうするつもりだ」


 そんなことは統率者であるリヒテルが決めればいいことだ。また試験である。だがヴァンは呆れるでもなく、ふて腐れるでもなく、生真面目に出された課題を解く。仕事中毒のきらいがあるヴァンには職務に文句をつける発想はない。


「……奴隷商と話をつけてきます。戦争と奴隷は切っても切り離せません。我らバルムンクはお世辞にも財政が潤沢とは言えませんので、これを機に独自の財源を手に入れるべきです」

「できるのか、何のコネもないお前が……」

「私は元奴隷です。奴隷が奴隷商とコネが無いわけがないでしょう」


 ヴァンは自身がつけている鉄の首輪を指さし、せせら笑った。答えになっていない答えだが、リヒテルは何も言わずに首肯するだけに留めた。

 そもそも十年前はいざ知らずバルムンクは奴隷の売買を禁止している。それはリヒテルの信条でもある。だがもはやその正義は組織の肥大化とともに遵守できなくなっているのだ。いや、この際捨て去るべき正義なのかもしれない。古き頭領と共に……


「二週間で片をつけろ。私もそのくらいでリューネブルクに戻る。その時……アーデルハイドを殺す」


*****


 リューネブルク市に向かう船上は不正の渦と化していた。戦闘が終わった神官兵達はまたぞろ、壊れた武具の修理もそこそこに金儲けに興味を示しはじめたのだ。

 先頭に立つのは彼らのまとめ役である竜司祭長ブリギッテ、彼女はまず手始めにバルムンクの権力を笠に着て酒保商人に賄賂を要求する。中隊長以下も必死になっておこぼれに預かるべく多種多様な方法で小遣い稼ぎを始めた。

 戦死名簿を改ざんし、死亡した同僚の給料を貰うもの、略奪品を横流しする者、その中にはヴァンの側近たるアマーリアの姿もあった。

 彼女は今、賄賂代わりに貰った銀細工の指輪を眺めえて恍惚としていた。金細工でも宝石でもなく、銀細工である。少し小金が持つ神官ならば容易に手に入る程度の物でしかなかったが元奴隷である彼女にはそれが許容の限界であった。

 商人が金細工の指輪を出した時、まるで毒薬でも見るような視線で手をつけなかったことや、ブリギッテがされたように金貨の入った袋を差し出されて、「食べ物ですか?」と聞いて苦笑されたのは秘密だ。


(でも、こんな贅沢をしても何かの拍子に全てが奪われてしまう。あはは、私は混血だから……)


 小麦色の腕を眺めながら彼女は思う。それはどうしようもないこと、奴隷として生きるのも、何もしていないのに裏切り者扱いされるのも、どうしようもないこと。彼女は早い段階であきらめることを学んでいた。

 どんなに苛酷に扱われようとも主人に従順にしていれば死ぬことはない。だがその考えは間違いだ。反スヴァルトを掲げるバルムンクの台頭とともにスヴァルトとの混血である彼女の立場は悪化の一途を辿っている。

 もう、従順なだけではダメだ。殺されてしまう。そして何より耐え切れないことに彼らは自分を殺してもなんの後悔もしないということ、そこら辺の野犬を殺したくらいの認識であり、元より罪悪など感じない。バルムンクとは信じられない狂人集団なのだ。


(もう、誰も信用できない。あの副頭領はもとより、日和見な竜司祭長、自分を見捨てた司祭長グレゴール……そしてヴァンさん)


 ヴァンに対するアマーリアの思いは複雑である。利用価値がある人物、だがどうも良い感情を持たれている気がしない。にも拘わらずそばに置かれているのはなぜか、突き離されないのはなぜか、その疑問がグルグルと渦を巻いている。


(既に私の方から二度裏切っていますので……でも、それでも置いてくれますか? 傍にいさせてくれますか? 私のような、私のような……私が悪いんじゃない!!)


 アマーリアは追いつめられた小動物のように忙しなく辺りを見渡す。周囲の神官兵が不審に思って注視するものの、すぐに金勘定に戻った。よって彼女の思惑を邪魔する者はいなく……。


「頭領、アーデルハイド……」


 静かにアマーリアは自分が取り入るべき名前を挙げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る