第四章 欺き欺かれて
第24話 十年ぶりのパーティーといこうじゃないか
ハノーヴァー砦・スヴァルト勢力圏――――
「無様だな、グスタフ」
九月の始め、夏に降った粉雪は時折大降りとなりながら、大地を冷やしていく。
バルムンクの温情でもって解放された敗残兵たち、ついこの間までミハエル伯の下、リューネブルク市を支配していた彼ら……は雪から逃れるように南方に進み、このハノーヴァー砦に助けを求めていた。
「そういう時は修羅場をくぐってきたというものです、公子。どうです、男ぶりが上がりましたでしょう」
「ぐ、グスタフ様!!」
グスタフが対面する男の名はボリス、爵位は侯爵。
そしてスヴァルトにとって神にも等しいウラジミール公の婿養子である。
ウラジミール公には跡継ぎの男子がいない。
故に彼は事実上の〈王位継承者〉であった。
貴族とはいえ、十年前まで流れ者でしかなかったグスタフが溜め口を利くことなどあり得ない。
グスタフの〈不遜〉にスヴァルトの騎士が狼狽えたは当然と言えたが……
「オレは婿養子、グスタフは養子。お仲間だから堅苦しいのはなしにしているんだ」
「そういうことだ、お前も溜め口でいいぜ。俺が許す」
「そ、そういうわけには……」
実の所、グスタフとボリス、両者は十年来の友人であり、婿養子、養子の近しい立場故か仲が良かった。
無論、公式の場では臣下の礼を取るが、プライベートでは親友とお互い呼び合っているほどである。
「で、ボリス、結婚式はいつだ?」
「来年だぜ。相手はジジイ(ウラジミール公)の次女。御年取って十歳」
「犯罪だな」
「仕方がないだろう、これも貴族の務めだ。まあ、リディアの妹とってことで将来に期待するか……まあ、その前にやることがあるけどな」
ボリスが目を細める……それだけで無邪気な童子は冷徹な貴公子に代わった。
銀髪に灰色の瞳、彫刻のように整い過ぎた風貌。
アールヴに〈人間狩り〉と恐れられるスヴァルト強硬派の旗手がそこにいた。
「ミハエルの野郎が死んだそうだな、それもだまし討ちで……」
「ああ、司教府の神官がリヒテルに裏切った」
「戦場で倒すのはまあ、許す……だが裏切りは許せないね、それも世話になっておきながら掌を返すような裏切りは屑のやることだ」
「殺すのか?」
「ああ、皆殺しだ。裏切った神官も、そそのかしたバルムンクなんて盗賊団もこの世から消滅させてやる」
ボリスの怒りは本物だ、彼は旧友ミハエルの死に憤りを見せている。
卑怯な裏切りの果てにミハエルは無念の死を与えられた……そう信じ込んでいる。
ミハエル伯が神官らの粛清を考えていたことを、それにより反乱が起きたことをグスタフは黙っていた。
「奴らは南部のファーヴニルと合流するためにこのハノーヴァー砦を攻めてくるぞ」
「いい度胸だな。ここを奴らの墓標にしてやるよ」
「その時は手伝わせてくれ」
「あいつらか……?」
ボリスはグスタフの後ろに侍る騎士を指さした。
「ああ、主君の仇を討ちたいと願っている……ないがしろにしては可哀想だろう」
*****
「従軍の許可が降りたな」
「ありがたき幸せ!!」
退室したグスタフと騎士、二人が始めに交わしたのはそんな言葉であった。
グスタフの表情はひどく真面目くさったものであり、ミハエル伯が玉砕したとき、裏切り者たる神官と杯を交わし、高みの見物をしていたなど言われても誰も信じないだろう。
バルムンクの副頭領リヒテルと同じく、彼もまた心内を隠すことに長けていた。
自慢の一つである。
「はい、これで使命を果たすことができます。我ら精鋭、三百人。必ずや殿下の仇を討ちます」
「三百……半分近くも首都マグデブルクへの護送に使うのか?」
砦に来た時、兵士の数は五百人。否、正確には兵士だけで五百人。
それとほぼ同数の難民が彼らの後ろを着いてきた。
難民、正確には難民になった彼らと大なり小なりスヴァルトと付き合いのあった者たちであり、勝利者たるバルムンクの弾圧を恐れての無謀とも言える都市脱出を敢行したのだが、今となってはその先見を難民らは言祝いでいるだろう
「まさか、渡された食糧に毒が盛られていたとは……どこまでも卑劣な奴らめ!!」
そう、渡された食糧には毒が盛られていた。痩せた土地で時折現れるという毒麦……その麦でこねられたパンが混じっていたのだ。
殺す毒と違い、一食二食でどうかなるものではなく、人により個人差も大きい。
だが、食した者の内、三人が狂い死にし、一人が子供を堕ろした。
それは事実である。
〈運良く〉グスタフが合流しなければ騙されたと知り、怒り狂った彼らは勝機もなしにリューネブルク市に取って返したかもしれない。
そのくらい彼らの怒りはすさまじかった。
捕えた自分たち敵兵を解放するという寛大さを見せられた後だけに猶更であったのだ。
(それにしても……リヒテルは変わったな)
グスタフは十年前に別れた友人を思い出していた。
あの頃は真面目を絵に書いたような堅物であり、こんな有効だが、汚い手段を用いるような〈頭のいい〉男ではなかった。
ちなみに毒麦の件はリヒテルではなく、部下であるアンゼルムの独断なのだが、グスタフはそこまで推察できなかった。
(いや、あの頃から手段を選ばない男であったな。過小評価は良くない)
グスタフが益体もないことを考えていると前方から金髪に黒い目を持つ少女が現れた。
年の頃は十代半ば、髪の色と瞳の色の組み合わせがちぐはぐだが、その小麦色の肌を見れば多くの者は得心がいく。
彼女は混血である。
白きアールヴと黒きスヴァルトのハーフ。
だが、それ以上に彼女を表す言葉がある。
顔の左側を覆う漆黒の仮面、ミストルティン(ヤドリギ)で作られたねじくれた杖、彼女は死と生命を弄ぶ死術士である。
「優しい、優しい、騎士様。慕ってくれる奴隷を守るために兵を割いてくれるなんて、とんだ偽善者。キャハハハハハ!!」
「……筋道の問題だ。例え、卑しきアールヴであり、難民であっても、我らスヴァルトに助けを求め、その手を我らは取った。最期まで面倒を見るのは当然だ」
耳障りな死術士の嘲笑に騎士は淡々と答えた。
だがその顔には怒りが見える……本来ならこの騎士は剣を抜いてもおかしくない。
彼は騎士の矜持が高く、ついでに極端な男尊女卑である。
つい先日も司祭長の愛人だとかいう女を無礼だったというだけで腕の骨を折ったぐらいである。
それをしないのは彼女が貴族であるグスタフが身請けした奴隷であるから。
それだけでスヴァルトは己の矜持を曲げる。
「……実験は済んだのか」
「あ、グスタフ様。はい、大成功です。これで奴らバルムンクが攻めてきた時に目に物を見せてやれます」
ヴァンとテレーゼを巻き込んだ、コロッセウム。
その中で彼女はテレーゼに一太刀を与えた。
その事実を気に入りグスタフは身請けしたのだが、結果的には安い買い物だった。
彼女は死術に関して高い才能を示したのだ、まさに天才といっていい。
このままいけば一年も経たずにあのヴァンを凌ぐ能力を見せるだろう
「グスタフ様……今晩、お部屋に行ってもいいですか?」
「悪いな、俺は商売女意外とは寝ないと決めているんだ。それに、お前にはもっと愉しいことがあるだろう」
「なんです?」
「来るぜ……テレーゼ姫が、このハノーヴァー砦に」
そう言った瞬間、死術士は常人ならば目を剥くようなおぞましい笑みを見せた。
幼さが残る顔故にその幽鬼めいた表情がいっそう寒気を見せる。
「来るの、あの女」
「ああ、間違いないな。テレーゼの結婚式は来月の十月。つまり今回の戦いがテレーゼ姫の最期の晴れ舞台となるわけだ」
グスタフはテレーゼ本人ですら知りえないことを言った。
彼の綽名は〈蜘蛛〉であり、その張り巡らせた糸は広く、例えば、バルムンクと舌を出しながら手を結んだ老司祭長は彼の友人であり、都市を離れた後もその交流は続いていた。
「ふふふ、夢に見ます、まるで恋人のように……仲間の仇、この顔の恨み。泣き叫ぶ顔を見てみたい!!」
クルクルと踊る死術士の顔には狂気が垣間見えた。
彼女が自分の顔を傷つけたテレーゼを憎むのは逆恨みである。
テレーゼは巻き込まれただけであり、戦闘能力のない彼女を戦場に立たせたのは神官らであった。
しかし、そんなことは関係なかった。
彼女はただ、手に入れた力で復讐したいのだ。
奴隷出身の彼女はその不相応な力に飲み込まれていた。
(さあ、来い。リヒテル、ヴァン、それにテレーゼ。十年ぶりのパーティーといこうじゃないか)
復讐、仇そして……仄暗い感情を胸に、手ぐすね引きながら彼らはハノーヴァー砦にてバルムンクを待つ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます