第25話 私は壊すことと騙すことしかできない

リューネブルク市よりハノーヴァー砦へ・バルムンク連合軍、スヴァルト領へ進軍中――――


 朽ち果てた廃村に賑やかな喧噪が鳴り響く。ハノーヴァー砦攻略を目指した(バルムンク)連合軍は到着前夜にとある村に滞在した。

 住民は一人もおらず、食糧や日用雑貨の類も持ち去られている。焼かれた家もあり、スヴァルト軍が焦土作戦を行ったことは明白であった。

 即席の軍隊であるバルムンク連合軍に補給部隊など存在せず、物資はもっぱら購入するか略奪するかの二択である。

 規律を厳格に守るリヒテルは略奪の類を決して許さず、行ったものには斬首という報いを受けさせている。

 ただ酒保商人から購入するにしても、そこはたくましいアールヴの商人。

 読み書き計算をロクにできない兵士相手にアコギな商売をする者が後を絶たず、ひっきりなしに騙された兵士から苦情が飛んできていた。

 やっとちゃんとした村に泊まり、そういった問題から離れられると思ったリヒテルは内心、落胆していたのだ。


「やれやれ、強行軍は年寄りにはきついの。危うく、ギックリ腰になるところじゃったわい」


 そう言って、リヒテルが泊まる空き家に入ってきたのは副官、エルンストである。

 五十近く、老人と呼んで差支えのない年齢になりながらも、洒落っ気のある服装に身を包む伊達者である。

 行軍中も、小休止ごとに酒保商人が派遣した飯盛り女や洗濯女を口説いており、年寄りという名詞とは結びつかない。

 本当の老人とは老司祭長グレゴールのような落ち着いた人間のことを言うのだ。

 ……もっとも、件の老司祭長にしても権力にしがみつく油断ならない狸ジジイなのだが……


「なんでしたら明日は馬に乗りますか?」

「指揮官が徒歩なのに、副官のわしが馬上では示しがつかんじゃろうて……」

「他の者が徒歩なのに、指揮官だからという理由で楽はできません。私はいたって健康ですから」


 エルンストの苦言をリヒテルは一蹴した。

彼はこの一週間ばかりの行軍時、一度として馬に乗ることはなかった。

荷物の類はエルベ河にそって移動する船で運んでいるので、馬が不足しているわけではない。

 ただ生真面目過ぎるきらいのあるリヒテルは、兵士の大半が徒歩であるのを慮ってあえて、自分も徒歩で行軍したのである。

 加えて……命を懸ける兵士がそういった〈差別〉に敏感で、過剰に反応するのを知っているからでもあった。

 極限の戦闘状態では、少しの理不尽な不公平が多大な不満を兵士達に抱え込ませる。

 身分差の激しいスヴァルトが思いつかない発想である。


「それがお主の良い部分なのだが、少し砕けてもいいのではないのではないか。なんなら、今から夜這いにでも行くかのう?」

「本当にやめてください、軍の規律が乱れます。朝に自分の生首が銀盆に乗ってもいいのでしたらあえて止めませんが」

「明日死ぬやもしれぬ身でそう野暮は言うな、好きな女の笑顔をまたみたいだけで男は死地から帰ってくるものじゃ。そうそう、テレーゼ姫がこの頃、おとなしいようじゃな。元気がなくなったわけでもない。どこか落ち着きや気品が出てきたような……」

「なぜ、そこでテレーゼが出てくるのですか、まさか手を出してないだろうな?」


 リヒテルの瞳が冷徹に光る。

 敬語がいつのまにか消えていた。ヴァン同様に彼もまた妹(正確には姪)に対し、過保護である……エルンスト老の不穏な発言を無視できない。

 リヒテルも人の子、いろいろと鬱憤がたまっているのだ。

 それが時折、極端な反応を示してしまう。

 結局、彼はそれを解消するためにワインの樽に手を付けていた。


「まさか、今は手を出さんよ。後五年、いや十年くらい待たなければ……」

「そうだろう。私も後二十年ほど早いと思う」

「……何か、嫌なこともあったのかのう」


 リヒテルはボソボソと二年前の悲劇を話し始めた。

 彼は酒に弱く、たった一杯でもベロンベロンになってしまう。

 だからいつもはワインを蜂蜜か果汁で薄めて飲むのだが、不覚にもエルンスト老に直で杯にワインを注がれたのに気付かなかった。

 有体に言えば酔っぱらってしまった。


「二年前、テレーゼが成人(十五歳)した時にドレスを送ったのだ」

「ほほう、それは喜ばれたのではないか」

「ああ、奴もやはり女子。クルクルと回りながら喜びを表現していました」

「クルクルと……女子?」

「ですが、あのバカ(テレーゼ)はその後に動きにくいからと、そのドレスをビリビリ破いてブリオー(この場合は半ズボン)のようにしてしまったのだ。信じられん、絹だぞ、絹」


 その時の怒りが再燃したのか、リヒテルがエルンストにつかみかかる。エルンストの、か、絡み酒……と言う発言は聞こえなかった、ことにした。


「奴の母、私にとっては姉だが、それもお転婆でな。いつも弟の私が尻拭いを……」

「それは大変じゃったな」

「いや、愉しかった」


 しかし、砕けた態度はその一瞬だけだった……いつのまにか、管を巻いていた酔っ払いの姿はなかった。

 冷徹で、狡猾な、バルムンクの副頭領がそこにいた。


「いつも酷い目に会わされていた、だが自然と恨みはない。姉上は人を引き付ける。小手先でごまかす私とは全然違う」

「お主も良くやっている方だと思うのだがな」

「全然だめだ。私は壊すことと騙すことしかできない。暗殺に謀略……そして扇動。スヴァルトを殺せ、か……スヴァルトとの混血であるヴァンはこれで二度とバルムンクに戻れなくなった。私が育てた部下だ、見事に使い潰した」


 自嘲気味にリヒテルは笑う。彼はいつも自分を蔑み、傷つけてきた。それは十年前から変わらない。


「私は全てが終わったら、講和の条件に処刑されても構わないと思っていました。後は姉上にまかせれば大丈夫。病気だとしても十年くらいは持つでしょう、それまでにテレーゼやヴァンのような若手が育ちます」

「おい、お主……」


 自殺の宣言とも言えるリヒテルの発言にエルンスト老が慌てる。その様子がリヒテルにはなぜかおかしかった。


「大丈夫だ、〈今は〉そんなことは思ってはいない。病とは、過ぎゆく時間とは残酷なものだな。姉上は腐った、古ぼけてしまった。もう、任せては置けない」

「わしのように隠居させるのか……」

「いえ、殺します」


 リヒテルはまるで今晩のおかずを伝えるように軽く答えた。その軽さが逆におぞましい。肉親の情など、リヒテルにとっては大義の前には霞む存在なのである。


「もし仮に実の姉を殺さねばならなくなったのならば、わしを呼べ。手伝ってやるわい」


 その解答を予期していなかったのか、リヒテルは珍しく言葉に詰まった。


「肉親殺しは一人で抱え込むには重すぎる。なんじゃ、それとも、止めて欲しかったのかのう? わしとて伊達に長く生きてはおらん、わしらファーヴニルにとって家族を斬ることは珍しいが、特別ではないことぐらい知っておる」

「……世話ばかりかけてすまない」


「そう思うのなら、南部と、わしのバカ息子どもと合流した時に一緒に説教してくれればいい。あいつら、年寄りがいつまでも出しゃばるな、とわしを厄介払いしおってからに……」

「自立しようとしたのだろう、悪いことではない」

「そう言ってもらえると助かる」


 二人の歓談は深夜まで続いた。明日はハノーヴァー砦攻略戦、決戦の時が迫っていた。

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