第19話 裏切られ、捕えられても、まだ礼を尽くすか
リューネブルク市・司教府・監獄――――
「あはは、食事の時間です、起きてください……」
かけられた水の冷たさでヴァンは目を覚ました。
ミハエル伯との戦闘で気を失ったヴァンは気が付くと牢に囚われていたのだ。
理由は❛彼女❜の言葉からすると背任容疑。
つまりは裏切り者として疑われた、ということだ。
しかしそれを理不尽に思うことはない。死術士として畜生にも劣る所業を繰り返した自分がどの口で潔白を訴えるというのか。
仲間を、無辜の市民を斬り、先の戦いでは囚われた同じファーヴニルを屍兵に変えた。今、ここで死刑判決を受けても文句は言えないのだ。
心残りがあるとすれば、自分が愛する我儘なお嬢様が無事であるかどうかである。
バルムンクに囚われたということは戦闘がバルムンクの勝利に終わった可能性が高い。ただそれでも、怪我などしていなければいいと思う。
「今日の献立はカビの生えたパンに、腐ったジャガイモです」
「随分なごちそうではないですか、太ってしまいそうです」
彼女の地味な拷問にヴァンは常に皮肉で応対するようにしている。死術の影響で舌がマヒしているヴァンにその手の嫌がらせは通じにくい。
ただし平気という訳でもない。
三日前から下痢が止まらなくなっていた。
用を足す便器はご丁寧に埋められおり、排泄物は垂れ流しになっている。
後一週間ほどで病気が流行るだろう……そうなればあとは死刑台と変わらない。 疫病に勝てる人間などおらず、それは死術士も変わらない事実だ。
「あなたはこのまま孤独に死んでいく。でも仕方がありませんね、あはは。私にこんな真似をしたんですから……自業自得です」
「跡が残ったのか?」
ヴァンが何とも気なしに聞くと、彼女は陰鬱に笑い、包帯が巻かれた胸を抑えてまた恨みごとを繰り返した。
「残りましたよ、もうこれ以上ないくらいに……もう私は売れません。傷物の女なんて縁起も悪いですし……でも、あなたよりはマシです。あなたのことはみんな忘れています。頭領も、副頭領もみんなスヴァルトを倒したので連日、宴会をしています」
「それはテレーゼお嬢様もですか?」
彼女はそれを聞くとにやりと薄気味悪い笑みを漏らす。
今まで一度も見たことがない笑い方であった。
彼女はいつも控えめで、やつれた印象があった。
港でも、奴隷市でも、そしてこの牢獄でも……。
「そうです、あの女もです、あなたの事なんか忘れて楽しんでいます」
「それは良かった。テレーゼお嬢様は無事だったのですね」
「っ!!」
彼女は胸を左手で抑えた。傷が痛むのか、先ほどまでの愉しげな笑みはどこか傷ついたような表情にとって代わる。
彼女の名前はアマーリア・オルロフ。栗毛色の髪と、俗に狼の眼と呼ばれる金や銅を散りばめたアンバーの瞳を持つ少女。
だがもっと簡単に彼女を表す言葉がある。
その小麦色の肌は白を基調としたアールヴには決して見られないもの。
だが彼女の耳は尖ってはいない、故にスヴァルトでもない。
アマーリアはヴァンと同じく、アールヴとスヴァルトの混血。
彼女がいかなる職に就こうとも、どんな技能を得ようともそれだけで説明は事足りる。
奴隷市で再開した彼女をヴァンは斬った。
トドメを刺さなかったのは認めたくはないが、同じ混血としての同情したからである。
そして彼女は今、ここにいる。
死んだはず、殺したはずの女との再会……だがそれは不思議でもなんでもない。 始末をまかせた官兵が葬儀屋ではなく、医者に彼女を連れて行っただけである。
「先ほどから、私が忘れられているとおっしゃっていますが、私の壊すことが能です。戦闘がなければ、忘れられていても問題はない」
「問題ない?それは用がなくなれば処分されてもいいということですか、今の状態のように……」
「それも致し方がありません。それだけの罪を犯してきました」
淡々と答えるヴァンに彼女は追いつめられたようにのけぞる……まるで自分こそが虜囚であるかのような動揺に、ヴァンは失笑した。
自分を拷問にかけるよう指示した人間は小物だろうとヴァンは推測する。
拷問の方法が下手過ぎるし、何より目的が不明瞭である。
口を割らせるでもなく、取引を持ち掛けるのでもない。
ただ苦しませたいのであってもそれならもっと苦しめさせる方法はある。
例えば指示したのが頭領アーデルハイドならば、今頃は手足の爪ぐらいは剥されている。
「さ、さすがはファーヴニルという訳ですね。わ、私にはこんな真似はできません。何がそこまであなたを支えているのですか……スヴァルト打倒という正義ですか?」
「正義……まさか」
ヴァンの顔に嘲笑が浮かぶ。
いつもは敵にすら見せない本当に相手を馬鹿にした嘲りに満ちた表情である。 もしかすると数日の禁固刑でヴァンはやや平常心を欠いていたのかもしれない。
「これはただのバルムンクとスヴァルトの権力闘争です。スヴァルト打倒なんてものはただの表看板に過ぎない」
「表看板?」
「ええ、ですが私はバルムンクのファーヴニル。組織の正義は信じます」
「正義がそんな、そんな馬鹿なことが!!」
「正義とはそんなものです。あなたにも正義があるじゃないですか……気に食わない、目障りだ、人を殺すのに十分な正義です」
アマーリアが茫然を通り越してへたり込む。
ヴァンは彼女が理解することを求めなかった……もとより住む世界が違う人間同士である。
彼女は奴隷といえど、堅気。
そして自分は人様から物を奪って生きる盗賊である。
「素晴らしいご高説じゃな。感服したぞい」
どれだけの時間が過ぎたか、数刻か、あるいは刹那の間だったかもしれない。 牢獄に不似合いな丈の長いダルマティカ(貫頭衣)を着た老人がやってきた。
年齢は五十を超えたあたり、髪と髭は白一色に染まり、それは老いを象徴しているが、その統一さから上品さが感じられる。
老いに逆らわんと若作りをするエルンスト老に対し、彼は老いを受け入れ、別な形で自らを保っていた。
「し、司祭長……さま」
(司祭長……)
司祭長とは、司教府の中で文官の長を意味する役職のことである(ちなみに武官の長は竜司祭長)。
閑話休題、文武官の長が上に頂く司教はスヴァルト貴族であるミハエル伯が就任していた。
だがスヴァルト側が敗北したのならば、当然司教の座にはいない。
そして司教が空席となれば後任は次席たる司祭長が司教代理を務める。
つまり、目の前にいる老神官は現在、このザクセン司教区、事実上の長であるということだ。
それが名目に過ぎないにしても、長は長。
バルムンクという組織のことを考えれば、粗相があってはまずい。
「これは司祭長。それとも司教猊下ですか。このようなところにいらっしゃるとは思いませんでした」
「ほう……裏切られ、捕えられても……まだ礼を尽くすか。随分と仕込まれているようじゃのう」
「全てはリヒテル副頭領の教育の賜物です」
頭領とは言わなかった。組織の長は頭領だが、それをヴァンは過去のものにしようとしている。
組織のためを思えば、強硬派のリヒテル副頭領が先陣に立つのが望ましい。
「……ふむ。絶望しているとばかり思っていたが、これは手間が省けたな。よし、釈放しよう。今日よりそなたはわしの客人だ。まずはそうさな、服と食事を用意しよう」
「ありがとうございます」
ヴァンは謹んでその好意を貰い受けた。
彼は客と言った……配下でも部下でもなく、客人と。
であるならば招待を受けても問題ない。
彼が何を与えようと、バルムンクの利害と衝突すればヴァンはただ組織に戻るだけである。
それは裏切りでも何でもない。
ヴァンはファーヴニル、要は悪辣な盗賊である。
ふと、横を見るとアマーリアは顔を伏せ、爪を噛んでいた。
ヴァンは彼女が司祭長の少女奴隷であり、捨てられ、売り飛ばされたことを思い出していた。
司祭長は彼女に何ら感心を見せない、目を止めることすらしなかった……まるで配下であったこと自体、何かの間違いであったようである。
「あはは……ヴァン様」
アマーリアは格子越しにヴァンに抱き付いてきた。
ヴァンは思わず、首元を手でガードする……だが攻撃ではなかった。
「私はあなたをお慕いしておりました。どのようなことでもお申し付けください」
「な、何?」
ヴァンは初め、彼女が何を言っているのか分からなかった。
慕う? 憎んでいる、の間違いではないのか?
「傅かれるのは初めてかのう」
オロオロと幼子のように狼狽えるヴァンを見かねてか、司祭長がフォローに入る。
その顔は微笑ましい光景をみるかのように好々爺とした穏やかな表情であった。
「その少女はお主を、自らを救い上げる縄梯子のように思ったようじゃ。傅き、ご機嫌を取ることで取り入ろうとしている」
「拷問した相手にご機嫌を取っても何の意味もありません。その変節を、恥知らずさを、非難されるだけです」
「しかし、非難するだけでは何も代償は得られまい。見下した相手を蔑む。踏みつけた相手を凌辱する。拷問された分、愉しんではいかがかのう?」
「……私はファーヴニル。そのような愉しみとは無縁です」
とはいうものの、ヴァンは彼女を振り払う気にはなれない。
かつて彼は彼女を評価していた。
腕を折られてもなおスヴァルト兵に取り入り、主人たる司祭長の助けになろうとした。
主人のため、外道に堕ちた自分とどこが違う。
今、彼女は零落れているとも言えるが、主人を失った自分は果たして、彼女以上に建設的なことをできたかどうか。
ヴァンは自分を納得させるため、多大な労力を必要とした。
彼もまた混血……肌が白くても、切り揃えた耳は丸くはなかった、テレーゼらと同じアールヴ人ではない。
奴隷市で見せてしまった同情の念が再び、湧いてくる。
幼き日の絞首刑。耳が丸ければ、スヴァルトの血が混じっていなければ執行されることはなかった。
「貴方の監視役というのでしたら、断る理由はありません」
「苦しい……いや、それでもよかろう。彼女は頭のいい娘じゃ、わしに不利益な真似はするまいて」
今、このリューネブルク市はスヴァルト貴族からバルムンクのものとなった。 そしてバルムンクは基本的に反スヴァルトである。
混血とはいえ、スヴァルトの血を引く彼女は何の咎がなくとも、私刑にあっても不思議ではない……彼女は強者にすり寄る他にないのである。
「安心せいヴァン、わしは売り飛ばしたりはしないからのう」
司祭長は確約する。
しかし、彼が戦闘の最中、ヴァンが生死を彷徨っていたころにスヴァルト貴族であり、バルムンクにとって怨敵たる、裏切り者グスタフと杯を交わしていたことをヴァンは知らない。
*****
リューネブルク市・市街街・酒場――――
「なんだと!!解放するっていうのかあの豚共を……」
「ええ、捕えたスヴァルト兵五百余名、食糧を付けて首都マグデブルクに送り返すと……」
腹立ち紛れにアンゼルムは酒樽を蹴りつける。
オーク材でできたそれにヒビが入り、中の酒が流れ出すが、彼は意に返さない。
「ったく、頭領か……あの女、どこまでリヒテルさんの邪魔をすれば気がするんだ!!」
「もう、病でボケちまったんですよ。これから南部に侵攻するっていうのに……」
「合流されたら、兵力が増してしまうな」
リューネブルク市を解放したバルムンクの次の目標は、エルンストらが来た、南部ヒルデスハイム司教区のファーヴニル組織との合流である。
反旗を翻した以上、首都にいるスヴァルト本軍が討伐に来ることを予測したリヒテルは複数の司教区を束ねることを提唱する。
その中でも、ヒルデスハイムは砦を挟んで隣にあり、かの司教区と合併すればエルベ河をそのまま防衛線にできるのだ。
「兄貴……そこまで心配する必要はないですぜ」
「なんだ、気休めならぶっ飛ばすぞ!!」
「いえいえ、そうではなくて……奴らが持っていく食糧なんですが、実はその中のパンのいくつかが毒麦で作った奴なんですよ」
「何!!」
毒麦とは、痩せた土地で無理に大量の麦を栽培する時にできる変わり種である。
それをパンにして食べると手足の痙攣や錯乱、不妊と多種多様な病気となり、最終的には手足が腐って死にいたる。
信心深い者は不死王の祟りと呼ぶこともあるが、用は中毒である。
スヴァルトの侵略が行われる前まで、農業に従事していたアンゼルムとその舎弟はそのことを知っていた。
「てめえ……」
「す、すいません、勝手なことを……」
「大手柄じゃねえか!!」
アンゼルムは手を叩いて、大喜びした。彼は自分の舎弟の独断に満足し、誇りにすら思っていた。
「これで奴ら、戦えなくなったな」
「もしかすると死んだんじゃないか、ざまあみろだ、ははははは!!」
「お前らも、見習えよ!!」
その日、彼らは意識がなくなるまで、飲み明かした。それほど嬉しかったのである。
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