第18話 死んでいった者にできるのはこれぐらいだ
リューネブルク市・司教府・バルムンク制圧後――――
ミハエル伯が玉砕し、駐留していたスヴァルト軍が降伏して早くも一週間、司教府は連日の祝い事で活気を帯び、ねっとりとした退廃が静かに浸透していた。 スヴァルト軍の隷属の下にいた神官兵らは、傲慢なるスヴァルトの没落に喜び、中にはこのまま首都に進軍して、悪の根源であるスヴァルトの王、ウラジミール公を討伐するなど剛毅な事を言う者もいる。
その心意気は……それが現実的な物かは別にすれば、賞賛する者は多い。
だがそれを冷やかに見つめる者もまたいた。
誰あろう彼らを焚き付け、神官兵らを新たに総べることとなった、バルムンクのリヒテル副頭領である。
彼は今回の蜂起に対し、住民の動きがひどく鈍いことを危惧していた。
有体に言えば彼らはスヴァルトの報復を恐れている。蜂起など迷惑以外の何物でもない。
未だバルムンクと言う組織は、民衆にとって単なる盗賊団でしかなかった。
「おお、姉上の叱責は終わったのかのう」
「ええ、こってりと絞られましたよ」
リヒテルの懊悩、それをより深刻にしているのは彼の姉、アーデルハイドの評価であった。
今回の反乱、アーデルハイドはその行動を非難したのだ。
それは単なる姉弟の問題だけではない。
バルムンクの頭領であるアーデルハイドが、副頭領であるリヒテルの独断を糾弾したのだ。
それは組織を二分しかねない致命打と成り得る内傷……。
それをバルムンク、リヒテルの部下らは理解しているか否か……そして目に濃い疲労を称えたリヒテルを出迎えたのは二人。
現状を理解している……ヴァンに助けられた南部の同胞、エルンスト老。
そして理解していない……リヒテルの部下、アンゼルムであった。
「ミハエルがスラムの虐殺を指導したのは周知の事実。蜂起の件はやむを得ないということで責は問わないということですが、本格的な戦争になったら私の首一つでは収まらないとも言われました」
「な、リヒテルさんが動いたからこそ、助かったのに……頭領は何を!!」
「口の利き方に気を付けろ、アンゼルム。頭領あっての我々バルムンクだ」
リヒテルの叱責にアンゼルムがまるで子犬のようにしょげかえる。少し可哀想かなともリヒテルは思ったが、言わねばならないことである。
アンゼルムはスヴァルトへの憎しみのあまり、強硬策を支持し過ぎる、手綱を誤ればその刃は味方に向かうだろう。
バルムンクの正義を信じていないヴァンとは対極にいる存在だ。
「よいよい、その若き情熱はうらやましい限りだ。残念ながらこちらは牙を抜かれたからのう、その分まで頑張ってくれ」
「南部、ヒルデスハイム司教区にその人ありと言われたエルンスト老の言葉とは思えませんね」
「もう、若い者はそんな異名でいうことを聞いたりはしない、いや聞かせる気がないだけじゃな、人のせいは良くない」
なけなしの気力を振り絞って立ち直ろうとする彼はまさしく枯れかけている老木のようだった。
しかしリヒテルはそれを拷問による体力の消耗と、なにより仲間を失い、ただ一人生き残ったことによる自責のためと好意的に解釈した。
そう……結局、磔にされたファーヴニルはエルンストを残して他は死亡。
死因の半分は衰弱死。もう半分は戦闘に巻き込まれてミンチになった。
ちなみにヴァンの死術はそれに関係がない。彼の術は死者を操るもので、痛み止めと称して飲み込ませた種は生きている限り、数日程度で消化されてしまう。 ただ死にかけて、体力を著しく落としていた者にとどめを刺した可能性は否定できない。
「ところで、アンゼルム。捕えているスヴァルトの処遇はどうなっている。よもや手荒な真似はしていないだろうな」
「はい、もちろんです、リヒテルさん。ちゃんと飯も寝床も与えています。あの裏切り者の死術士、観念したのか、おとなしいものです。姫はその扱いに不満なようですが、まあ、いずれわかってくれます」
「私は拘束したスヴァルト軍の兵士の状態を聞いたのだが……」
「はっ、申し訳ございません!! 命令通りに拘束しております」
今度ははっきりと苛立ちを見せてリヒテルが叱責した。
アンゼルムには功績があり、仲間を失った経緯もあって不問としたのだが、ヴァンが混血であることを晒したことには大いに不満がある。
仲間を陥れたその罪を認識していない、そして自分が利用されたことに気付いていない。
ヴァン野秘密を知らせた手紙を誰がアンゼルムに送ったのか、それは分からない……だがこのやり口には覚えがある。
もとより自分以外にヴァンの出自を知っているのはあの時、マグデブルクにいた、グスタフのみなのだ。
(来ていたのか、あの男が……この街に)
十年前に封じ込めた怒りが鎌をもたげるのを感じながら、表面上は平静を装った。
ヴァンとも共通することだが、リヒテルもまた心内を表に出さないことに長けている。
感情の起伏が激しく、それを隠せないアーデルハイドやテレーゼとは好対照だ。
「死術士がいるのか?」
「ええ、貴方の部下を屍兵に変えたのは彼です。私が命じました」
エルンスト老の怒りを予見してリヒテルが先手を打った。ヴァンの罪をリヒテルは被ったのだ。
結果的にエルンスト老の部下を屍兵にするという策は上首尾に終わったが、身内を化け物に変えられて憤らない者がいるはずもない。
だからリヒテルは自分の指示だと嘘を吐いた。
リューネブルク市からほとんど出たことがない他の者は知らないが、エルンスト老はそれなりに名の知れたファーヴニルなのだ。
故にバルムンク内でも一定の影響力がある……彼の恨みを買えばヴァンの立場は著しく悪くなるのだ、今の窮地にそれは避けたい。
「いや、咎めているのではない。そうでなければわしは死んでいた。そのことでとやかく言うつもりはない」
「そうですか」
エルンストからは何やら奥歯に物が挟まったようなもどかしさを感じさせる。どこか感情を抑え、取り繕うような感じがした。
「数か月前、ヒルデスハイムで官兵が百人ばかり死術士に殺されてのう。わしらもその逮捕に協力したのだが、結局逃げられてしまった。奴はこのリューネブルクに駆け込んだという。その件の死術士ではないかと疑問に思ってな」
「残念ながら違います。彼はずっとこのリューネブルクにいます。空でも飛ばない限り、行き来は不可能でしょう」
「そうか、ならば安心じゃのう。なにせ、その死術士に殺された者は皆、干物のようにひからびていたからな、そんな死に様はあまり見たくない」
「吸血鬼ですか?」
「かもな、犠牲者の一人が知り合いでびっくりした」
「それはお悔やみ申し上げる」
「ああ、その前日に口説いておってのう、若作りした婆さんを口説いたと思って自分の眼が曇ったかとショックを受けたわい」
「……」
リヒテルはあえて取り合わなかった。仕事中に冗談に付き合っては礼を欠く。 あるいは部下を屍兵に変えられた怒りを抑えこんだエルンスト老の態度を尊重したのだ。
「エルンスト老、その件は調べておこう。もしかすると配下に加えられるかもしれない」
「御せるのかのう、相手は高位の死術士じゃ。お主の配下よりもずっとな…」
エルンストが愉しげに聞いてくる。
「そのくらい扱えなくてはこの先、生き残れません。それに今は戦力が少しでも欲しい」
「官軍を手中に収めても足りぬのか」
「彼らは使えません。統制を失ったスヴァルトよりはマシですが、それ以上ではない」
「前途多難じゃな」
「他人事みたいに言わないでいただきたい。貴方の実家にも協力していただきます。住民は無気力でも許します。しかしファーヴニルのそれは許さない。奴隷扱いで満足するのなら私がヴァルハラに送ってあげますよ」
リヒテルは年長のエルンストにわざと挑発的な物言いをした。それを老人は正面から受け止める。彼はまだ折れてはいない。
「アンゼルム……仲間は見つかったか?」
「いえ、半分が……」
「では生き残った半数は私直轄の部隊に加える。無論、ファーヴニルとしてだ。お前が部隊長だ、お前が率いろ!!」
「はっ、ありがとうございます!!」
リヒテルはテレーゼよりアンゼルムの舎弟の事を知らされていた。
はぐれた三人は死んでいた……そしてさらにもう三人が戦闘で亡くなった。
それは弱さ故ではない、運が悪かったからだ。
あるいはリヒテルが蜂起を決意したから……それを埋め合わせるには生者を祝福するしかない。
確かに彼には未だ多くの欠点がある。だが自分には彼と彼らを一流にする義務がある。
(すまない。死んでいった者に俺ができるのはこれぐらいだ)
愚鈍で結構、無能でもいい。
現状を理解していなくても構わない。
人々を守るために命をかける戦士達……彼らがこの反乱が終結した後、一人でも生き残るように……心を砕く。
それは蛮勇を誇り、黒きスヴァルトと戦う命知らずの勇者を率いるリヒテルの、もう一つの真実であった。
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