第3話 いつまでも搾取されるものが弱いとなぜ思う
スラム街・バルムンク本拠地・銀の雀亭内部――――
スラムの中心にある居酒屋「銀の雀亭」……ここが盗賊団〈バルムンク〉の本拠地であることは住民には自明のことである。
その支配領域はスラム全域に及び、河を挟んだ市街にも及んでいるのだ。
たかが盗賊団と片づけるにはあまりにも強大であり、治安維持を担う神官兵ですらスラムではバルムンクに正面切って逆らえない。
ただ十年前の戦争より国の支配権を奪い取った〈黒きスヴァルト〉にとって、自分たち以外に権力を持つ人間は我慢ならず……バルムンクとスヴァルト、両者の関係は良く言って武装中立という剣呑なものになっていた。
「時間通りね……さすがはスヴァルト」
六時課の鐘(正午)の音とともに、ゆっくりと酒場の扉が開く。
現在、銀の雀亭は臨時休業であり、一般の客は入店できない。だから、入ってきた人間は客ではない。
褐色の肌と尖った耳は、国の大多数を占める〈白きアールヴ〉とは違う人種であることの証。
十年前に反乱を引き起こし、国の実権を奪い取った簒奪者。
黒きスヴァルトの兵士がそこにいた。
「臆病者のアールヴにしては、決闘とは洒落ているじゃないか、それも他人のことで」
「私達、バルムンクは弱者の味方ですの……貴方がた侵略者から人々を守るためにはいくらでも危険に飛び込みますわ」
少女の一言にスヴァルト兵は、にやりと嘲るように笑った。
まるで幼子の戯言を聞いたような、心底馬鹿にしたような嫌な笑い方であった。
「無知というのは恐ろしいな。俺らの怖さが分からないようだ……それとも、決闘方法は御飯事か何かか?」
「決闘方法はナイフ・デスマッチ」
少女が激昂する前に、傍らの従者が先を続けた。
兵士がやってきたのは少女との決闘のためであった。
兵士はスラムで理不尽な暴力をふるったのだ。バルムンクの庭であるスラムで……バルムンクは無礼者を生かして置くほど〈優しい〉組織ではない。
決闘はバルムンク流の制裁なのだ。
「どちらかが降伏するか、死ぬかで決着がつきます……勝った場合は金銭と名誉を、負けた場合は傷つけた者への償いをしてもらいます」
従者が腕をゆっくりと挙げる。決闘を行う二人はテーブルに突き刺さった大振りのナイフを手に取った。
「始め!!」
従者の腕が挙げた数倍の速さで振り降ろされる……瞬間、獲物を前にした猟犬のように二人が相手に食らいついた。
*****
スラム街・バルムンク本拠地・銀の雀亭内部――――
半日前・深夜――――
「娘は私の希望です……妻を戦争でなくしてから十年、男手一つで育ててきました……私はしがないスラムの靴屋です、稼ぎも良くありません……ですがこんな情けない男を父に持ちながら娘は健やかに成長し、私を慕ってもくれています……器量だって悪くありません……妻に似て……美人でした」
夜明け前、銀の雀亭に痩せたみすぼらしい男がやってきた。
彼はバルムンクの名を声高く叫び、その扉を叩いたのだ。
表向きは居酒屋と言っても、それは盗賊団の根城である。
深夜と言う時間もあり、用心棒のファーヴニル(無頼漢、この場合はバルムンクの兵士)の腹の虫具合では殺されていても不思議ではなかった。
だが男は幸運だった。
一仕事を終えて帰宅した蒼い髪の少女と出会ったからである。
頭領の娘であり、盗賊にしてスラムの統治者であるバルムンクの弱者救済という、光の部分を象徴する彼女は男の窮状を聞き、すぐさま室内に招き入れた。
「娘は意志の強い女です……曲がったことが大嫌いでね、特にあの黒い奴……スヴァルトの横暴にはいつも腹を立てていました……だから言ったんでしょう「この街から出ていけって」そうしたら、あいつは娘を殴ったんです……拳で何度も、顔の形が変わるまで」
男の前に三人の人物が立っていた。
正面には二十代半ばの男性。
がっちりとした体格で、険しい目つきの彼はバルムンクの副頭領であるリヒテル。
そして男の側から見て左にリヒテルの従者であるヴァンが侍る。
そして最後の一人、蒼い髪の少女が右側にいた。
頭領の娘であり、リヒテルにとっては姪にあたる、そしてヴァンにとっては幼馴染であり大切なヒトであった。
まるで晴れ渡った空のように透き通った蒼い髪に同色の瞳。
やや線の細い整った顔立ちは腐臭漂うスラムよりもむしろ、貴族の社交界にいる方がしっくりくる美しさであった。
だがその真の美しさはその内面にある。
情に厚く、人を差別しない公平さは特に〈罪人〉であり、それゆえ人々に嫌われるヴァンにとっては得難いものだ。
彼女のそばにいるだけ時だけ彼は自分の汚れた手を意識しないで済む。
子供っぽい考えだと思っていても、ずっとそばにいたい、近くで仕えていたいのだ。
それがいずれ失うものであるとわかっていても、あるいはバルムンクのスヴァルト打倒の悲願よりも彼女の安否の方がヴァンには余程重要なことかもしれない。
「教会には訴えたのか?」
リヒテルが静かに問うた。
盗賊団であるバルムンクに裁判権はない、揉め事を処理するのは統治階級である神官らの役目である。
だが敗戦以後、神官らはスヴァルトに追従するだけだった。
「奴ら……奴ら神官は娘をふしだらだから、淫乱の報いだとののしりました……そう噂も流しました。噂を流すのは法律違反じゃないでしょう。ですが、そんなの刑罰と変わりません。もう娘は外を出歩けませんよ。スヴァルトに股を開いた淫乱、どうしようもない売女とののしられて……潰れて見えなくなった右目を抱えて泣くしかないんです。どうか、お願いです。スヴァルトに裁きを……報いを与えてください。そのためなら、店をあげます。わしを奴隷として売り払ってください」
男の必死な訴えにしかし、副頭領リヒテルは重く沈黙を貫いた。ヴァンもまた無表情だった。
二人は共に組織の暗部を司るもの。
ヴァンは鍛錬により表情を変えられなくなった、そしてリヒテルは男の訴えを真実か否かと疑ってしまう。
全てが偽りで、バルムンクを罠にかける狂言なのではないかと疑ってしまうのだ。
手を血に染めてきた故の悲しい性である。
だから泣くのも怒るのも、テレーゼの役目であった。
「何もいりません」
「はっ……?」
「貴方が奴隷として売られれば、娘は一人になってしまいます。そんなこと私にはできません。だから、何もいりませんわ」
「ですが……貴方方に動いていただいてそんな、恐れ多い……」
男は狼狽えていた。ヴァンはそれが〈恐れ〉であると推察する。
訳の分からない盗賊に無償の奉仕を受ける、後でどんな代償を要求されるか知れたものではない。
だがしかし、テレーゼは別な意味に取ったようだった。
「だったら、全てが上首尾に終わったら遊びに行きますから、ごちそうしてください。とにかく辛い物を……それで大丈夫です」
テレーゼの天真爛漫な笑みにリヒテルはあきれ果てたような顔で溜息をつく、半分は男へのメッセージである。
バルムンクという組織は手を貸さない、貸すのはテレーゼ。
だから……代償は彼女だけに払うがよい、と。
その瞬間に契約は交わされた。
行使されるは復讐、条件は償い……そして賭けられるのはテレーゼの命だった。
*****
スラム街・バルムンク本拠地・銀の雀亭内部――――
現在――――
「少しは愉しませてくれよ、ファーヴニルの女!!」
「……!!」
決闘は続く。
テレーゼとスヴァルト兵のナイフが激突、斬り合いになった。
両者とも大振りは避け、細かくナイフを動かして相手の得物を横に払おうとする。
武器として重量が軽く射程の短いナイフは、剣とは違って武器以外での動作が極めて重要になるのだ。
ナイフでの戦闘で決め手となるのはナイフだけとは限らない。
拳に蹴り、頭突き……身体全てが武器であり、そして弱点でもある。
一瞬ごとに凄まじい量の選択肢が現れ……選択を誤れば、死に至る。
しかもその剣速に身のこなし……スヴァルト兵のそれは常人どころかファーヴニルでも目で追えない。
かなりの修練を積んでいるのだ……そしてそれについて行っているテレーゼも。
「ははは、見直したぞ。アールヴにしてはやるじゃないか。俺が殴った淫乱に爪の垢でも飲ませてやりたいぜ」
「それは貴方が流した噂でしょう!!」
スヴァルト兵の言い草にテレーゼが激昂する。
その攻撃はさらに速さを増し、次第に敵を上回っていく。
「スヴァルトに逆らった奴はどんな辱めを受けても仕方がないのさ。俺らは主人、お前らは家畜……家畜にムチを振るうのをためらってはいけない、無知な家畜のためにならないからな!!」
「ふざけるな!!」
完全に頭に血が昇ったテレーゼが渾身の突きを繰り出す。
それは今までにない程のすさまじい速さ。それは兵士がとても対応できるわけもなく、だが……読まれていた。
「かかったな、アホが!! 俺が右目を潰したから、意趣返しにそこを狙うのは予想済みだ!!」
スヴァルト兵は、復讐に燃えるテレーゼが暴行を加えた女と同じ傷を与えることにこだわると予測していた。
だからどれほどの速度であっても攻撃を見極められたのだ、そして見極めたからこそ対抗策を編み出すのもまた容易。
スヴァルト兵はテレーゼの、右目を狙った突きにあえて右腕を差し出した。
「ぐっ……!!」
当然のごとく突き刺さるテレーゼのナイフ、だがそれでテレーゼの得物はなくなった。
初めからスヴァルト兵は無傷で勝利できるとは考えてはいなかったのだ。
彼は勝利のために右腕を差し出した。太い血管を斬られれば、腕を喪失する危険をあえて冒したのだ。
そして賭けにスヴァルト兵は勝った。
「へ、へへ……いい勝負だったな!!」
スヴァルト兵は即座にナイフを左手に持ち替え、そのままカウンターの要領で トドメの一撃を放つ。
テレーゼは突きの体勢から回復しきれない、彼が右腕に力をかけて筋肉で突き刺さったナイフを圧迫しているため、武器を取り戻すことも出来ない。
勝負あった、彼のナイフは真っ直ぐに眼下にある少女の顔を貫く……寸前で停止した。
「……」
兵士は目の前で起きたことが信じられなかった。
己が得物がいつの間にか柄だけで、刀身がなくなっていたのだ。
まるで初めから……そうなっていたかのように。
「折った……馬鹿な、手の甲でナイフを叩き折ったのか!!」
「読み合いは……私の勝ちですわね」
ファーヴニルすら目で追えない駿速の刺突。
テレーゼはただ放たれたナイフの刀身に対し、垂直に手の甲を叩きつけただけ。
ただそれだけ……しかし、その絶技を見せられたスヴァルト兵の目に恐怖が満ちる。
自分は……遊ばれていたのか。
「まだだ……!!」
それでも勇猛なるスヴァルト兵は抵抗を試みる。
柄だけとなったナイフを捨て、徒手空拳の構えを取ろうとする。
だがそれは誰でも思いつく次善策……今度はスヴァルト兵がその動きを読まれた。
高く高く上げられた脚……スヴァルト兵にはそれが、巨大な鉄槌に見えた。
「化け物……め」
体重と速度、貯めこまれた身体のエネルギーが一点に集中した踵落とし。
スヴァルト兵がわずかに回避運動を行った故に、その破壊力は顔の中心を撃ち抜いた。
鼻が砕け、衝撃で前歯が吹き飛び、打たれた釘のようにスヴァルト兵は床に叩き付けられる。
白目を見せ、口から赤い泡を吐くその姿は紛れもない敗者の姿……あるいは弾圧された、か弱き民衆にも見えるだろうか。
件の兵士は、民衆を虐げられてきた彼は、〈自分が弾圧される〉貴重な体験をしたのだ。
「決闘、終了……さすが私ですわね」
「床板の修理代……お嬢様の給料から引きますからね」
「ええぇ、ちょっとヴァン!!」
決闘の勝利……その余韻を味わうことなく、テレーゼが素っ頓狂な声を挙げる。
それは決闘の介添人たるヴァンに対する非難も含まれていた、無論、その避難をヴァンは聞き流す。
「床の修理は私がやりますから、テレーゼお嬢様は掃除をしてください……これで夕方に店を開けられない」
*****
スラム街・バルムンク本拠地・銀の雀亭内部―――
半日後・深夜――――
「まさか、騎士が来るとは思わなかった」
「バルムンク相手に部下を犠牲にしたくなかったのでな」
決闘より半日。
ちょうど、男が訴えたちょうど同じ、深夜の時間に銀の雀亭にスヴァルトの騎士がやってきていた。
彼は半日前に決闘した兵士の直属の上司、騎士だ。
精緻な飾り布で自らを誇示する彼ら騎士階級は武勇に優れ、有事には部隊を率いるスヴァルトにとって軍事の要である。爵位持ちとまではいかないが、階級の上位に君臨し、平民では声をかけることすら許されないとまで言われている。
ちなみに今、銀の雀亭にいるのはリヒテル一人だ、決闘に関係しているヴァンとテレーゼはここにはいない。
あまりにも危険だからである。
「騎士が乗り込んできても動じずか……バルムンクは頭領が病気だと聞いたが、副頭領であるお前がいれば当分は安泰のようだな」
「頭領あっての私だ。それは買いかぶりというものだ……」
「謙遜はよい、お前はアールヴでありながら、私に譲歩させたのだ。誇っていいぞ」
あくまでも傲慢、だがそこに憤怒の色がない事ににリヒテルは内心、安堵する。 今回の決闘、いろいろと根回しをしたのだが、それでも不安であった。
スヴァルトは選民主義、下級兵士だとしても、同族を傷つけた報いとしてスラムを焼き払うぐらい、スヴァルトはやりかねないのだ。
「決闘のことは聞いている、だが今回はそのことでお前らに罰を下すことはない」
「随分と譲歩するのだな」
「我らを侮辱した女は罪人……だがそれでも、失明するほどの罰は過大だ」
「……」
しかしスヴァルト人は同時に規律にもひどく厳しいのだった。
不正は許さない、法は犯さない、そして……罰は同族にこそ重く与える。
「秩序を乱すものは同じスヴァルトでも許さない、我々は選ばれた存在だ。腐敗しきったお前らアールヴとは違う。件の娘には金銭と、良縁を紹介してやろう。それで文句はないな」
「……いや、まだだ」
リヒテルの制止に騎士が胡乱げな表情をする。これから言うことを彼は予想できなかっただろう、とリヒテルは心が冷たくなるのを覚えながら、言い放った。
「本当に悪いと思っているのなら、誠意ある謝罪を要求する。私にではない、件の娘にだ」
「スヴァルトである私に家畜に謝れと……」
「そうだ」
リヒテルは騎士の射殺すかのような視線に真っ向から睨みかえす。短い応酬の後、ゆっくりと騎士の肩を落ちた。
「分かった……部下とともに謝罪を行おう」
「それでいい」
憎々しい表情のまま、彼は立ち去っていく。
それは負け犬の姿。だが、それは自らの信念に殉じた結果でもある。例えば、腐りきった神官ならば、そんな良心など期待できなかったであろう。
だからこそ……十年前の戦争で少数のスヴァルトは大兵力の神官軍を破ったのだ。
「勘違いしているようだから、言っておく。この国はもう、我らスヴァルトの物だ。お前らは従うしかない!!」
「分かっている」
十年前の敗戦以降、この国はスヴァルト人の物だった。政治中枢はスヴァルトに占められ、大多数のアールヴは搾取される立場に零落した。
だが、それに甘んじるようなリヒテルではない。ゆっくりと反撃の爪は研いできた。それを振るうのもそう遠くのものではない。
「いつまでも搾取されるものが弱いとお前らスヴァルトはなぜ思う?」
その言葉は誰に聞こえることもなく、夜の闇に消えた。今はただの世迷言、それが現実となるか否かは誰も知らない。
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