第十六話 舞い上り過ぎ

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ブリッツェンさん。随分と早く戻られたのですね」

「アルトゥール様にも言われました」


 王都に戻った昨日は聖女邸に泊まり、今朝方は王宮にあるアルトゥールの執務室へ直行したため、我が家・・・であるライツェントシルト公爵邸に戻ってきたのは久しぶりになる。

 そんな俺を出迎えてくれた”愛しのアイドル”アーデルハイトと共にリビングに向かい、ちょっとしたお茶会的な雑談をすることになった。


「シェーンハイト様は学院ですか?」

「あら、久しぶりにこうして顔を合わせたというのに、私よりシェーンハイトのことが気になるのかしら?」

「え、……いや、シェーンハイト様は一応私の弟子になりますので、私のいない間の修業はどうだったのかが気になりまして、決してアーデルハイト様をないがしろにしたわけではありません」


 久しぶりに合ったアーデルハイトは、相も変わらず美しい。どれくらい美しいかと言うと、……とにかく美しいのだ。

 そんなアーデルハイトと向き合い、ある意味二人きりである現状に緊張していた俺は、会話の切っ掛けを求めるべくシェーンハイトの名を出していた。が、それは失策だったらしい。

 なぜなら、俺の発言はアーデルハイトの少し拗ねた言動を引き出す結果となり、切っ掛け作りどころか、単に自分があたふたして、言い訳がましい言葉を羅列する醜態を曝す結果になってしまったのだから。


「冗談ですよ。ブリッツェンさんは年齢の割にしっかりしていますが、このような冗談で慌ててしまうなんて、まだまだ子どもらしい部分があるのですね」

「わ、私は身長が低いですし、見た目どおりまだ子どもですので」


 それは違う。

 世の男性を虜にする要素を詰め合わせた、美の完成形ともいえるアーデルハイト。

 究極の美を体現する彼女は、造り物では出せない自然な表情や仕草も併せ持つ。

 そのような魅力的な女性と二人っきりになれば、冗談を言われた子どもではなく、おとことしてドキドキしてしまい、慌てふためくのは仕方のないことだ。


 そう、これは抗うことのできないない、”おとこさが”なのである。


 思い返せば、公爵邸で世話になって一年をここで過ごしたが、俺の行動は基本的にシェーンハイトと共にあった。なので、アーデルハイトと顔を合わせる際には、毎回必ずシェーンハイトも同席していたのだ。

 そう考えると、こうしてアーデルハイトと二人きりで会うのは、何気に初めてなのだと気付く。


 そんな重要なことを失念していた俺は、アーデルハイトの慈悲深い笑顔だけを思い出し、『愛しのアイドルが待つ我が家に帰ろう』と、いそいそと帰宅していたのだからお笑い草だ。


「そうそう、修業といえば、シェーンハイトは私には見せてくれないのです。『いくらお母様と言えども、勝手に見せるわけにはいけません』と」


 自嘲する俺を他所に、節榑ふしくれ立つ男のそれとは全く異なる、スラリと伸びる白魚のような指を頬に当て、哀愁漂う笑みを浮かべるアーデルハイト。

 それを目にした俺は、自分をさげすんでいたことなどスッポリ頭から抜け落ち、直視するのもはばかられそうなアーデルハイトの、とても惚れ惚れするような美しい仕草や表情に、自然と釘付けになってしまった。


 だがしかーし、ここで見惚れてしまっては、いつものようにアーデルハイト様に突っ込まれてしまう。ふっ、危なかったぜ。


 今日の俺はいつもと違い、惚けることなくハニートラップに気付けたので、しっかり反撃することにした。


「アーデルハイト様には失礼かと存じますが、私からすると嬉しい対応ですね」

「それは、母娘といえしっかり守秘義務を守っているからですか?」


 俺の反撃などなんのその、アーデルハイトは普通に会話を続けたきた。

 それも当然だろう。罠やら反撃やらと思っているのは俺だけで、アーデルハイトは普通に会話をしているだけなのだから……。


「身を守るための特殊な技術ですからね、そこは血縁者であっても簡単に教えられないので、それをしっかり守っているシェーンハイト様を褒めてあげたいです。――あっ、私が褒めるなど烏滸おこがましいですね。すみませんでした」


 頭を下げた俺は少々狼狽うろたえてしまい、軽く視線が泳いだところでメイドの姿が目に飛び込んできた。


 現在、会話自体はアーデルハイトと二人でしている。その場所は、公爵邸のリビングという広々とした密室だ。そうなると、いくら子どもとはいえ男性の俺が公爵夫人と二人きりになることは拙い。

 結果、俺の専属メイドであるフィリッパを含めた数名のメイドが、このリビングにいるのだ。

 そのため、”魔法”という名称は出さずに会話をしているのだが、メイド達から何について会話をしているのか、などという質問は当然ながらない。


 一応、俺は冒険者としてそれなりの実績があるので、俺が公爵家に滞在している名目は、シェーンハイトに護身や護衛術、それと勉強も教えているということになっている。


 閑話休題。


「いいえ。ブリッツェンさんに褒められたら、シェーンハイトはさぞかし喜ぶでしょう。是非、褒めてあげてくださいね」


 そう言って微笑むアーデルハイトの笑顔は、まさに地上に舞い降りた女神のようで、その慈愛に満ちた表情は、俺の心をギュッと掴み捕らえて離さなかった。


「ブリッツェンさん、どうかなさいましたか?」

「……え、いや、アーデルハイト様に見惚れ……じゃなくて、アーデルハイト様も高貴な身の上のお方ですので、”護身術”を身に付けるのは良いことではないか、と考えていたのです」

「あら、私にも教えてくださるのですか?」


 しまった! アーデルハイト様に見惚れていたのを誤魔化そうとして、つい余計なことを口走ってしまった。いくらなんでもアドリブ弱すぎだろ俺……。


「ええと、私の一存では決められませんので、アルトゥール様に相談してみます」

「うふふ、楽しみだわ」


 この笑顔は本当に楽しみにしている笑顔だ。でもまぁ、魔法の存在を知らない人に広めるのではなく、もともと俺が魔法使いだと知っているアーデルハイト様なら問題ない! 確かにアーデルハイト様は高い身分の方なのだから、魔法を覚えて、もし使えるようになれば護身のためになる。と、俺は自分のミスをなかったことにするよう、意識をサラッと切り替えた。


 どうやら魔法に興味のあったらしいアーデルハイトは、確定ではないが『護身術と言う名の魔法』を教えてもらえるかもしれない状況に、とても気分を良くしたようだ。

 それは、なんて事無い雑談をしているだけであっても、極上の笑顔のまま終始していたことからもわかる。


 いや、普段から”笑顔以外の表情はない”と思えるほど、笑顔のバリエーションが多いアーデルハイト様の、普段の笑顔が胡散臭いとかではないよ。アルトゥール様じゃあるまいし。

 いつも心の篭った笑顔ではあるけれど、今日の笑顔は格段に嬉しさが含まれている、というかなんというか。……って、俺は誰に言い訳しているんだ。


 良い意味で心が掻き乱されたアーデルハイトとのお茶会は、途中から気持ちを切り替えた俺にすれば、天にも昇る心地を味わえた至福のひと時で、気持ち的にもの凄く癒された。癒やされたのだが――


 なんかもう、この女性ひとが人妻とか関係なくなってきた!

 どうする? 告る? 告っちゃう?!


 などと、あまりにも舞い上り過ぎた俺は、おかしな思考になってしまった。


 生涯童貞野郎の俺は、日本人時代を含めて女性に告白などした経験はなく、『どう告白するか?』などと真剣に考えてしまう始末だ。

 だが、知識にも経験にも無いことを、あまりにも必死に考えていた所為だろうか、低性能な俺の脳はあっという間に沸騰し、考えられなくなってしまう。

 程なくして頭が冷めると、賢者タイムばりに冷静になった俺は『あっ、無理だ』と気付き、ふと『アーデルハイト様は俺のアイドル』理論を思い出し、無謀な行動を起こさずに済んだのであった。


 それから少しすると、上流学院からシェーンハイトが帰宅する。

 久しぶりの再会を果たしたシェーンハイトに、堅苦しくない程度の挨拶を済ませると、お待ちかねの今回の旅の話だ。

 アーデルハイトはいくらでも聞く時間があったにも拘らず、『二度手間になるから』と気を遣っくれており、シェーンハイトの帰宅を待ってくれていたのである。


 話自体はアルトゥールに報告したように、魔法使い村のことをぼかして・・・・語った。

 二人はとても楽しそうに聞いていたのだが、英雄譚が大好きなシェーンハイトは、ドラゴン退治の話になると少年・・のように目をキラッキラに輝かせ、顔を上気させている。


 シェーンハイト様はめっちゃ美少女なんだけど、コレ系の話になると前のめりで落ち着きが無くなるのが玉に瑕なんだよな……。まぁ、頬を赤らめて興奮している表情は、それはそれで可愛いんですけどね。


 そんな和やかな時間の後は、『修業の成果を見て欲しい』と言うシェーンハイトの言葉で、名残惜しそうなアーデルハイトをリビングに残して修練場に移動した。そして、シェーンハイトと双子の進捗状況の確認をすることとなる。


 俺も、『もっとアーデルハイト様とお喋りがしたかった』と思ってはいたが、それはそれ。魔法の師匠として、愛弟子の成長を確かめるのは大切な役目だ、と気持を切り替え、後ろ髪を引かれつつもリビングを後にした。

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