第七話 現実逃避

「現状、あやつらはここが何処だかわかっておらん。今ならまだ引き返す事を許そう。本来なら、それすらも認められんのじゃが、……ここは儂が無理を通す」


 師匠は気遣ってくれたのだろうか、俺の知っている師匠はもっと淡々とした喋り口調なのだが、今の言葉には気の重さ的なものが感じられた。

 そんな師匠の雰囲気は、痛まし気な瞳で俺を見ていたのが『勘違いではない』、そう思えるものであった。


「しかし、咄嗟のこととはいえ、俺は攻撃を躱す際に魔法を行使してしまいました。それに、あの女性が”魔法”という言葉を何度も口にしていましたし、それに――」


 俺は気遣いをみせる師匠に申し訳無さを感じつつ、事のあらましを伝えた。


「なっ、そんな事になっておったのか……」

「はい……」


 シュヴァーンの皆は、そもそも魔法が何だかわかっていないようだった。だが、俺達の攻防を見て、魔術と似ているが違う術かなにかと認識しただろう。そして、俺が魔法とやらを使えるとも認識してしまったはずだ。

 そうなると、上手い方便で誤魔化す……というのはかなり難しいと思う。ならば、当初の予定通り魔法を教えるのが最善であろう。


「ブリッツェン、そこまで知られてしまったのであれば、あやつらをここから出すわけにはいかんの」

「わかっています」

「で、これはお前さんの目論見通りなのかや?」

「彼等にも魔法を覚えて欲しいと思っていたので、あわよくば……と」


 長い顎髭を扱きながら、師匠は「ふむ」と一言呟くと、一度瞳を閉じた。そして、クワッという感じで双眸を開くと、鋭い視線を向けてきた。

 いや、師匠は無表情の人なので、実際には鋭くなったように感じただけだが、多分間違っていないだろう。


「それを、あやつらは望んでおったか?」

「…………」

「ブリッツェンが良かれと思い、あやつらが仮に受け入れたとしても、その確認もなく、その状況に身を置かせる。それは良いことかの?」

「…………」

「のぉブリッツェン、お主が良かれと思っても、それが必ずしも正しいとは限らんのじゃ」


 何も言えなかった。わかっていたが、敢えて自分で蓋をして目を逸らしていた事実を突き付けられ、真実に向き合わされ、逃げ出したいのに逃げ出せない。

 針の筵……、とは良く言ったもので、今の俺がまさにその状況だ。


「儂とて、魔法の素晴らしさは理解しておる。多くの者に伝えてあげたいと思ったものじゃ。じゃがの、現実はそれも叶わぬ。精々が魔法を実際に使っている者に声をかけるくらい、……儂がブリッツェンにしたようにの」


 確かに、俺が魔法を使っていたからこそ、師匠は俺に声をかけてくれた。


「魔法は使えるが、我流ゆえ上手く使えない。そういった者に教えるのはまぁ良しとしよう。じゃが、教えを乞うておらず、それこそ魔法の存在すら知らぬ一般人に、一から魔法を教え込む。そんなのはこちら側の勝手な都合であり、押し付けでしかないのじゃ。――更に、もしその者が魔法を使えなければ、魔術契約書で以て秘密を漏らさないようにする。……そんなもの、望んでする者などおるまい」

「…………」

「それとの、魔術契約じゃが、元となった魔法が当然ある。じゃがの、魂を縛るそんな魔法、儂らとて使いたくないわい。謂わば、禁術のようなものだからの」


 魂を縛る禁術……か。


「しかし、今回は最悪それをせねばならぬ。全員が魔力制御ができるようになり、魔法使いになれるのであれば、結果的に『良かった』となるが、そうならないことも十分ありえる」

「…………」

「ブリッツェン、こうなった以上、あやつらには是が非でも魔法使いになってもらう。そして、これ以上一般人に魔法を教えようとするのはよすのじゃ」

「わかり、ました……」


 王女誘拐事件で冤罪から逃れるため、俺が魔法使いであることをアルトゥールに告げて以降、知らぬ間にたがが外れてしまったのだろうか、これくらいなら大丈夫と、ズルズル魔法使いを増やしていた。


『自分が魔法使いであると知られることは、自分の身に危険が迫り易くなることじゃ。今回は家族に教える。大丈夫そうだから次は知人に教える。そして次は……。そうやって教えることに危機感を感じなくなるかもしれん。そして秘密を持つ者が増えれば、その秘密が漏れる危険性が増える。最終的に自分の首を絞める行動を取ろうとしていることを、努々ゆめゆめ忘れるでないぞ』


 師匠に言われたこの言葉、忘れたつもりはないが、俺の中で言葉の重みが軽くなっていた。

 もしかしたら、王都であれば何だかんだ問題なく大丈夫だったかもしれない。

 だがここは何処だ? 長い年月、一般人の目を欺き細々と生活していた魔法使い達の住む村だ。そんなところに、俺が魔法を教えてあげたいからと一般人を連れてきてしまった。

 最悪の場合、今まで何の不自由もなく安全に生活していた魔法使い。そんな者達を危機に晒す可能性があったというのに。


 魔法は素晴らしい。

 魔法を使えると便利。

 それなら親しい人には是非覚えてもらいたい。

 しかし、必ず使えるようになるわけではない。

 それでも幸いなことに、現状は教えれば必ず全員が魔法を使えている。

 次はシュヴァーンの皆にも覚えてもらおう。


 今思うと、アルトゥールに俺が魔法使いであると知られたことも含め、結果的に良い方向に物事が進んでいた。ある意味、トントン拍子で成功への道を歩んできていたようなものだ。それがいけなかったのだろう。


 常に上手くやれていたことで、何処かで気が大きくなっていたのかもしれない。

 自分を慕ってくれているシュヴァーンの皆だけではなく、無関係な魔法使いの村の迷惑になるかもしれない、そんな行動を平気でしていたのだから。


「ブリッツェン、お主はきっと大きな後悔と共に反省をしているのじゃろう。だからこれ以上は何も言わん。それでも最後に一言だけ伝えておく。これでもなお、一般人に魔法を教えようと思うのであれば、……必ず魔法使いに仕立て上げろ」


 まさかの言葉だった。

 てっきり、先程の『これ以上一般人に魔法を教えようとするのはよせ』いう言葉を、再度念押ししてくるかと思っていたので、想定外過ぎる師匠の言葉に、俺は完全に不意を突かれた。


「この村には、魔法使いで無い者もいる。両親が魔法使いでも、その子どもは魔力制御ができない、などといったことはザラじゃ。しかしの、死するまで魔法が使えない者はいない。それは、他を投げ打って生涯鍛錬を積み、必ず魔法使いになっておるからじゃ」


 魔力制御がセンスである以上、例え親が優れていても、子まで優れているとは限らない。それは理解している。でも、生涯鍛錬を積めば必ず魔法使いになれるのか。


「それができるのは、村人全員が家族みたいなもんじゃからじゃ。鍛錬に集中する者の代わりに、他の者が仕事をするなど、全員が魔法使いになれるように助け合っておるのじゃ」


 村として大きな目標、全員が魔法使いになることがかかげられていれば、それは可能なの……か?


「だからの、そういった状況が作れるのであれば、全員を魔法使い仕立て上げることもできる。そして、そんな世界をブリッツェンが目指すのであれば……”可能”だと儂は思っている」

「できるでしょうか?」


 俺は不安な気持ちで確認した。

 だが、『できる』『できない』の不安以上に、師匠の真意がわからないことの方が不安であった。

 なぜなら師匠は、俺にこれ以上魔法を教えるな、と言ったかと思えば、舌の根が乾く間もなく、教えるなら必ず魔法使いに仕立て上げろ、などと言い出し、極めつけは、俺なら全員が魔法使いを目指せる状況が作れると言う。


 俺は戸惑いつつも思考する……が、思考回路がショート寸前で、考えることですら儘ならない。そんな俺を他所に、師匠が更に言葉を口にする。


「今は時期尚早じゃ。それでも、何れ機会が訪れるやもしれん。その時までに下準備をしっかり行なうが良かろう。それも強引な、自己満足の為の手段を使わずにな」


 何を言っているのかわからない。いや、言葉の意味はわかるが、師匠の真意が相変わらずわからない。


 俺の頭の中は相も変わらず混沌としているが、師匠にそう言われるとやれる気がしてきた。……違う。考えることを諦め、『師匠の言うことを信じてみよう』と思うことで、考えることから逃げたのだ。


 今は考えるのはよそう。俺が考えるべきことは目先のこと……そう、シュヴァーンのことだ。


「まぁ、取り敢えずあやつらに真実を伝えてみよ。そして、心からの信用を得よ。禁術など必要のない状況を作ってみよ。あやつらには申し訳ないが、ブリッツェンが成長するための糧になってもらう。当然ただの糧ではなく、あやつらにも立派な魔法使いになってもらうがの」


 師匠はそう言うと、俺が口を開く前に「皆を集める」と言うや否や、飄々と部屋を出ていく。

 俺はその師匠の後ろ姿を眺めながら、『取り敢えず深く考えるのは止めて、シュヴァーンにしっかり話を伝え、全員に魔法を覚えてもらおう』と、何度も自分に言い聞かせた。

 それは、考えることから逃れ、心の安寧を求めた結果、自己防衛プログラム的に、身体が勝手に反応してくれたのだろう。……きっと、俺が心の奥底でそう望んでしまったから。


 自我をしっかり保っていれば、『相変わらず自分勝手な考えで虫酸が走る』、とでも思ったかもしれない。だが今の俺は、自分が考え、自分が口にした言葉の結果、自分を追い込むことになった。

 そうなると、一番楽な現実逃避を選んでしまう。


 俺の心は、いつになれば成長するのだろうか……。

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