第七話 胃痛
現在、王弟とその妻アーデルハイト、二人の娘であるシェーンハイトが席に座り、その後方に内務伯と呼ばれた老人とヴィルヘルムと呼ばれた騎士の五人のみがこの場に残った。
王弟はおもむろに、「ここからは無礼講でいいよ。ヴィルヘルム、ブリッツェン君に席を用意してやって。内務伯はアレを設置して」と言う流れから、俺はヴィルヘルムと呼ばれる方に席を与えられ、王弟の目の前に座らされた。
椅子に座る際、そして今も、俺は視線を上げないように注意を払っている。
ちなみに、内務伯が設置したアレというのは、道具の設置範囲内の音を外部に漏らさない、多分だが盗聴防止の類の魔導具のようだ。
それはそうと、無礼講と言われて急になにか喋れるでもなく、俺は硬直して俯いていた。
「あなた? 初めて王宮で王弟と謁見することになった少年が、急に無礼講だと言われても何も言えませんよ」
聞き覚えのある懐かしい声。鈴の音を思わせる美声の出処は俯いた俺の視界に捕らえていないが、聞き間違えるはずがない、アーデルハイトだ。その彼女が王弟を諭すように説いてくれ、そのままこちらに声をかけてくれた。
「キーファシュタット以来ですね、ブリッツェンさん。随分とご立派になられましたね。レギーナ王女救出、感謝致します」
「ブリッツェン様、先日以来でございますね。わたくしもレギーナお姉さまの妹分として、お姉さまを救ってくださり感謝しております。ありがとうございました」
地上に舞い降りた女神の如き存在のアーデルハイトが、なんと俺を覚えていてくれたのだ。その事実に俺が舞い上がりそうになったところで、シェーンハイトも謝辞を述べてきた。
そのシェーンハイトは、俯いている俺には見えないがどうやらまた頭を下げたようで、アーデルハイトから「シェーンハイト、人前で簡単に頭を下げるものではありませんよ」と、先日シェーンハイトから聞いたばかりのお小言を言われていたが、俺は聞こえいてないフリをしながら「お久しぶりにございます。お言葉、大変光栄に存じます」と、弾けそうな内心を抑えて慇懃に応える。
そして、お小言などなんのそのといった感じのシェーンハイトは、「お父さま、こちらはあのブリッツェン様ですよ。八歳の時分に盗賊を退治され、子どもながらに騎士をあと一歩まで追い詰めたお方です。それに、あのメルケルの聖女様の弟御でもあるのですよ」と言い出した。
シェーンハイトの表情は見えないが、声の調子からテンションの高さが伺える。
そんなシェーンハイトがアンゲラを聖女と呼んでいるのは先日判明したが、この様子だと、シェーンハイト以外の方々にもアンゲラは聖女として名が知られていると思われる。
娘が楽しそうに語るのを聞いた王弟は、「ほう」と呟き、俯いていた俺に「ブリッツェン君、面を上げてくれるかい」と言うではないか。
このような場でお偉方と顔を合わせるなど小心者の俺にはハードルが高く、できれば俯いたまま事が終わって欲しいと思っていたのだが、顔を上げろと命令……というには優しい言い方であったが、そう言われてしまえば上げないわけにはいかない。
きっと表情が強張っているであろう俺は、声が上ずらないように「ハッ」と返事をして顔を上げたのだが、五人の視線が全員自分に向いているとわかると、身体までもが強張ってしまった。
そんな俺を見た王弟は、「今日は私的な会見だからね、そんなに緊張しなくてもいいよ」と笑いながら言うのだが、言われて『そうですか』と気を抜けるはずもなかった。
未だに緊張の解れない俺に、「まぁ、堅苦しいのは止めにして少し話しをしよう」と微笑んだまま王弟は両肘を机に置き、組んだ両拳に顎を乗せる。
「八歳の子供が盗賊を討伐したという話は数年前にシェーンハイトから聞いていたけれど、それは君だったのかい?」
「ハッ」
「まだまだ硬いね。まぁ、王弟アルトゥールとして今日は君を呼んだわけだけど、今はそんなことは気にせず、一個人のアルトゥール ・フォン・ライツェントシルとして接して欲しいな」
俺の緊張をほぐそうと苦心してくれている王弟は、プラチナブロンドに月明かりのようなゴールドの瞳なので、王族であることは一目瞭然だ。
そんな王弟は、表情こそ笑顔であるものの、優しげな目の奥に光る瞳は眼力が尋常ではなく、直視するにはかなりの胆力を要するだろう。その証拠に、俺は無意識に直視しないよう僅かに視線をずらしていた。
「で、では、ライツェントシル公爵とお呼びして宜しいでしょうか?」
「う~ん、気軽にアルトゥールと呼んで欲しいかな」
そう告げる王弟は、より深い笑みでこちらを見てきた。
俺としては、王弟殿下と呼ばないだけでも譲歩したつもりだったのだが……。
「では、アルトゥール様と呼ばせて頂きます」
「うん、それでいいよ」
どうやらこれで良いらしいが、名前を呼ぶだけのことですら正直かなりキツい。
「さて、お話しをさせてもらうよ。今回の件なんだけど、騎士団六名が死傷した相手を全員倒したそうだね。その前には、小規模とはいえ伏魔殿を平定させたことがあるとも聞いたよ。失礼だけど、僕には君がそれ程強そうには見えないのだけれど……。ヴィルヘルム、このブリッツェン君をどう思う?」
王弟――アルトゥールは俺に何か質問してくるのかと思いきや、ヴィルヘルムに問うて何やら値踏みしている。
護衛として唯一この場に残ったヴィルヘルムは、豪猪な鎧に身を包まれてはいるが、その中に筋肉の鎧を纏っていることが容易に想像できる三十半ばほどの騎士だ。
「ぱっと見では、騎士団が倒せなかった盗賊を倒せるとは思えませぬ。ですが、纏っている雰囲気に只ならぬものを感じます」
念のために魔力素と魔力を隠蔽するようにしているけど、武の達人……と思わしきレベルになると、何かしらの雰囲気を感じ取ることができるのだろうか? となれば、今後はそういったことも隠蔽するようにしないといけないな。できるかわからないけど……。
「したがって、噂が事実であってもおかしくなでしょう」
目を細め、鋭い視線でこちらを窺っていたヴィルヘルムが、すっと表情を戻しアルトゥールに向かいそう告げる。
ほう、という表情を見せたアルトゥールの目が殊更鋭くなり「その実力、是非見てみたいね」などと言うので、俺は顔を
「ブリッツェン様は以前にも盗賊討伐の実績がございますし、今回は重症だった生き残りの兵を回復させたと伺っております。聖女様の弟御であらせられるブリッツェン様は、聖なる癒やしも得意なのではないかと、わたくしは思っているのですよ」
精神力が脆弱な俺が、キリキリと痛む胃を擦りたいのを堪えているというのに、シェーンハイトが月の輝きを思わせる美しい金色の瞳をキラキラとさせ、しれっととんでもないキラーパスを出すではないか。
頬が引き攣りそうになるのを堪えながらそんなことを思っていると、確かに王女救出時、俺は無意識に魔法を使ってしまっていた、と今更思い出した。
それはそうと、俺は光属性の回復魔法も使えるがあまり得意でなく、魔術である聖なる癒やしは完全に使えない。そして、確かに重症の騎士を治したけれど、こんなことは想定していなかったのだ。こうなると、今になってあの騎士を助けたことを後悔してしまう。
だがしかし、エルフィと王都を目指している途中で、なんと”なんちゃって魔法陣”を遂に発動できたのだ。であれば、多分誤魔化せるのではないかとも思っているので、『試しに治してみろ』と言われても、対応はできると思う。自信はないが。
「先程もシェーンハイトが口にしていたけれど、シェーンハイトはその聖女とやらと顔見知りなのかい?」
アルトゥールがシェーンハイトに問うたのを聞いて、『知ってるんじゃなかったの?!』と思ってしまった。
それはさておき、良くも悪くも自分のことで家族を関わらせたくないので、アンゲラのこともできれば話題にして欲しくないのが正直な気持ちだ。
「何度もお話しをさせて頂きましたので見知っております。わたくしは毎日でも神殿に伺いたいのですが、なかなかそれも叶いません。――アンゲラ様は聖なる癒やしがとてもお上手な上に見目麗しく、それでいて非常に慈悲深くお優しい、まさにに聖女と呼ばれるに相応しいお方です。わたくしの憧れなのですよ、お父さま」
それはそれは嬉しそうにアルトゥールへ語るシェーンハイト。話題にはして欲しくはないが、アンゲラが褒められていると俺もなんだか嬉しくなる。
「僕も話には聞いていたけれど、シェーンハイトがそこまで言うのなら、一度くらい会ってみたいものだね」
俺そっちのけで会話をするアルトゥールとシェーンハイト父娘であったが、間にいるアーデルハイトがコホンと咳払いをし、にこやかな表情ながらも冷ややかな視線を二人に視線を送っていた。
その視線を感じたのであろう、僅かに身じろいだアルトゥールであったが、すぐに姿勢を整え「ところでブリッツェン君」、などと急に話しかけてくる。
「どうやら今回の事情聴取で、レギーナ王女の恩人たる君が三日も尋問されていたらしいね。一応聞いておくけど、君は何か知っていたり隠し立てとかしていたのかい?」
「私は真実をありのまま伝えました故、伝えたこと以上の詳細は何も知りません。――ですが……」
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