第二十四話 姉ちゃんは本当に良い女だぜ!

「……い、ブリ……」

「――ん~、もうちょっと……」

「起きなさいブリッツェン」

「……んぁ~、わかったよ……」


 エルフィに起こされた俺は、とてもスッキリ爽快とは言えないな朝を迎えた。


 昨夜、エルフィと見張りを交代した後はどうにか眠気を堪えて起きていたが、時間になってエドワルダと見張りを交代すると、俺はエドワルダ並のおやすみ三秒であっと言う間に眠っていた。それはもう夢など見れない程の熟睡だ。間違っても妖精が夢の中を飛び交うようなことはなかった。

 しかし、如何せん睡眠時間が短かった。

 地球時間的に言うと、二十時からエルフィ、二十三時から俺、二時からエドワルダと言う夜番の割り振りだったのだが、起床は四時なのだ。

 俺は眠れないまま夜番となったので、結局二時から四時までの二時間しか睡眠時間がなく、完全に寝不足だった。

 ちなみに、魔力素も全回復していないので、魔力疲労が残っている


「初回の今回は一泊だけなのだからシャンとしなさい。今夜は家で寝られるのよ」

「そうだね。頑張るよ」

「まったく、こんな様で良くも丸々一ヶ月も伏魔殿で寝泊まりするなんて言えたものね」

「……反省しております」


 エドワルダの前でも素の自分で喋るエルフィは、却下された俺のボツ企画を引き出し、冷たい視線でグサグサと射抜いてきた。

 これも愛のムチなのだろうと、俺は素直に頭を下げた。

 それはそうと、俺は気になったので、小声でコソコソっとエルフィに問うた。


「姉ちゃん、エドワルダの前でも口調がアレだけどいいの?」

「あぁ~、かまわないわ」


 エルフィは取り繕うのを忘れているのではなく、問題ないと踏んで意図的にアレな口調のままにしているように感じる。


「エドワルダって何だかぽけ~っとしてるでしょ? でも、その割に結構しっかりしているように感じるのよ。勘とかも鋭そうだし。ということは、変に猫を被っても無意味な気がしたの。だから、面倒だし素のままでいいかなって思ったのよ」

「なるほどね」


 猫っ被りはやっぱ面倒なのね。その割に、エドワルダをきっちり観察して人物像を捉えてるし、姉ちゃんは案外しっかりしてるよな。


「それに、あの子は王都に帰るでしょ? ずっとここにいるわけでもないしね」

「でも、姉ちゃんは来年から王都で生活するんだよ。しかも、クラーマーさんにお世話になると思うから、エドワルダとは当然顔を合わせるよ」

「――――!」


 いや、やっぱり姉ちゃんはポンコツだった。


「ま、まぁ、あの子はあたしの見立てでは凄くいい子だから、余計なことを言ったり人を貶めるようなことはしないわ。――そ、そうよ! あたしはあの子の全てを受け入れる、そして、あの子はあたしの全てを受け入れるのよ!」


 何やら姉ちゃんが力説していたけど、もう何を言っているのかサッパリで訳がわからなかったよ。


 俺の予想では、現実逃避したエルフィが自分に都合の良いことを考えていたら、その考えがそのまま言葉となって口から出てしまったのだろうと思う。


「エドワルダは姉ちゃんの言うとおりいい子だから、何の心配もないよ」

「そ、そうよね。あの子はとてもいい子だわ」


 エドワルダは余計なことを言わないだけで、本当は何を考えているかよくわからない。でも、素直で純粋ないい子なのは確かだ。

 そして、俺の言葉によってエドワルダは救われたような顔をしている。


「ブリっち」


 放置されていたエドワルダが、少々不貞腐れた雰囲気を醸し出しながら話し掛けてきた。当然、エドワルダの表情はいつもどおりの眠たそうな半眼である。


「あ~、ごめんごめん」

「ボク、スープ作った。早くテント、片付けて」

「あっ、はい……」


 自分のすべき仕事をこなしたエドワルダは、喋り込んですべきことのテント片付けが終わっていない俺に苛ついている……ような雰囲気だったのでちょっと怖かった。


 俺はそそくさとテントを片付けると、三人で朝食を済ませた。

 

 今回は一泊だけの予定で伏魔殿に入ったので、今日一番の目標は無事に帰り着くことだ。だが、オークを見つけたら倒して食材にするのも目標の一つとして加わっている。

 幸か不幸かこの伏魔殿にはオークが沢山いるので、きっと目標は達成するだろう。


「ブリっち、オーク」

「わかってるよ。見つけたら今日は見逃さずにちゃんと倒すから」

「約束」

「はいはい」


 エドワルダもこのとおりやる気なので、オークを食べるのはほぼ確定だ。


 俺はエルフィ程オークを嫌悪しているわけではないので、倒すのは特に問題はない。だが、食べることへの抵抗はまだある。


 一度オークを食べたら、そのまま慣れて嫌悪感はなくなるかな? でも、慣れるってことは複数回食べてからだよな? こんな気持ちを何度も味わうのかな?


 俺の脳内はすっかりマイナス思考だったが、既に狩りを行うべく行動を開始している。こんな気持のままではつまらないミスをしかねないので、俺は気を引き締める必要を感じた。

 しかし、その前にテンションが上がることを考えようと思ったのだ。


 テンションが上がることと言ったら、女体の柔らかさかな……うへへへっ。


「あんた、何か気持ち悪い顔してるわよ」


 俺は顔を正面に向けつつ、隣を歩くエルフィを横目で見たのだが、その顔に締りがなかったのだろう、エルフィが顔を歪めて辛辣な言葉をぶつけてきた。


「ここは伏魔殿の中なのよ。寝不足で辛いのかもしれないけれど、それでも気は引き締めなさいよね」

「そ、そうだね」


 いかんいかん。俺は修行のために伏魔殿に来ているんだ。それなのにアホな姉ちゃんに説教をされるとか、よっぽど俺の方がアホじゃないか! しっかりしろ俺!


 どうにも今の俺は思考が不安定だと思う。そしてその原因はわかっている。


 昨夜の感触だ。


 快楽を覚えるとそれに溺れてしまうとかで、猿とか死ぬまでするとか何かで見聞きした記憶がある。

 女性を知った男が、頭の中が女性で一杯になるとかも聞いたことがある。

 今の俺はそれに近いのかもしれない。


 寝ぼけていたとはいえ、俺が姉ちゃんを抱きしめた記憶は薄っすらとある。しかし、感触だけはしっかり覚えている。

 俺は知らなかったことを少し知った。だから更に知りたいと思うのは仕方ない……と思うのは甘えだ。

 俺は今どこにいる? 伏魔殿だ。

 魔物が闊歩する危険な伏魔殿で、色ボケした精神状態で良いわけがない。


 俺はエルフィに説教をされた、と言うか心配された事実を真摯に受け止め、しっかり反省した。反省は大事だ。

 すると、余計なことを考えていた俺のことを、寝不足で辛いのだろうけど、と心配してくれるエルフィに対し、申し訳ない気持ちが沸々と湧いてきた。

 きっと今の俺は、締まりのない間抜けな顔をしているはずなのに……。


「姉ちゃん、ごめん」

「ん? しっかりしてくれればいいのよ。帰ったら今夜はゆっくり休みなさい」

「ありがとう」


 チキショウ、姉ちゃんは本当に良い女だぜ!


 アホな姉だから俺がしっかり面倒を見ないと、なんて思ってたけど、俺の方が面倒をみてもらってばかりだ。何とも情けない話だよな。


 そんな遣り取りの所為で俺の集中力は低下していたようだ。


「ブリっち」

「何?」

「いる」


 エドワルダはそう言うと、左の方に視線を向けた。

 俺はエドワルダにそう言われ、自分の探知魔法の精度が落ちていることに気が付いた。


 チッ! こんなに近くにオークがいるのに気付いていなかったのかよ。自分の不甲斐なさに嫌気が差してくる。


「数は五」

「いや、十だな。左に五で正面からも五だ」


 冷静になった俺の探知は、エドワルダの野生の勘的な探知より探れる範囲が広い。


「これがオークの挟み撃ち作戦か、たまたま二つの群れが別々の方向から来ているのかはわからないけど、最終的には両方とやり合うことになるだろう」

「今日は知らん振りしないのよね?」

「そうだね。でも、言ってあったとおり姉ちゃんは見学でいいから」

「あんたは寝不足で万全ではないでしょ。それなのにあたしは見てるだけとか、そんなことできるわけないでしょ」


 やれやれ仕方ないわね、みたいな顔をしているエルフィだが、瞳には不安が浮かんで見える。その不安は嫌いなオークと戦うことに対してなのか、それとも俺を心配する気持ちからなのかはわからない。わからないが、それでもエルフィは戦うと言ってくれた。


 それなら、俺は姉ちゃんの不安を減らす……いや、消してあげなきゃな。


「姉ちゃんとエドワルダは弓を用意して、遅れてくる正面のオークが射撃範囲に入ったら攻撃して」

「分かった」

「左はあんた一人でやる気?」

「いや。左を倒したら正面のも倒す気だけど、倒すのに手間取って遅れた場合に備えて、一応姉ちゃんとエドワルダに準備しておいてもらうだけだよ」


 できれば姉ちゃんに戦わせたくない。それならどする? 答えは簡単だ。俺が全部倒す! それだけの話だ。


「簡単に言うけど、体調は大丈夫なの?」

「少し寝ぼけていたけど、今はもう大丈夫だよ」

「あんたがそう言うなら大丈夫なのでしょうね」


 呆れた表情に『どうせ言っても聞かないのでしょ?』と書いてあるエルフィに、俺は微笑むことで応えた。


「そんじゃ、ちゃちゃっとやっつけてくるよ」


 俺はそう言うと、左から来るオークの群れへ向かった。


 オークが挟み撃ちを企んでいるかもしれない、と示唆した俺だが、今までの経験から現状の距離でオークが俺達に気付いているとは思えない。それは即ち、オークが挟み撃ちなど考えていないということとイコールだ。しかし、のんびりしていれば結果的に挟み撃ちにされる可能性があるのは確かだ。


 オークの五体くらいなら身体強化と肉体強化を併用した自己強化で楽勝だけど、それを二戦するわけだし、これが今日の初戦だからな、魔力素の残量を意識するなら大盤振る舞いはできない。


 こういった魔力素の管理も修行の一つなので、単純に全力で倒せば良いというわけではない。


「さて、やりますか……っと――」


 俺は二つのオークの群れを殲滅すべく、まずは距離の近い左側の群れに向かって走り出した。

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