第二十二話 ありがたやありがたや

「今日もあたしが洗ってあげるわね」

「もう自分で洗えるって」

「あんたは弟なんだから、姉の言うことは聞きなさいよね!」


 これのやり取りは、今では水場で毎回行なわれる儀式のようものだ。


「ほらブリッツェン、両手を上げなさい」

「はいはい」

「よいしょっと」

「どーですかねー」

「少し成長したかしら?」


 これもある種の儀式だ。

 エルフィは俺の背中を洗うと、その後に必ず俺に両手を上げさせ、ピトッと俺に背中に張り付いて抱き着くと胸前に腕を回し、成長度合いを報告してくる。

 これがアンゲラだと、柔らかな感触が背中にむにゅ~っと押し付けられるので、それはそれは落ち着いていられない。だがペッタン娘のエルフィにやられても、『むにゅ~』の『む』すら感じないのだ。いや、ある意味『無乳』の『無』ではあるが……。


 しかぁ~し、俺は最近新たな発見をしたのだ!

 なんとそれは、柔らかい感触がなくても感じることのできる小さく可憐な野イチゴのような二つの感触が背中に当たっている衝撃の事実!!

 それは、押しつぶされるマシュマロの感覚とは全く違うのだが、神経を研ぎ澄ますと確かにわかる、背中に野イチゴが二つ当たっているのだ。

 これに気付いてから、ペッタン娘もなかなか悪くないと考えを改めた次第である。

 そして、『無乳』に全くの興味を抱いていなかったことを後悔し、反省した。


 ちなみに、俺は今も何一つ気にしていないような軽い返事をしているわけだが、実は全神経を背中に集中していたりする。


 ただ、一つだけ心配事がある。

 俺は身体の成長が遅いこともあり、十二歳でも滾るようなことは無かったのだが、最近は滾ってきそうな感じがある。

 このままでは遅かれ早かれ滾ってしまうだろうが、できればまだまだ滾らないで欲しいと思う。……いや、時と場合によっては微反応してしまっているので、この願いは既に叶わないのかもしれない。


 そんなモヤモヤする感情を抱いているの俺に対し、そんなことなど露ほども知らないエルフィが俺の背中を満喫し、すぅっと身体を離そうとしたとき、突然誰かが水場にやってきた。


「あれ?」

「な、なんでエドワルダが入ってきてるのさ?」

「奥様が今のうちにって」

「ちょっ、俺はもう少しで出るからちょっと待ってて」


 勿論、出るというのは水場から出るということであって”イク”ではない。


「分かった」


 分かったと言うエドワルダだが、彼女はいったい何が分かったのだろうか?

 吐いた言葉とは裏腹に、おもむろに服を脱ぎ始めているではないか!


「何もわかってないじゃんか!」

「すぐに入れるように準備」

「気にしないでエドワルダも入ってきなさいな」

「なっ!」

「分かった」


 アホ姉がなぜかエドワルダに入ってくるように言い、エドワルダも了承していた。


 実を言うと、エドワルダと水浴びをするのは今回が初めてではない。王都のフェリクス商会でお世話になっていた際、アンゲラに招かれてエドワルダが入ってくるのはそこそこあったのだ。

 エドワルダは物怖じしない子なので、一切の恥じらいもなく淡々と身体を洗う。そして、『ブリッツェンは最近胸板が厚くなってきているのよ。ほら』などと言って、アンゲラは俺の背中から抱き付いて胸板に手を回し、それをエドワルダにも勧めていたのだ。

 エドワルダはエドワルダで、言われるがままに行動に移し、アンゲラに比べると小さいものの、それでも十分に立派な果実を押し付けてきたのである。


「ほらエドワルダ、最近のブリッツェンは少し成長したのよ。確かめてご覧なさい」


 エルフィに促されたエドワルダはテクテクと俺に近付いてくると、背中側に回って躊躇なく抱き付き、腕を俺の胸前に回してむぎゅ~っとしてきた。


「王都の頃より逞しい」


 感想を簡潔に言うエドワルダは、俺の背中に容赦なく果実を押し付ける。

 さっきまでは『野イチゴも良いなぁ~』なんて思っていたが、やはりたわわに実った果実は偉大だった。

 久しぶりの柔らかい感触に、この際だから俺は開き直って堪能する決意をした。だが、多分呆けた顔をしているであろう俺の前に立ったエルフィに、「あなたはもう終わったのだからさっさと出なさい」とキツい目つきで言われてしまった。


 せっかく決めた覚悟を無碍にされた俺は哀愁を漂わせてながら水場を後にするが、「エドワルダ、これは速さを活かす人間には不要よ。少しわたくしに分けなさいな」などという間抜けなアホ姉の声が聞こえてきた。


 俺は『何だかなー』と思いつつ、さっさと身体を拭いて着替えると、部屋に戻ってお祈りを済ませ、エルフィが戻ってくる前にとっとと寝ることにした。


 明日の夜は三人で初めての野営だからな。野営では十分な睡眠時間が望めないのだから、今日はゆっくり休もう。


 俺は魔力を放出し、あっという間に眠りに就いたのだった。




「ちょっと早いけど、今日の狩りは終りにしようか」

「そうですわね。野営地を決めて設営し、調理も行なわなければなりませんからね」

「ん」


 今日はエドワルダの伏魔殿デビュー戦であることを考慮し、ガンガン進むのではなく、伏魔殿をエドワルダに教える感じで行動していた。

 エドワルダも冒険者学校を卒業しているので初めて伏魔殿に入るわけではないのだが、教官や他所のパーティがいない状態で入るのは今回が初めてだ。それも僅か三人という少人数で。

 更に言うと、特別に伏魔殿に入れるようにしてもらっていた俺と違い、エドワルダは約十ヶ月ぶりの伏魔殿になる。なので、野生の獣ではなく魔物と戦う勘を取り戻して貰わなければならない。


 俺とエルフィは伏魔殿自体は慣れているが、冒険者学校の授業以外での野営は今日が初めてだ。

 初めてなのに日が暮れるまで狩りをして、それから薄暗い中で野営の準備をするような愚行は犯せない。そのため、早めの準備をすることにしたのだ。


「これ使う?」


 エドワルダが手持ちの袋から何かを出したが、出てき物が明らかに袋の質量を超えている。


「ちょっとその前に、それって魔道具袋?」

「ブリっちと伏魔殿に行くと言ったら渡してくれた」


 エドワルダは、『誰』が渡してくれたか言わなかったが、普通に考えて父親であるクラーマーだろう。

 そのクラーマーは、俺が魔道具袋を所持していることは知っているが、魔法で作った”もどき”とは知らない。だが、俺が魔道具袋の存在を隠しているので、エドワルダと一緒ではそれを使えず多くの素材を回収できないと思い、気を遣って彼女に持たせたのだろう。ありがたい話だ。


「で、その道具は?」

「『魔力探知』と『魔力防御』の魔道具」

「それって超高い魔道具だったはずだぞ!」


 エドワルダが無造作に出したこの二種類の魔道具は、冒険者なら誰もが欲しがる魔道具で、流通量が少なくてとても高価なのだ。……いや、そもそも魔道具全般の流通が少なく高価なのだが。


 魔力探知は、結界に魔力干渉があると、警報を鳴らして結界の中にいる人に伝える。

 魔力防御は、結界範囲は大きくないが、魔力を纏った者及び魔力そのものを通さない。

 これ等は『結界魔道具』と呼ばれる魔道具の一種で、設置内部を守ったり危険を知らせてくれる大変ありがたい魔道具だ。


「これ、クラーマーさんが貸してくれたの?」

「ブリっちにあげるって」

「流石にこんな高価な魔道具は貰えないよ。でも、今回はエドワルダに貸してもらいたいとは思うよ」

「好きに使って」


 正確な値段は知らないが、この魔道具はそれぞれ金貨数十枚は必要な代物だ。それを簡単に貰ってしまうほど俺は図々しくない……つもりでいる。


 魔力防御はテント周辺の五メートル四方くらいが範囲。魔力探知は十メートル四方くらいが範囲のはず。

 魔力防御は高さ三メートルくらい、魔力探知は高さ六メートルくらいのそれぞれ四角錐で、上方も含めてそこそこの範囲を覆ってくれる。


 ゆっくり近付いてくる魔物であれば、魔力探知の警報で気付いて対応できる可能性もあるが、突進してくる魔物だと、警報が鳴った時には攻撃を喰らっているだろう。

 しかし、魔力制御があれば、魔物が突進してきても魔物を結界内に入らないように弾いてくれる。これは遠距離からの魔力攻撃もだ。


 ただし、魔法防御の魔道具は絶対的な防御を誇っているかと問われれば、否と答えるしかないだろう。

 この魔道具はあくまで応急的な防御策であるため、一発の威力が大きい大魔法や、多数の魔物が一気に突撃してくるなど、一定の魔力を超えるダメージが与えられれば結界は砕けてしまう。


「これの原動力って魔石だっけ?」

「そう。ここに入れる」


 俺は知識だけはあったが実物を見るのは初めてなので、エドワルダに質問をした。


「一度結界が砕かれたらこの魔道具はもう使えないの?」

「本体が壊れてないなら、魔石を交換すればまた使える」


 なるほど。高価なだけあって使い捨てではないようだ。


「攻撃をされていなくても魔力を消費する。定期的に魔石の交換、必要」

「まぁ、結界を張るのに魔力は消耗されるだろうからね。当然だな」

「今は魔力満タンの魔石、嵌ってる」


 これもクラーマーさんの気遣いだな。ありがたやありがたや。


「せっかくだから使わせて貰おう」

「ん」


 エドワルダから魔道具を受け取ると、早速それぞれを設置した。


「ブリッツェン、その魔道具があるなら夜番は必要ないのかしら?」

「この辺はまだ強い魔物はいないけど、油断はしない方がいいと思う」

「では、予定通り交代で番をするのね」

「そうなるね」


 魔道具があればゆっくり眠れると思ったのだろうか、エルフィがガックリと肩を落としていた。


「食事だけど、持ってきた物で軽くすまそうか?」

「そうですわね」

「ん? これもある」


 エドワルダはまたもや魔道具袋から、今度は調理器具を出した。


「これもクラーマーさんが?」

「そう」


 クラーマーさんはエドワルダに過保護なのか、それとも俺に対して気を遣っているのかわからないが、本当に至れり尽くせりだ。


 今回の俺とエルフィは、魔道具袋もどきをエドワルダの前で使うわけにはいかないので、必要最小限の荷物を背負ってきており、魔道具袋もどきは封印している。

 それもあって、素材の回収はあまりできていないのだ。


「あれ? エドワルダは魔道具袋があるのになんで素材をその袋に回収しなかったんだ?」

「ん? これは入っている荷物を運ぶ物。違う?」


 今の小首を傾げる仕草、めっちゃ可愛かったな。

 

 それはそうと、どうやらエドワルダは、魔道具袋の本当の仕様を知らなかったようだ。


「魔道具袋は見た目以上に大量の物が入る魔道具なんだ。今エドワルダが出した物もこの袋に比べたら随分と大きいだろ?」

「うん、これを入れておくための袋」

「違うよ。それらも入るけど、狩った獲物を入れることもできるんだ」

「おー」


 エドワルダは驚きの声を出しているようだが、まったく抑揚のない声なので、なんだか馬鹿にさた気分になる。


「容量は無制限ってわけじゃないし、どれだけ入るか俺は知らないけれど、それでもそこそこの量は入るはずだから、仕留めた獲物はこの魔道具袋に入れような」

「分かった」


 あれ? そう言えば、王都の森で狩りをしたとき、エドワルダはフェリクス商会の魔道具袋を持たされていたよな。しかも、狩ったウサギとか俺が何も言わなくても魔道具袋に入れていた……はず。


「なぁエドワルダ」

「ん」

「王都の森で、エドワルダは狩った獲物を魔道具袋に入れてたよな」

「入れてた」

「何で今回は使わなかったんだ?」

「これは魔道具を入れる専用。そう聞いた」


 理由はわからないが、クラーマーはエドワルダに魔道具を入れる専用の魔道具袋だと教えていたようだ。


 クラーマーさんは理由わけあってエドワルダに魔道具入れ専用と教えたのだろうから、俺は余計なことを言ってしまったのかもしれないな。


 そんな俺は、何も考えずにエドワルダに教えてしまったのを後悔して、反省もした。しかし、言ってしまったのだからそれは今更撤回できない。

 如何ともし難い気持ちになりながらも、結界の魔道具を設置した後はテントを張り、薪に火を焚べて回りを囲うように座った。


 暑い夏でも焚き火を用意しないといけないのは、何ともなー。


 冒険者学校在学時以来の久しぶりの野営で、俺は愚痴を零したくなっていたのだった。

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