第四話 クラーマー家

「ブリッツェン、……ブリッツェン、起きなさい」

「――ん?」


 アンゲラに起こされると、夕食の支度ができているとのことで、メイドについて食堂へ向かった。

 食堂でクラーマーに勧められた席は、なぜか上座である俗にいうお誕生日席だった。

 俺は日本人時代にまともな就職もしていなかったので、上座がどうこうの知識を持っていないため、俺がお誕生日席に座るのが正しいかどうかなどわからない。


「クラーマーさんが家長のお宅で、私がこの席でよろしいのでしょうか? お恥ずかしながら、このような機会が今までありませんでしたので、私は常識を知らないのです」

「貴族であるブリッツェン様とアンゲラ様を、平民である私共の下座にお座りしていただくわけには参りませんので、お気になさらずそちらへお掛け下さい」


 クラーマーがそう言うのであればそうなのだろう、と納得した俺は、言われるがままにお誕生日席へ着席した。


「ブリッツェン様、アンゲラ様、私の家族の紹介だけさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「お願いしますクラーマーさん」

「はい、お願いします」


 俺は言われるがままに着席してしまったが、クラーマーの家族はまだ立っており、どうしたら良いものかわからず、若干緊張した。

 俺の右手側にはクラーマーと少年が二人、左手側には女性と少女が立っており、クラーマーに聞いていた家族構成通りだったので見当は付く。


「では、妻のフェリシアです」


 クラーマーに妻と紹介されたフェリシアは、スカートをちょこんと摘まみ、上品なカーテシーを決めたので、俺は取り敢えず会釈しておいた。

 クラーマーの話しによれば、確か三十を超えているはずだが、商人の妻らしく物腰が柔らかくおっとりした美しい女性で、三十過ぎには見えない若々しさがある。

 スカイグリーンとでも言うべき淡い青緑の髪を一つの三つ編みにし、左の肩口から胸前に流されている様は、人妻感があってすごく良い。

 それにしても、俺がここへ来てからフェリシアはニコニコと笑顔を絶やさず『この人は糸目なのかな?』などと思ったが、カーテシーから姿勢を戻した時、薄っすらと開かれた際の目の奥には、旦那のクラーマーにも劣らない鋭い視線を放つワインレッドの瞳が見えた。


「続いて、長男のアルフレードです」


 長男のアルフレードはボウアンドスクレイプと言うのだろうか、メタボのクラーマーとは似ても似つかないスラリとした体躯の男がすると妙に絵になる。

 父より僅かに明るい波打つブラウンの髪をサイドに流し、なかなか整った顔は父譲りの人好きされる雰囲気がある。

 母親譲りの糸目でニコニコ笑顔を絶やさないのだが、父と同色のチャコールグレーの瞳が一瞬見えた時はやはり鋭さあがった。


「続きまして、長女のエドワルダです」


 唯一の女児であるエドワルダは母に習ったのだろうか、スカートをちょこんと摘まんでカーテシーをする。

 母譲りのスカイグリーンの髪は少し長めなボブヘアーといった感じで、サイドの編み込みがなんとも可愛らしい。

 そして、クラーマーの家族は商人一家らしく皆がニコニコしているのだが、エドワルダだけは表情が乏しく、眠たそうなジト目で、ローズグレーとでも言うべき僅かに赤みのあるグレーの瞳からやる気を感じない。それでも庇護欲を掻き立てる可愛らしさがある。

 庇護欲を感じたのは、エドワルダが小柄故の小動物感からだろう。しかし、小柄な割に胸部装甲はなかなか立派で侮れない。


「最後に、次男のカールです」


 五、六歳くらいだろうか? ボウアンドスクレイプをしているのが何とも微笑ましい。

 カールは両親の頭髪の色が混ざりあったようなモスグリーンの髪なのだが、その髪をピシッと角刈りにし、笑顔で俺を見つめる父譲りのチャコールグレーの瞳は、初等学園で後輩だったヘルマンに通じるものがある。そう、俺へ向けるキラキラした瞳が、俺に憧れを抱いている者のそれだ。


 クラーマーの家族紹介が終わると、皆が着席した。


「それでは、ブリッツェン様、アンゲラ様。本日はフェリクス商会にようこそおいでくださいました。ささやかではございますがこの席を儲けさせていただきましたので、お召し上がりいただければと存じます」


 クラーマーがそう言うと、メイドが銀製のコップに果実酒らしき液体を注いでくれた。そのコップを手に取ると、クラーマーがコップを持ち上げ「乾杯」と言うので、俺は様子を伺いつつ、皆が乾杯と発するのを確認し「乾杯」と口にした。


 この世界の食事は大味ではあるが、思いのほか塩が効いているのと香草も使っているので薄味ではない。

 食事自体も手掴みではなく、ちゃんとナイフやフォーク、スプーンと言ったカトラリーを使っている。

 そして、貴族ともなると自分のカトラリーセットを持ち歩く。とはいえ、一度の食事でフォークやナイフを何本も使うようなことはないので、各種一本ずつ入っているだけだ。


 まぁ、我が家のような底辺貴族では、自分専用のカトラリーセットなんて待たせて貰えないんですけどね。

 それにしても、どうして皆さん無口なの?


 皆が黙々と切り分けた料理を口に運ぶが、その口から言葉が一切出てこないのだ。


 もしかすると、お誕生日席に座る貴族の俺か姉さんが話さないと、皆が喋れないのかな?


 チラッと、隣に座るアンゲラに目を向けるが、いつも通りの笑顔で料理を堪能しているだけである。これがエルフィであれば、俺はイラッとしたであろう。

 仕方ないので俺は意を決して口を開いた。


「クラーマーさん」

「何でしょうか?」

「お子さんは皆さん商人の修行をなさっているのですか?」

「そんなことはございませんよ」


 あれ? これだとクラーマーさんとしか会話ができないな? 他の人に話し掛けてみよう。


「アルフレードさん」

「ブリッツェン様、私にさんなど付けずアルフレードと呼び捨ててください」


 爽やかなイケメンが笑顔でそう言ってくる。


「そうですか。ではアルフレード、貴方は普段何をしているのですか?」

「僕は王立上流学院に通っており、二月から最終学年の五年生となります。長期休暇は商人の勉強のために実家の手伝いをしていますね」


 王都の上流学院は、貴族や豪商などの金のある家の子が通うとは聞いていたが、やはりクラーマーさんは豪商と呼ばれる富裕層の平民なんだな。


「成る程。――エドワルダは何をしているのですか?」

「ボク? 二月から王立上流学院、行く」


 やはりやる気の感じられないジト目のエドワルダは、何とボクっ娘だった。


「ブリッツェン……、さま?はボクと同じ年って聞いた。学院、行かないの?」

「私は底辺貴族の三男ですから、王立上流学院には行けないですよ。なので、冒険者学校に行く予定です」


 エドワルダは表情が乏しいだけじゃなく、口調も何だかぶっきら棒なんだな。


「エドワルダはこの通り商人向きではありませんので、学院で少しでも所作や言葉遣いを学んでもらいたいと思っているのです」


 クラーマーが苦笑いで説明してくれた。


「ボク、冒険者学校、行きたい。ブリッツェン……さま、強いって聞いた。ボクも強くなる。冒険者、なりたい」


 エドワルダはどうやら強さに興味がある女の子のようだ。


「エドワルダは女の子なのだから、強さより女性らしさを身に付けてもらいたいのだが……」

「ボクには難しい、無理。それより、ブリッツェン……さま、と模擬戦したい。ボク、勝ったら冒険者学校、行く」

「急に何を言っているんだエドワルダ……」


 一切表情の変わらないエドワルダに対し、笑顔を絶やさないクラーマーが眉を八の字にした情けない顔になっていた。


 あのクラーマーさんも可愛い娘の我儘にはお手上げか? ってか、クラーマーさんもあんな顔もするんだな。


 珍しいものを見た俺は、思わずニヤけてしまった。


「エドワルダ、模擬戦のことはともかく、私の名前が呼びづらければ様を付けずに呼び捨てで構わないですよ?」

「それはいけませんブリッツェン様。平民が貴族を呼び捨てなど以ての外でございます」

「それなら、呼びやすい呼び方でいいですよエドワルダ」

「う~ん、……ブリっち」

「え?」

「ブリっち」


 貴族やら平民やらの身分制度は相変わらず面倒だと思ったら、エドワルダから『橋』的な呼び方をされ、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。


「エドワルダ、ブリッツェン様に失礼だろ! そのようなふざけた――」

「私は構わないですよクラーマーさん。これで不敬だ何だと言うつもりはありませんし。そもそも、クラーマーさんにも呼び捨てにして欲しいと私はお願いしたことがありますし」

「ブリっちが、ブリっちでいいと言った」

「しかし……」


 マイペースのエドワルダにタジタジのクラーマーだが、俺にとって呼び名など正直どうでも良いのだ。


「ブリっち、模擬戦しよ」

「模擬戦をするのはかまわないですが、勝敗如何で進路が変わることに私は責任を負えないです」

「ブリッツェンさま、ぼくもブリッツェンさまと模擬戦がしたいです」


 ここで、まだ会話をしていなかったカールが参戦表明してきた。


「カールに模擬戦はまだ早いですね。稽古ならお付き合いしますよ」

「ブリッツェンさまが、ぼくに稽古を付けてくださるのですか? お願いします」

「カール、ズルい。ボクも一緒に稽古する。模擬戦もする」

「エドワルダは模擬戦の結果にかかわらず、王立上流学院に行ってもらうよ」

「父さん煩い」

「…………」


 これは反抗期って奴だろうか? でも、『お父さんのパンツと一緒に洗濯しないでよ』とか言われるよりマシなのか? いや、「父さん煩い」はそれと同じ様なものか? 何にしても、娘を持つ父親とはこんなもんなんだろうな。まぁ、俺は子作り作業すらしたことが無いから偏見なんですけどね!


「フェリシアさんはこういったことに口を挟まないのですか?」

「私は子ども達の自主性と言いますか、個々の意思を尊重していますので。……ですが、エドワルダにはもう少しお淑やかになって貰いたくはありますね」


 フェリシアは放任主義なのかと思ったが、最後に本心を隠しもせず口にしていた。

 そんなフェリシアの言葉を聞いていたはずのエドワルダは、自分には関係ないとばかりに食事を続けていた。


「あれ? フェリクス商会って?」

「ははは、お恥ずかしながら、妻の名から付けたのですよ」

「そういうの、何だか良いですね。私も将来は妻の名を冠する何かを作ってみたいな」


 とはいっても、冒険者だと店舗を持ったりしないから、良い素材でも手に入れたら何か武器を作り、それに名前を付けるとか?


「ほほぅ、ブリッツェン様には良いお方がいるのですな」

「いやいや、クラーマーさんに感化されて、そういうのも良いなと思っただけですよ」


 そりゃ、将来は結婚して幸せな家庭を築きたいとか思うけど、そもそも結婚する以前に恋人ができるかすら怪しいし……。

 何だろ、テンション下がってきた。


「まぁ、私がここでお世話になっている期間は、時間が合えば皆さんの稽古にお付き合いはしますよ」

「ブリッツェン様、その際は僕も一緒に稽古を付けていただいてもよろしいですかね?」

「アルフレードもどうぞ。ただ、私が他人に稽古を付けるような立場ではありませんので、一緒に稽古をするだけですよ」

「父からブリッツェン様のお話は聞いておりますが、年齢に見合わぬ素晴らしい腕をお持ちだとか」


 クラーマーと出会った頃の俺はまだまだ全然だったけど、その当時と比べたら我ながら成長したと思う。でも、こういう話は誇張されて伝わるだろうから、あまり期待されると尻込みしちゃうんだよな。それに、年上に稽古を付けるとか生意気に思われそうだし。


「一応騎士爵の息子ですし、将来は冒険者になるつもりなので自主的に訓練などはしていますが、魔術も使えないので私などまだまだですよ」

「いえいえ。むしろ、身体強化の魔術を使わずに強いのは凄いと思いますよ」


 胡散臭くない自然に見える笑顔で話すアルフレードは、流石商人の息子といったところか、普通の人であれば良い気分になるだろう。だが、俺は魔術が使えない代わりに魔術以上の強化をしてくれる魔法を使っている。なので、むしろズルをしている感じで申し訳ない気持ちになってしまうのだ。


「それはまぁ、一緒に稽古をしてみて何か助言ができそうであればしてみますね」

「よろしくお願いします」

「約束」

「ぼくもおねがいします」


 こうして、俺はクラーマー家の三兄弟と一緒に稽古をすることとなった。


 クラーマー一家との食事会は、途中で俺が勝手にテンションを下げたりしたが、なかなか楽しかった。

 食事会がお開きになると、俺とアンゲラは昼寝をさせてもらった客間へと戻った。


「楽しかったね。でも、姉さんはあまり会話をしていなかったからそうでもないか?」

「私は皆さんが楽しそうに会話している姿を見ているだけで楽しかったわよ。それに、フェリシアさんと少しお喋りもしたわ」

「それなら良かったよ」


 流石『メルケルの聖女』と呼ばれる姉さんだ。


 その後、フェリクス商会のメイドが運んでくれた湯の入った盥を受け取り、アンゲラと身体を洗い合ってから床に就いた。

 ちなみに、身体の洗い合いだが、背中側だけにして欲しいという俺の言葉も虚しく、「こうして一緒に洗うこともできなくなってしまうのだから、姉さんがしっかり洗ってあげわね」と言われ、体中を隈無く洗われてしまった。

 何処を見て言ったのかは不明だが、「逞しくなってきたわね」と言われたのにはドキッとしてしまった。


 ちなみに、俺もアンゲラの身体を洗わされたのだが、何とか背中だけで勘弁してもらった。

 当然、「おっと、手が滑った」などと余計なイベントは発生させていない。


 こうして、王都で迎えた初めての夜は、覚めやらぬ興奮により悶々としたのであった。

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