第五話 商人
「ブリッツェン、朝よ」
「――ん~、おはよう……姉さん。今日も早いね」
「クラーマーさんにお世話になっているのだから、何かお手伝いをしようと思ったのだけれども、『お客様にお手伝いさせるわけにはいきませんので』と言われてしまったの」
王都で迎える初めての朝は、早起きして家事の手伝いをしようとしたにも拘らず、それを断られて苦笑いのアンゲラとの遣り取りから始まった。
着替えてまったりした時間を暫く過ごすと、メイドが朝食の用意ができたと呼んでくれたので、俺達は食堂に向かい昨夜の夕食と同じお誕生日席に座らされ、クラーマー一家と朝の挨拶を交わして食事を頂いた。
朝食の後、俺とアンゲラはクラーマーに連れられ、昨日と同じ応接室に再度通された。
応接室にはヘニングが待っており、挨拶を交わした。
「ブリッツェン様、もう一度お伝えいたしますが、ヘニングは信頼に足る男です」
「大丈夫です。私はクラーマーさんを信用していますので、そのクラーマーさんが信用を置くヘニングさんなら私も信用します」
「ありがとうございますブリッツェン様」
そう言って頭を下げるクラーマーと、全く同じタイミングで頭を下げるヘニングのシンクロっぷりに凄さを感じた。
「ではブリッツェン様、先ずは昨日の内に冒険者ギルドで調べさせた相場と必要量の一覧がこちらです」
ヘニングが一枚の麻紙を渡してきた。
ちなみに、この世界の紙事情は、日本人が日頃手にする真っ白な洋紙は無く、ゴワゴワして少々書きにくい麻紙が低級紙で、なんらかの植物で作られた麻紙よりはマシな中級紙、公式な契約などに使われるのが羊皮紙で高級紙となっている。
そして、通常は紙を使用することはあまりなく、木簡と呼ばれる木の板を使っている。
木簡は嵩張るという弱点があるが、安価で削れば再利用できるので広く使われている。
師匠から貰った、既存魔法の詠唱文が書かれていた物が木簡であった。
俺が麻紙に目を通すと、ヘニングが説明をしてくれた。
「なるほど。それでは、クマは二十体出せば良いですか?」
「コホン、それは私が説明いたします」
俺がここまで説明してくれたヘニングに質問すると、待ってましたとばかりにクラーマーが咳払いして俺の視線を奪った。
「私どもも魔道具袋を所持しておりますが、生憎とブリッツェン様の魔道具袋程の内容量はございません。そこで、一度に運搬できる量で最大利益になる組み合わせを考えておきました」
「流石ですね」
「いいえ、これが商売人の仕事ですので」
嫌味にならない自然な笑顔でクラーマーは答える。
「ですが、それは私が勝手に決めたものです。もし、ブリッツェン様が魔道具袋の整理をお考えで、クマを極力減らしたいなどのご要望がおありでしたら、私はそれに従います」
「私は姉の生活費と一部の現金化が目的ですし、クラーマーさんが少しでも多く利益をあげるのも目的です。なので、クラーマーさんの考えてくれた組み合わせで結構ですよ」
「ありがとうございます」
すると、クラーマーが一番利益の出る組み合わせと金額を書いた麻紙を見せてくれた。
「――っ!」
その金額に俺は言葉も出なかった。
「流石に金棒とまではいきませんが、金貨二十五枚前後の二十五万フェンとなります」
金棒とは金の延べ棒で、日本円換算すると一本で一千万円である。金貨は一枚が十万円相当なので、大体二百五十万円となる。
シュタルクシルト王国の貨幣価値を日本円換算すると――
銅貨:十円 百枚で銀貨一枚
銀貨:千円 百枚で金貨一枚
金貨:十万円 百枚で金棒一本
金棒:一千万円
以上のようになる。
日本のように五円や一万円のような金種や紙幣がなく、金棒を除く貨幣は銅、銀、金の僅か三種類しかない。そのため、お金の持ち運びはかなり不便である。
また、銅貨一枚が最小貨幣で一フェンである。
一枚または一本の金額は――
銅貨:一フェン
銀貨:百フェン
金貨:一万フェン
金棒:百万フェン
閑話休題。
「私は自分で卸した経験がないのでどれ程の金額になるか知らなかったのですが、そんな金額になるのですか?」
「初めてブリッツェン様の魔道具袋を目にした際、その大きさではそれほどの内容量があるように思えませんでので、アンゲラ様が王都で一年生活できるだけの金額だろうと思いました。しかし、私の想像を遥かに超える内容量でしたので、算出した私自身も驚きましたよ」
そう、俺の魔道具袋もどきに入っているのは、王都で家を持たない者一人が一年生活するのに必要な金額くらいだと聞いており、金貨二十枚の二十万フェンだ。
それが、一度の取引で二十五万フェンになっているのだ。しかも、俺の魔道具袋もどきは換金が二十回程できる素材が入っているのだから、合計すると五百万フェン。日本円に換算すると五千万円だ。
「クラーマーさん、先ずはこの組み合わせの獣をお渡しします。それで、可能であれば卸した後に改めてもう一度相場を聞いていただいて、再度換金。最終的に全て換金すのは可能ですか?」
「本日卸してまた明日では相場が崩れているでしょう。可能であれば序盤は少し様子を見て、値の動きを把握するのがよろしいかと」
「わかりました」
冒険者なら、『狩ったから売る』ってだけで、いくらで売れるとか気にしないんだろうな。でも、商人は『高く売れる時に売る』って考えるのだろう。流石だよクラーマーさん。
その後、俺は自分の魔道具袋もどきから素材を出し、それをクラーマーさんが商会用の魔道具袋へ入れる作業を行った。
「ギリギリでしたが全て入りましたので、これをヘニングが用意した冒険者に渡します。これで出処が知られる心配はございません」
「ありがとうございます。――ヘニングさん、よろしくお願いします」
「畏まりました」
これでひと先ずはアンゲラの生活費が手に入る。――って、それは実際に手にしてから考えることだ。そう言えば――
「今更なのですが、冒険者がいきなり大量に換金すると実力に関係なくランクが上がってしまうのでは? 冒険者のランク上げを手伝ってあげるのは吝かではありませんが、実力のないのにランクだけ上がってしまうのは本人のためにならないと思うのですが」
「冒険者についてはブリッツェン様の方がご存知でしょうから細かいことは省きますが、魔物を倒せない冒険者、若しくは魔物ではない通常の狩りを行う者はDランクに上がれません。なので、EランクからDランクに昇格できない者がいくら魔物ではない動物を狩ってもランクは上がりません。そして今回は、所謂冒険者ギルドに登録している猟師にお願いしております」
そんなの全然知らなかった。何が『ブリッツェン様の方がご存知でしょうから』だよ。商人としたらそう言うしかないんだろうけど。
まあ何だ、シュタルクシルト王国では猟師であれど冒険者ギルドに登録しなければならないから、猟師は冒険者の括りになってるってのは知ってたけどね。ホントだよ。
「あ~、でもそれだと、そんな感じの人がいきなり大量の換金をするのは不審に思われませんか?」
「それなら大丈夫です。昨日の内に、換金をしてくれればそれだけで報酬を出す、と臨時で冒険者を雇って段取りも伝えておりますので」
「……流石ですね」
素人の俺が口を出すことではなかった。でも、そういった事情を知れたから良しとしよう。
「あっ! 先程の金額はクラーマーさんに手数料を支払う前の金額ですか?」
その辺を確認してなかった。
もし、そこから手数料を払ったりするなら、思いのほか俺に渡ってこなかったりして。
「違います。予想では三十二万フェンです。この金額は冒険者が必ず引かれる税である一割が既に引かれた金額になりますので、そこから二割を私が頂きます。そうしますとブリッツェン様のお受け取りが二十五万六千フェンとなります」
「え~と~、クラーマーさんは六万四千フェンから更に冒険者達に支払いをするのですよね?」
「ブリッツェン様、計算がお早いのですね」
「あ~、二割なら倍にして一桁減らすだけですから。引き算だと桁が多くて暗算ができなかったので。お恥ずかしい」
「なんと!」
え? 数学が得意ではなかった俺でも、これくらいの算数ならできるよ。この世界ってどうなってるんだ?
「それより、クラーマーさんに儲けは出ていますか?」
「ええ。冒険者には銀貨二枚を五十人に支払うので、払いは一万フェンです。そうしますと、私どもは五万四千フェンの金貨五枚とちょっとが利益となります」
「それではクラーマーさんが全然儲かっていないですよね?」
「何を仰います。ブリッツェン様がお持ち込みになった金額が大きいので、二割でも金貨五枚も頂けるのです。それを複数回も行うのですから、これは十分な儲けでございます」
換金代行の需要がどれ程あるのか知らないが、今回の俺からの依頼だけで最終的に約百万フェン。日本円換算したら一千万円の利益なのだから、これは十分な利益のように思う。
それにしても、『二割でも』とクラーマーさんは言ってたけど、通常は何割なんだろうか? それに、昨日の今日で五十人も集められるのが凄いな。でも、冒険者はたったの銀貨二枚か。日本円にしたら二千円。あれ? 換金素材を受け取って換金、それをフェリクス商会に渡す。うん、一時間仕事だ。ってことは、冒険者の時給は二千円だから、むしろ高額バイトだな。うん、無駄な心配だった。
「クラーマーさん、通常は換金代行で何割頂いているのですか?」
「通常などありませんよ。自分で換金できない程大量に獲物が狩れるのであれば、間違いなく自分で換金するでしょうから」
「そうですね。私みたいのはいませんよね」
冒険者になれない年齢で魔道具袋を持ってる人間なんて、きっと大貴族の子でもなければいないだろう。それでいて狩りをして溜め込む……うん、いないな。
「では、クラーマーさん的にこの仕事の受取割合は初めて設定したのですよね?」
「そうなりますね」
「でしたら、五割を貰って下さい」
「そんなに頂くわけには――」
「いいえ、私はまだまだ魔道具袋に資金源があります。これもクラーマーさんに換金して頂くのですから、私の資金は十分なものとなります」
「それでしたら、私は更にブリッツェン様に儲けさせて頂けるので、これ以上は頂けません」
この人はこれで商売になるのだろうか? 俺のような最底辺貴族では、ここで恩を売ったところで今後は儲けさせてあげられない。ならば、ここでガッツリ儲けた方が良いと思う。
「ブリッツェン様は、私がここで大きな利益を取らないことを不審に思われるでしょうが、私はブリッツェン様に救って頂いたことに返しきれない恩を感じております。それとは別に、ブリッツェン様は何れ歴史に名を残す英雄になられるのではないかと、勝手ながらそう思っているのです」
随分と俺を高く買ってくれているようだが、日陰者の魔法使いでは英雄なんて夢のまた夢だ。それに、殺しを行わない盗賊から救ってもらったからといって、そこまで恩を感じる必要はないと思う。
「ですので、ゆくゆくブリッツェン様が活躍された際、私はブリッツェン様に最初に救われた者として、それを自慢したいという打算もあります。ですが、それは商売で使うようのではなく、私個人の自己満足と言う奴です」
はにかむような笑顔のクラーマーを見て思うのは、これが仮にサービストークだったとしても悪い気はしないので、本当に凄い話術だと思う。その一方で、『この人は人を見る目があるのだろうか?』と些か残念に思える。
だって、間違っても俺が英雄とかになるわけがないし。
「クラーマーさんの話を聞いていると、きっと私の提案を聞き入れてくださらないのでしょうね」
「そうですね」
「ですが、私はクラーマーさんが思う程ではありません。なので、クラーマーさんの希望を叶えられないかもしれないと思うので、慰謝料として前払いしておきます。四割貰って下さい」
俺としては、あまり譲歩されてしまうと今後何かの際にお願いがしにくくなりそうなので、できるだけ借りは作りたくない。今は少しの路銀しか持っていないが、収入を得るのが簡単だとはいわないが、それ程の苦労はなさそうな手応えを感じた。今は、金でなんとかなるなら借りにしないようにしたい。
「私が勝手に夢を見ているだけですので、ブリッツェン様に責はございません。ですが、私が頑なになり過ぎるのも良くないのでしょう。でしたら、三割を頂くということで如何でしょう? もともと多かった利益が更に増えるるのです。私には充分過ぎる利益ですので何卒三割でお願いしたく存じます」
「わかりました。これ以上ゴネるのは得策ではないでしょう」
未だ現金収入を得ていないのだが、取り分については一応の決着が付いた。
俺は日本人時代、買い物で割引交渉をした経験もないし、仕事での値段交渉などの経験は尚更ないのだ。それが商人相手に上手く遣り取りなどできるはずもなく、これで借りを作らずに済んだかどうかはわからない。
今回の遣り取りは、俺に商人は無理だと思える出来事であった。
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