第三話 クラーマーとの再会

「少々お待ちを」


 弾む心で扉を開けた俺の目の前に、メタボとはかけ離れた細身で顔に深い皺を刻んだ初老の男が現れた。

 男はロマンスグレーの髪をピシッと撫で付け鼻髭を湛えた清潔感がある人物で、クラーマーと似ても似つかない老紳士だ。


「クラーマーさんはいますか?」

「奥におりますので呼んでまいります。失礼ですが、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「私はブリッツェン・ツー・メルケルと申します。以前、キーファーで会頭のクラーマーさんにお世話になりました」

「貴方があのブリッツェン様でございますか」


 初老の男――ヘニングはクラーマーから俺の話を聞いていたようで、どうやら俺を知っているようだ。ただ、『あのブリッツェン様』の『あの』が何を指しているのか少々気になる……。


「では、こちらへ」


 ヘニングは、俺とアンゲラを店の奥に案内してくれた。


「こちらにお掛けになって少々お待ちいただけますでしょうか?」


 番頭と言うより執事といった風貌のヘニングは、応接室らしき部屋に俺とアンゲラを招き入れてソファーを指し示し、一度頭を下げて部屋を後にした。その所作は俺が思う執事そのものであったのだ。


 何か格好良い。


 俺とアンゲラがソファーに腰掛けてクラーマーを待つも、それこそ一分もせずに慌てた様子でクラーマーが部屋に入ってきた。


「これはこれはブリッツェン様、大変ご無沙汰しておりました。お元気そうで何よりでございます。そして、我がフェリクス商会へようこそお越しくださいました」

「無沙汰ですクラーマーさん。こちらこそ連絡の一つもせずに申し訳ありません。クラーマーさんもお元気そうなご様子で、私もひと安心です」


 額に汗を滲ませたクラーマーは、満面の笑みで挨拶をしてきた。


「アンゲラ様もご健勝のご様子、何よりと存じます」

「クラーマーさんもお元気そうで何よりです」


 アンゲラもクラーマーと挨拶を交わすと、その間にヘニングも入室してきており、お茶の用意をしていた。


「どうぞ、お掛けになって下さい」


 クラーマーに促されて俺とアンゲラが着席すると、ヘニングは俺達の前にお茶を置いてくれた。


「それにしても、ブリッツェン様はお若いだけあって、随分とお身体が成長なさいましたね」

「元が小さいですからね。まぁ、今でも同年代では一番小さいですけどね」

「そうは仰いますが、ブリッツェン様と同じ年の私の娘はまだまだ小さいですよ。幼少期は男児より女児の方が成長が早いと耳にしましたが、娘を見ているとこの話が信じられませんよ」

「確か、クラーマーさんは二男一女を持つお父さんでしたね」


 俺は低身長なのを気にしているのでこの手の話は嫌いなのだが、わざわざ自虐的なことを言ってしまうのだ。なので、さらっと会話を変える。


「今となってはもう少し子どもがいればと思うこともありますが、仕事柄あちこちを飛び回っていたらなかなか思うようにいかず、もう打ち止めですな」

「クラーマーさんはお若いではないですか。まだまだ頑張れるのでは?」

「いや~、妻が既に三十を超えてしまいましたので残念ながら……。それにしても、初等学園を卒業されたばかりのブリッツェン様とこのような会話をしていると、少年ではなく成人した大人と会話をしているような感じがしてまいります」


 あぁ、十一歳のガキが子作りを推奨するとか普通ないよな。でもまぁ、中身は俺もオッサンだから。とは言え、俺は子作り作業をした経験が無いんですけどね!

 それはそうと、医学的なものを『聖なる癒やし』だけで賄っているこの世界だと、三十歳くらいで高齢出産の危険があるのだろうか? だとしたら、成人年齢が十五歳と早くて結婚が早いのも、若年出産を促すためなんだろうな。


「子どもらしくないとは時折言われますね」

「いやいや、それだけブリッツェン様が優れている証拠でございましょう。文武両道とは素晴らしいですな」

「クラーマーさん、あまりブリッツェンを調子に乗らせないで下さいね」


 見惚れてしまう程の美しい笑顔で会話に加わったアンゲラだが、その笑顔には凄みが含まれていた。


「こ、これは失礼いたしました」

「いえいえ」


 恐縮したクラーマーが謝罪すると、凄みの消えた笑顔でアンゲラが応えた。


 う~ん、これくらで俺が調子に乗るなどないのだが、姉さんとしては心配なのだろうか?


「それはそうと、ここに姉がいるのは、今年から姉が神殿本部勤めになったからです」

「はい。アンゲラ様が成人なさったら王都へ来ると伺っておりましたので存じております」

「それでしたら、王都での姉の生活面で伺いたいことがあります」

「なんなりと」


 神殿本部では地方からやって来る人も多いので、寮があると聞いている。ただ、新神官は相部屋が普通で、個室になるのには時間がかかると。そうなるとなかなか魔法の練習もできないだろうから、可能ならばアンゲラに一人暮らしする場所を与えてあげたい。そこでクラーマーに相談となるのだが、ぶっちゃけてしまうと今の俺に金の工面はできな……くもないが、できるるだけ穏便に事を進めたい。


「ええとでね、俺としては姉に一人暮らしをさせてあげたいのですが、現状はあまり金銭的な余裕がないのです。それでも、姉を王都で一人暮らしをさせるのは可能でしょうか?」

「神殿勤めの方は、助祭になると王都での一人暮らしを自活できるくらいの給金だと伺ったことがございます」


 そうなのだ、この世界の神は一柱のみで、神殿の扱いは各国で違うようだが、ここシュタルクシルト王国での神殿は王国の一組織なので、神官には王国から給料が出るという。

 というのも、神殿の仕事は『聖なる癒やし』による医療行為や、子どもが生まれた際に祝福を行い、そのときに戸籍の登録を行ったり結婚の祝福も行い、その時も戸籍を纏めたりするので役場のような仕事も行っているからである。

 過去にはこのような行為を神殿側が善意で行い、寄付で神殿運営が行われていたようだが、寄付金額の低下により神官を続けられずに辞める人が増え、それにより治療を必要とする人を救えず人口の大幅な減少が起り、更なる人口の減少を防ぐために王国が神殿に援助を行い、その後は神殿も王国の機関の一つとなった、という歴史があるようだ。


「助祭になるには何年くらいかかるのですかね?」

「早くて五年といったところでしょうか」


 それは流石に長過ぎるな。仕方ない、奥の手を使うか。


「クラーマーさん、失礼ですがヘニングさんを退出させてもらっても?」

「……内密なお話なのでしょうが、ヘニングはとても忠実な部下です。秘密の厳守はできる男でございます」


 確かに、クラーマーさんは信用できる人で、そのクラーマーさんが信用できると言うなら大丈夫だと思うが、流石に初対面の人に秘密は明かせない。


「すみません、今回だけはできれば……」

「ブリッツェン様がそう仰るのであれば。――ヘニング」

「かしこまりました」

「すみません、ヘニングさん」

「お気になさらず」


 そう言うとヘニングは部屋を後にした。


「クラーマーさん、獣を卸すことはできますか?」

「従業員に冒険者がおりますので可能でございます」

「それなら、私が捕らえた獲物を卸していただけないでしょうか?」

「これから狩りに出るのですか?」

「いいえ、既に持ってきております。鮮度も良いですよ」


 俺が初等学園在学中に、鍛錬として森に入っては狩った獣が魔道具袋に大量に入っているのだ。しかし、この王国では狩った獣は冒険者ギルドにしか卸せず、まだ冒険者になっていない俺は獣を魔道具袋で眠らせている状態なのである。


「ええと、どのような獣を如何程でしょう?」

「クマ、イノシシ、シカ、キジといった所が大量にあります」


 俺はそう言って、ウエストポーチ型の魔道具袋をクラーマーに見せた。


 ちなみに、ウサギなどの小さな動物も狩っていたが、殆ど実家の食卓に乗っていたので魔道具袋には入っていない。


「その形状の物は見たことがありませんが、ひょっとして魔道具袋ですか?」

「そうです。この中に俺が狩った獣が大量に入っています。ただ、俺のような小僧が魔道具袋を持っていると知られるのはあまり具合が良くないので、ヘニングさんにも現状は教えたくありませんでした。まぁ、これでクラーマーさんに卸してもらうようになれば、出処が私であるとヘニングさんにしれてしまうでしょうが」


 ヘニングはクラーマーが信頼している人物だ、急に大量の獣を卸すとなれば出処が俺であるとすぐに察するだろう。


「ブリッツェン様、そのお金をアンゲラ様の王都での生活費に充てるのでしょうか?」

「そのつもりです。まぁ、ついでに魔道具袋で眠っている将来の私の資金を少し早めに換金したい、というところです」

「しかし、魔道具袋に入っている量の獣ではアンゲラ様の一年分程の生活費がギリギリと推測しますが」

「実は、この魔道具袋はある筋から譲って頂いたのですが、通常の物より大容量なので、クラーマーさんが思っている以上に中身は入っていますよ」


 底辺貴族の我が家だが、実は一つだけ通常の魔道具袋を持っていた。何とか父に借りて容量の確認をしたのだが、俺の作った魔道具袋はその十倍以上の物を入れてもまだ満タンにならなかったのだ。


「そうですね、クマであれば二メートル級が二十体は軽く入っています」

「クマでその数……、イノシシなども入っているのですよね?」

「そうですね。イノシシとキジが各五十、シカは百を超えているでしょう」


 俺の魔道具袋の容量に、クラーマーは驚愕の表情を浮かべていた。


「今は冬場でそれらの買い取り価格が高騰しております。かなりの収入になるかと」

「あまり市場を荒らすのも気が引けますので、クラーマーさんが許容できる数だけ出します。勿論、クラーマーさんの所で手数料として必要な金額は抜いてくださって結構ですよ」

「よろしいのですか?」

「クラーマーさんは商売人ですので、手数料を貰うのが当然ではないですか。それに、私がクラーマーさんに期待していたのは、俺にできないこのような仕事を代わりにして頂いたり、姉の生活に必要な物の用意などですからね。私の方だけが恩恵を受けようとは思っていませんよ」


 クラーマーとメルケル領で別れた時点では魔道具袋は持っておらず、その当時は単に生活用品を用意してもらうくらいの軽い気持ちでいた。しかし、魔道具袋を入手し、アンゲラも魔法使いになった時点で将来の資金集めと鍛錬を兼ねて狩りを行っていたのだ。ただ、魔道具袋の容量がかなり多いので、予想以上に多く獣を狩ってしまった。

 必要のない殺生はしたくなく、狩った獣を俺は必ず食べるか売るつもりでいるので、可能ならここで一度全部売ってしまいたいのが本心だ。しかし、王都でも狩りで生計を立てている人もいるだろう。そこで俺が値崩れを起こさせるのはダメだと思うので、クラーマーに必要な分だけ卸してもらうつもりだ。仮に値崩れを起こさせる心配がないというのであれば、お構いなしに換金するつもりだが。


「わかりました。では、早速ギルドの方で現在の買い取り価格と必要量を確認させて、明日には卸してまいります」

「流石はクラーマーさん。仕事が早いですね」

「結果がわかっているのですから、悠長にしていても仕方のないことです。商人は情報を精査する必要がありますが、迅速果断であることも必要です」


 有り難いね。


「しかし、かなりの数がございますので、少々準備が必要になるかと思われます。その準備をいたしますので、ヘニングを呼んでもよろしいでしょうか?」

「できましたら、ヘニングさん以外の従業員の方に出処が私だとわからないようにしていただけますか?」

「勿論そのつもりでございます」

「ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらの方でございますよ、ブリッツェン様」


 クラーマーが本当に良い笑顔を見せてくる。


「そうそう、ブリッツェン様とアンゲラ様は今日の宿はお決まりで?」

「いいえ、いの一番でこちらへ伺いましたので」

「それであれば、王都での滞在中は我が家の客間をご利用下さい」

「よろしいのですか?」

「勿論でございます」


 何だか、至れり尽くせりで申し訳ない気持ちになってくるよ。


 取り敢えず、今は何もすることが無くなった俺とアンゲラは、クラーマー家の客室に案内されて二人でのんびりしている。


「本当にいいの?」

「もう何度も話し合ってそれでいいって決めたでしょ? だから姉さんは気にしなくて良いんだよ。それに、俺も魔道具袋の中身を現金化しておけば、冒険者になった時に楽になるし」

「そうね。ブリッツェンが好意で言ってくれているのだから、私は甘えさせて貰うわね」

「そうして、姉さん」


 メルケル領にいる頃から魔道具袋の中身を現金化し、その資金でアンゲラの生活をサポートする可能性については何度も話し合っていた。

 魔法が使えるようになったアンゲラが、しっかりとした魔法の練習ができる環境がないのはとても勿体無い。……というのは俺の勝手な言い分で、アンゲラからしたら大きなお世話かもしれない。だから、俺の勝手でアンゲラに一人暮らしをさせるのであれば、アンゲラがしっかり生活できるように、金銭面も俺がどうにかするべきなのだ。


「それより姉さん、今日王都に着いてクラーマーさんとの再会もあって、ちょっと疲れたから昼寝したいんだけどいいかな?」

「そうね、私も少し疲れたわ。一緒に昼寝していいかしら?」

「うん、それなら一緒に寝ようか」


 そして、俺達は暫しの眠りに就いた。


 ちなみに、昼寝の場合はわざわざ全裸にならないので、アンゲラの危険度は少し低下するが、それでも俺の身体を抱きまくらよろしく背後から抱き付いてきて二つのマシュマロを当ててくるので、危険であることには変わらないのだ。

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