第二話 アンゲラの出立

 キーファー初等学園を卒業した俺は新年を実家で迎え、暫くダラダラ過ごした。


 年度が変わり俺は十一歳となった。その俺は今年から冒険者学校に通う。

 この王国では新年で年度が変わるのだが、教育機関をなど公共機関的な部署は二月から年度初めとなるので俺は一ヶ月の休みである。

 今年で成人である十五歳となった姉のアンゲラは、成人を迎えて正式な神官となるのだが、『メルケルの聖女』と呼ばれる程の才女で、神官になりたてにも拘らず王都の神殿本部勤めをする。

 そして、アンゲラも同じように二月が仕事始めとなるので、間もなく王都に向けてメルケル領を発つのだが、王都でアンゲラの面倒を見てくれるフェリクス商会のクラーマーとの兼ね合いもあり、俺もアンゲラに同行して王都に行く予定だ。



「アンゲラ、王都でも頑張ってね。でも、身体に気をつけて無理はしないようにね」

「わたくしも何れは王都に行けるよう頑張ります。待っていてくださいねお姉様」

「メルケルの名を汚さないよう、しっかり頑張って参りますお母様。――エルフィ、再会できる日を楽しみにしていますね」


 アンゲラを送り出す母は目に涙を浮かべてアンゲラを抱き締め、エルフィもアンゲラに抱き付いている。

 もしかすると、母はアンゲラと今生の別れとなる可能性があるのだ。

 それというのも、この世界では平民が生まれた町村から出ないで一生を終えるなど当たり前で、王都に出る必要のない在地貴族も、一生王都に行かなくてもおかしくない。そんな世界なので、このままアンゲラがメルケル領に戻って来ない可能性も十分にあり、そうなると……。


 母とエルフィとの別れを済ませたアンゲラと俺は、現在キーファシュタット行きの乗り合い馬車に揺られている。

 因みに、父や兄は仕事の都合で昨晩の内にアンゲラとの別れを済ませている。


「それにしても、馬車の振動はいつまで経っても慣れないな。キーファシュタットまでならなんとかなるけど、キーファシュタットから王都までは更に距離があるからね。先を思うと……気が遠くなるよ」

「ごめんなさいね」


 馬車に揺られるながら俺が愚痴を零した所為で、いつも笑顔のアンゲラが申し訳なさそうに苦笑いで謝ってきた。


「ね、姉さん、そんなつもりで言ったわけではないんだ。ごめんよ」


 俺は慌ててアンゲラに頭を下げた。アンゲラは少し悲哀の篭った苦笑いを浮かべたままだ。


 それにしても、ただ踏み固められただけの土の道に、サスペンションなどない馬車。クッションも何もない木の板でできた椅子に座って旅をするのは、本当にキツいな。

 アスファルトで舗装された道を、柔らかいシートにサスの効いた車で走るのが当たり前だった日本人からすると、この交通事情にはなかなか馴染めないよ。


「そ、そうだ、姉さんの回復はどれくらいの傷まで治せるようになったの?」

「どれくらいも、『聖なる癒やし』は一度の効力は変わらないのよ。ただ、使用回数が増えたお陰で、重ね掛けなら皮一枚でかろうじて繋がっていた腕を治せたわね。ただ、その日はそれ以降は何もできなかったけれど」

「それって凄くない?」

「そうね、凄いかもしれないわね。それでも、――」


 アンゲラは小声になって俺に耳打ちしてきた。


「光魔法の回復の方が魔力消費も少ないし、効果ももっとあるのでしょうね」

「あぁ、そうだね」


 聖属性と呼ばれる魔術の『聖なる癒やし』だが、多くの人を癒やしてきたアンゲラなら可能だろうと光魔法での回復を試させてみると、『聖なる癒やし』と同程度の回復を、光魔法であれば魔術の半分以下の魔力消費で行えるようになっていた。


 アンゲラは更に耳打ちしてきた。


「光魔法の回復で魔術のように魔法陣が出てくれれば、もっと多くの人を救えるのだけれども、練習しても魔法陣は出てくれないのよね」

「俺も魔法陣が出るようにならないか練習しているけど、現状は出せないんだよね」


 師匠から貰った木簡に記載されていた魔法はどれも魔法陣が出現したので、一律化された意味のある言葉が魔法陣に記載されているのだと思う。だが、俺は魔法陣の文字が読めないので、その意味がわからず解析ができていない。

 師匠なら、魔法陣に書かれている魔法言語的な文字が読めるのかもしれないが、俺が木簡を貰ったのが師匠との別れ間際だったので、疑問が浮かんだときには聞く機会を失っていた。


 こんな感じで、小声でひそひそ魔法の話をしたり、他愛もない会話を普通にしながらキーファシュタットまでの道程は平和に進んだ。


 ちなみに、道中で野営をするのだが、乗合馬車にはテントなどの野営装備があるので、乗客は野営の準備が必要がない。ただ、食事は各自で行う必要があり、俺達はカチカチのパンや干し肉を食べていた。実は、魔道具袋もどきに調理道具や新鮮な肉や野菜なども入っているのだが、それを食べるのは不自然なので我慢している。

 護衛に関しては、乗合馬車の方で専属を雇っているので、夜の見張りなども乗客が行う必要はなく有り難い。

 まぁ、自衛の必要のない、割高な馬車に乗っているからなのだが。



 程なくしてキーファシュタットに着いた俺達は、次の乗合馬車が翌日出発なので一泊する。

 宿屋で久しぶりに湯を使って身体を洗い、保存食ではない食事を摂ると、ふかふかの布団……とは呼べないが、藁の寝台で全裸のアンゲラと同衾した。同衾と言ってもただ一緒に寝るだけだ。


 この世界での布団とは袋状の布に藁を入れた物。そして、季節を問わずいつでも全裸で寝る。


「ブリッツェン、そろそろ寝ましょう」


 既に全裸で寝台に寝転んでいるアンゲラが、屈託のない笑顔で俺を呼んでいる。

 実は、俺がブリッツェンとして覚醒する前にアンゲラと一緒に寝た記憶があるのだが、俺自身がアンゲラと同衾したことがないいのだ。更に言うと、十五歳になったアンゲラは、ボンキュッボンの非常にエロい身体をしている。更に更に言うと、俺のアイツは十歳になって暫くした頃から反応するようになってしまっているのだ。まぁ、まだまだ可愛いモノだが……。


「姉さん、冷えるから毛皮を被っててよ」


 掛け布団も袋状の布に藁を詰めた物だが、冬である今の季節は自分用の毛皮を持参しているので、それを毛布のように使っている。


「そうね。――寒いから早く寝ましょ」


 アンゲラが毛皮を被ってくれたので、俺はアンゲラに背中を向けるように近付き、さっとマイ毛皮を被り、掛け布団に潜った。


「そんな離れていたら温まらないわよ」


 アンゲラはそう言いながら俺を引き寄せ、背後から抱き付いてきた。当然、俺の背中には柔らかくて大きな二つの果実が押し付けられている。


「ふふっ、温かい」

「…………」

「そういえば、こうしてブリッツェンと一緒に寝るのは久しぶりね」

「…………」

「あら? もう寝てしまったの? ブリッツェン?」

「…………」

「ブリッツェンもまだまだ子どもね。おやすみなさい」


 寝れるわけないじゃん! こんなのちょっとした拷問だよ!

 背中に当たる感触は気持ちいいけど、今の俺にはただの毒なんだよなぁ。毛皮越しの分だけ威力が低下して助かったけど。

 しかしなんだ、ペッタン娘のエルフィだと変な気が起こらなくて済む分、全く危険がなくてある意味安心だよな。


 俺は、背中に当たる柔らかな感触を幸せに思いつつ、理性を保つために現実逃避をしながらいつの間にか眠りに就いていた。

 ちなみに、現実逃避のネタに使われたエルフィが可哀想だとは思わない。


 翌朝、アンゲラに起こされた俺は眠い目を擦りながら朝食を済ませ、次の連絡馬車に搭乗していた。

 馬車に乗って暫く進むと、俺がクラーマーを盗賊から助けるために戦った場所を通過した。


「ここで盗賊と戦ったんだよ」

「あれから二年ちょっと経ったのよね」

「早いもんだ。でも、そのお陰でクラーマーさんに姉さんを任せられるんだよね」

「ブリッツェンには頭が上がらないわ」

「何か恩着せがましい言い方になっちゃったね。ごめん姉さん」

「ブリッツェンが謝ることではないわよ」


 本当、まさかあの事件でクラーマーさんを助けた縁で、今回は姉さんの件でクラーマーさんに俺が助けて貰えるんだよな。そう考えると、人の縁ってのは不思議なもんがあるね。これこそ、情けは人の為ならずってヤツだ。


 俺は聖人君子ではないけど、情けは人の為ならずをモットーに、これからも人助けとかなるべくやっていこう、何となく心に誓った。



 王都への旅は盗賊に襲われるような事件もなく、問題があるとすれば、馬車の乗り換え待ちで宿泊する際にアンゲラと同衾する度に俺の精神力が鍛えられるくらいで、ほぼ順調に王都の入場門へ到着した。


「それにしても、王都を囲うこの壁は凄いね」

「私も王都は初めてなのだけれど、聞くと見るでは全然違うのね」


 王都を外から見たとき、俺はかなりの衝撃を受けた。

 優に十メートルを超える石でできた巨大な壁は、近付けば近付く程その威圧感が増す。俺もその大きさは文献を読んで知っていたが、目の当たりにすると文字で見た数字以上のものを感じずにはいられなかった。


「身分証明書を提示しろ」

「「はい」」


 鎧に身を包んだ厳つい門衛に身分証明書の提示を求められ、俺達は身分証明書を差し出す。

 この身分証明書だが、シュタルクシルト王国の住民はほぼ必ず持っている。というのも、王国では何かしらのギルドに所属する義務があり、未成年は親の属するギルドから身分証明書が発行されている。

 俺の場合は父が領兵団の団長であるので、王領従事ギルドと呼ばれる、王国か領主に雇われる人間が属する組織から発行されているだ。

 成人したアンゲラは正式な神官になったので、父の庇護ではなく個人で身分証明書が発行されているのだが、神殿は王国が管理する一組織であるため、発行元は王領従事ギルドのままである。


「――ど、どうぞお通りください」


 道中で何度も行ってきた門を通る際の身分証明書の提示だが、どこの門衛も横柄な態度なのだ。しかし、身分証明書を見ると態度が一変する。それは、俺のような小僧で田舎貴族の末っ子であっても貴族だからである。

 ちなみに、実家を出て個人の身分証明書を持つアンゲラだが、父が現当主でアンゲラ本人も未婚であるために貴族身分のままだ。

 

「無事に王都に入れたわね」

「王都には入れたけど、こんなに広い場所でこれからでクラーマーさんの商会を探すんだよ? 今からが本番な気がするんだけど」

「そうね。これだけ建物があるのだから、商会も沢山ありそうよね」


 俺は王都を舐めていた。王国南西最大都市と言われるキーファシュタットもそれなりに広いのだが、俺はキーファシュタットを少し大きくしたくらいだろうと高を括っていた。


「う~ん、キーファシュタットが四つ入るくらいの大きさだね」

「随分と広いのね」

「取り敢えず、中央を目指しながらフェリクス商会が何処にあるか聞いてみようか?」

「そうね。場合によっては神殿本部に先に寄って、神殿本部で聞いてみてもいいと思うわ」


 神殿本部は王都の中央付近にあるらしいので、アンゲラの言う通り神殿本部で聞いてみるのもありだと思う。


 王都の中央を目指して石畳をアンゲラと二人で歩きながら、道行く人にフェリクス商会が何処にあるのか聞いていたが、手掛かりは皆無だった。


 三十分以上歩いた頃だろうか、次の城門を潜った。

 王都は人口増加に伴い拡張されているので、この門がある城壁は旧外壁の現内壁だ。

 のんびり歩いていたとはいえ、外壁から内壁まで三十分以上も歩くとは思っていなかった。

 こちらの門は一応門衛が立っているが、身分証明書の提示などなく普通に通過可能なようだ。

 門衛がフェリクス商会を知っていてくれたらいいな、と思い、軽い気持ちでフェリクス商会の場所を聞いてみたら、有り難くも知っていたので行き方を説明してもらった。そして、門衛に教えられた通り歩くと、十分程でフェリクス商会に到着した。


「ここがそうみたいだ」

「立派な建物ね」


 歴史のある王都だけあって、木造や石造り、レンガ調など多種多様な建築物が並んでいる。そして、自分の商会を中堅と呼ぶのも烏滸がましいとクラーマーは言っていたが、フェリクス商会は石造りっぽい立派な三階建てで、周辺の建物の中では一番立派であった。

 石造りっぽいというのは、そんな感じの作りであるが、漆喰の様な物で建物が塗り固められていたからだ。


「フェリクス商会の周辺も商会の看板を掲げてる建物が多いけど、どう見てもフェリクス商会が一番立派だよね」

「クラーマーさんは素晴らしい商人なのでしょうね。そんな素晴らしい商人であるクラーマーさんに私の王都での生活を補助していただけるのも、全てブリッツェンのお陰ね。ありがとう、ブリッツェン」

「どういたしまして」


 はいかわいい。

 いや~、いつ見ても可愛らしい姉さんの笑顔だけど、今日の笑顔は二割増しで輝いてるよ。


「さて、いつまでも建物を見上げていても仕方ないから、中に入ってクラーマーさんに挨拶しようか」

「そうね、行きましょう」


 ここに到着するまで随分と時間がかかったけど、久しぶりのクラーマーさんとの再会が楽しみだな。


 ブリッツェンとしての俺はまだまだ子どもだが、日本人として三十五年の人生を重ねた俺からすると、メタボのオッサンであるクラーマーは同年代なので、旧友と久しぶりに再会する同窓会感覚で非常に楽しみなのだ。


 まぁ、同窓会とか呼ばれたことないんだけどね……。


 気を落ち着かせた俺は、弾む心でフェリクス商会の扉を開けた。


「ごめんください」


 気が遠くなるような旅だったけど、いよいよ感動の再会だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る