第十八話 天使すぎる姉

 久々の師匠との魔法の鍛錬は、基本に立ち返った初歩的な部分を存分に行った。

 結果、俺が基本を思い出すことで、アンゲラにしっかり教えることができるだろう。


「師匠、本当にありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしておらん。ブリッツェンが基礎鍛錬を怠っていないか確認しただけじゃ」


 このヨボヨボ爺さんはあまり表情が豊かではないが、なかなかのツンデレだな。

 いや、俺はツンデレとか本当は良くわかっていないから、多分そうなんじゃないかと思っただけで、実はツンデレじゃないのかもしれない。でも、師匠は俺の中ではツンデレだ。


「ブリッツェンよ」

「何でしょう?」

「お前さんは感情がダダ漏れとまでは言わんが、感情がかなり表情に出ているぞ」

「そ、そうですか。お恥ずかしい……」


 いかんいかん。師匠相手だからまだいいけど、女性相手に罷り間違って不埒なことを考え、それが表情に出てしまったら……、一大事だな。気を付けなければ。


「よし、休憩は終了じゃ」

「はい」

「次は槍を見てやろう。事前に伝えたとおり、儂は護身程度でしか知らんからの。あまり当てにするでないぞ」

「わかりました」


 俺は日本人時代に何か武道を習っていたこともなく、ブリッツェンとして意識が覚醒する前に教えられた剣技のお陰で、今はなんとか魔法を使いつつも戦うことができている。

 そして、槍に関しては完全に素人で、映像でただ見ただけの記憶で突いてみたりしているが、当然ながら上手く扱えるはずもなく、何から何まで師匠に細かく教わるていたらくだ。


 でも凄いなこの身体。あやふやな記憶で槍を振り回してたときはお話しにならなかったけど、師匠に手解きを受けたことを少し繰り返すと、身体がすんなり受け入れるんだよな。

 若い身体だから覚えが良い、というか吸収力があるのかな?


 師匠に教わったとおり身体を動かし続けると、ぎこちなかった動きが数を熟す度にしっくりしてくるのを感じるのだ。


 日本人時代も、小さい頃から何か習い事でもしていたら、ひょっとして俺も違う人生を……いや、考えても仕方ない。


 終わった人生の『もし』を考えてしまった俺は、『楽しい』を実感できている今の人生をより楽しくすべく、新たな試みである槍の取り回しを覚えることに集中した。


「今日はここまでにしておこう」

「ありがとうございました」

「うむ。しかし、ブリッツェンは面白いの」

「俺が面白い?」

「ふむ」


 何か変なことでもしたかな?


「面白いと言うのは、見ていて飽きないと言う意味じゃ」

「それは、褒められているのでしょうか?」

「別に褒めている訳ではない」


 ですよねー。


「ブリッツェンは魔法を扱う子どもだったからの、興味半分で見ていたのが今ではすっかりお前さんに振り回されておる」

「すみません」

「責めているのではない。逆に振り回されるのを儂自身が楽しんでおる」

「それは何よりです」


 俺は師匠の笑顔を見たことが無いのだが、楽しんでくれていると言うのであれば、それは俺に取って朗報だ。


「儂がこの地にいるのは一ヶ月もないが、その間はまだまだ楽しんでいられそうじゃ」

「はい。楽しんでいただけるように頑張ります」


 師匠がなぜこんなことを言い出したのかわからないが、俺は自分で思い描いた目標に向かって頑張るだけだ。今までもそうだった。そんな俺を見て師匠は飽きない面白い子どもだと思ってくれた。それなら、俺は今までどおりやるだけだ。


 ん? これって師匠なりのエールか何かなのかな?


 俺はこれから、アンゲラに魔法を教えるかもしれない。そうなると変に考え込んだりするときもあるだろう。それでも気負わずにいつもどおりでいい、と師匠は言ってくれているのかもしれない。

 考え過ぎかもしれないが俺は勝手にそう解釈し、なんだか心が温かくなった。




 数日ぶりの師匠との鍛錬を終えた俺は、家に帰って食事などを済ませるとアンゲラを呼び出した。

 アンゲラは、『メルケルの聖女』と呼ばれるに相応しい、いつもと変わらぬ癒やしの微笑みを湛えて部屋にやってくると、寝台に座っている俺の右隣に腰掛けた。


 姉さんの笑顔はいつ見ても心が安らぐな。そんなほっこりした気持ちになるが、俺は真剣な表情を作り話し始めた。


「姉さんは魔法の存在をどう思ってる?」

「詳しくは知らないのだけれど、魔法は便利なのよね? でも使い勝手が悪くて廃れてしまい、今は使われなくなったとしか知らないわよ」

「そうではなく、姉さん自身の魔法に対する気持ちとかを聞きたいんだ」


 聞き方が悪かったかな?


「ブリッツェンは魔法に興味があるようだけれども、私は魔法を知らないの。だからね、魔法に対して思うところがないのよ」

「それなら、もし魔法が使えるなら姉さんは使ってみたいと思う?」

「魔法を使うのは”劣った人間”とみなされるから、魔法を使うのは憚られるのでしょ? 特に貴族では魔法を使わないのが暗黙の了解となっているのよね?」


 質問に質問で返されたが気にしない。――と思ったら続きがあった。


「でも、ブリッツェンが気にしている魔法がどの様なものか知りたいわね。それでも魔法を使う者が”劣る者”と言われていて、特に貴族が使わないようにしている事実がある以上、私が使うことでメルケル家に迷惑がかかるのであれば、魔法は使えないわね」

「どうしてメルケル家に迷惑がかかるの?」

「……家族に”劣る者”がいることで、メルケル家そのものが”劣った一族”と思われるかもしれないでしょ」


 姉さんは既に俺が魔法を使えることに気付いているよな。まぁ、こんな問答をしていれば気付かれるのは当然か。


「姉さんは俺がいることで迷惑をこうむっている?」

「いいえ。むしろ貴方は盗賊捕縛を成し遂げ、公爵夫人から贈り物を頂ける程の人物よ。迷惑など被っていないわ」

「それが魔法を使って得た功績でも?」

「貴方が讃えられている時点で、それが世間の評価よ」


 本当に誇らしいと思っているのだろう、アンゲラは笑顔をより深め、左手で俺の手を握り、右手で優しく頭を撫でてくれた。


 姉さんが俺の姉で本当に良かったよ。そして柔らかい。


「魔法を使う者がなぜ”劣った者”と言われているのかわからないけど、魔法は本当に素晴らしいんだ」

「そのようね」


 いつの間にかアンゲラの双丘に顔を挟まれていた俺は、その柔らかい感触を堪能したい気持ちをグッと抑え、惜しみつつ顔を上げ言葉を紡ぐと、アンゲラは穏やかな笑みを浮かべて言葉を返してくれた。


「それで、俺は姉さんに魔法使いになってとは言わないけれど、魔法を使えることによる利点を知って欲しい。更に言えば、魔法を使えることによる恩恵を姉さんにも授かって欲しいんだ」


 気を付けて魔法を使用するのであれば、魔法を使えることを隠して生活することはできる。事実、俺ができている。ただ、魔法が使えることは言われているとおり本当に便利だから、気を抜くと魔法使いであると知られる可能性もある。だから無闇に人へ伝えるのは謹んだ方が良いのだろう。しかしアンゲラであれば、絶対とは言わないが上手くやっていけると思える。


「私に恩恵?」

「詳しいことは後で説明するけれど、結果として『聖なる癒やし』が今以上に多く使えるようになるよ。もしかすると、より上位の術が使えるようになるかもしれないね」

「そうなれば、より多くの人々を救えるわね」


 ここでその言葉が出る姉さんは凄いな。それにその笑顔は反則だ! 可愛過ぎるだろ!


「でも、ブリッツェンは上手く魔法を使っているのでしょ? そんな素振りも見せず」

「『上手く使っている』が”魔法を使いこなせている”を指しているなら、俺はまだまだだよ。でも、”誰にも気付かれずに使っている”を指しているなら、現状は問題ないかな」


 厳密に言えば師匠に察知されてしまったけど、それはむしろプラスであったし、それ以外では誰にも気付かれていない……と思う。


「どちらにしても、貴方は上手く使っているのでしょうね」

「そうかもね」

「それで、私はどうすれば良いのかしら?」

「姉さんに魔法を使えるようになって欲しい。……厳密に言うと、魔法を使う前提条件である魔力素を自在に操れるようになって欲しいんだ」


 魔力素が操れるようになれば魔力を錬成し、魔力を放出できる。魔力の放出は即ち魔法を使うと同義だから、魔法を使えるように、という言い方でいいのかもしれない。だが、俺はアンゲラに色々な魔法が使える魔法使いになって欲しいのではなく、魔力素を扱うことを起因とする、体内の魔力素を使い切ることで起こる現象を利用して、アンゲラの魔力素の上限値を多くしてあげたいのだ。


「ブリッツェンは小さい頃から勉強熱心で色々と知っていたし、人様に迷惑をかけたり陥れたりするような子ではなかったわね。そのブリッツェンがわざわざ私に薦めてくれるのであれば、私はそれに従うべきでしょう」

「俺は今でも小さいけどね」


 俺を信頼してくれているアンゲラに、俺は軽くおどけてみせた。


「わかったわ、ブリッツェン」

「聞き入れてくれてありがとう姉さん。じゃあ、少し詳しく説明するね」

「はい、ブリッツェン先生」


 今度はアンゲラが戯けてみせた。


 おい姉よ、いくら何でも天使すぎるだろ! 触れることが許されないアーデルハイト様やシェーンハイト様と違って、触れることが許される姉弟だ。ここで抱き締めても許されるんじゃね?!


 そんなことを思った俺だが、基本的にヘタレなので思っても行動に移せないのだ。それと、俺は弟なので姉に抱き締められるのは不可抗力だとしても、自分から抱きしめるのは中身がオッサンであるので躊躇ためらわれた。

 結果、ただ悶々とする俺なのであった。

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