第十五話 絶世の美女母娘
アーデルハイトとの歓談会のことを考えると緊張で気分が重くなるので、クラーマーと雑談しながら気を逸らす俺に、俺の気も知らず何人もの方々から声を掛けられたので、できるだけ自分を小さくいうことで極力評価されないように気を遣った。
そして、俺の頭部を見た後にじっくり俺の瞳を見てくる視線に辟易した。
食事会が終わると今度はアーデルハイトととの歓談会となったのだが、なぜか俺とアーデルハイト、シェーンハイトの三人でとなっており、それはそれで緊張してしまうのでクラーマーの同席を認めてもらった。
「メルケル卿はお疲れでしょうに、我儘を言ってごめんなさいね」
「い、いいえ、アーデルハイト様とシェーンハイト様とこのようにお話しできる機会はそうそうございません。むしろ、このような機会を与えて下さったことに深く感謝しております」
挨拶を交わして席に付くと、テーブルを挟んだ向かいのソファーに腰掛けたアーデルハイトがいきなり謝罪をしてきたので、俺は軽くパニックに陥ったが無難な切り返しができた……と思う。
「ところでアーデルハイト様、不躾ながら一つお願いがあるのですが、お聞きいただけますでしょうか?」
「あら、何でしょう? 私に叶えられることかしら? どうぞ仰ってくださいな」
あぁ~、そんな慈愛に満ちた笑顔を間近で見せられたら蕩けてしまうんじゃ~。
いかんいかん。蕩けてる場合じゃないぞ俺。
「いえ、大事ではございません。呼び方に関してなのですが、私は在地騎士爵家の三男に過ぎません。ですので、公爵夫人であらせられますアーデルハイト様にメルケル卿と呼ばれるのは身の丈に合っておりませんゆえ、恐縮しきりでございます。更に、私は実家を出なければいけない三男ですので、メルケルを名乗るのは現在も今後も滅多にございません。ですので、できましたらブリッツェンと呼んで頂ければ幸いでございます。それと、卿などと呼ばれたこともありませんので、呼び捨てていただきたく存じます」
王家の血を引く大貴族に自分の呼び名を訂正させるのは拙い気もするが、それよりもそんな大貴族にメルケル卿と呼ばせる方が恐ろしい。――と思ったら、俺はもっと恐ろしい事実に気付いた。何と、俺は公爵夫人に対して『アーデルハイト様』とファーストネームで呼びかけていた。
この世界と言うか、シュタルクシルト王国の習慣として、ファーストネームで呼んで良いのは、本人がそれを認めた親しい人のみなのだ。
そして、この国の常識として爵位持ちには家名に爵位で呼ぶのだが、その夫人には家名と爵位に夫人を付けて呼ぶのが礼儀なので、ライツェントシルト公爵夫人と呼ぶのが正しい。
更に言えば、シェーンハイトもライツェントシルト公爵令嬢と呼ぶべきである。
ちなみに、同じ家名を持つ貴族がその場に一人しかいない今の俺のような状況の場合、アーデルハイトが俺を呼んだように家名に卿で呼ぶ。そう、俺のような最底辺の貴族であってもだ。
「そ、その前に、不敬をお詫び申し上げます。私が己の立場も弁えず、ライツェントシルト公爵夫人並びにライツェントシルト公爵令嬢に対し、気安くお名前でお呼びしてしまいましたことを、心よりお詫びいたします。大変申し訳ございませんでした」
「そのような些末なことはお気になさらず、お顔を上げて下さい」
俺が恐る恐る下げた頭を戻すと、アーデルハイトは本当に気にしていないのだろう、ニコニコとしたままであった。
そして、アーデルハイトは俺が頭を上げたのを確認すると、笑顔を深めて口を開いた。
「どうぞ、先程のようにアーデルハイトとシェーンハイトと呼んでくださいませ」
「そのような失礼をこれ以上重ねるのは――」
「失礼ではありませんよ」
俺の言葉を遮るように言葉を被せてきたアーデルハイトは、「むしろ、公爵夫人などと余所余所しく呼ばれる方が悲しいですわ」と続けると、何処から取り出したのかわからないのが右手に握ったハンカチで涙を拭く仕草をしている。
笑顔以外の表情をこのような場面で見れた喜びなど当然なく、俺は少々戸惑ってしまった。
「そうですねぇ~、メルケル卿が呼び方について私にお願いがあるようですので、私とシェーンハイトを名前で呼んでくださるよう私からもお願い申し上げますわ」
「なっ……」
小芝居で僅かに悲しい気な表情を見せたアーデルハイトだが、悪戯っ気を帯びた笑顔を俺に向けてきた。
「ブリッツェン様と呼ばれるのも貴方は嫌がりそうですね」
「……そうですね」
「では、ブリッツェンさんと呼ばせていただきますね。これ以上は譲歩いたしませんわ」
「あっ、はい……」
アーデルハイトは常に笑顔なのだが、その笑顔に一つ一つ表情があり、今回の笑顔は『これ以上譲りませんよ』という気概が伝わってくる笑顔であった。
「それでは、私のことはアーデルハイトと呼んでくださいませね」
「……承知いたしました。アーデルハイト様」
取り敢えず、不敬で罰せられることはなかったので良しとしておくしかないだろう。
「わたくしはブリッツェン様と呼んでもよろしいですか?」
幼女版アーデルハイトとでも言うべきシェーンハイトが、おずおずとそんな質問をしてきた。
「シェーンハイト様に私が様付けで呼ばれるのは恐縮してしまうのですが……」
「ブリッツェン様は八歳だとお聞きしております。わたくしはまだ六歳ですが、わたくしより二つ上なだけのブリッツェン様は、あのような大きな方と渡り合っておりました。それは尊敬に価すると思っております。なので、わたくしは尊敬の念を込めてブリッツェン様とお呼びしたく存じます」
幼女ながらにキリッとした表情で語るシェーンハイトは、公爵令嬢然とした高貴な者の雰囲気を纏い、凛とした佇まいで己の信念を貫き通す芯の強さを持っていた。こんな強い信念を持って語るシェーンハイトに、俺が否と言えるはずがないのだ。いや、それ以前に立場的に考えて断るなどできないのだが……。
「承知いたしました。畏れ多きことですが、シェーンハイト様がそれでよろしいのでしたら……」
「はい。良かったです」
俺が歯切れの悪い了承の旨を伝えると、シェーンハイトは満面の笑みを浮かべたのだが、流石アーデルハイトの娘と言うべきか、見る者全てを虜にしてしまう素晴らしい笑顔であった。
いや、それではアーデルハイトの娘だからシェーンハイトは素晴らしいと言っているようなもので、それはシェーンハイトに失礼だ。そうではなく、シェーンハイト自身が一個人として素晴らしいからこそ、その笑顔が魅力的なのだ。
とはいっても、シェーンハイト様が大人になったら、アーデルハイト様のようになるのだろうな。
先程の自分の考えをぶち壊すようなことを俺は考えていた。
確かにシェーンハイトは非常に可愛らしいのだが、どうしてもそっくりなアーデルハイトの面影が見えてしまうので、アーデルハイトを基準として俺はシェーンハイトを見てしまう。
公爵令嬢との縁なんて底辺貴族にはないから、こうやってシェーンハイト様と話しをするのもこれで最後だろうな。
もし、もしだぞ。罷り間違って俺がシェーンハイト様と……いや、ないな。でも、シェーンハイト様が将来どのように成長するのか見てみたいよな。やっぱ、アーデルハイト様のような美しい女性になるのかなぁ?
今の俺の脳内は、これでもかと言う勢いでくだらない妄想を繰り広げていた。
しかし何だな、理想の人イコール恋愛対象と言う訳ではないんだし、アイドルと話せてラッキーくらいに思っておけばいいか。
そうだよ、アーデルハイト様もシェーンハイト様も俺にとってはアイドルなんだよ。
よく知らないけど、アイドルを応援する人って自分がアイドルと結婚できるなんて思わず、ただ可愛いとか美しいとか思って見つめて応援してるんだろ? アイドルは自分の心を満たしてくれる存在なんだろ? それなら、今日から俺はアーデルハイト様とシェーンハイト様のファンだ。これなら失恋とかもないし。
ただ、テレビとかないし、写真集とかもないから、今後は一生お目にかかれない可能性もあるけど……。
もはや自分が何を考えているのか、自分自身でもわからなくなってきてしまった。
とにかく、理想の女性像そのものであるアーデルハイト様にひと目で虜にされ、一瞬で失恋した俺だが、よくよく考えれば地位や立場がモノを言うこの世界で、公爵家とどうこうなる道理がないと悟ったのだ。だから、アーデルハイト様のような素晴らしい女性になるであろう独身女性のシェーンハイト様に今から唾を付けておくなどできるはずもないと理解している。しかし、アーデルハイト様とシェーンハイト様は俺にとってアイドルで、俺は二人のファンだ。失恋などもしていない。ただのファンとして応援している。
よし、頭の中が大分整理されてきたぞ。
ところで、何を応援するんだ?
せっかく頭の中が整理されてきたのに、要らない疑問が頭に浮かんできてしまった。
これではいつまで経っても整理ができないので、俺は考えるのを止める……。
「あのぉ~、ブリッツェン様?」
「は、はい。何でしょうかシェーンハイト様」
「お身体の具合でも悪いのでしょうか? それとも、模擬戦での疲れが抜けきっておられないのでしょうか?」
「多少の疲れはありますが、たいしたことではありません」
「それなら良いのですが、ブリッツェン様のお心がここに非ずといったように感じられましたので、少々心配してしまいました」
このお嬢ちゃん、なかなか鋭いな。
魔法を使うことによって、一つの事象に意識を集中していても他の事象にも意識を向けられるようなった俺は、脳内がお花畑であってもしっかり会話はこなしていた。
それでもシェーンハイトは俺が考え事をしているのを見抜いたようだ。
「ご心配をおかけしてしまい申し訳ございません。正直に申しますと、シェーンハイト様があまりにも美しく可愛らしいので、見惚れてしまわないように意識を逸らそうとしていたのですよ。それを見抜かれてしまったようで、何ともお恥ずかしい限りでございます」
「えっ? えっ?」
シェーンハイトにいらない心配をかけまいと何となく口にした俺の言葉に、驚きの声を小さく上げたシェーンハイトは、顔を真っ赤にして硬直してしまった。
「ブリッツェンさんは本当にお口がお上手ですわね」
「い、いや、そんなことは……」
アーデルハイトにそんなことを言われると、俺は間抜けにも照れてしまう。
ここで照れるのはおかしいのだが、俺は美しい女性に間近で微笑まれながら声を掛けられる経験など皆無だったので、それだけで話の内容など関係なく舞い上がってしまったのだ。
いやぁ~、マジで幸せだなぁ~。絶世の美女と美少女と会話できるって、こんなにも幸せな気分になれるんだな。
貴族がどうとかの身分制度はどうにかならないかな? アーデルハイト様は人妻だから諦めるとして、シェーンハイト様に唾を付けておいて将来……むひひ。
いかんいかん。俺はアイドルを眺めるだけのファンだ。分不相応な考えをしてはダメなのだ。さっきも唾を付けるなどできないと悟ったではないか。アホか俺!
大体にして、地位を抜きにしても三十五歳……いや、もう三十六歳か。その俺が六歳の幼女に唾を付けるとか、これもう完全に犯罪だよ。それに、いつか結婚とかしたいとは思うけど、ブリッツェンである俺はまだ八歳だからな。それこそ十年以上先の話になるだろうし。そもそも冒険者にもなっていないし、恋愛などまだまだ先だ。今は公爵夫人と公爵令嬢というアイドルに出会えたこと、そして、こうして会話ができる場を与えられたことに感謝しよう。
どうにも女性に縁の無かった俺は、この降って湧いた状況に興奮して我を忘れていた。だが、絶世の美女母娘を前に、邪な気持ちをなんとか押さえ込むのに成功した。……と思うことで自分を納得させるのであった。
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