第五話 二度目の人生終了?

 シカを仕留めて新魔法の効果に満足していた俺は、突如現れたイノシシにどう対処するか逡巡していた。


「どうする……って、迷ってる時間は無いな。探知魔法と肉体強化魔法を入れ替え……?」


 猶予がないと察した俺は、イノシシに背を向けて動き出した。しかし、焦って手順を間違えたようで、探知魔法を止める前に肉体強化魔法を発動していた。


「魔法を二つに身体を動かす事の合計三つの並列思考ができてるのか俺は?!」


 実は、既に三つの並列思考ができていた俺だが、その事実に今初めて気付いたのだった。が、今はそんなことを考えている場合ではない。


「ヤバいって! 肉体強化をしてもイノシシに距離を詰められてるし。――魔法を同時に使えるなら、肉体強化と身体強化を一緒に……、でも靭帯断裂とかしたら……」


 徐々に距離を詰めてくるイノシシの気配を探知魔法で感じつつ、俺は肉体の損傷を恐れて考えが纏まらなかった。更に言えば、少し余裕のあった魔力が、咄嗟に二つの魔法を使用したことでかなり減っていた。


「使うしかない……よな」


 このままではイノシシに撥ね飛ばされるのは時間の問題だった。俺は後々の身体の心配より、今現在の危機から逃れることを選択した。


「よし、あの木にしよう」


 肉体強化と身体強化の魔法を同時使用しても、街まで逃げ切る魔力はないと感じた俺は、付近にある一番丈夫そうな大木の枝に飛び乗り、イノシシの体当たりに大木が耐えてくれることに賭けた。

 そして、探知魔法を切り、肉体強化の魔法に身体強化の魔法を重ねてかけ、一気に行動に移したのだ。


「うぉりゃあああぁぁー」


 気合を入れた俺は左足で地面を蹴り、目標としている大木の隣りにある木を右足で蹴る。

 一度の跳躍で目的の枝まで届かないと判断した俺は、地を蹴った後に隣の木を蹴り目標の枝に飛び移る三角跳びをイメージしていた。しかし――


「何で!?」


 俺は初めて肉体強化と身体強化の魔法を同時使用したため、自分の力を把握できていなかった。そのため、予想以上に高く跳躍していたのはこの際かまわない。しかし、三角跳び用の壁に見立てた木に右足を着けたまではまだ良かったが、大木に飛び移るべく軽く畳んだ右足の膝を伸ばして跳ね上がろうとした瞬間、その力で壁に見立てた木を蹴り折った挙句に、そのまま俺の身体は折った木の間を通過して地面に向かってしまったのだ。


「ヤバいって!」


 そんなことを愚痴っても状況は変わらず、俺は勢いの所為で上手く着地ができずにかなりの衝撃で地面に激突してグルグルと転がってしまった。

 追って来ていたイノシシはイノシシで急停止ができず、通り過ぎて行ったのは不幸中の幸いだろう。


「――っ!」


 転がった先の木に背中を打ち付けた俺はどうにか止まることができたが、かなりの勢いで背中を打ったため、痛みで集中力が途切れ、自分にかけていた魔法が解除されてしまった。


「もう一度魔法……うっ……」


 肉体強化と身体強化の魔法が解かれたことで負担のかかった身体が、打ち身以外の痛みを伴って全身を駆け回った。


「……もしかして、…………俺の人生詰んだ……か……」


 全身の痛みで再度の魔法使用ができない俺は、絶望感で一杯になってしまった。


「あの、イノシシが……戻って、くる、まで……そう、時間は、かからない……だろう、な……」


 心がぽっきり折れた俺は、呑気にも間もなく失われる自身の命の残量が、残り数分に満たないことを計算していた。


 俺の二度目の人生は、八歳にも満たずに終わるのか。来世にまた記憶を持って行くことはないんだろうし、これで……?


 もはや口を開くのも苦になった俺の身体が、いつの間にか近くにいた者に抱きかかえられた。


「……だ、れ……」


 不意のことであったが、俺は何とか口を開きその者に誰何すると、年配と思われる男性の声で「喋るな」と一喝された。


「あれは儂が仕留めてくる。お前さんはそこから動くな。……まぁ、動きたくても動けんじゃろうがの」


 僅かに開かれた俺の瞳にぼんやりと映った鼠色のローブで全身を覆った小柄な人物は、俺をイノシシがいる方とは反対側になる木陰にそっと降ろすと、「あれは儂が仕留めてくる」と簡単に言い、イノシシがいる方へと向かって行ってしまった。

 あんな小柄な人物があのイノシシに向かっていくのは無謀だと思い、「行くな」と言いたかったのだが、俺が口を開くより早く小柄な人物は行ってしまい、俺はただ見送るしかできなかった。


 それから暫しの間、俺は遠ざかる意識を唇を噛んだ痛みで何とか耐えていたが、僅かに聞こえる重厚な音を子守唄に、抵抗も虚しく意識を手放すこととなった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




『なんだか温かい……って、ここは何処だ?』


 得も言えぬ暖かさを感じた俺は意識を取り戻した、……と思っているが、本当に意識を取り戻したのかもわからず、現状に困惑している。


『……確か、イノシシに追われてその後、……大木に逃れようとして…………ああそうだ、木を蹴り倒しちゃったんだ。……それからどうなったっけ? え~と、魔法が解けて全身に痛みが走ったんだった……かな? それから~……、ん? そうだ小柄な爺さんがっ!』


 どうにか記憶を掘り起こした俺は、多分老人であろう小柄な人物が危険であることを思い出した。


「――爺さんダメだっ!」

「なんじゃ、もう意識が戻ったのか? 思ったより丈夫じゃの」

「えっ? ええええぇぇぇー!」


 俺を追いかけてきたイノシシであろう物体と、俺が仕留めたと思わしきシカが木に吊るされており、その手前に鼠色のローブを纏った白髪であろう眉毛と長い髭を生やした老人が座っている光景が目に飛び込んできたことで、俺は思わず間抜けな声で叫んでしまった。


「急に素っ頓狂な声を出しおって。あまり騒ぐでない」

「……あっ、はい、すみません」

「派手に吹っ飛んでおったが、身体はもう大丈夫か?」

「か、身体ですか? え~と……いてっ!」


 目の前の老人に身体の具合を尋ねられ、改めて自分の身体を確認した俺は、そのことで身体自体が意識を取り戻したかのように、急に激しい痛みが全身を襲った。


「凄く……痛いです」


 痛みなどの感覚は、気付いていなければ怪我を負ったことすら忘れてしまう場合もあるが、一度その感覚を思い出してしまうと、普段以上に鋭い感覚を感じたりするのは俺だけではないだろう。

 そして、今がまさにその状態で、痛覚を取り戻した俺は年相応の子供の如く泣き出してしまいそうな程の痛が全身を襲っている。


「そうであろうな。今はもう少し寝ておれ」

「でも――」

「いいから黙って寝るのじゃ!」


 俺の言葉を遮った老人は、そう言うと右手を俺の顔に翳した。すると、俺は急にな眠気に襲われてしまい一切抗うこともできず、アッと言う間に眠りに就いてしまった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「――……ここは?」

「おっ、起きたか」

「……やっぱり夢じゃなかった、のか」

「何のことじゃ?」

「な、何でもありません」


 俺を追いかけてきたイノシシが木に吊るされ、その横には俺が仕留めたのであろうシカが吊るされいる場所で、ローブを纏った老人がいる夢を見た……と思っていたが、どうやらそれは夢ではなく現実だったようだ。


 色々とこの人に聞きたいことはあるが、先ずはそこに吊るされているイノシシについて聞いてみよう。シカは俺が仕留めたのに違いなさそうだから今はいい。


「少しお伺いしてもよろしいですか?」

「なんじゃ? 言うてみい」

「はい、それでは。そこに吊るされているイノシシは、俺を追って来ていたイノシシですか?」

「そうじゃ」

「何故そこにぶら下がっているのですか?」

「儂が仕留めて血抜きしているからじゃ」

「――っ?!」


 あのイノシシの正体は予想通りだが、この小柄な爺さんがあのイノシシを仕留めただと! しかも、何百キロもあるイノシシをこの爺さんが木に吊るした?! 何処にそんな力があるんだ?


 俺は自分が放った質問で、いきなり混乱させられてしまった。


「あ、あのイノシシをどうやって仕留め、どうやって木に吊るしたのですか?」

「ん? お前さんも使っておったじゃろ? 魔法じゃ」

「え? 魔法ですか?」

「そうじゃよ」

「ええええぇぇぇー!」

「煩いのぉ。それと、シカはお前さんが仕込めた個体じゃ」


 この爺さん、サラッと魔法を使ったと言ったぞ! しかも、俺が魔法を使ったこともなぜか知っている。シカはわかってたことだから……まぁいいや。


「それより、身体の方はどうじゃ?」

「身体……、はい、怠さと痛みが少しありますが、動ける程度には回復しているみたいです。――でも、何でここまで回復してるんだろ?」


 あの痛みが夢でなければ、俺の身体は過去最大級の痛みを発しているはずなのに、あの痛みなど全然比にならない程回復している。


「大分派手に転がっていたからの。儂が回復魔法で治しておいた」

「あっ、お爺さ……貴方が治してくださったのですか?」

「爺で構わん」

「し、失礼しました」


 そう言えば、まだ名乗られていないし、そも俺が名乗ってすらいなかった。イノシシのことを聞くより先にするべきだったと反省した。


「すみません、まだお礼を言っておりませんでした。助けてくださったこと、心より感謝いたします。ありがとうございました」


 俺は目の前の老人に深々と頭を下げ、謝辞を述べた。


「それから、私はブリッツェン・ツー・メルケルと申します。名乗りが遅くなってしまい申し訳ございませんでした。以後ブリッツェンと呼んで頂けますと幸いです」


 一度頭を上げた俺は、名乗った後に再び頭を下げると、「貴族の子が魔法を使いおるか」と、爺さんは呟いていた。


「そんなに頭を下げんでもよいわ。それより、お前……では無く、ブリッツェンだったな?」

「はい、ブリッツェンです」

「随分と陽が傾いてきたが、街に戻らなくて良いのか?」

「あっ……」


 現状に疑問が多過ぎて時間のことなど全く頭になかった俺は、辺りを見回し、立ち並ぶ木々の隙間から見上げた空にある陽がかなり傾いている事実を知った。


「そろそろ寮に戻らないと……。しかし、私はまだお爺さんに聞きたいことが沢山あります」


 どうしよう。


「であれば、また明日でよいではないか」

「よろしいのですか?」

「構わんぞ。まぁ、場所がここでは何じゃ、いつもブリッツェンが鍛錬を行っている場所でよかろう」

「俺……私がいつも鍛錬を行っている場所をご存知なのですか?」

「当然じゃ」


 知っていることを本当に当然と思っているのだろう、さも当たり前といった表情で爺さんは軽く言う。


 俺がいつも鍛錬している場所を爺さんがなぜ知っているのかは明日聞けばいい。取り敢えずまたこの爺さんから話を聞く機会が与えられたんだ、明日の乗合馬車を見送るくらいどうってことはない。


「わかりました。時間はどうしましょう?」

「いつもの時間でよいぞ」


 時間も知っているのか……。まぁいいか、それも明日聞けば。


「それでは、そうさせていただきます。――本日はありがとうございました。また明日、よろしくお願いします」

「うむ。気を付けて帰るんじゃぞ」

「はい。ありがとうございます。では、失礼いたします」


 こうして、まだ怠さと痛みの残る身体で俺は寮に戻った。



「それにしても、今日は色々あったなぁ。いや、あったどころかあり過ぎた」


 肉体強化魔法の能力チェックに肉体強化魔法でシカ退治、まさかのイノシシの接近に魔法の同時使用、死を覚悟するところまで追い詰められたかと思ったら意識を失い、気が付いたら小柄な爺さんに助けられるという波乱万丈な一日であった。


「それに、死を覚悟するってのも一大事だったけど、生き残れた今となっては一番の驚きは俺以外にも魔法の使い手がいたってことだよな。もうちょい時間に余裕があればもっと話が聞けたのに……、残念だ」


 それでも明日になれば改めて話が聞けるのだから、と自分に言い聞かせ、キツい身体の具合に反して盛り上がる気分を宥めた。


「まぁ、一時は命が尽きると感じたことを考えれば、こうして生きていられたことに感謝しないとな。――そうか! 無駄な殺生をした俺が、まだ社会貢献していなかったから神様が、『お前が死ぬのはまだ早い』と思い、俺を生かしてくれたのかも?! 神に感謝だな」


 日本人時代は無神論者だった俺だが、この世界ではやけに神様を信じている。理由は不明だ。もしかしたら、神官見習いの姉がいる影響なのかもしれない。――と思案する。

 しかし、実際には自分に甘い俺が都合よく神様のお陰だとすることで、自分の行いを誤魔化している。だが、誤魔化していることには気付かないフリをしている俺は、臭いものには蓋をする性格なのだ。

 そうしないと、命を奪う行為に対する罪悪感で精神が疲弊してしまう。かといって、狩りを行わないという選択肢が俺にはない。そうなると、自分の行動に都合の良い理由を付けるのが精神衛生上一番良い。


「何にしても、取り敢えず今日はもう何もできそうもないし、少しでも早く休んで明日に備えよう。死を覚悟したときに比べれば絶好調と言える程回復しているけど、それでもまだ怠さや痛みがあるのは事実だからな」


 そして俺は、眠りの世界へと誘う睡魔に促されるまま大人しく従い、夢も見ぬ程の深い眠りに就いた。

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