地獄へ参りましょう。
手続きから戻ってきた石上さんと一緒に、私は早速地獄の図書館へと出立しました。
ちなみに白仙さんは、旅立つ私を滂沱の涙を流しながら見送ってくれています。私と別れるのがそこまで悲しかったのでしょうか、あの似非仙人。
ん? 何か口を動かしていますね。ええと、『に・ど・と・く・る・な』?
ふむふむ、そうですか。あれが彼なりの別れの挨拶なのですね。なるほど、なるほど。
挨拶への返礼として、私はおもむろに懐から鋏を取り出し、白仙さんによく見えるように開閉してみせました。
いえ、他意はないのですよ。何となくやってみたくなっただけです。
それを見た白仙さんは顔を真っ青に染めた後、慌てて満面の愛想笑いを浮かべて手を振り始めました。
――おや、また何か言っていますね。何々、『ま・た・の・お・こ・し・を・お・ま・ち・し・て・い・ま・す』ですか。
ウフフ。モテる女は辛いですね。顎下三センチパッツン髭のジジイからモテても、まったく嬉しくありませんけど。
* * *
天国庁を出た私は石上さんと共に、地獄へ降りるエレベーターに乗り込みました。石上さん曰く、天国庁と地獄の入り口にある地獄裁判所をつなぐ、直通エレベーターなのだそうです。
ちなみにこのエレベーターを支えるワイヤー、蜘蛛の糸製だとのことでした。
天国から垂れ下がる蜘蛛の糸というのは、ある意味で真実だったようですね。昔の文豪、恐るべしです。
さすがは日本で最も有名な文学賞の一つに、その名を残しているだけのことはあります。死後の世界を見通す千里眼でも持っていたのでしょうか。
(……あら?)
つらつら考えごとをしている内に、エレベーターの降下が止まりました。どうやら地獄へ着いたようです。
「おお。これは如何にもといった感じの地獄ですね」
扉の先に広がる光景に、私は思わず感嘆の声を上げてしまいました。
空は血のように赤く、エレベーターから続く道の両脇はゴツゴツとした岩肌です。
岩肌の間には至る所に池があるのですが、おそらく沸騰しているのでしょう。 水面では気泡がはじけ、湯気が立ち上っています。
正に想像通りの地獄といったところです。
「ははは。現世における地獄のイメージは、なかなか良くできたものですからね。そう思われるのも、無理はありません。――それはそうと、宏美殿、あれが地獄裁判所です」
そう言って石上さんが道の先を指さしたので、私もそちらへ目を向けます。
岩陰に顔を出した建物を見て、私の口から飛び出したのは――困惑の声でした。
「ええと、なぜこのようなところにシンデレラ城が……?」
そうです。石上さんの指し示した先にあった建物。それは某ネズミがマスコットのテーマパークを象徴する、あのシンデレラ城なのでした。
「日本の地獄裁判所は老朽化に伴い、三十年程前に改修工事を行ったのですよ。その際、現世の日本でこのテーマパークがオープンした直後でしたので、死者に親しんでもらえるように意匠を真似させてもらったそうです。獄卒達も『日本地獄も遂に文明開化だぜ、ヒャッホー!』と言って、新庁舎建設を喜んでいました」
「へー、そーなんですかー」
私の疑問を受けて解説してくれる石上さんに、棒読みの返事をします。
いや、石上さんに落ち度があるわけではないのですけどね。呆れ返っている今の状況ではまともな返事なんてできません。
確かに、現代の日本人にとって馴染み深いという意味では正しいチョイスかもしれませんが……。明らかに周囲の景色から浮いていますよ、このお城。
これでは、景観もへったくれもあったものではありません。
古式ゆかしい地獄風景の中にポツンと建つメルヘンなお城って、ちぐはぐ感が半端ないです。和洋の文化が、狙ったかのように絶妙なバランスで不協和音を奏でています。
ここまでくると、ある意味で前衛芸術の域に入っていますね。これが地獄クォリティということなのでしょうか?
私は奥ゆかしい
第一、地獄に落ちた人間は建物の意匠を楽しむ余裕なんてないでしょうに。
彼らの頭の中は弁明と釈明、自己弁護でいっぱいですよ、きっと。地獄の裁判に弁護士なんて付きそうもありませんしね。
「さて、分館長も待っていらっしゃるはずですし、そろそろ参りましょう」
「ああ、はい。……そうですね」
ここで呆れ返っていては、何も始まりません。あまりのアホさ加減に頭が痛くなってきましたが、私は石上さんに付き従って地獄裁判所への歩みを進めます。
少し歩くと、岩陰に隠れていた地獄裁判所の全貌が見えてきました。
「……建物は、シンデレラ城だけではないのですね」
「ええ。あの城の中にあるのは、大法廷と閻魔大王の執務室だけですからね。地獄分館を始め、他の部署は別棟になります」
なるほど、なるほど。つまり、あのシンデレラ城は文字通り閻魔大王の城というわけですか。
閻魔大王というと、地獄絵図では厳ついおっさんの姿が定番なんですけどね。当の本人は、あんなにファンシーなお城で仕事しているわけですか。
おとぎの国の髭面メルヘンおやじ……。
ハハハ!
清々しいくらいに気色悪いですね。百回くらい地獄巡りをして、己の人生を悔い改めてくればいいのに――。
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