「頑張る」のは、私には似合わない。
上の小枝の怠け者
「頑張る」のは、私には似合わない。
頑張るのが嫌いだ。
いや、「頑張る」のが嫌いではない。
整合性がないことを言っている。
実に、私らしい。
「嫌い」という表現がしっくりこないのだろう。
安物のスーツの試着で、身長で選ぶと上着が突っ張って破けそうになるから、サイズを大きくすると、今度はパンツがずり落ちそうになるような、しっくりこない感じだ。
私の今までの30年は、「頑張らない人生だった」と言って良いだろう。
頑張った記憶もあるが、それも結句、頑張れなくなった記憶に繋がるから、頑張っていないのと同じだ。
頑張れない。
頑張っていない。
頑張りたくない。
頑張っても、失敗する。
頑張っても、間違える。
頑張っても、何も成し得ない。
そうして、頑張らないまま、生きてきた。
「頑張る」のが嫌い、なのではない。
「頑張ることができないし、しない自分」が嫌いなのだ。
なら、頑張れば良いじゃないか、と人は簡単に言う。
実際、他の人にとっては簡単なことなのだろう。
しかし、私は苦笑いをするしかない。
何故なら、どう頑張れば良いのか分からないからだ。
小さい頃から頑張るのが普通な人にとっては、頑張ることは容易いだろう。
私は30年、頑張らなかった。
頑張らなかった人間が頑張ることは、難攻不落の魔王城を村人1人で挑むような、困難さと無謀さがある。
仕事は頑張っている?
仕事中、「早く休みたいな」、「サボってしまいたい」とばかり考えている。
そんな碌でもないことばかり考える姿勢が、頑張っているとは言いたくない。
ブログは頑張っている?
継続していることは確かに継続しているが、面白い記事だとか、大金を手に入れるだとか、人間として成長するだとか、そうした「頑張る」とは違う。
弾性のない弦のような、惰性で続ける、ダサい私のままに継続しているのだ。
やはり、頑張っているとは口が割けるチーズのように裂けても言えない。
だから、「頑張る」ことができる人を私は尊敬する。
頑張れる人を私は、そっと遠くから見守りたい。
頑張っている人を私は、私が出来得る手助けをしたい。
「頑張りたい」と言える人を私は、頑張れと応援したい。
失敗しても、頑張っている
間違えても、頑張っている。
何か成し得るまで、頑張っている。
途方に暮れても、馬鹿にされても、何度でも顔を上げて、頑張ろうとしている人を、私は、頭を垂れて敬拝する。
頑張った人にしか分からない、世界がある。
頑張って、頑張って、頑張って。
そうして辿り着く、素晴らしい景色があるだろう。
それはきっと神々しくて、継ぎ接ぎだらけのボロ切れを纏ったような、みすぼらしい私を白日の下に曝け出すだろう。
ただ、他の人はどうだか知らないが、みすぼらしい姿の私も、それはそれで気に入っている。
30年、色々とあったが、頑張らなくても、それはそれで面白おかしい人生だった。
逃げて、逃げて、逃げ続けて。
そうして辿り着いた、退廃した景色は、頑張った人には分からない、世界だろう。
真っ暗闇の水底から、水面近くで泳ぐ回遊魚たちを眺める深海魚のような、生き方の違いだ。
久々に言い切ってしまおう。
あえて、言い切る。
「頑張る」のは、私には似合わない。
嫌い…はやはり、正しくない。
私には似合わない、がより誠実な表現だろう。
「頑張る」ことが似合う人が、頑張れば良いのだ。
そして、「頑張る」人を私は泣きたくなるような気持ちで、応援するだけだ。
私には似合わない、「頑張る」ことはきっと。
どう生きるかは、当人の責任。
どう生きたいかは、当人の自由。
「頑張る」か「頑張らない」か、どちらの生き方を選ぶのを決めるのは、何時だって自分自身。
好きに生きよう、後悔するくらいに。
皆さんの選択が皆さんにとって、良き選択になりますように。
「頑張る」のは、私には似合わない。 上の小枝の怠け者 @uenokoeda
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