愛おしき彼女の愛という守護(1)

 幸せは歩いてこないくせに朝は勝手にやって来る。

 カーテンの隙間からの日光に目を灼かれ起こされいつものように郵便受けを見る。

 なるほど。

 零以を起こす。「依頼が来てる」

 俺がいつもより早く起きたのは何かの偶然だろうかと思いつつ、まだベッドの中でうずくまる零以から毛布を取り上げる。「寒い」と一言。まあそりゃそうだ。隙間風がこのボロアパートのボロ部屋のあちこちから入り込んでくる。大家が動かなければ改善はされない。だが大家は口を利いてくれない。というよりも、物理的に聞く耳を持っていない。そして見る目もない。どう転んでもここが修繕されることはない。もう諦めているのだ。

「どこからの依頼~?」目を擦りながら彼女が言う。爆発したような寝癖を直しつつ答える。

「どこだろうな?」

「ふざけてなくていいから」

「ふざけてるわけじゃない」宛名も差出人も何も書かれていない白い封筒を渡す。俺は封を開けていない。開けるのは彼女の仕事だ。

 封筒から一枚の紙が出てくる。

 ボールペンで書いたような細い字だ。


『消してほしい』


 一言。

 それだけ。

 紙に書かれていた文字はそれだけ。

 そして今度は一枚の写真が出てくる。ピントのぼやけた写真。監視カメラから切り取ったみたいな感じだ。ブレもある。そして帽子をかぶっているため、男女の判別もつかない。

 この人物を消してほしい、と。

「どうする?」一応訊いてみるが答えは決まったようなものだ。

 やらない。

「しなーい」書類と封筒と写真を放り投げてまた毛布に包まって寝てしまう。

 だろうな。俺だってしない。

 彼女の仕事は「壊す」ことであって、「殺す」ことではない。この「消す」という表現がいまいち引っかかるが、掃除も含めての殺しなら、やはり断るだろう。彼女が壊すのは既に死んだ者だけだ。殺すとなれば俺の仕事だし、それはあくまでも零以に危害が及ぶような場合に限っている。

 要するにこの写真の人物が、零以に何らかの危害を加えれば、俺は殺すことができて、彼女は壊すことができるようになる。そんなまわりくどい。

 俺も眠り直すことにした。


  + + +

 

 馬鹿にデカいノックが耳に響くので俺はまた起こされる。二度目の寝起きは一度目のそれよりも遥かに酷かった。すこぶる機嫌が悪い。時計はまだ午前を指している。寝かせろ。

 ドアを開ける。

「頼んだはずだ」

 開けた途端にこれだ。穴の空いた麻袋を被って、銃を俺に向けて構えたまま、俺が開けたドアを足でさらに開ける。完全にドアの奥の景色が丸見えの状態になった。

「俺達は殺し屋じゃない。壊し屋ってやつだ」正確には壊し屋ですらないが。

「じゃあ、昨日のアレは?」

 見てたのか。

 ああ……と俺は顔を片手で押さえる動作をする。

 昨日、とある厄介者が俺の前に現れて洗いざらい話をしろと言ってきたのでその通りにしたのだ。特別サービスって感じで。そうしたらその厄介者の背後に彼女が現れて、赤くなったハンマーでそいつの頭が潰れてしまった。脳味噌もあちこちに飛んだ。そのときに夏の終わり頃の葉月の件を思い出して吐き気がしたが、堪えることができたんだっけ。

 彼女がどうしてあの場でハンマーを振り下ろして頭を潰したのか? まあ理由はわかる。人骨でパルテノン神殿作ろうとした人間の友人だぞ。理由なんかそこらじゅうにある。

 彼女の狂気が殺人を引き起こしたなんてのはよくある話で、俺は結局その件の尻拭いをさせられてるようなもので。

「昨日のアレはまぁ、魔が差したのさ。向こうから来たからやり返したんだ。俺達にもな、魔が差すなんてことはよくあるんだよ。お前だってそうだろ? 魔が差したからこそ、今こうして俺に向かって堂々と銃口を突きつけられてられるんだよな?」

 するとどうしたことか。銃口が震えだしたではないか。

「そんな震えた手で俺を撃ち殺そうって?」笑えない。「なあ……できることなら、彼女が起きる前にここからいなくなってもらいたいんだ。彼女が起きたら、お前多分死ぬぞ」

「脅しなんざ効かねえ」震えた声では説得力の欠片もない。

「今時そんなセリフ誰も言わないさ」そもそも思いつくかどうか。「潔く立ち去ったほうがいい。だいたい、あんなボケた写真、特定のしようがないだろ」同じ人間の依頼にしては催促が早すぎる気もするが。

「急ぎの用なんだ仕方ねえだろ」やっぱり同じ人間だったのか。「この街に今滞在してる人間だ。今しかないんだ」

 この写真の人物が?

 へえ、そうかよ。

「だったら、手っ取り早くその問題を解決する方法を知ってるから教えてやる」俺は銃口から顔を逸らし、プルプル震えてる手に視線をやる。「その銃で撃ち殺しゃいい」射線を外れて相手の側へと歩み寄る。「何も俺らみたいな人間に頼むことなんてねぇよ。自分でやったほうが確実だし手っ取り早い。」震えながらも硬直した腕はまだ中から手を離さない。「そして何よりも」麻袋を被った男の横までたどり着く。目は俺の方を向いていない。そんなに怖いか。「金がかからない」意地悪く俺は相手の耳元で囁いてやる。麻袋のせいで耳がどこかわからないがまぁ、大丈夫そうだ。

 そして時間を止めて、手に握られた銃を取り上げ銃弾を全て抜き取って銃だけ手に戻す。

「俺を殺すと脅すにしちゃ、あんたは俺を知らな過ぎる」抜き取った銃弾を見せると、そいつの緊張はとうとう最高潮に達したらしく、尻餅をついてしまった。麻袋を被っていても、目が丸く見開かれているのがよくわかる。よくそんな肝で俺に挑もうとか思ったよな。図々しいにも程がある。

 俺は部屋に戻って零以が放り投げた封筒と紙と写真を持ってきて尻餅ついて微動だにしないそいつの前にヒラヒラと落とす。「持って帰れ」そして自分で探し出して殺せばいい。

 不服そうにそれを拾い上げて、男はようやく帰ってくれた。

 この街じゃ、殺人はなかなか罰せられることがない。シリアルキラーですら野放しの状態だ。人を一人殺したくらいじゃ自警団はやってこない。警察は壁の外だからこの街まで来ることはない。

 無法地帯に等しいこの街で暮らすには相当な強さと強運が必要だ。

「どしたの?」振り返ると玄関に眠そうな目で零以が立っている。

「居直り強盗だよ」

「依頼主でしょ。書類なくなってたし」

「……そうだよ」

「電話が来たんだけどね」

「うん」

「さっきの人死んじゃったみたい」

 ……早いな。

 ここを立ち去ってからものの数分しか経っていないはずだ。

「相当な危険人物だって言ってたよ」

「どっちが?」

「もちろん、殺した方が」

 俺は思い出す。真っ白な封筒で、表にも裏にも、何も書かれていなかったこと。

 あの臆病な奴が誰に依頼したのかを吐かなかったことを祈るばかりだ。

 

 + + +

 

 俺達が住んでいるアパートというのは、実にボロい物件であり、おまけに政府の監視付きというなんとも絶妙なクオリティである。俺達が住む部屋は一階にあって、政府の人間は二階に住んでいる。彼らがここに住んで、俺達を監視しているのは他でもなく、零以が何かをしでかしたりしないかヒヤヒヤしているからだ。

 そう、彼らは恐れている。その恐怖心故か、俺達が行動することに口を出して無暗に干渉してきたりしないのが救いというか。俺達の前に姿を表すことはなく、あいつは部屋にいるのかすらわからない。張り込みでもして俺たちの部屋を盗聴しているかと思えばそうでもないみたいで、外から見ればカーテンは常時閉まったまま。保護したいのかどうかも怪しい。この前の葉月の件にしても、あいつは外に出てこなかった。俺が時間操作の能力を持っていなかったら、俺たちは死んでいたかもしれないのに。

 眠気が完全に消え失せてしまった。

 それは零以も同じらしい。黒いレインコートを着て身支度を整えていた。そのレインコートは、もともと別の人間が着ていたものだ。手刀で人間を殺す切り裂きジャックと言ったところで、この街の外からやってきた刀持ちの人間が見事に討伐を果たした。これはその名残。殺人鬼の名残を身につけているのだ。彼女の小さな体に合わないからと、わざわざ俺に採寸からリサイズまで頼んできた。嫌だとは思わなかったが気持ち悪さはあった。

 コートからまだ少しだけ漂う血の臭いも一緒に羽織って、彼女は言う。「行こうか」

「行こうってどこへ?」

「誰から電話がかかってきたと思ってるの」

「……つまり?」

「写真、コピーしちゃった」麻袋に突き返したはずの写真をヒラヒラさせながらヘラヘラ笑ってる。

「まさか依頼受けるのか?」

「受けるわけじゃないよ。でもなぁ」早足で玄関へ向かってしまう。「この写真の人、なんか気になっちゃう」

「秒で殺されたから?」

「秒で殺したかもしれないから」嬉しそうに写真に指を指す。「この人がね」

「俺たちの方に来るかもって?」

「来たらいいなって」

 まぁ、そうか。零以ならそう考えるか。

 依頼者を速攻で殺したそいつが、相当な危険人物だったらどうしようかと思っていた。だけどむしろ、そんな人間にこそ零以は興奮する。

 危険が及んだらと危惧するのは間違っていた。まるで客人を出迎えるみたいに、零以は危険を歓迎するような人間なんだから。

 その危険人物が誰なのか、俺も興味が湧いてきた。

 それはそうと、俺は零以に電話をかけてきたそいつのことをまだ知らない。彼女と同じように壊す専門の人間なのか、或いは殺し担当の人間か。おそらくどちらかだろう。逆に言えば、それ以外の人種が彼女の人脈から出てくることはまずない。情報屋が一人二人くらいいたが彼らは死んだ。

 とりあえず、ついていくことにするか。

 と、玄関のドアを開けた零以が呆然と呟いた。

「生き証人が来ちゃった」

 彼女の視線をたどってみると、さっき追い返したばかりのヘタレ麻袋が、怯えた表情で立っていた。突き返した封筒と写真を、しわくちゃに握って、心なしか内股ですらある。

 殺されたんじゃなかったのかという気持ちを込めて零以を見る。その気持ちを汲んだ彼女は「だってあいつからの電話だもん」と。つまりあてにならない。

「のこのこと帰ってきてくれたお礼として、その震えの理由を聞いてやろう」震えるばかりで全然答えないが、なんとなくわかる。この麻袋は、この街がどういう場所なのかをあまり理解しないまま訪れてきたのだろう。そして洗礼を受けて帰ってきた。この街は危険だと判断し、ここが例外的に安全だと「なんとなく」考えた。そんなとこだろ。どうせ。悪い頭をしてる。

「この街の人間じゃないよね?」零以が訊ねる。麻袋は頷く。

 つまり依頼者は街の外部にいる人間である可能性が浮上する。

 この街の住人が、外部からやってきた人間に、半ば行きずり的に殺害を依頼したと考えてもいいが……ハッキリ言って回りくどい。そんなことをするくらいなら、直接本人がここに来てもいいはずだ。

 なんにせよ、殺されたはずの依頼者は命からがら逃げてきたわけで、零以に電話をよこしたそいつは、それを確認せず「殺された」と早合点したのだろう。どうやってそんな判断を下したから知らん。およそ銃声だけで判断したかもしれない。ものの数分で飛び込んできた情報なのだし。少なくとも銃声なんて聞こえなかった。

 とにかく、予定外の仕事であることに変わりはない。報酬は……望めるか? 解体屋としての報酬はしっかり貰う。だがこいつは何を勘違いしたか解体ではなく殺人を依頼してきた。料金表には登録していない。

「本来こんな仕事してないからね? だから高く弾むけど。いい?」零以の言葉に対して小刻みに頷く。やっぱり受けてしまうか。

 名前をまだ聞いていないが、とりあえず依頼人に留守番を頼む。依頼人を一人にして大丈夫なのかという心配はあるが、殺されたなら殺されたで別の対処をするので問題はない。

 

 + + +

 

「一家惨殺事件の犯人だな。崇道雅緋って名前で報道されてたろ? 知らない? まぁいいや、けどそいつは偽名だ。何せ俺が名付けたんだからな」しわくちゃながらも汚れが見当たらないジャンパーを羽織ったニット帽の男が、写真を見てすぐに答えてくれた。

「さっすがリネーマー」零以が称賛を送っている相手は、この街に来た無名の人間もしくは名前を明かしたがらない者に強制的に名前を付ける奴ら。

 それがリネーマー。

 我が家の屋根によく来る人食いカラスに「烏羽士クロウ」の名前を与えたのも彼らだ。言語感覚は俺達とそれほどおかしくはない。おかしいのはセンスだ。だからこそリネーマーになれる。

「つーかあんたらニュース見ねぇの?」呆れたように訊いてくる。

「テレビがないし」

「インターネットは? 携帯でもいいけど」

「あるにはあるが」

「見ないってだけか」

「そうだね」

「そんなんだったらお前らのどっちかが、携帯の一台くれてもいいんじゃねぇの? だっていつも一緒だろ」

「もう何台も持ってんだろ」

「これか?」ポケットからボロボロの携帯が出てくる。「まぁこれはあれさ。いうなれば手帳よ、アイデアノート。名付けのな。電波はとっくに切られてんの」

 この前見たのはもう少しサイズが小さかった気がするが。そのままを言うと、「あれは壊れたからな。幸い、すぐに手に入ってよかったけどよ」と。まあ、この街じゃ常にどこかで人が死ぬ。死人から携帯電話がなくなってたとなれば、十中八九はリネーマーの手に渡っているし、そのときには既に奇妙な変換調教がなされている。見慣れない漢字から変な単語まで抜かりなく。

 別のポケットからまた新たに携帯を取り出して画面を見せてくる。割れている。かろうじて映るといったくらいには。「これも昨日電波が通じなくなったんだぜ? ああ通話がしたい。誰かと繋がりたい……死体相手に会話をしたい、とはこれいかに」

「今更そんな言葉遊びには誰も反応しないさ」

「言葉遊びにも足らない何かだけどな」

「まぁいいや、とにかく助かった、ありがとね、このお礼はいつか」写真の人物が、偽名ではあるが崇道雅緋とわかったので、俺達はすぐにその場を立ち去る。

「いつかっていつよ」リネーマーが目の前に立ちふさがる。いつものパターンだ。だから俺は時を止めて、零以を抱えてその場を去る。いつものパターン。ある程度歩いて人通りも多いところで、零以を降ろして時を動かす。

 いつものパターンだ。

 いつもこうだ。

 彼らが翻弄されるのもいつものこと。

 だと思っていたが……。

 雑踏の中、さっきのニット帽のリネーマーと、仲間の数人が俺達の前に立っている。思わずため息が漏れる。

 当然ではあるが……学習はするよな、流石に。こういう手が何度も通じるほど、彼らは頭が悪いわけではない。むしろ良いほうだ。とっさの言葉遊びをいくつも思いつくような連中だ。頭が悪いわけがないのだ。

 ニット帽は顎を動かして、雑踏渦巻く大通りのすぐ脇へ俺達を移動させ、そしてさらに奥まった汚い裏路地に案内する。

 時間を止めようと思ったが、ニット帽はこっそり銃を突きつけていたから無理だった。

「よく追いつけたな」

「歩くしか移動手段がないお前らとは違うんだよ」バイクかバギーのどちらかでやってきたのだろう。狭い路地を走れるような、コンパクトなやつを彼らは持ってる。もちろん、出来たての遺体から素早く携帯を盗むためだ。

「ずっと不思議だった」ニット帽が言う。「どうして一瞬で跡形も無く消えるのかってな。だけど単純なことだった」

 ポケットから携帯を取り出す。電波が繋がらなくなった、あの画面の割れたやつだ。

「特殊能力を持ってる。だから跡形も無く消え去ることができたんだ」

 俺は感心する。流石だ。零以も同じように思っていることだろう。

 で、跡形も無く消えることができたとしてだ。

 どうして場所までわかったか?

 しかし、これもまた単純なことだ。

「なぁ、特殊能力持ってる奴にとって、この街はすこぶる生き辛くはないか?」

「さてね?」あまり考えたことはない。別に知られて困るような能力じゃない。対策を練られて初めて俺は困るから。

「なら、もう慣れたんだろうさ。お前の居場所がわかったのには理由がある」そしてボロボロの携帯電話を耳に当てる。

 まるでそれで通話でもするかのように。

「この街が特殊能力者にとって暮らし辛いのは他でもない、能力を把握している能力者がいるからだ」

 知ってる。

「そしてそいつはありがたいことに何でもかんでも親切丁寧にペラペラと喋ってくれる。いろんなことを教えてくれる。お前の顔を一目見るだけで、何の能力を持っているか。あるいは顔を見なくても能力の全貌さえ分かれば誰かがわかる」耳に当てた携帯の画面をこちらに向ける。画面は割れていてまともに覗けやしない。

 だが液晶画面の外側にあるカメラが無事だった。

「だからそいつに訊けばいい。それだけでいい」また携帯を耳に当てる。恐らく電波云々の話も嘘だろう。電話をかけることができるくらいには、その携帯もギリギリを保っていたらしいな。

「ついでにいいことを教えてやる」自慢気に話すから俺は断る。別に癪に障ったわけじゃない。「別にいい」

「まあまあそう焦んなっての。どうせ時間止めて逃げようって魂胆なんだろうけど、それができないってのはお前が一番わかってるはずだよな?」

 何の話をしてるんだ。

「すっとぼけても無駄だ。お前の能力についてはある程度教えてもらった」

「じゃあ全部じゃないってこった」

 黙れよと言わんばかりに銃声が鳴った。喋っていないその他約五人ほどのリネーマーたちがこちらに銃口を向けている。

 複数人、という感じで漠然と見ていたが、やっと人数を把握できた。六人か。隠れている仲間も含めて。

 銃声に応答する形で俺は続ける。「いやいや、少なくとも能力については全部知っとかないとヤバいだろ」さもないとどうなるかを彼らは知らない。基本的に能力者からの加害を受けることがないから必要ないんだ。火事場泥棒みたいな奴らで、コソコソと隠れながら携帯を盗んでいる。気づかれてたら数も減ってるんだろうな。

「いいや、その必要はない。弱点だけ教えてもらったんだから十分だ」

「……お前みたいな奴には、俺達結構出会ってきてるんだよな」正直呆れてる。こうして俺と零以が無事であることがどういうことかわかってるんだろうか。わかってないんだろうな。だがここでは敢えて、わかっていないわけがないと信じたい。適切な相談役を見つけ、実際に相談し、こうして対処しようとしているではないか。得体の知れない力を持つ相手に対してどのように振る舞えばいいかをしっかりと弁えている。十分頭は良い。

 尤も、今まで出会ってきた奴らもそういうのばっかりだったが……この際考えるのはやめた。不毛だ。あまりにも不憫だ。世の中には知らない方がいいこともある。知らぬが仏……この諺も対象がキリスト教の信仰者ならまた違ってくるか。

 まあいいや。その弱点とやらを聞こう。

「時間を止めるってその能力、一度使ったらまた使うまでに時間かかるらしいな」

 俺は笑った。

 笑ってしまった、という方が正しいか。笑おうと思って笑ったわけではないからだ。悪意を持ってその言葉を笑おうと思ってなどいなかった。

 だからこそ笑ってしまったって表現するのが適切だ。

 俺は笑ってしまった。零以も笑っている。

「なあ、馬鹿の相手をするのって疲れないか?」俺は笑いながら問いかける。「いや訊くまでもないか。疲れるはずだ。何度も経験してるはずだ。この街にはいろんな人間がいるからな。俺もその気持ちがよく分かる」

 やっと笑いが収まってくれた。

「ああ、本当に疲れるよな、馬鹿の相手をするのは」時を止めた。

 流石にこの街に数人しかいないリネーマーを殺すのはよくない。死んでいい人間はこの街にはたくさんいるが、こいつらは例外。彼ら亡き後、一体誰が素っ頓狂な名前をつけてくれるのか?

 酷く心配だ。


 + + +


 例のごとく零以を抱えて帰宅した。

 家の前で零以を降ろす。体が軽いので全く苦ではない。多分、俺が何か手順を踏めば、この止まった世界の中に彼女を引き入れることができるのだろうが、今は面倒だ。また落ち着いたときにでも。

 それに、彼女を動けるようにした場合、止まった人間に何をするかわからない。いやわからないこともなくて予想くらいはできるのだが、したくない。頭を潰すくらいでは済まないだろうから。

 俺は時間を止めたまま、その場で思い返す。

 リネーマーたちが教えてもらったという弱点「能力使用後、再度使用するまでにクールダウンのための時間が必要」というのは古い情報だ。単純に俺がそう思い込んでいたのを情報化されたに過ぎない。つまり古い情報と言うよりは、全くのデタラメというわけだが、デタラメを教えるというのはヤツの基本だからしょうがない。

 この街を管理している六人の千里眼持ちのうち一人である能力者管轄担当のあいつの常套手段である。顔が分かれば能力が分かり、能力が分かれば顔が分かる。名前が分かれば以下同文。すなわち特定の項目をどれかを知っていれば検索は可能だし、その結果も大体正しい。さっきのリネーマーの場合だと、携帯のカメラで俺達の顔を撮り、それを検索に持ち込んだ、というわけだ。

 一般的に、能力を持っている人間に対して、能力を持っていない人間は太刀打ち出来ない。だから彼は弱点などに始まる情報を与えて力を貸すわけだが、馬鹿正直に弱点を教えるのでは意味がない。簡単に能力者たちは駆逐される。例外はあるにせよ、だ。

 だから敢えて情報の一部に嘘を混ぜることで、互いの力関係を互角に誘導しようとしているのだ。

 それが実現できているかどうかは、また別の話になるだろうが……。とりあえず、そのやり方は今のところ適切であるらしく、能力者が殺されたという話もチラホラと聞く。まあ、彼が自ら積極的に広告を出すなりして能力者への対処法を教える、と言ったことをしているわけではないので、能力を持たない人間で、なおかつこのことを知らない人間は多い。

 世の中何かと「知っている」人間のほうが有利であると言うが、この街ではそれがより重要な意味を持っている。

 よって次に俺達がやることは、その「知っている」人間に会いに行くことだ。


 時間を動かす。

「ご苦労様」零以が言う。「今日の私軽かったでしょ」

 確かに軽かった。恐らく、いつも持ち歩いているハンマーを持っていないからだ。

「うっかり忘れちゃってさ。それにいつも逃げるパターンだし、もし何か間違いが起こってリネーマーたちをぶっ壊しちゃったらって思うと」懸命な判断だと思う。

 そうしてようやくドアを開ける。

 ……馬鹿に部屋が綺麗だ。部屋を間違えたのかと思った。だがこの血の匂いは紛れもなく我が家だ。

「おかえりなさい」積み上げられたゴミ袋の隣で、皿を洗っている依頼人が明るく出迎えてくれた。それまでの怯えと震えが消え去っている。人格が複数あるのか?

 綺麗になって、まるで別の場所と化した部屋に立ち、俺と零以は顔を見合わせるだけで何も反応できなかった。

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