第六節 邂逅
闇夜に轟く銃声が渓谷内を木霊して、闇の向こうへと消えていく。
「な……に……?」
掠れるような声が、コサルチャクの口から漏れだした。大尉は自分の胸を見下ろした。その視線は、風穴の空いた自分の胸元に向けられている。
「……き、さまぁ……」
硝煙をあげる拳銃を地面へ落とす。憎しみの篭もった視線をある場所に向けながら背中から倒れていく。
その視線の先には、長銃を構えたフレイアの姿があった。その銃口からは青白い塵が僅かに煌めいていた。
「ぐっ……くは──」
そしてもう一人、俺が立っていた場所に立っている竜騎士が、崩れ落ちる様に膝をついた。そのまま後ろに倒れそうになるところに駆け寄り、彼の背中を抱きかかえる。胸の真ん中を撃ち抜かれたその身体は酷く重たく、俺の腕にのしかかる。
「おい……おい! しっかりしろ! お前、どうして──」
「ぐ……で、殿下……良かった……ご無事で、何より」
震えるまぶたが俺の声に応えようと開かれる。俺の顔を見ると、安堵の表情を浮かべながら口を開いた。浅い吐息が血の匂いと共に、歯切れの悪い言葉を紡ぐ。
「今度は……おま、もり……できた──」
紡がれる言葉が増える事に、彼の身体が徐々に重く、僅かに冷たくなっていく。
「殿、下。どうか……国、を……りゅうを……」
「いい……。もう喋るな」
だが彼の震える唇が止まることはなかった。次第にその表情から苦しみの色が消えていく。俺を捉えていた視線は虚空を眺めはじめていた。
「……ア、イツ……を、たの──」
地面に垂れていた腕が震えながら空へと伸びる。だがそれは途中で止まり、糸の切れた人形のようにだらりと地面に投げ出された。
「……」
力を失った彼の身体を、ゆっくりとその場に下ろして、瞼をそっと、ゆっくりと下ろす。
「ヴァーリ様……」
「……なぁ、フレイア。どうしてあんなに彼を警戒していたんだ……?」
彼を見下ろしながら、近くまで来ていた彼女に呼びかける。今まで疑問に思っていたことを口から吐き出した。するとフレイアは、一歩歩み寄り膝を折った。
「十年前私達を襲った者達を、殿下も覚えていらっしゃますね? 彼等は恐らく、何者かによって差し向けられた」
フレイアは静かに語り始める。その言葉に、十年前の朧気な記憶がよみがえる。そして頭の中にあの赤い三つ編みの女の姿が映し出される。
「そしてその何者かは、恐らく王族です」
「っ!?」
フレイアの言葉に弾かれるように反応する。俺を見つめる悲しげな瞳が俺の視線を受け止めていた。
「殿下の地位を奪おうと目論むなら、恐らくジュリアス殿下でしょう。そして彼の話の通り、国王陛下が暗殺されたとするなら──」
「……兄様が殺ったって言うのか……?」
「……確証は、ありませんが……」
フレイアは弱々しくそう答えた。
「そんなこと……」
信じられるはずもなかった。母親は違えど、俺達は兄弟だった。どこまでも優しかった背中を、眼差しを、俺は鮮明に覚えている。そんな彼が、父を殺し、俺達にまで牙を向けたなんて、俺には信じる事ができなかった。
「そんな……どうして……」
「それをこれから確かめるのです」
震えるような俺の声に、しっかりと意志のこもったフレイアの声が帰ってきた。
「フレイア……?」
「この辺りが潮時です。私達の目的に移りましょう」
そう言うと、フレイアは振り返って離れた場所からこちらを見守る竜達を見る。
「幸いにも彼等がいます。向こう側への道も探せるはずです。その為にも、まずは寒さを凌げる場所を探しましょう」
するとフレイアは銃を背負い直すと立ち上がり、竜達の方へと歩き始めた。その歩みの先にいる竜達は、やはりどこか辛そうに身震いをしていた。
もう随分と長く、この暗闇に身体を晒している気がする。ふと、夜空を見上げる。雲の間から見えた月は、既に頭上を越えていた。
確かにフレイアの言う通りかもしれない。自己防衛とはいっても、上官を殺害してしまったのだ。調べられればすぐに犯人は特定される。正確に言えば、犯人として吊るしあげられる。そうなればもう、その先に待っているのは終わりだけだ。
見上げていた月が闇夜の向こうに消えていく。まるで心の中を映し出したかのように、周囲は何も見えない暗闇に閉ざされていく。
「ここまで、か……」
まだ戦いは終わっていない。いくら状況が有利だからといっても、竜達の力は計り知れない。気を抜く暇すら許されない状況の中、戦線を離れなくてはならないのは悔しさ以外の言葉は出てこない。だが俺には、ここで終わるわけにはいかない理由がある。
全てを確かめるためにもう一度、全てを失ったあの場所へ──
次第に雲間が明るくなり、月光が俺を照らし始めた。冷たいよ風邪が、服の隙間から入り込み全身を震わせる。
「その人から……離れろぉ!」
その時、聞き覚えのない女の声が響き渡る。荒々しいその声の方へと視線が流れ、その光景に釘付けにされた。
低い姿勢で突き進んでいく一人の兵士。近衛隊の軽装備を身にまとった女騎士。月の光に照らされて輝く銀色の髪をなびかせ、宝石のような翡翠の瞳を揺らしながら、槍を振りかざしていた。
(あの髪と瞳……まさか……!)
その騎士の容姿に、はるか昔の記憶が呼び起こされる。その騎士はいつの日か見たあの子に、約束を交わした少女によく似ていた。
「ヴァーリ様!」
フレイアの声が響いた直後、青白い弾閃が頭上を貫く。放たれたその弾閃は、女騎士を捉えることは出来ずに横をかすめ。その射撃にも臆すること無く間合いを詰めて迫ってくる。
「……!」
勢いよく振り抜かれる槍を防ぐために、盾を構えて受け止める。だが予想以上の力に圧倒されて弾き飛ばされ、背中を数度打ちつけた。
「ぐ……」
「ヴァーリ様!」
起き上がろうとする俺にフレイアが駆け寄ってくる。背中を抱えられながら顔を上げる。
「ヴァーリ様、お怪我は……!」
「……ソニア……なのか……」
「え……?」
倒れた近衛隊長の傍で崩れるように膝をつく女騎士の姿を捉える。呆然と見下ろすその表情は暗闇に隠れてうかがうことは出来なかった。
彼女はソニアだ。見間違えるはずがない。例え成長していたとしても、その髪の色も、瞳の色も、忘れるはずがない。
『竜皇! ご無事で?』
倒れ込んだ俺の横をすり抜けて、三匹の竜達が前に出る。その向こうで彼女が顔を上げる。そしてゆっくりと視線を彷徨わせる。何かを探すように泳がせたその視線が、目の前の竜達を捉えた途端に見開かれ、苦悶の表情を浮かべ始めた。
「……そんな……どうして、こんな……っ!」
悲痛な声を上げる中、嘆く瞳がひとつの所に注がれた。揺れる翡翠の輝きが、徐々に淀んでいく。月の光を浴びているにも関わらず、その瞳は暗く深い闇色に染まっていく。
「……アトラ……ラクルス……!」
その名を口にした瞬間、彼女の闇色が燃え始める。
「……お前の、所為だ……」
ソニアは震える声を響かせながら立ち上がり、俯きながら肩を震わせ始める。
「ヴァーリ様。竜達と共にお逃げください」
「フレイア……!」
傍に控えていたフレイアは藤色の瞳を真っ直ぐにソニアへと向けていた。
「貴方は戦ってはいけない」
そう言って立ち上がり一歩前へと出る。銃槍を肩から下ろして構え直す。
「お前さへいなければ……戦争になんてならなかったのに……」
ソニアは俯きながら声を漏らす。
「お前が何もしなければ……誰も死なずに済んだのに……!」
肩の震えは徐々に大きくなり、紡がれる声には怒りが滲み始めていた。
「国王陛下も、隊長も……王妃様も……」
ソニアが顔を上げる。その燃えるように揺れる瞳には、溢れんばかりの涙を浮かべていた。
「……ユリウス様だって、死なずに済んだんだ!」
その叫びとともにソニアは槍を天高く振り上げる。怒りを露わにする叫びとともに振り上げられたその槍は、荒ぶる風を纏わせて、この場を支配し始めた。
「アトラ・ラクルス! お前は……お前だけは許さない! お前の全てをもって贖わせてやる」
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