第五節 凶弾



「まさか、スパイが王族だとは……流石に予想外でしたね」


 コサルチャクは不気味な笑みを見せながら、闇の中から一人現れた。銃口を俺に向けたまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。


「ここで貴方達を始末できればそれで良かったのですが……まさか、こんな……くひっ」


 裂けそうなほど唇の端を吊り上げた口から薄気味悪い笑いが漏れる。普段から口数の多い男だったが、今日はやけに饒舌だ。


「どうしたんですか大尉? 作戦中に、上機嫌ですね……」

「くひひっ……失礼。これであの女も終わりだと思うと、どうにも笑いがこみ上げてきてしまいまして……いやはや、お見苦しい」


 言い終わると、口元を空いた手で覆う。つり上がった頬を元に戻すように揉みほぐす。だがそれでもコサルチャクの表情は変わらない。


「さて、クライスベル少尉。私の手下になる気はありませんか? そうすれば命だけは見逃しますよ?」


 コサルチャクは立ち止まり、拳銃を高く上げてその先端を俺に差し向ける。


 どうやら彼はこの状況を利用する気らしい。コサルチャクの言葉から推測するに、俺を王国のスパイと勘違いしている上に准将の手先だと思っている節もある。俺を手駒として利用して、彼女を貶めるつもりなのだろう。


「その話……仮に自分が断ればどうなるんでしょうか、大尉殿?」


 分かりきったことを聞き返す。どの道断ればこの場で殺されることは火を見るよりも明らかだ。だが、今は少しでも時間が欲しい。


 こうなってしまっては、もう帝国軍にも居られなくなる。もとより、この防衛戦を乗り越えたらフレイアと共に王国領へと侵入する予定だったが、ここで死んでしまってはそれも叶わなくなる。何とかして生き延びる道をこの間に見つけなくてはならない。


「どうなるか、ですか。くひっ……別に何も変わりませんよ?」


 俺の問を聞いたコサルチャクは、笑いをこらえながら答えると、ゆっくりと空いた手を頭上に掲げた。


「そもそも……そんなムシの良い話なんて、最初からあるわけないんですよ──」


 その言葉の直後、コサルチャクの背後の闇の中から黒衣を身にまとった人影が複数現れた。数は四人。それぞれ自動小銃を構えながら、半包囲するように配置についた。


「……最初から、私達を殺す気でいたようですね」

「ええ、そうですとも。本当は作戦中の不慮の事故にでもするつもりでしたが、筋書きなんていくらでも変えられます。ドラゴンがいるのは想定外でしたが、貴方達の結末は変わりません」


 そう言うとコサルチャクは懐から何かを取り出した。手のひらに握られたそれは、先端に押し込める突起のようなものがついているのが分かる。何かを起動させる為の装置のようだ。


「これは爆弾の起爆装置でしてね……貴方達の頭上と、足元にも事前に仕込ませて頂きました」


 コサルチャクの嘲笑うような不気味な笑みが一変し、非情な色に支配された邪悪なものへと変貌する。今までに見た事のない、悪意と殺意に満ちた視線が突き刺さる。


「おっと、後ろの蜥蜴擬き達も下手に動かないようにお願いしますよ。王族の方が蜂の巣になるのが早まりますからね?」


 コサルチャクの言葉に怒りの混じった竜達の鳴き声が返ってくる。それを聞いたコサルチャクは頬の両端をつり上げる。


「特別任務の最中、不幸にもドラゴンと遭遇したクライスベル少尉は魔導技師を守り奮戦するも虚しく戦死……と、こんな感じにでもしておきましょうか。最後は兵士らしく終わらせてあげましょう」


 上機嫌に笑いながら語り終えると、その顔から見下すような視線が消えた。冷たい視線が機械のように、正確に狙いを定める。


「それでは少尉、さようなら──」

「……くそ!」


 これから襲いかかってくるであろう銃弾の嵐に、反射的に身構えながら目を閉じていた。無駄だとわかっていても盾を構えていたが、大尉の言葉の後からいくら経っても銃声が聞こえてくこなかった。その代わりに聞こえてくるのは、空気を震わせるような重音と、苦悶する男達の声だった。


 恐る恐る目を開けると、目の前で銃を構えていた大尉と黒衣の兵士達が膝をついていた。その足元には黄色く輝く魔法陣が描かれていた。


「これは……魔法か!」


 目の前の光景を理解して後ろを振り返る。その視線の先、王国近衛隊のアレスの傍らに控えていた地竜メルヴァの瞳が黄色い光を灯していた。彼女の魔法が、彼等を地面に縛りつけている。


「二度ならず三度も、王族を手に掛けようとするなど……させるものか!」


 アレスが指笛を短く鳴らす。その合図に合わせて、メルヴァ以外の地竜が黒衣の兵士達に襲いかかる。断末魔を上げる間もなく喉元を噛み砕かれ、四肢を引き裂かれていく。その様を直視できず目を逸らしたが、肉を裂き骨を砕く音に全身の皮膚が粟立っていく。


「殿下、お怪我は?」


 視線を逸らして俯いていた俺に、アレスが歩み寄って声をかけてきた。


「すまない。助かったよ」

「御身をお守りするのが私達の役目でございます。それよりも急いでこの場を離れましょう」


 そう言いながら、アレス達が現れた方向へと促していく。


「メルヴァももう限界に近い。この魔法も長くは続きません。私を信用はできないかもしれません。ですが今は……今だけはどうか私達と──」


 アレスは悲痛な表情を浮かべながら、俺を見据えていた。


 彼が俺を王族を守りたいと思う気持ちは本物だ。それを疑うことは無い。だが気になるのは、アレスの声を遮ろうとしていたフレイアの行動だ。あれほど頑なに何かを拒む姿は初めてだ。上手くいけば、彼も利用することが出来ると言いそうなものだ。


 アレスから視線をフレイアに向ける。フレイアもこちらに視線を向けていた。視線の交換だけでもこちらの意図を理解したのか、しばらく考えた後に首を縦にふる。彼女もこの場から離れるのが優先と判断したのだろう。


「……なるものか……」


 動き出そうとした瞬間、背後から掠れるような声が聞こえる。振り返れば、黄色く瞬く魔法陣の中で、コサルチャクが身体を起こそうとしていた。


「竜達ももう限界か……」


 そう言いながらアレスは黒衣の兵士達がいた場所を見ていた。その視線を追うように視線を向けると、二匹の地竜が黒衣の兵士達の死体を無我夢中に啄んでいた。


 おそらくあの二匹は未契約の竜なのだろう。だから捕食して魔力を補充しなくてはならない。おまけにこんな深夜に行動しているのだ。その負担は計り知れない。


「こんな所で……終わってなるものかぁぁぁぁ!」

「──何っ!?」


 地竜に目を向けていた最中、コサルチャクの咆哮が響く。すぐさま視線を戻すと、その身体を軋ませながら手に持っていた拳銃を俺に向けようとしていた。


 反射的に身構えるが、それ以上身体が動かなかった。向けられた視線に足がすくみ、動かすことが出来なかった。血走った双眸に宿る醜悪な憎悪、あるいは彼の執念が俺の身体を恐怖させてその場に縛りつけていた。


『り、竜皇。申し訳ございません……』


 メルヴァの声が響いたその時、コサルチャクを押さえつけていた魔法陣が淡く輝くと、光の粒となって霧散していった。


「我らが帝国に……栄光あれえぇぇ!」

「……っ! ヴァーリ様!」


 コサルチャクは咆哮と共に拳銃を構える。その向けられた銃口が火を噴き、銃声が夜闇に轟いた。

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