第四節 竜皇



 正面からゆっくりと地竜が近づいてくる。警戒を解くことなく、俺の行動を観察しながら、一歩ずつ確実に距離を詰めて来ていた。俺は微動だにせず待ち構える。


 この竜なら、俺の素性に必ず気が付くはずだ。今まで出会った竜達の中でも別格だ。俺に迫るその身のこなしから、俺に注がれる鋭い視線から、これまでにないくらいの知性を感じる。


「……」


 地竜が目前までたどり着いた。俺が持っている地図をその口で掴もうと顔を近づけたその瞬間、地竜の動きが止まり、しきりに匂いを嗅ぎ始める。


「名前……確かメルヴァって言ってたよな?」


 俺に名前を呼ばれた地竜は驚くように身を引いて、俺に視線を向けてくる。その視線を受けながら、チラリと竜騎士を盗み見る。弓を構えてはいるが放つ気配はまだない。


『この感じ……まさか、貴方様は──』


 今度は響くことのない声が届いた。目の前の地竜から直接投げかけられてくる竜の声だ。


「悪いけど彼を解放してくれ。彼は関係ないんだ。頼むよ」


 静かに地竜へ語りかける。すると地竜はすぐさま振り返って叫ぶように声を上げる。


の命です! その者を離しなさい!』


 こちらの様子を伺っていた二匹の地竜は、メルヴァの声に即座に応じ、組み伏せていたマティスから離れていく。


「……!? メルヴァ何をっ!?」

「フレイア! マティスを頼む。急げ!」


 瞬く間に起きた変化に竜騎士が動揺の声を上げる。それと同時にフレイアへ指示を残してマティスの元へと走り出す。


「貴様……何をした!」


 竜騎士が声を荒らげながら矢を放つ。だがその矢は精度を欠いて、走り抜ける俺の後ろをすり抜けていく。その間にマティスとの射線に割り込んで、身を低くして盾を構える。


「マティス、生きてるな? ここから逃げろ。早く立て!」

「な……逃げろって、お前は……」

「いいから早くしろ!」

「技官、私が護衛します。ですのでお早く──」


 いまだ震えるマティスの声を遮るように、声を上げる。それに続いてフレイアの落ち着いた声が耳に届いて、背後の気配が動き始める。


「そう易々と逃がすと思うなよ!」

「……っ!」


 その咆哮のような声とともに、弓矢の音が空を切る。月明かりに照らされた鏃目掛けて盾を押し当てて弾き飛ばす。すぐさま竜騎士に視線を戻すと、竜騎士は既に第二射で、二本の矢を放とうとしていた。


 これでは狙いが分からない。二本の矢で誰と誰を狙っているのか、片方だけが本命なのか、それがどちらなのかも、この一瞬では判断できない。放たれてからでは思考も身体も追いつかない。


「チッ──」


 身体ごと盾にするつもりで射線に割り込むと同時に、二本の矢が放たれた。両方とも俺の身体に命中する。盾は一つ、軍刀は未だ鞘の中だ。一つは身体で受けなくてはならない。



 ──クォオオオオオ!──



 胸元に構えていた盾で一つを弾こうとした瞬間、甲高い音が響く。それと同時に衝撃波が目の前を横切り、二本の矢を粉砕した。すかさず竜騎士との間に影が割り込んでくる。


「な……に……?」


 竜騎士の動揺に満ちた声が闇の中へと溶けていく。俺に向けられていた視線は、目の前の影へと移って行った。


『竜皇、ご無事ですか?』


 割り込んできたメルヴァがチラリと振り返る。彼女のその声と共に、残り二匹の地竜もメルヴァの横へと並んだ。俺を守るように竜騎士の前に立ちはだかる。


「お前達……。そうか、噂は本当だったか」


 呆然と立ち尽くしていたのも束の間、竜騎士は首を振り顔を上げると、険しい表情と共に矢をつがえて弓を引き絞る。竜騎士は弓を真っ直ぐに構え、正面に構えるメルヴァを狙う。


「待て! 自分の竜に撃つ気なのか!?」

「操っておいてその言い草か……悪趣味な」


 その弓で竜を狙いながら、竜騎士の視線は俺へと向けられた。怒りと屈辱とが混ざりあった瞳が燃えるように揺らいでいる。


「たとえ我が友を撃ち殺し、この命が食いちぎられようとも。王国の……いや、竜に害を為す者は俺がこの手で始末する!」


 竜騎士は怒りとともに咆哮する。だがその言葉とは裏腹に、その矢は放たれはしなかった。


 竜騎士にとって、自分の竜は特別だ。家族や恋人のような、あるいはそれ以上の、自分自身にも等しい存在だ。それをその手で打ち倒すなど、正気の沙汰では無い。例えその覚悟を口にできたとしても、その先は簡単なことではない。


「……くそ……」


 竜騎士が動揺する間に逃げ遂せるつもりだったが、マティスの退避に手間取ったうえに、竜騎士の対応が思っていた以上に早かった。その挙句がこの現状だ。契約を果たした人と竜同士で対立させてしまった。不可抗力とはいえ、こんなものこれ以上は見ていられない。すぐさま立ち去ろうと足を動かす。


『竜皇、動いてはなりません!』

「……っ!?」


 突如響いたメルヴァの咆哮に身体が一瞬硬直する。僅かに空いた隙間を埋めるように、メルヴァは立ち位置を修正し、弓の射線をきっちりと阻む。


『我が友、アレスは弓の名手です。僅かな隙間も逃しません。私から離れれば射抜かれます』

「だがそれだとお前達が……」

『御安心を。彼は決して、私達には撃ちません。ですのでどうか私のお傍に、彼に貴方を撃たせたくない』


 そう語るメルヴァは一歩も引くことなく、友と呼ぶ竜騎士と対峙している。


『彼の心は、激しい怒りに満ちている。こうなっては何を言っても無駄でしょう。普段はもっと頭の回る男なのですが……』


 どこかため息をつくような声音でメルヴァは語る。語りながら細かく立ち位置を修正して、竜騎士の射線を見事に遮っている。



「っ──メルヴァ! 頼むからそこを退いてくれ! メルヴァ、聞こえないのか!?」


 しびれを切らした竜騎士は、顔を歪めながら声を上げる。


『アレス……貴方こそなぜ判らないの! この方は……貴方が護るべき人なのよ!』

「……っ! メルヴァ……」


 竜騎士の叫びに答えるように地竜が吼える。だがこの声は目の前の男には届かない。地竜の叫びは咆哮となって竜騎士を威嚇する。竜騎士の表情が悲痛な様に歪んでいく。


『竜皇……』


 メルヴァが振り返る。僅かな月明かりを帯びて聡明に輝く瞳が向けられる。


『これでも彼が気づかなければ、急ぎこの場からお逃げください。弓矢は必ずや、この身をもって退けます』


 そう言いながら、メルヴァはその場で足を折り曲げ跪き、長い首を曲げ頭を下げる。それに習うようにそばにいた二匹の地竜も跪く。その姿はさながら、王の前にひれ伏す臣下の様子そのものだった。


「……」


 弓矢は飛んでこなかった。恐る恐る視線を上げれば、信じられないというような表情を見せる竜騎士が、弓を構えたまま固まっていた。


「……まさか、そんな……」


 竜騎士の口から言葉が漏れる。それと同時に、ゆっくりと力なく弓が下を向く。驚きと疑念に満ちていたその眼は、徐々に歓喜の色へと変わっていった。


「……ユリウス殿下……なのですか?」


 当然の答えだ。王族近衛である竜騎士が、この竜の行動を理解できないはずがない。竜が自ら跪く相手など、世界にただ一人だけだ。


「ユリウス殿下……! 生きておられたのですね……!」

『ああ、良かった。気がついてくれたのね、アレス』


 喜びに震える声と共に、竜の安堵の声が広がる。地竜はすぐさま立ち上がり、竜騎士に道を譲る様に脇にそれた。


「……悪いが人違いだ」

『っ! 竜皇!?』


 地竜の視線が勢いよく突き刺さる。それを横目に流しながら、盾を構えて腰に帯びた軍刀に手をかける。


「俺は帝国軍人。ヴァーリ・クライスベル。間違っても殿下なんて呼ばれる筋合いはないね」

「何を仰られるのです! 竜が自ら跪く相手など、竜皇以外に有り得ません!」

「……そんなものに心当たりはない」

「何故……まさか、記憶を失っておられるのですか?」


 追い立てるような勢いで声を上げていた竜騎士が、途端に黙り込んで考え込む。


「あのような大火だ。生死を彷徨っていても不思議じゃない……そうに違いない──」


 独り言のように呟いていた竜騎士は結論に達したのか、その場で膝を折って武器を置き、胸に手を当てて跪く。


「私はドラヴァニア王国、王族近衛隊隊長、アレス・バーレットにございます。御身はドラヴァニアの正当なる後継者、ユリウス・オルバ・ドラヴァニア殿下であらせられます。どうか、私ともに王都へ──」

「だから違うと言っている!」

「殿下! どうか私の言葉を聞いて──」

「それ以上口にするな!──」


 跪く竜騎士の言葉は後ろから、この場に響くほどの大声にかき消された。振り返れば、肩で息をしながら、銃口を竜騎士に向けるフレイアの姿があった。


「それ以上戯言を口にしてみろ、即刻その頭を撃ち抜く!」


 今までに聞いたことの無い怒号に面食らう。銃口の先にいる竜騎士も驚きを隠せないでいたが、何かに気が付き、その目を細めた。


「お前……見覚えがあるぞ……」

「……っ!」


 竜騎士は探るように、静かに口を動かしながら立ち上がる。


「思い出した。お前は……ソフィア王妃のお傍付きだ。そのお前が守るのだ。これ以上の証拠は無い」

「……」


 竜騎士は押し黙るフレイアを無視して、ゆっくりと歩を進める。


「……止まれ!」

「殿下を王都にお連れする。お前も来い。そうすればこの戦争は終わる」

「止まれと言っている!」


 フレイアは威嚇するように語気を強めるが、竜騎士は言葉を無視して歩み寄ってくる。その行く手を阻むように、フレイアが間に割って入る。


「殿下、私と共に参りましょう」


 竜騎士は立ち止まって手を差し伸べた。目の前のフレイアを無視して俺に視線を送る。


「国王陛下亡き今、国を……人と竜を導けるのは殿下のみでございます。どうか……私と共に──」

「……今……なんて言った……?」


 竜騎士のその言葉に、俺の心臓は跳ね上がった。こんな静かな場所で聞き間違えることも無い。自分の耳を疑いたかった。だがその言葉は、確実に俺へとのしかかる。


「国王が……死んだ……?」

「ヴァーリ様、聞いてはいけません」


 その言葉が口から出てきても、やはり信じられなかった。力なく漏れだした言葉は闇に紛れて消えていく。


「帝国による暗殺です」

「……暗殺……? そんな……」


 父でもある王ユグレアスの力は歴代屈指の竜騎士としても知られていた。【王の血】を受け継いでいなかったとはいえ、その力は絶大。老いていたとしても、そうそう殺される様な人ではないはずだ。


「申し訳ございません……お傍にいながら、お守りできませんでした……」


 竜騎士は力なく俯く。震える声とその姿が、その言葉が事実である事を物語っていた。


 これでハッキリした。なぜ王国が宣戦布告したのか、こうも攻撃的な姿勢を見せているのか、その理由が、帝国による国王の暗殺。つまりは復讐だ。


「ヴァーリ様! 耳を貸してはいけません!」

「……フレイア?」


 再びフレイアの声が響く。いつもと様子の違う彼女の背中から、どこか焦っている様な印象を受けた。


「っ……殿下、どうか私とお戻りください! この戦争はどこかおかしい!」


 フレイアの言葉に押されることなく竜騎士も立ち上がりながら声を上げ、再びその足を前へ踏み出した。


「はぁーい。そこまでにしておきましょうか?」


 暗闇の中に、また新しい声が後ろから響く。愉悦のこもったその声の主を探す為に振り返る。


「ようやく尻尾を出しましたね……クライスベル少尉」

「……コサルチャク……大尉」


 振り返ったその先には、嘲笑に満ちた笑みを浮かべ、その手の銃口を輝かせるコサルチャク大尉の姿があった。

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