第三節 地竜強襲


 同日 ガレオ大渓谷内部



「お〜い、ヴァーリ……まだなのか?」


 闇の満ちた道をゆっくりと進んでいる。その最中、マティスのくたびれた声が背中にかかる。


「もう少しのはずなんだが……もしかして道を間違えたのか……?」


 このガレオ大渓谷は、迷宮とまで呼ばれる程内部は複雑に入り組んでいる。道中には横道や上下へと逸れる道や地図にすら描かれていない道までも存在していた。渡された地図は平面でしか描かれていないため、もしかするとどこかで間違えてしまったのかもしれない。


 わずかな不安を抱きながら、夜闇を進む。大渓谷に入ってから、もう随分と歩いている。ここまでは王国兵との遭遇はなかった。絶竜障壁の範囲内であるのが理由だろうが、この時間ともなれば寒さも際立っている。竜なしで行動するのは難しいのだろう。


 時折吹き付ける風に肩をさすりながら歩を進める。すると、狭い道が一気に広くなり視界が少し明るくなった。


「……お、着いたぞマティス。きっとここだ」


 少し距離的には遠い場所だったが、地図上に示されているように、開けた場所にたどり着いた。きっとこの空間に絶竜障壁が設置されているはずだ。


「おぉ、ようやくか……」


 マティスは大きな欠伸を放ちながら、立ち止まる俺の横を通って前へ出る。そして周囲をぐるりと見渡して首を傾げる。そしてもう一度、周囲を見渡し終わると、振り返る。


「……ないぞ?」

「なに?……いや、そんなはずは──」


 首をかしげているマティスの横に並んで辺りを見渡していく。


 僅かな月明かりが闇の向こうを薄らと映し出している。動く影はもちろん、人工物の影すら見当たらない。マティスに倣うようにもう一度周囲を睨みつける。だが闇の向こう側には何も無い。


「ヴァーリ様。やはり場所が違うのでは? 恐らく似たような場所が幾つもあるのかもしれません」


 立ち尽くしていた俺達の傍にフレイアが歩み寄ってくる。


 確かに彼女の言う事も一理ある。地図がここへ来るまでにも幾つも分かれ道はあった。地図にも詳細な経路が書かれている訳でもない。何処かで道を間違えたと判断するのが妥当だろう。


「……なぁ、ヴァーリ」

「……どうした?」


 何か考え込むように沈黙していたマティスが、妙に落ち着いた口調で俺の名前を呼んだ。この状況で何か察したのか、彼のその声音が俺のざわつき始めた心を煽る。


「帰ろうぜ……もう。地図の通りにここまで来たんだ。これで帰ってもアイツらの落ち度だろ。俺達は悪くない」


 そう言うと、マティスは来た道を戻ろうと踵を返す。





 ──見つけた──




「……っ!」


 マティスについて行こうと振り向いた時、反響するような声が頭の中をすり抜けた。


 ──見つけた──

 ──美味そうな匂い見つけた──


 立て続けに二つの声が響く。どこか緊張感のない陽気そうな声は、吹き抜ける風と共に夜闇に消えていく。足を止めて周囲を見渡すが、月が雲に隠れてしまい視界が闇に覆われてしまう。


(今のは間違いない……竜の声だ)


 普通の人間には竜の声など聞こえない。資質ある竜騎士と、知性に富んだ竜が契約を結んではじめて竜の声を聞くことが可能となり、対話が成立する。


 だが俺は違う。【王の血】を受け継いだ俺は、あらゆる竜達と意思の疎通を行うことが出来る。


「……」


 周囲の音に気を配りながら、腰の軍刀に手を掛ける。どんな小さな音も聞き逃さないように意識を集中させる。


「……ヴァーリ様?」


 何か異変に気がついたのか、近くにいたフレイアが俺に声をかけてくる。


「フレイア……竜がいる」

「……っ!」


 静かに答えると、フレイアはすぐさま俺に寄り添う様に背中を合わせて得物を構える。


 不意に、辺りの闇色が増していく。月が雲に隠れたのだろう。目を凝らしても何も見えなくなってしまった。自分の心臓の鼓動が、妙に大きく感じてしまう。


「……」


 閉ざされた視界と不気味な静寂の中、頬を撫でる夜風とともに、僅かな血の匂いが鼻をかすめた。




 ──離れた奴を狙いなさい──



「っ! マティス!」

「ぉ!? うおああああ!」


 今までと違う冷静で鋭い声が響いた。その後すぐにマティスの名前を叫ぶのと、彼の悲鳴は同時に響き渡った。


 すぐさまマティスの元に向かおうと、彼が歩いていった方向に動き出そうとした瞬間、目の前の闇の隙間から無数の牙が現れた。


「なにっ!──」

「ヴァーリ様!」


 迫り来る牙を避けようとするが、身体は既に前進しようとしていて止まることが出来ない。自ら牙の渦に突っ込む形になっていた。


(くそっ……避けられない)


 閉じかける牙の餌食になる寸前、後ろに引き寄せられる力を首元に感じた。その直後、鼻先で勢いよく牙が重なり合って空間を噛み砕く。その余波を顔面に感じながら、強引に後ろに引き寄せられ、抱き寄せられるような柔らかい感触に包まれながら尻もちをついた。


「ヴァーリ様! ご無事ですか!?」


 今までにないほどの焦りを帯びたフレイアの声が耳元で聞こえる。どうやら彼女が助けてくれたようだ。彼女に支えられながら体勢を立て直して正面を見据える。


「すまない……助かった」


 視線の先、周囲は未だ闇の中だ。だがその中に確かな存在感があった。ジリジリと迫る威圧感に、無意識のうちに後ずさっていく。


 次の攻撃に備えて身構えていた時、闇夜に光が差し始めた。次第に明るくなる視界の先に、威圧感の主が姿を現した。


 赤みを帯びた竜鱗を纏った二本脚で立つ地竜が一匹。蜥蜴に似た頭部を持ち、敵意の篭もった瞳でこちらを睨みつけていた。ズラリと並ぶ鋸状の牙が行く手を阻み、三日月の鉤爪が怪しく光らせながら低く唸る。


「動くな──」

「……っ!」


 腰の軍刀に手を掛けようとした時、知らない男の声が俺の動きを止めた。声の聞こえた方を向けば、弓を持った一人の男がこちらに歩いてきていた。今まであった王国兵とは違う。意匠の整った装備をその身に纏い、冷静な視線が突き刺さる。


(王族近衛!? こんな所まで出てくるのか……)


 幼い頃に何度も見たその衣装が、俺の記憶を呼び起こす。目の前の男は王族を守る近衛隊だ。言うなれば精鋭の中の精鋭だ。今までの敵とは比べる事すらかなわない強敵だ。


「大人しくしていろ。でなければ仲間の命はないと思え」


 言いながら地竜の横へと並ぶと、その地竜の後ろへと俺の視線を促した。その先には二匹の地竜によって地面に組み伏せられたマティスの姿があった。


「……っ! マティス!」


 彼の名前を叫ぶが、当人には届いていないらしい。


……だったか? その兵器は何処にある?」

「……」


 近衛の男が弓を引きながら口を開く。どうやら相手も絶竜障壁を探しているらしい。名前を知っているあたり、何人かは竜の餌食になっているようだ。


 状況は最悪だった。マティスを人質に取られた上、相手は王族近衛の竜騎士だ。目の前の男はもちろん、竜達の強さも段違いだろう。どれだけ思考を凝らしても、が一人出てしまう。


 せめてマティスだけは無事に返したい。彼には恩がある。彼のおかげで、俺は剣を振ることができる。今まで生き残れたのも彼の作った装備のおかげだ。こんなことにまで付き合わせて、死なせていいわけがない。


「……お前達も知らないのなら、これ以上は時間の無駄か。メルヴァ」


 男は溜息をつきながらそばに控えていた地竜へ声をかけた。するとその地竜は後ろを振り返ってひと鳴きする。


『食べていいわよ』

「っ!? 待ってくれ!」

「……?」


 頭に声が響く。反射的に叫ぶと、その場にいた竜を含めた全員の動きが止まり、視線が俺に注がれる。それを確認しながら、懐に手を入れて地図を取り出した。


「絶竜障壁の配置場所が書かれた地図だ。こいつを彼と交換だ」

「……取引ができると思っているのか? 殺した後で奪えばいい」

「あぁ、奪えるなら奪えばいい……こいつが。フレイア──」


 後ろに控える彼女の名前を呼ぶと同時に地図を持った手を彼女の前に差し出す。それに反応したフレイアはすぐさま銃口を地図に向けた。


「どうする? 彼を殺せば、地図は穴だらけになるぞ? そうなればお前達は、また探さなくてはならなくなる。時間にも限りがあるだろう……?」

「……」


 男は無言のまま眉をひそめた。俺の言葉で迷いが生まれているのだろう。


 夜も更けた。動けているとはいえ、竜達には厳しい時間帯だ。動ける時間にも限りがあるのは間違いない。男としては一刻も早く目的を達成したいことだろう。であれば、この地図をここで失う様なことはしないはずだ。幸いこの地図が間違っていることを彼は知らない。それに土地勘も無いはずだ。どうにかして誤魔化すこともできるだろう。


「……分かった、応じよう。だが妙な真似をすれば容赦なく射抜く。いいな?」

「分かった」


 男の声に短く答えて、横に逸らしていた手を正面に持ってくる。


「……よし。メルヴァ」


 男は弓を引いたまま、地竜へと声をかけた。それに応じて、地竜が警戒しながら俺へと近寄ってくる。


 その時だ。この状況を覆せる妙案が浮かび上がった。これなら一人の犠牲も払うことなくこの状況をひっくり返せる。だがこの策を行うには別の犠牲が必要だった。今まで隠し通してきた俺の素性が、ここにいる人間達にバレてしまう可能性が高い。


(こんな時に、保身なんてしてる場合じゃないよな……)


 自分の保身とマティスの命、どちらを優先するのかなんて、比べるまでもない事だ。


 俺は意を決して、向かってくる地竜に視線を向ける。逸らすことなく真っ直ぐに見据えた。



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