第十一節 邂逅
メルヴィスは
少しでも気を抜けば、背中から振り落とされそうなほどの速さ。その速さが、いっそう私の不安を煽っていく。心臓が高鳴るにつれて、息苦しさが増していく。
狭い道を抜けて、少し広い場所へたどり着いた。そこでメルヴィスの脚が止まる。暗闇に支配されたその空間には、確かに何かが存在していた。だがそれが何なのかは分からない。メルヴィスはここから動こうとしない。ということは隊長はこの近くにいる。目を凝らしてその何かに集中する。その時、月明かりが差して闇が晴れた。
「……っ!」
月明かりに照らされたその先には三匹の竜、銃を手に佇む敵兵士と、膝ついて空を仰ぐ兵士、そしてその傍には、見覚えのある近衛騎士が力なく倒れていた。脳裏をよぎっていた最悪の光景が広がっていた。
「あぁ……隊長……バーレット隊長!」
メルヴィスから飛び降りて、隊長の傍にいる兵士へと突進していく。
「その人から……離れろぉ!」
私の咆哮に反応した兵士が顔を向ける。赤黒い不気味な髪色をした男。視線が重なった瞬間に灰色の瞳が大きく見開かれた。
「ヴァーリ様!」
女の声が響いた直後、再び銃声が轟いた。放たれた青白い弾閃は、私を捉えることは出来ずに横をかすめる。その間も臆すること無く間合いを詰めて、盾を構えた目の前の男に向けて槍を横薙ぎに振り抜いて弾き飛ばす。
「隊長! バーレット隊長!」
倒れている隊長の傍に膝をつく。名前を叫んでも隊長が反応することは無かった。安らかな表情を崩すことなく、眠っているように瞳を閉じている隊長のその胸には、銃弾で撃ち抜かれた跡があった。
「……嘘……」
目の前の隊長の姿を、私は信じる事が出来なかった。彼は近衛隊の隊長だ。才能だけでなく実力も兼ね備えていた。いくら複数の敵と対峙したとしても、簡単に負けるはずはない。その強さは身を持って知っている。そんな隊長が盟竜と共にいて後れを取るはずがない。そう思ったところで私は顔を上げた。
隊長と共に行動していた三匹の地竜の姿を探した。暗闇の中からでも見えていた。盟竜達はこの場所にいる。私は視線を彷徨わせる。そして捉えたその光景は、絶望にも似た感情を私の中に生み出した。
隊長の連れていた三匹の地竜は、私が弾き飛ばした男を護るように、私との間に立ちはだかっていた。
隊長が負けてしまうとするならば、もうこれしか考えられない。隊長の竜達が、敵に操られたのだ。
信じたくなかった。単なる噂だと、何かの間違いなんだと、切り捨てることが出来なかった僅かな不安が、目の前で現実となっていた。
「……そんな……どうして、こんな……っ!」
その光景を呆然と見つめることしか出来なかった私は、視線の先である人物を見つけた。男の兵士の傍に駆け寄る女の兵士、薄暗い闇の中にも関わらず、わずかな月明かりを浴びて輝く黒髪を揺らし、男の視線を追うようにして私に向けられた藤色の瞳。
「……アトラ……ラクルス……!」
私の視線と藤色の視線と交差した時、私は確信した。この女なら、竜を操ることができる。帝国の人間でありながら、竜を知る唯一の存在であるこの女ならば、十分に可能だと、私の直感が告げていた。
皇女シルヴィアが言っていた、ソフィア王妃に仕えていた侍女。十年前の生存者、帝国兵の元侍女。彼女が、彼女こそが──
──王国を乱した全ての元凶──
「……お前の、所為だ……」
震える口からにじみ出た言葉と共に立ち上がる、槍を握る手に力がこもる。今まで押し殺していた感情が、みるみる膨れ上がっていく。
「お前さへいなければ……戦争になんてならなかったのに……」
あの女が大人しくしていれば、こんな事にはならなかった。こんなにも犠牲を払うことも無かった。今まで通り慎ましく、穏やかに暮らしていけたはずだ。
「お前が何もしなければ……誰も死なずに済んだのに……!」
溢れ出そうとする感情が、内に秘めていた言葉を押し出していく。抑えることなど出来なかった。漏れ出す言葉はさらに、私の中の怒りと悲しみを膨れ上がらせていく。
「国王陛下も、隊長も……王妃様も……」
そう口にしながら、脳裏を彼等の顔が浮かび上がる。そしてあの人の顔がよぎった瞬間、ただ純粋な憎しみが、私の中で爆発した。
「……ユリウス様だって、死なずに済んだんだ!」
その叫びとともに槍を天高く振り上げて、怒りを込めた魔力を槍に流して烈風を纏わせる。
「アトラ・ラクルス! お前は……お前だけは許さない! お前の全てをもって贖わせてやる」
皇女からの命令は、あの女を皇女の元へ生きて連れていくこと。だがこのままでは私のこの怒り、憎しみは抑えきれない。
空いている左手が、自然と胸の前へと伸び、革製の胸当てに爪を立てる。
こんなにも激しい怒りを覚えたのは初めてだ。荒れ狂う感情が、私の思考を支配していく。
「お前を拘束し、姫殿下の前に連れていく。だがその前に……手脚の一本はもらっていくぞ!」
嵐のように荒れ狂う風をまとった槍の十字の穂先を、女兵士へと突きつける。すると、隊長の盟竜であるはずのメルヴァとその子供達が私の前に立ちはだかり、威嚇する様に鳴き始める。
「メルヴァ……本当に操られて……え」
目の前の光景に、いっそう胸の苦しさが増していく。そんな中、メルヴィスが私の横をすり抜けてメルヴァの後ろにいた赤黒い髪の男の元へと近づいて行った。
その男の口元が僅かに動いている。それに応える様にメルヴィスとメルヴァが鳴いていた。すると、メルヴィスはメルヴァの横に並び、あろうことか私に牙を向けて咆哮する。
「……そうか、貴様の方か……」
どうやら私は勘違いをしていたらしい。竜を操る事が出来るのはアトラではなく、あの赤黒い髪の男であったようだ。メルヴィスが操られる前、あの男は口を動かしていた。原理はわからないが、竜に語りかけるようにして何かの術を掛けたのだろう。あたかも竜と会話をしているように見えたその光景が、私にはたまらなく不快だった。
その行為が許させるのは、世界で
「我ら竜騎士の前で竜を操るなど……万死に値する!」
この男は脅威だ。私達竜騎士の最大の脅威だ。生かしておいてはあまりに危険すぎる。私は一歩前に出ながら槍を構え直す。それを見た竜達が前進して距離を詰めてくる。これもあの男の差し金なのだろう。
「くっ……貴様はここで殺す。自らのその愚かな所業、地獄の底で悔いるがいい!」
竜達に負けじと咆哮し、風をまとった槍をその場で横一閃に振り回す。その動作に合わせて、正面の竜達に突風を浴びせて吹き飛ばす。
いくら操られているとはいえ、隊長の竜達を傷つけることなんて出来ない。それに操られているのなら、その元凶を叩けば元に戻るかもしれない。狙うは一点、竜を操る術者のみだ。
切り開かれた道を、術者目掛けて突進していく。その進路に、今度はアトラが割ってはいる。
「……邪魔だ! 退け!」
アトラに向けて勢いをのせた突きを放つ。だがこの槍が届くことは無く、手に持っていた銃剣で斬り払われる。すぐに体勢を立て直して今度は槍を振り下ろす。しかしこれも、易々と受け止められてしまい、力比べに入ってしまった。
「ソニア・フレメリア様ですね? お美しくなられました……」
「っ……私の名前を!」
私はこの女に直接出会ったことは無い。だが、この女はソフィア王妃の侍女であったのだ。どこか影から私を見ていたとしても不思議はない。
「私達に戦う意志はありません。ですのでどうかソニア様、その槍をお納めくださいませ」
互いの得物をぶつけ合いながら、アトラが穏やかな声で語りかけてくる。その余裕の見える振る舞いが、私の怒りに油を注ぐ。
「お前がそれを言うのか……最初に刃を向けたお前が……! 王家を……あのお二人を裏切ったお前が!」
怒りがそのまま力に変わっていく。握り締める槍が軋みを上げながら、アトラの銃剣を押し込めようとする。目の前の女はすこし表情を固くするが、まだその均衡を破るには至らなかった。
(くっ……まだ足りないの!?)
皇女の話にあった通り、この女には竜騎士並の力があるようだ。いくら今の私のそばに盟竜であるククルスが居ないとしても、白兵戦で互角に戦える相手などそうそういるはずがない。いるとすれば、バリアント卿を打ち倒したとされる者くらいだろう。
「……ソニア様、どうか!」
「っ黙れ! そうやって油断させて……隊長も殺したんだろう! そんな手に乗るものか!」
アトラの銃剣をさらに押し込めながら、槍に魔力を集中させる。次第に槍全体を覆うように風が収束していく。
(もっと……もっと、鋭く!)
心の中で念じながら、意識をさらに集中させる。すると、収束していく風は、十字の刃へと集まり、耳をつんざくような音を上げて震え始めた。
「……風よ──」
「これは……っ!」
槍の異変に気がついたアトラは、拮抗していた力比べをやめて私の槍を受け流し、後ろへと飛ぼうとする。
「──斬り裂け!」
槍を流されて前のめりの体勢なる。その勢い利用して大きく一歩前に出て、アトラの懐にまで飛び込み、音をあげる槍を振り上げる。その刃は、防御の為に掲げられた銃剣を真っ二つに両断した。
「っ! しま──」
思いがけない一撃により武器を失い、攻撃の威力に押されたアトラは体勢を崩した。
土壇場で試してみたが、まさか成功するとは自分自身でも思っていなかった。だからこそあの女も予期していなかったのだろう。でなければ、この攻撃は届かなかった。
竜騎士の扱う魔法は、所詮は契約した竜の扱う魔法の縮小版だ。だが、今のは竜の扱う魔法を己の力で操り形を変えて繰り出す秘技だ。攻撃の威力も比べ物にならない。
この秘技を使えるのは熟練の竜騎士のみだ。今となっては王族のみ扱えるものとなってしまった。そしてそれを知っているあの女だからこそ、この攻撃があの女に付け入る隙を生み出した。この気を逃す訳にはいかない。
「まずは……お前からだ!」
風の刃を纏った槍を、よろめくアトラの右肩目掛けて渾身の突きを放つ。しかしこの攻撃は、アトラを守るように横から割り込んだ術者の光る盾により受け流される。
「っ……揃って私の邪魔をする!」
「頼む、ここは引いてくれ! 君とは戦いたくないんだ!」
「減らず口を! その手には乗ら……っ」
一度距離を取るため後ろに飛び退く。その着地と同時に、視界が激しく揺らいだ。その直後、心臓の激しい鼓動が警鐘となって全身を巡り、その度に身体を内側から突き破るような鋭い痛みが腕を、背中を、全身を襲う。
(しまった……魔力を……)
魔力は生きる力そのものだ。それを使い過ぎれば、身体が悲鳴を上げるのは当然だ。土壇場で繰り出した秘技が仇となってしまった。呼吸もままならない。立っているのがやっとの状況だ。
「もう少し……なの、に……」
槍を杖代わりにしてようやく立っていられる状況の中、目の前の兵士を睨みつける。私の視線の先にある、薄汚れた灰色の瞳はどこか悲しげな色をしていた。同情でもしているのだろうか。なんにせよ、屈辱以外の何物でもない。
あともう少しのところで、王国の脅威を排除出来たというのに、怒りで冷静さを欠いてしまったことにより、逆に窮地に立たされてしまった。打開策を考える余裕もない。
だが、こんな所で終わるわけにはいかない。私がここで死ねば、ククルスを独りにしてしまう。彼女はあの二人から託された大切な竜だ。その竜を託された私は、あの二人の想いも一緒に背負っているのだ。こんな所では終われない。
その時、突如として地面が揺れ始めた。同時に渓谷内に反響して徐々に大きくなる爆発音が、私の身体を揺らしていく。
「っ……まさか! 爆弾!」
揺れる身体を支えながら空を見上げる。その空は、明朝と呼ぶにはまだ暗かった。捕らえた兵士の話によれば、明朝に一斉に爆破すると言っていた。まだそれには早すぎる起爆に、私は一つの結論に至る。
(まさか……それすらも嘘だった!?)
ありえない話ではない。前もって口裏を合わせることだって十分にできる。それに、明朝を待ってから起爆する利点が帝国側には全くないのだ。
「どこまでも……卑怯なやり方を……」
怒りが再び燃え上がる。槍を握り締める手の力が増していく。せめてもう一撃と、正面を見据えて槍を構えようとしたその時、頭上で大きな爆発音が鳴り響いた。弾かれるように上を向くと、大小無数の岩石が落下してきていた。
「な……に……!」
その岩石は私の退路を阻むように、容赦なく降り注いだ。そしてその衝撃は激しく、地面に複数の亀裂が走り、足元が割れた。次の瞬間、私の身体は宙に浮いた。
身体がふわりと浮き上がる感覚が、張り詰めていた私の緊張を緩ませて、一気に意識が遠退いていき、瞬く間に闇の底へと沈んで行った。
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