第十節 銃声
「……おかしい」
片方は岸壁、反対は断崖絶壁となった道の途中で立ち止まり、心に抱いていた疑念が口から漏れる。
大渓谷内部に足を踏み入れてからそれなりの道を歩いてきた。兵士すら通れないような道は除外しながら、大きな道を選んで進できた。兵器を持ち込むにしても、配置できる場所と運ぶ経路は必要だ。こちらに土地勘がなくとも痕跡さへ見つけることが出来れば、ある程度なら推測できる。だがその兵器を持ち込んだ痕跡はおろか、見えない壁にすら当たらない。
「もっと奥なんじゃないのか?」
「そんなはずは……こんなに進めたのは初めてなんです。もう壁があってもおかしくないのに……」
予想もしていなかった事態に困惑し始めていた私へ、マカフが声をかけてきた。その言葉を首を横に振って否定する。
ここまで壁や地面についた戦いの痕跡を追いかけていた。その痕跡が、しばらく前から見当たらない。つまりはこの場所で戦闘は行われていないという事になる。見えない壁の範囲内であったことの証明だ。
(どうして……まさか、帝国の罠?)
あの日の夜、隊長が言った言葉がじわりと蘇ってくる。
「とにかく進もう。迷っていては夜が明ける。どの道その兵器は破壊しないといけないんだ。俺たちのやるべき事は変わらない」
私の心の内を知ってか知らずか、一人沈黙していた私にビダルが前進を促した。彼の言う通り、この先にどんな罠が待っていたとしても、やる事は変わらない。
「……そうですね。メルヴィス、進もう」
「……グルルゥゥ」
気持ちを切り替えて、そばで待機していたメルヴィスの背中に手を置いた瞬間メルヴィスが何かを感じて低く唸り始めた。彼の視線は進行方向へと向いている。
「待ってろ」
そしてすかさずマカフが前に出て、地面に耳を近づけた。そこからしばらくの沈黙が続いた。
「……聞こえてきた。足音は二人分、近づいてきてる。一人は何か……抱えてるのか? 音が違うな。ソニア、どうする?」
マカフが顔を上げてこちらに向いた。
「……」
「戦闘は極力避けるべきだ。別の道を行こう」
私の沈黙の後ろから、ビダルが静かに声を発した。戦闘の回避は、この夜襲における優先すべき事柄だ。だが最も優先すべきは、見えない壁を創る敵兵器の破壊だ。
「……いいえ」
私のその言葉で、二人の視線が私に向けられる。
「捕らえましょう。兵器の場所を聞き出せるかもしれません」
これは絶好の機会だ。もとより見えない壁に当たるのを前提としている。それができてない以上、なんの手がかりもないまま探すのは困難。敵兵士なら、少なからず情報は持っているはずだ。この気を逃す手はない。
「なら、俺の出番だな」
マカフはそう言うと立ち上がり、大きく伸びをしてから大弓を構えた。
「獲物は違うが、何とかなるだろ。ビダル、俺が撃ったら突っ込め」
「……お前も大概、人使いが荒いな。まったく」
マカフは弓をつがえて大きく引き絞り、ビダルはため息を吐きながら、腰の短剣二本を抜き、逆手に持って構えた。
マカフは竜騎士になる前は狩人であったらしく、その能力を活かして、第二皇子クラトスと共に王都西部に広がる竜達の住む森がある【皇の森】の警備を任されている。ビダルも同様だ。二人の連携なら不安要素は皆無だ。
渓谷の中を吹き抜ける風の音に混じって、男の喋り声が微かに流れてきた。敵が近づいてきている。それに合わせて、私は二匹の竜と一緒に後ろへと下がる。
道は一つだ。あまり広くもない。出会い頭の一撃を避けられることもないだろう。
「……来るぞ」
マカフは小さく呟きながら、一際強く弓を引いた。それと同時に、正面の道の影から人影が現れる。その影が全て出てくるよりも早く、マカフは弓を射った。それに合わせてビダルが低い姿勢で走り出す。
マカフの放った矢は、現れた人影の肩辺りに命中してその影を地面に薙ぎ倒した。続いてもう一つの人影が飛び出してきた。その影に向かってビダルが短剣を投げ付ける。続いてマカフの第二射が命中する。その影は何とか踏み止まるが、そこにビダルが襲いかかり、一瞬にして組み伏せた。
「よし、一丁上がりだ。行くぞソニア」
弓に矢をつがえたまま、マカフはいつものような軽い口調で喋りながら影に近づいていく。私もその後に続く。次第に目の前の様子が鮮明になってくる。肩の関節付近を矢で射抜かれて悶絶している黒服の兵士と、ビダルに腕を取られて苦悶の表情を浮かべる同じく黒服の兵士の姿があった。
「よぉし、急所はわざと外してるのは分かるよな? これ以上怪我したくなかったら、大人しくしとけよ?」
「敵!? なんだよ……こんな忙しい時に」
「ああぁ肩が! 何だこの矢! あぁついてねぇ……痛てぇな畜生っ!」
制圧された兵士達がそれぞれ言葉を吐いた。
「貴方がたには聞きたいことがあります。大人しく──」
私のその言葉の最中、二人の視線は私の背後に向けられて驚愕の色に支配される。
「ひっ……ど、ドラゴン?! なんでこんな所に」
「な……障壁は機能してないのか!?」
悲鳴のような声で、その身体をじたばたと動かしては逃げようともがき始めた。
「障壁、機能してない……?」
兵士たちの言葉から出てきた単語を元に予測を立てようとしていた時、ビダルに組み伏せられていた兵士が叫ぶように声を上げた。
「まさか俺達は餌扱いか!? 何が望みだ? 何が知りたい? 俺が全部答える、だから食うのはアイツだけに……俺は見逃してくれ!」
「な……てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ! 頼む家族が、嫁と息子が待ってるんだ……頼むよ」
今度はそれに続いて、マカフに弓を向けられていた兵士が弱々しく口を開く。
「お前まだ未婚だろうが! 嘘ついてんじゃねぇぞ! クソ野郎!」
「うるせぇよ! 先に仲間を売ったのはお前だろうが!」
その言葉を皮切りに、敵兵士二人の罵声の報酬が始まった。互いに身動きの取れない状況であるにもかかわらず、その罵詈雑言は留まることがなかった。
「見苦しいにも程があるだろ、コイツら」
マカフの言う通りだ。捕えられている立場にも関わらず。自分の命惜しさに、仲間を蹴落とすことしか考えていない。この二人は本当に、私と同じ人間なのかすら分からなくなってくる。見ているのも、もう我慢の限界だった。
「……メルヴィス」
自分でも驚くほど低い声が出た。その声に反応した彼が、私のそばに顔を出す。
「お願い……黙らせて」
メルヴィスは一声鳴いて、私とマカフの間をするりと抜けて敵兵士の前に出る。
「ひっ……待て、待ってくれ待ってくれ! やめ──でえぇぇぇ」
メルヴィスは、這いながら逃げようとする兵士の背中を足で押さえ、三日月状の鉤爪の先端を首の付け根部分に突き刺し、徐々に深く押し込んでその傷口を広げていく。
兵士は恐怖と痛みで泣き叫んでいる。メルヴィスの威嚇に萎縮してくれるかと思ったが、メルヴィスの過剰な行動に静まるどころかさっきよりも騒がしくなっている。どうやらメルヴィスも苛立っていたのかもしれない。彼に頼んだのは逆効果だった。
いっそうその見苦しさの増した敵兵士の様に、私の怒りは頂点を迎えた。静かに足を動かして泣き叫ぶ敵兵士へと近づいた。
「メルヴィス。殺してはダメ」
のしかかるメルヴィスの首に手をおいて静止させる。そして手に持っていた槍を逆手に持ち替えて、叫ぶ兵士の顔のすぐ側に、勢いよく突き立てる。予期せぬ白刃の登場により、敵兵士は一瞬にして押し黙った。
「……黙りなさい。質問に答えれば殺しはしません」
その場に膝をついて、刺すように言葉を投げる。
「貴方達の言う障壁……竜を阻む壁のことですね?」
敵兵士は唇を震わせながら何度も頷く。
「その兵器は何処です? 案内しなさい」
「……知らない」
兵士は一言、震える口で答える。ここまでされて、あれだけの醜態を晒しておいて、国への忠誠を見せようというのだろうか。浅ましいにも程がある。
「……メルヴィス」
敵兵士を押さえ込んでいるメルヴィスの名前を呼ぶ。それに合わせて、メルヴィスは三日月状の鉤爪に力を込める。
「本当に知らないんだ! 絶竜障壁の配置場所は一部の士官とその直営部隊しか知らない! 嘘じゃない! 信じてくれ!」
必死の表情で訴えている兵士からビダルが取り押さえている別の兵士に視線を向ける。その兵士は無言のまま何度も首を縦に振っている。この状況で仲間割れしても意味は無いはずだ。どうやらこの二人は知らないらしい。
「なら、お前達が運んでいたこれは何だ?」
今度はビダルが口を開く。ビダル自身が取り押さえている兵士のすぐ側に置かれている荷物へと視線を投げる。
「……爆弾だ」
「なんだと……いつ爆弾する?」
「明朝……一斉に起爆する手筈になっている。半分はもう仕掛けた。お前達だけじゃ全て探すのは無理だ」
兵士の言葉に、この場の空気が静まり返る。
私は空を見上げる。渓谷の隙間からのぞく狭い空からは、どれくらいの時間が経過しているのか分からない。打開しようにもどれくらいの猶予があるのか分からない。そして、同時に私は気がついてしまった。
──全てが罠だった──
バーレット隊長の懸念は正しかった。私達は攻めていたのではなく誘い込まれていたのだ。この渓谷で私達の息の根を止める算段でここまで誘き寄せ、上空を封じ、私達を奈落へと落として陸路も封じる。全てが計算された作戦だったのだ。
「そんな……」
身体から力が抜けて、弱々しい声が漏れ出した。
私の号令でどれほどの民たちの命が失われたか、どれほどの竜が、竜騎士達が命を賭して戦ったのか、その勇姿を無駄にしないために、ここまで来たというのに、その全てが無駄だった。そう思った瞬間から、思考は纏まらず。視線は足元へと落ちる。
「……諦めるにはまだ早いだろ?」
重たい空気が流れる中で、マカフの軽い口調が耳に届いた。
「コイツらにも手伝わせよう。ソニア、お前は隊長達にこの事を伝えに行け。メルヴィスなら場所が分かる」
そう言い終わると、マカフはメルヴィスに目配せをする。それを受けたメルヴィスは敵兵士から足を離して私の前で脚を折る。背中に乗れということだろう。
「ほら、時間が惜しい。さっさとい──」
マカフの言葉の途中、微かな銃声が冷たく乾いた空気を越えて聞こえてきた。その直後、メルヴィスが突如鳴き出して、異常なまでに興奮し始める。
「っ……まさか隊長に……ソニア!」
「──メルヴィス!」
マカフの声に弾かれるように身体を起こし、槍を引き抜いてメルヴィスの背中に飛び乗った。するとメルヴィスはすぐさま立ち上がり来た道を戻り始めた。
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