第九節 夜闇に紛れて


 煌華こうかの侯 五十五日目 ドーラ森林西部 王国騎士団駐留拠点



「それじゃあ、行ってくるね。ククルス」


 寂しげな表情をうかべる友の頭を抱き寄せる。撫でるたびに喉を鳴らす彼女は、今回はここで留守番だ。いかに飛行が得意でも、いつ壁に当たるか分からない中で飛ばせるわけにはいかない。それになにより、ククルスが操られる姿は見たくはない。


 ククルスの温かさを十分に感じた後、惜しみながら彼女から離れて槍を持ち、集合地点へと向かう。


 既に太陽は落ち、輝く月は頭上を越えて落ち始め、闇夜の雲の隙間から私達を見下ろしていた。今夜は雲が多い。夜襲には最適だ。それに心做しかいつもより暖かい気もする。


 歩みを進めてから程なく、集合地点にたどり着く。そこにはバーレット隊長を含めた五人の騎士と、その背後に五匹の地竜が並んでいた。


「よし、揃ったな。では手筈通りに」


 隊長のその言葉で騎士と竜達は二手に別れる。事前に隊長が決めた班分けだ。私の居る班には、猫背の男ビダルと、長身で細身の男マカフ、そして二匹の地竜が今回の仲間だ。


「はぁ……相変わらず、隊長は人使いが荒い。勘弁してくれ」

「そう言うなよ。ほら、銀髪美女と夜の散歩だと思えばいい。絶世の……じゃないのは、ソニアだから仕方ないか」


 猫背の男が、溜息をつきながらボヤいていると、その肩に手を置いた長い髪を束ねた長身の男が私を見下ろしていた。先日到着したばかりの近衛隊の竜騎士、私の同僚達だ。いつも見ていたこの風景にどこか懐かしさを感じながら、私は口をとがらせる。


「……それ、どこ見て言ってるんですか?」


 その長身から降り注ぐ視線は、私の顔からするりと下の方へと落ちていく。これもいつものやり取りなのだが、やはり気持ちはよろしくない。いつも以上に声を尖らせて刺すように言い放つ。


「そりゃあ顔だな。もちろん顔だ」

「嘘! 絶対胸見て言いましたよね! 見られてるの分かるんですから!」


 マカフは悪びれることなくそう言い放つ。だがこれは彼の好みの問題だ。彼が私よりも背が高く、高望みしすぎているだけなのだ。私はそこまで背が低いわけではないし、小さいわけでもない。むしろ標準よりは上のはずだ。だが、皇女シルヴィアにはじまり、近衛隊の他の女性騎士達と比べられると、私は何も言えなくなる。


「偶然だ。ほら自然と視界に入るんだよ、お前小さいから……って痛い痛い! メルヴィス、噛みつくのはやめてくれ!」


 私を見下ろしていたマカフは、相方に伸ばしていた腕を後ろに控えていた地竜に噛みつかれていた。甘噛みをしているのだろうが、防具のない部分に加えて関節部だ。多少は痛むのだろう。


 観念した男の姿を見て地竜メルヴィスは腕を解放する。二本の脚で悠々と立ち、両の手脚に伸びる三日月のような鋭い鉤爪。鞭のようにしなる尾、蜥蜴にも似たその頭部には、知性のこもった黄色の瞳が輝いている。バーレット隊長の盟竜の一匹、雄のメルヴィス。


「先輩達より、彼の方が紳士ですね」

「そうだろうな。この色男め」

「おい、勝手に巻き込んでんじゃねぇよ……」


 自分の腕をさするマカフと再度ため息をこぼすビダルの間を通り過ぎて、メルヴィスの元へと歩み寄る。


「ありがとう、メルヴィス。この中で一番の紳士よ、貴方。お……」


 そう言いながら頭に手を伸ばす。メルヴィスは拒むことなく私の手を受け入れて、大人しく撫でられている。そこにすかさず別の地竜が近寄ってきて反対の腕の隙間に頭を潜り込ませてきた。メルヴィス達の三匹の子供の内の一匹、一番小柄な末っ子スォール。この人懐っこさは昔から変わりない。安堵を覚えながら、スォールの頭を優しく撫でる。


「お前達、いつまでそうしている!」


 遠くから隊長の声が響き、その後から笑い声が届いてくる。その隊長の横では、メルヴィスより一回り大きな地竜、雌のメルヴァがこちらを睨むような視線と鋸のように並んだ牙を向けていた。いつの間にか向こうの班は渓谷入り口に向かっていたらしい。


「おっと、俺達も行くぞ。今度は嫁さんに噛まれそうだ」

「とばっちりは勘弁してくれよ」

「……メルヴァ、私の事見てませんか?」


 マカフを先頭にして速足で隊長達の後を追う。出入口に続く林道を抜けて、そびえ立つ岸壁の間を抜ける。両脇にそびえる壁は高く、上空は抜けている。夜空の深く深い藍に散らばる星々が私達を見下ろしていた。


 ガレオ大渓谷。大陸を南北に長く伸び、東西に分けた巨大な岸壁。長い年月をかけて水が浸食し谷を造り、風が吹き抜け迷宮を成していた。


「よし。ここからは別れるぞ」


 先頭を歩いていた隊長がそう言って立ち止まる。その先は道は別れていた。片方は上へ、もう一方は下へと降りていく。その先には網の目のように自然の橋が僅かに見えている。ここから先は迷宮そのもの。敵と鉢合わせれば戦闘は避けられないだろう。


「目的は兵器の破壊だ。派手な戦闘は避けろ、いいな? 夜が開けるまでが制限時間だ」


 その言葉に、この場の空気が引き締められる。全員が無言で頷いて、それぞれ武器を取り頭上に掲げた。

 ここにいるのは全員が顔見知りだ。王族に仕える近衛隊。資質溢れる竜騎士ばかりだ。互いの得意な武器も、癖も知っている。連携を図るのも造作もない。隙などない万全の布陣。これ以上はきっとない。


「我等の盾は民の為に、我等の刃は竜の為に、我等のこの身この魂は、我等が栄えある王国の為に」


 隊長が淀みなく号令を発する。それに合わせて、掲げていた武器を眼前に降ろす。近衛隊の誰かが長期の任務に就く時、必ず交わす言葉。近衛隊としての矜恃とその者の無事の帰還を願う祈りの言葉。


「我等が始祖たる白天竜よ。どうか我等に、善き竜の加護を与えたまえ」


 瞳を閉じて祈りを捧げる。しばしの沈黙の間に訪れる僅かな静寂。その間に精神を落ち着け、心を整える。武器を下ろして瞳を開ける。さっきまでの和やかだった空気は消え、皆目の色を変えていた。


「俺達は下へ行く。お前達は上だ」

「分かりました。ご武運を」


 私のその言葉を聞き終えると、隊長達は渓谷の下方へと続く道へと進んで行った。それを見送ってから振り返る。さっきのふざけていた態度のマカフは大弓を軽く掲げ、ビダルからは気だるげな表情は消えていた。


「メルヴィス。先頭、お願いしてもいい?」


 メルヴィスはその言葉に小さく鳴いて答えると、一足先に上り道へと向かう。彼等の種は、視覚聴覚嗅覚の全てに優れている。索敵であれば彼等以上に頼れる存在はない。


「私、ビダル先輩、マカフ先輩の順で、スォールは念の為に後ろの警戒を」

「分かった」

「異議なし」


 二人の返事に続いて、スォールはやや不服そうに鳴き声を返して地面を爪で掻く。それをみたマカフが、なだめるようにスォールの首に手を回す。


「……行きましょう」


 それを見届けてから、メルヴィスの待つ道へと進んで行った。

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